ニコラ・テスラの夢

    
平成十一(西暦1999)年八月一日 旧六月二十日(日)


 フリー・エネルギーは人類の永遠の夢であると同時に、守銭奴達の永遠の敵でもある。
技術的には実現可能なこの夢が今もって実用化されない裏には金為本時代のかさぶたの様な迷信が蔓延っており、現代経済が根底から覆りかねない事への恐れがその実現を拒んでいるのである。
現時点でこれを論議しても恐らく資本階級全体の歓迎を受けるのは難しい。
 だが私がミカエルの大号令を発するに際しては特にフリー・エネルギーを使用する必要はない。
何故なら私の号令に応ずるのは生命ある神々であり、意志のない単なるエネルギーではないからである。
したがって先日放映のルパン三世の様に「コロンブスの玉子」の様な機関も必要ではない。
ただ言霊があればよいのである。
だから何度も大号令と記しているのであり、また預言や予言の類ではないから、当たるとか外れるとかいうレベルのものでもないということを改めて念を押しておく。
 言霊に類似してフリー・エネルギーも限りなく無機的な有機エネルギーであり、それを使用する人類の魂のレベルに反応するものであるから、ただ単にアイテムを揃えても使用できるものではない。
 先ずは食生活を改めて血液を浄化し、その上で神様の祝福を受けて天真爛漫で無垢な心を取り戻さなければそのエネルギーは作用しない。
したがって汚れた血液のままで学者がどんなに頭を捻っても効果はないのである。
そういう意味では大号令の準備段階の様な次元なのであるが、それさえも現代の様な守銭奴的レベルの方が勝っている時代には使用不可能なエネルギーである。
 オルゴン・エネルギーもオルガズムと密接な関係を持っているが、ただ単に肉欲だけの快楽を求めてもコントロール出来るものではない。
かえってそのエネルギーを使用しようとして身を滅ぼす事になるであろう。
 フリー・エネルギーというものが、それを発見した者無しで作用しない理由はこういう事なのである。
神との関係を復帰した正常な霊魂と、浄化された血液という二つの要素が備わっている事が何よりも重要なのである。
 要するにこれが人は神の宮という事なのであるが、正神からのエネルギーは正神の宮となった肉体を通してしか作用しないのである。
それは逆に初期の超能力者が周囲の好奇的な念波に屈して超能力を発揮出来なくなる理由にも通じるものである。
だから最近テレビでやっている様に空腹から得ただけの野性的勘が、ショーになった時に効力を失うのも無理のない事なのである。
あのイエス・キリストでさえも霊魂が浄化されていない人に対しては奇跡を現さなかった。
単なる好奇心だけでは高位の正しい神からの力は現れない。
どちらかというと低位の魑魅魍魎の類と波長の合う魂の方が、ショーの場で見せ物的力を発揮するものである。
 対してミカエルの大号令は大自然の大調和の為の活動であるから、不調和を修正する時以外に見せ物的に使用出来るものではない。
 比較的有名な神霊治療はミカエルの活動ではなく、釈迦、イエス、マホメット等を守護していたガブリエルの活動である。
 またモーゼやエリヤ、及び後の達磨に奇跡を現したのはラファエルであり、孔子の美徳を守護したのはウリエルである。
 そして最後にフリー・エネルギーを守護するのは正しい位置に復活した後のルシフェルであるから、現時点での使用は絶望的である。
 ニコラ・テスラの様な別格の天才的科学者がフリー・エネルギーの活用法を明らかにせず、その存在だけを現したのは、ルシフェルの栄光の座への復帰が必要だったからである。
 ルシフェルの復帰は順序としてイブの復帰がなければ成就せず、イブの復帰はアダムの復帰の後である。
この順序で神の許しを得る迄はフリー・エネルギーは夢の彼方の英知だ。


垣内政治音楽工房

    
平成十一(西暦1999)年八月二日 旧六月二一日(月)


 本日は誠に勝手ながら新企画の御紹介をさせて頂きます。
当、垣内政治音楽工房では、通常では百万円はくだらないプライベート・オリジナルCDの作成を、最低価格十万円から受け付ける事になりました。
歌に自信はあっても音楽の事は何も知らないという貴方も、この新企画で気分はもうミュージシャン!
 御予算に応じてプロ並みのCDも制作いたしますが、先ずは出来るだけ低予算で子供の頃からの夢を叶えてみたい貴方に、是非是非お薦めの商品です。
お問い合わはこちらまで。
Tel・Fax ○○○(○○○)○○○○
手紙・葉書での問い合わせはこちらまで。

