怒濤の師走

    
平成十一(西暦1999)年十二月一日 旧十月二四日(水)


 やった!
遂に昨日給水が止まっちまった。
ガスが止まってもう十ヶ月くらい経つけど、これで今晩あたりに送電が止まれば完全に避難生活になるわけなんだけど、でも、水とか火って意外に何とかなるんだよね。
家の水道管はそろそろ交換時期を迎えていて、黄色い水が出て来ていたから、これで毎月きちんと基本料払えってのが疑問だったわけ。
 何たって今年の始めくらいまでは環境問題について、結構宣っていた私でございますので、やっぱ納得行かなかったのでした!
おいおい横浜市水道局!
こんな汚ぇ黄色い水を供給していてよく金取ってられんな!
怒っちゃうよ!
地震でも起こしてやらないと家庭用水道管の工事もしないのか?
それとも家庭用配管は家主の管理だとでも言うつもりか?

 二、三ヶ月も干ばつすればでかい顔してられなくなるぞ!
全く、日本も住み易いようで住み難くなったもんだ!
次ぎに送電が停止したらどうするかって?
昔は太陽に合わせて寝起きしていた人間様だ!
テレビが見れないから何だっての?
パソコンが使えないから何ですかっての?
俺的には一向に差し支えないよ。

 生きてても死んでても天国の私だからね。
吾輩は都会の砂漠に棲む蠍座の男だぞ!
人間世界の山篭り修行だと思えば、給水、給ガス、送電停止が何だってぇの?
借金大国の日本もそのうち俺みたいになっても知らないよっト。

 いい加減にオシメやおしゃぶりは卒業しなさいよってぇの!
この世は神の意志を形に現す世界だけど、肉体的快楽ばかりを追いかけていると、だんだん行き詰まってくるよ!
「貸した金返せよ!」って歌があったなぁ、そう言えば。
じゃあ神様に代わって歌わしてもらう。
貸した土地返せよ!
貸した命返せよ!
貸した地球返せよ!
ま、無理は承知だけどね。


理想経済の構造

    
平成十一(西暦1999)年十二月二日 旧十月二五日(木)


 資本経済の基本は需要を煽って無限に供給を継続する事にある。
簡単に言えば欲しがらない人に欲しくさせて常に商品を有料で供給し続ける様にするわけである。
 現代、その最も最前線にあるのは、テレビ広告媒体である。
インターネット等のニューメディアも、これを如何に広告として巧みに使いこなすかが、今後の資本経済の発展を左右するものであると考えられている。
 世界は大半が自由社会であるから、私にはこれを否定する考えはない。
ただ私には理想社会があって、それを思索の赴くままに自由に構想するのである。

 私の構想の基本は万事、神の子人間としての理想世界であり、
            資本経済人間の枠を遥かに超越したものである。
 私の理想世界は先ず需要を捨て去る事から始まるものであるから、
            出発点から資本経済を逸脱したものである。
 万事新開発された高級製品を自動的に万民に配給するのであるから、
            貧富の差による不平等が第一になくなる。

 生活の個性化については、競争精神を捨て去り、精進精神を重視して、趣味的無限向上による自由な選択により実現させて行く事が出来るのである。
 食文化等も食べたい人が、食べたい物を、食べたい時に食べるのが基本で、食べたくない人が、食べたくない物を、食べたくない時に食べない自由も、徹底的に保証する。
 今後も広告の自由は認められるが、利益追求型の世界ではなく、無償奉仕型の世界になるのであるから、欲しくない人に、欲しくない物を、欲しくさせる必要も激減するので、広告や報道等も、その担当者の理想そのものを実現出来るものとなるのである。
一切の制限と強制がなくなる自由奉仕世界が理想だ。


送電停止

    
平成十一(西暦1999)年十二月三日 旧十月二六日(金)


 昨日午前十時半東京電力により送電が停止された。
午後一時に以前バイトをしていた配送業者に顔を出して予約し、その足で新しい音楽仲間に会いにバイト先に行く。
午後四時頃、寺○企画、寺○音楽出版に顔を出す。
午後六時半に金沢区のL○−S J○P○N自作CD−R取り扱い店に顔を出し八時半頃まで話し込む。
一旦帰宅。
準備し直し伊勢佐木商店街にストリートをやりに出かける。
午後十一時半頃苦情の為中止帰宅。
 明けて今日、場所を変えてストリート決行。
初めて空き瓶を置いてカンパを募る。
二千円程になる。
帰宅して睡眠。


初セッション

    
平成十一(西暦1999)年十二月四日 旧十月二七日(土)


 午後七時頃から午後四時くらいまでは天日で室内も明るいが、それ以降はやはり蝋燭が必要だ。
蝋燭も高い所に設置すれば案外明るい。
江戸時代には種油と行灯で夜を過ごしたのだから、これが当然なのかもしれないと思う。
西洋でも蝋燭やランプが主流だったのだ。
 午後九時頃、再び伊勢佐木商店街へ。
今日はストリートメンで一杯だ。
やむなく音抜けの悪い場所で演奏を始めたら、兄ちゃんが一人、ブルース・ハープでセッションさせてくれと言い寄って来たので、面白いから始めた。
 その後、古い曲を演奏していたらほろ酔いの中年層の人が立ち止まってくれて、チップが一万円になった。
帰りに久しぶりに自腹で地獄ラーメンを食べた。
とてもうまかった。
偶然隣に昔働いていた工場の社員がいたので、最近の景気について話した。
なかなか大変そうである。
昔いたパートのおばちゃん達も管理職連中も殆ど整理されてしまったらしい。
帰宅して睡眠。
今日はもうプロ気分だ。


贅沢三昧

    
平成十一(西暦1999)年十二月五日 旧十月二八日(日)


 財布の中身が温かくなると、どうも俺は気が大きくなってしまう。
フォークギターの弦を買いに行ったら前から欲しかったマルチ・エフェクターが非常に安く売っていたので、こらえきれずに買ってしまった。
やはり好い音である。
電池も長持ちするので長い眼で見ればこっちの方が得になるだろう。
 夜、再び伊勢佐木商店街でストリート決行。
終わる頃に昨日の兄ちゃんが来て一緒にバンドをやろうと言い出した。
よほど俺のギターが気に入ったらしい。
名詞を交換して明日会う約束をした。
チップは七百円。
やはり金土が勝負みたいだ。
日祝平日は厳しそうである。


人生合縁奇縁

    
平成十一(西暦1999)年十二月六日 旧十月二九日(月)


 昨日の兄ちゃんがヴォーカルを連れて来た。
今は太っているが昔はレコードデビューの話があった実力派らしい。
一目で気に入られたのでとりあえずバンドに参加する事にした。
 昨日の兄ちゃんはさる中華飯店の御曹司で今は総支配人という身分だった。
あちこち顔が効くみたいで、ライブも簡単に出来るし、発生したギャラは全部俺にくれる事になった。
バンドが安定すればテレビ局も呼ぶと言っていた。
人生何処でどうなるか判らない。
一生懸命やろう!
明日彼の店で打ち合わせをする約束をした。
帰宅睡眠。


仲直り

    
平成十一(西暦1999)年十二月七日 旧十月三十日(火)


 今日親父と仲直りした。
夜、彼の店でレパートリーにする曲のビデオを見ながら三人で打ち合わせをする。
ドラマー連絡取れず後日紹介との事。


不思議な夢、その一

    
平成十一(西