住所 〒○○○ー○○○○
   横浜市○○○○○○ー○ー○○
   垣内政治音楽工房 垣内(自宅)

 作詞・作曲・編曲・採譜・楽曲コピー(依頼者オリジナルのみ)、
ジャケット・デザイン等、プライベート・オリジナルCDに関する御相談でしたら何でも受け付けます。
お気軽にお問い合わせ下さい。親切丁寧にお返事いたします。
 尚、Fax・留守番電話にメッセージを下された方、お手紙を頂いた方には、必ず折り返し連絡させて頂きます。皆様からの御連絡をいつでもお待ちしております。
   垣内政治音楽工房 代表 垣内政治

      ○     ○

 みんなしあわせになれプロジェクト
       入会者公募のお知らせ

 みんなしあわせになれプロジェクトからのお知らせです。
先年八月より、皆様から多大のご愛顧を頂いております
「みんなしあわせになれプロジェクト」
では、本年八月より、いよいよ本格的なプロジェクト・チームを開設するべく、有志の方々の御協力を頂きたく一般公募の窓口を設ける事となりました。
 生活問題の改善を政治経済、芸術、宗教、科学、医学、武道、スポーツ、メディア等の視点から解決に向けて検討、研究、実践して行きたいと感じる方は、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。
当面はサークル形式で運営して行きます。
入会費・○○円。月会費・○○円になります。
お問い合わせはこちらまで。

住所 〒○○○ー○○○○
   横浜市○○○○○○ー○ー○○
     垣内政治(かきうち まさじ)
Tel・Fax ○○○(○○○)○○○○

     ○      ○

     神霊相談のお知らせ

 別窓口にて神霊相談を一件○○円で受け付けさせて頂きます。
通常宗教団体等では○○円程の費用がかかりますが、当方では低費用だからといっていい加減な相談は致しません。
肉体生活を送る以上、当方も維持費を必要としておりますので何卒御了承下さい。
 但し生活向上の為の神霊相談につき、興味本位の御相談は受け付けかねますので御了承下さい。
お問い合わせはこちらまで。

住所 〒○○○ー○○○○
   横浜市○○○○○○ー○ー○○
     垣内政治(かきうち まさじ)

Tel・Fax ○○○(○○○)○○○○
お手紙、電話、Fax等で御確認の上、当方自宅まで相談料一件につき○○円を御持参の上おいで下さい。
質素な構えですが深く濃い内容でお応えいたします。
尚、出張の御要望につきましては別途諸経費を御用意下さい。
スケジュール調整の上、必ずお伺い致します。
 神様とこの世の関係を知り、地上天国建設参加の確信を得たい方は、どうぞお気軽に御連絡下さい。
いつでもお待ちしております。
 猛暑たけなわの今日この頃ですが、皆様の御多幸をお祈り申し上げます。
今後も費用の許す限り、Fax通信に励んで参りますので今後とも皆様の御愛顧を宜しくお願いします。

(後日談:
 これらの受け付けは平成十四年現在においては致しかねますので御了承下さい。
今後の日記の構成上の参考資料として掲載しました。
 尚、どうしても御相談がおありの場合はINDEXページから
   「ゲストブックを読む」
を開き、そこに記された
   「おとぼけカッキー」
のメールを御利用下さい。
御相談内容を御確認の上、受け付け可能な場合のみ御返信させて頂きます。)


ミニ・ライブのお知らせ

    
平成十一(西暦1999)年八月二日 旧六月二一日(月)


 来る九月二日金曜日、夕方より、「な○の芸能小劇場」にてア○ト○ル・フ○イ○主催による新人アーティスト・レギュラー・ライブが催されます。
数々の将来有望な新人アーティスト達と共に、私、垣内政治も新人ソロ・アーティストとして出演致しますので、この告知をご覧になり、興味を持たれた方は是非受け付け事務所までお問い合わせ下さい。
当方自宅にても受け付けておりますので、どうぞお気軽に御連絡下さい。お待ちしております。
尚、お問い合わせはこちらまで。

  ア○ト○ル・フ○イ○
    TEL ○○(○○○○)○○○○
  な○の芸能小劇場
    TEL ○○(○○○○)○○○○
  垣内政治(自宅)
    TEL・FAX ○○○(○○○)○○○○
       チケット ¥○○○○

 御用とお急ぎでない方は、是非一度おいで下さい。
心よりお待ち申しております。
尚、取材の申し込み等も喜んでお受け致しますので、今後とも宜しくお願い致します。
次回、十月の予定についてはおってまた告知させて頂きます。お目汚し有り難う御座いました。
今回の催しへの参加は特に御神業というわけでは御座いません。
個人的な音楽活動の一環ですから、お気軽にお問い合わせ下さい。
一同首を長くしてお待ちしております。

 推薦・みんなしあわせになれプロジェクト

(後日談:
 この記事は単なる記録として掲載しました。
平成十四年現在では一切上記の様なイベントは行っておりません。)


神の子一歳

    
平成十一(西暦1999)年八月二日 旧六月二一日(月)


 恐怖の大王の七の月も人類滅亡の悪夢も雲散霧消して八月になってみれば、夏たけなわとなり、南部での台風で航空便の運行中止等がありましたが、人命第一の好判断でスイスの二の舞は回避できた様で一安心です。
 お隣の朝鮮半島では大雨による被害があった様ですが、大急ぎで天に召還される魂や、改めて地上天国建設の使命を負わされる魂の選り分けが激しくなっている今日この頃の様で御座います。
お祭り気分と、阿鼻叫喚の入り交じった毎日でありますが、使命感のある方々はどうぞ、尚一層の精進をなさる様にと願う次第であります。
 愛善苑からは昨年十一月から購読料を滞納しているにも関わらず
「神の国」八月号を送付して頂き、誠にもったいなくも有り難く、何とか一日も早く新企画を軌道に乗せ、お金の貸借関係を綺麗に清算したいものだと日夜尽力させて頂いております。
 今月は本格的なグランド・クロスも控えておりますので、やはり重力の影響による気象変化は気になるところであります。
 これは丁度大なるリセットの様なものでありますから、これまでに歪みの出ていた地場や環境、また生態にとっては多少カルチャー・ショック的事態になるとは思いますが、それもこれから準備されている地上天国の住民として相応しくする為の波動調整でありますから、腹帯を締め直し、まな板の上の鯉の様に神様どうぞ好いようにお任せいたしますという心構えで受けて頂きたく思うのであります。
 また既に魂の進化が終了している方々には、これからが働き甲斐のある時ですから、勇みに勇んで頂きたいと思う次第であります。
 今月からは人の営みと、神の営みとを完全に合一して、自分は今、新生したのだという心で神の子一歳という風に各自の年齢を呼び直し、新たな青春を目指してイキイキと活動する様に、この通信を受けた人は、誰かに年齢を聞かれた時は、
「神の子一歳です。」
と答える様にして頂きたいのであります。
 とにもかくにも、これが神の子としての合い言葉になると瑞の御霊も仰っておりますので、皆様も以後お忘れなき様、お願い致します。


八三十一イザナギ神業と海幸山幸うみさちやまさち

    
平成十一(西暦1999)年八月三日 旧六月二二地日(火)


 聖師さんの教えに従うと古事記に記される芦原中津国あしはらのなかつくにはアジアの中心の国という意味だそうである。
 アジア、エウロッパ、アフリカ、アメリカ、オーストラリアの言霊は全てアに反り、世界の五大陸を総称して芦原というのだそうである。
中津国というのは、その中心の国という意味で即ち皇国日本を称して芦原中津国というのだそうである。
 神代の昔、天孫ニニギノ命の御子として、海幸、山幸の兄弟がいた。
一説によるとこの神話が竜宮城の登場する浦島太郎伝説になったと言われているのだが、山で育った山幸が兄海幸の釣り針を借りて魚釣りに出かけて、魚も釣れず、釣り針もなくして代わりに五百本の釣り針を用意して兄に詫びたが、兄は許さず、元の釣り針を返せと迫った。
茫然自失の山幸は海を漂っていると、浦島太郎で言えば亀に相当するシオツチの神と出会い、竜宮の乙姫に相当する豊玉姫の住む宮殿に案内される。
 豊玉姫とよたまひめに一目惚れされた山幸は姫の父である海の神(素盞嗚尊)の計らいで婚姻を結ぶ事になる。
三年後にふとした事から失った海幸の釣り針の事が明らかになり、海の神の計らいで遂にそれを見つける。
 海の神はこの釣り針を兄の所に返しに行くに際して、針の返し方を教え、塩みつ、塩ひるの二個の玉を授け、兄を従える約束をする。
 この物語は現代に対する預言と見る事が出来るので、また記してみよう。
 先ず始めに海の幸を捕っていた兄は、聖書でいう所の龍であり、天使長である。
弟は始め山の幸を捕っていたので、これはエデンの園にいたアダムである。
 これをイエス・キリストの時代に移写すると、山はエルサレムであり、龍は龍神の国シナとなる。
そして、このエルサレムで育った民が龍から釣り針を借りて海に猟に出た。
これは即ち芦原中津国で、日本への移民である。
そうしてこの物語を第二次大戦前に移写すると、日本が中国から借りた釣り針というのは、即ち台湾になる。
 しかし、山幸に当たる日本は猟、即ち大戦に破れ、釣り針である台湾を失った。
 戦後、兄に当たる中国に対して無条件降伏を迫られたが、台湾は独立して兄中国に返す事が出来なかった。
戦後、何とか中国と和解しようと多くの代償を用意したが、兄中国は元の釣り針である台湾を返せと言って弟日本を責め続けているのが、現代に至るまでの成り行きとなる。
 芦原中津国の山幸(神の子、幸)は海の真ん中で困り果てていたが、亀、即ち亀岡の愛善苑の案内で竜宮城の豊玉姫と出会う。
要するに豊玉分苑である。
 海の神(聖師さん)の計らいでここで暫く幸せな日々を過ごした山幸だったが、やはり失った釣り針の事が気になって仕方がない。
その悩みを知った海の神は海の魚達を集めて問題の針を探し当てる。
 山幸は不思議な呪文(霊界物語)と、塩みつ、塩ひるの玉(天地の合わせ鏡)を授かり、いよいよ釣り針を兄に返しに行ったのだが、兄は弟を苦しめようとするばかりであったので、山幸は海の神の教えの通り塩みつの玉を使って水難をくだして海幸を苦しめる事態になって来たのが、丁度現在の世界情勢である。
 水難というのは天災、地災、人災であり、戦火や、その他の火の手も全て水難である。
要するに水の洗礼である。
 ここまで説明すると兄海幸とは中国、北朝鮮の二大共産国だという事が判るのであるが、先ず北朝鮮の深刻な貧窮があり、そのやり方が気に食わないと言って海の神の手足である米国に反抗しようとしているのが、丁度たった今の中国情勢である。
 戦闘の末に遂に降参する二大共産国に対して使用される塩ひるの玉とは、即ち霊主体従の火の洗礼である。
勿論、神在共産社会という事で二大共産国を滅ぼす事ではない。
誠の共産主義の理想である万民のユートピアを実現してシナと朝鮮の民族を救済する事だ。


イザナギの破邪権聖

    
平成十一(西暦1999)年八月三日 旧六月二二日(火)


 私は今日の日をイザナギと読む。
八三十一とは破邪権聖という事で主神を否定する邪を破る聖なる権能という事であるが、旧約聖書に示される失楽園の原因を一掃する神の働きの事でもある。
 この神業の最も平和的な行事は天津祝詞と神言の奏上であるが、これを実施しないまま国際問題になった時は、神武による邪の鎮圧という事になるので、国家存亡の一大事となる。
場合によってはムー大陸の沈没の様な大災害にまで拡大するのであまり語りたくないのだが、祝詞を無視する場合は避けて通れない事態となるので致し方がない。
 人命を奪ったり、国家を滅ぼしても、霊魂は滅びないので、無駄な恨みを残す事になるから、戦争や天変地異は是非とも避けたいものである。
 日本人はこの奥義をよく理解して、一人でも多く真摯な態度で天津祝詞と神言を奏上するべき使命を持っているが、現代の様に無理解の蔓延る時代には、神の手足である米国の軍備に頼らざるを得ないであろう。
愛善苑の信徒は、先ずこれを考慮して日々の祭祀を怠らないように願うものである。
地上天国にとって主神を無視する事や否定する事は最も邪悪と見なされるのであるが、地上に於いてこれを本当に理解できる人物の如何に少ない事か。
 正邪の最終戦争は避けて通れない事なのであろうか。
偉大なる中国人よ。
懐かしき朝鮮民族よ。
貴方達は日本民族の兄ではないか。
何故ともに天の父母を敬愛する事を避けるのか。
貴方達は最も先祖を尊ぶ民族ではないか。
 何故今頃になって天に向かって反抗の矢となるミサイルを開発するのだ。
アメリカの大きな態度が気に食わないというのか。
貴方達は彼等の外面ばかりを見ている。
彼等が世界で最も家族を愛する国民であるという事を何故認めようとしないのだ。
彼等は同胞の自由の為に命を懸ける勇者だ。
彼等が自国の為に戦いの場に臨んだ事があるか。
偉大な中国の支配者達よ。
貴方達が恐れているのは中国人の幸福ではなく、体制を砕かれる事ではないか。
北朝鮮の慕わしき兄よ。 その支配下で守るべき国民が衰弱して行く事を救う為に己を犠牲にしようという心はないのか。
嘗て貴方達から生まれた道徳を自ら踏みにじるのか。
貴方達は尊い血統の持ち主ではないか。
自らの行いで自らを辱めようと言うのか。
中国の誇りは大犠牲精神ではないか。
何故民族の為に退く勇気を見せてくれないのだ。 朝鮮民族は平和を愛する民族ではないか。
何故尊い命を溝に捨てる様な行為に走るのか。
貴方達は嘗ての日本の真似をするつもりか。
美しいアジアの自然を戦火に葬り去る意味が何処にあるというのだ。
 翼を奪われ地上を這い続けた長い歴史への復讐のつもりで、そのミサイルに恨みを託すのか。
今では太陽系を駆けめぐる天使の国に、そんな小さな翼が何の役に立つというのだ。
遥かな大地の中で育てて来た偉大な精神を、もう一度示してほしいのだ。
それともどうしても神の手による大掃除が必要だというのか。
偉大なるアジアの玄関朝鮮半島よ。
アジアの美しい庭園、大中国よ。
何故自らの足でそこを踏み荒そうとするのだ。
 今こそ互いに手を取り合って天地の父母のもとに帰ろうではないか。
世界が求めているのは友好以外にはない。
もう鎧も武器も時代遅れの無用の長物だ。
嘗ては日本も世界を敵と見誤った。
その故に神の制裁を受けたのだ。
その苦しみを知る故に、その苦しみから引き離したいのだ。
この叫びが聞こえるなら、その矛を納めて欲しい。
世界は貴方達の偉大な歴史を敬愛こそすれ、決して軽んじてはいない。
火星に新しい都市を築こうという夢を持つアメリカが、何故今更アジアに領地を求めると思うのか。
そこは貴方達の大地なのだ。


太陽の黒点

    
平成十一(西暦1999)年八月四日 旧六月二三日(水)


 昨日のスーパー・ニュースで触れていたが、今、太陽に黒点がたくさん発生している様である。
天文学者さんは、これは太陽が活発になっている証拠だと言っていたが、聖師さん曰く、太陽に黒点が出現する時は地球が苦しんでいる時だそうである。
地球の不調和状態が太陽に黒点として現れるという事だ。
 聖師さんの教えを発展させた自説によれば太陽は二個の星の激しい傾斜運動の残像として、あの様に観測されているのであるから、黒点が現れるという事は太陽と地球との間を交流する霊波に異常が生じている為であるので、地球上の霊波を調整する為に天津祝詞をしっかり奏上しなければならないという事になるのである。
一つの事象に対する回答は、現代科学と霊体一致科学とではまるで正反対のものになる。  

 右図の様に、白球で記した水球と、黒球で記した太陽の傾斜運動で二つの星の磁力線が乱流して、これがプラズマ発光したものが、地上で円状に視覚され、また電子天体望遠鏡に観測される。
この磁力線の乱流の中に地球から発せらる邪気によって開穴されたものが黒点として観測されるという風に私は考えるのである。
事の真相は将来の科学が解明するであろうから、この説はここまでにしよう。
 昨日の論考で記した山幸に授けられた海の神からの呪文について補足しておこうと思う。
海の神の教えでは、海幸に見つけた釣り針を返す時に、山幸は背中向きになって近づいて、
「この釣り針は、心がぼんやりしてしまう釣り針、心がはやって事がうまくいかなくなる釣り針、貧しくなってしまう釣り針、愚かになってしまう釣り針。」
と唱えながら渡せば海幸に唱えた通りの災いが起こると約束したのである。
 この背中向きになってというのが味噌なのであるが、要するに私が説くところの、 「地のアダムカドモン・死の木」
のポーズで呪いをかける様にさせたのだ。
 どう贔屓目に見ても黒魔術なのだが、背中向きで死の唱え言をするのは天地の法則に叶っているので呪い返しを受ける事もなく、罰を受ける事もないという理屈なのである。
だから中国が今台湾を受け取るとこういう事になる。
 私がこの世の生活に背を向けながら、天地の合わせ鏡でこの事を明らかに示した後で行われる大掃除は神の活動である。
 ノストラダムスが息子シーザー(=カエザル)にあてた手紙の最後の段落に記している様に、星座が一致した位置に来たときの世の変革は、
「私は鉄の枝で不正をみつけ、それを一撃でほろぼすだろう。」
「主はいう、私はかれらを踏みつけ、かれらを打ち倒し、憐れみをかけない。」
という神御自身の誓いの実現であるから、私の一存で止められるものではないのである。
 東の日の出づる方より現れる博士は、鉄の杖をもって不正を打ち砕くとヨハネの黙示録にも記されている以上、これは避け難い路程なのであろうと思う。
 夜にはニュース・ジャパンで東アジアでのミサイル開発状況や、日本を襲っている猛暑が意外な景気回復を招いているという喜びの混ざった報道をしていた。
私も責任重大だ。


預言の効能

    
平成十一(西暦1999)年八月五日 旧六月二四日(木)


 本当の預言というものは当たっても外れても、誰一人として顔を潰される事がないものである。
当たったら当たったで、やっぱりという事になるし、そうなったら面白くないといって精一杯預言が外れる様に努力しても、無事太平、事無きをもって好しとする神の道にとっては結構、結構という事になるので、丁度釈迦の手の中の孫悟空の様な結果になるものである。
 どっちにしても神様の思惑道理なのであるから、大事な預言というものは、九分九厘のところで猫の首っ玉をつかむ様に発表するのが最も効果的なのである。
 私を愛善苑の豊玉分苑に導いてくれた人の名前が、元東京輪読会の同志で一足先に分苑を通して愛善苑に入会して、今ではすっかり神の国でもお馴染みのSさんであったのも、山幸彦を豊玉姫の所に導いた塩ツチの神と無縁ではない事の様に思えるのである。
 私はどういうわけか輪読会の頃から、Sさんだけは道を踏み外さない真っ当な人だと思い好意的に接して来たが、一年程前から、Sさんや豊玉分苑がこの事に巻き込まれて活動に支障を来す事がないように、わざと争う様にして自宅に引き篭ったのだが、漸く事情を説明しても影響のない所まで漕ぎ着けたので安心してここに発表しているのである。
 縁というのは不思議なもので、Sさんがこの事を理解できないで少々御機嫌斜めの時には、奥さんが上手く宥めてくれていた様なので非常に助かったのである。
 奥さんは愛善苑に正式に入会していなかったが、日頃は御主人に対して常に批判的な態度をとりながら、実は氏に代わって神棚の世話をなさる様な内助の功のあるお方であり、一度だけ私がお宅にお邪魔した時に一目でそれを覚り、御夫婦の会話では神様なんか信じないという様に、御主人に言っているのを微笑ましく眺めながら、
「神様を信じない事が信じる事なんですよね。」
という様な事を一言言ったら、何とも言えない円満な顔になられたのが実に頼もしいという印象を持ったのを覚えている。
 本当の信仰は誰からも強制されるものでもないし、出来るものでもない。
判る人には、ちゃんと判っているもので、私はそれ以上何も言わないし、聞かない人間である。
 男という生き物は幾つになっても子供の様な所のある生き物で、すぐに意地になる所がある。
それがあまり高じると国と国との戦争にまでエスカレートするもので、大概は夫婦の緊張がそのバランスを採る様になっているのである。
 私の様に独身でありながら、そのバランスを保つ為には、常に自分に否定的でありながら肯定的である必要がある。
 預言というものもそうしたもので、否定的でありながら肯定的につき合う事で、最悪の事態を回避出来る様になっているものである。
 乱暴者には刀の鯉口くらいは覗かせておいた方が好い。
大洪水を連想させる様な警告的な気象操作も状況に応じては必要なので、そういう時は神々もその時期を察して号令に従ってくれるものである。
だからといって、年がら年中人間の思い通りにして好いものではない。
 御神業というものはそういうものであるから、生死に関わる状況でもない時にはそう簡単に気象を自由にするわけにはいかないのである。
 重要でもないのに、ただ自分の力を誇示する為に気象を操作していると、今度は自ら地獄へのレールを敷いてしまうものなので、少々日照りや長雨が続いても、いちいち文句を言わず、忍耐もしくは意に介さずに暑さ寒さも彼岸までという様な楽天的な心でいる方が好いのである。
 昨日の「二時のほんと」でもその辺の所を司会のピ○コさんが、
「ぜいたくね。」
の一言で説明してくれていたけれど、世の中というものは実に有り難い、好く出来たものであると思う。
私も景気回復は気象任せではなく、人の管理だと思うのだ。


満足ですか?

    
平成十一(西暦1999)年八月五日 旧六月二四日(木)


 実は今は八月四日の夜十時二十分である。
野球中継の延長で、昨晩のニュース・ジャパンの様に二十センチ延長したのでキョンキョンの番組のエンディングを見ながら文書を作成している。
 「預言の効能」を送信してすぐに自宅周辺では涼しい雨が降り出したが、神々は午後二時過ぎに番組内で乙女がもうそろそろ雨が欲しいと言っていたのを聞き逃さなかったから、その頃から天気予報も雨予報をする様な雲行きになっていたのだが、私がそれを確認したのは、夜八時過ぎに近所に煙草を買いに行った帰り道で、左腕に一寸した刺激があった
(雨ではない)ので、
「ああ雨が降るな。」
と天に向かって返答して、帰宅してから早速「預言の効能」を書いたのだ。
 今日は夕方買い物に出かけた時に、暑さしのぎに茄子を夕食のおかずにしようと思って買って来たので、この雨は涼しくて嬉しい。
茄子はマーボー茄子にして食べた。
煙草を買いに行ったのはその後である。
 私も「預言の効能」の中で述べた様に自分勝手に雨を降らせたと思われたくないので、黙っていようと思ったのだが、神様が、生きている神々の実在を証明する為に垣内が証人となって書きなさいと仰るので、取り急ぎこの文書を書く事にしたのである。
 もういい加減、この通信に親しい方々には十分判っている事であるからと、私は謙虚に構えているのだが、神様は今が信仰の覚醒にとって大事な時だからと、念には念を入れて無理を聞いて下さった様である。
 この雨で満足なされたら、今度は皆様が神様の応答に応えるべく誠心誠意、地上天国化の為に尽力して頂きたいと願う次第である。
 事実上、日照りが幾つかの業界の景気を盛り上げたわけであるから、ここはもうつまらない疑念を差し挟まず、前向きに、神様がいつも味方であるという事を確信して、思いっきり働いて頂きたいと思うのである。
 まだまだ景気が完全に回復したわけでないから通り雨くらいにしておかないと都合悪いと思いますが、どうしますか?南部並に集中豪雨にした方がいいですか?
私はどちらでも好いのですが、御要望はおありですか?
 私のお薦めとしましてはどんな天気でも、宮沢賢治の様に、
「雨にも負けず、風にも負けず・・・。」
というか、
「雨にも感謝し、風にも感謝し・・・。」
各自の天命を全うして頂きたいと思うのですが、どうでしょう。
 人間欲というものは必要ですが、貪欲ではいけません。
けれども自分自身を神様の子女と認めて、雛鳥の様にピーピーと親を呼ぶのであれば、神様はこれを無視する様な薄情な方ではありませんので、その選択は皆様次第です。
とにかくどういう経緯でも構わないので、神様の情愛を感じて下されば私としてはそれで結構であります。
 いつの間にかまた「である、だ調」に「あります調」が混入してしまったけれど、これは大学の卒論ではないので悪しからず。
 私も何時までも生意気にカリスマを発揮するのは不本意なのですが、勇猛心というのは神様も大好きなので、皆様にはお聞き苦しいとは思いつつ、この様な感情をむき出しにする様な文章になってしまい、諸先輩方が、
「もう少し言い方があるだろう。」
と仰る気持ちも十分承知の上で、この御用を努めておるのであります。
その辺の所を察して頂けると非常に有り難いのですが、横浜出身のピ○コさんみたいなお判りの先輩もいらっしゃいますから、芸能界を含むメディア業界には私が心配する様な誤解はないと勝手に信じて、このキャラクターを今後も守らせて頂こうと思いますので、どうか一つ宜しくお願いします。
 雨が降ったら恵みの雨。空が晴れたら恵みの晴れ。
それで満足してみんなで溌剌と暮らしていきたいものだと私は思うのであります。



次ページへ



目次に戻る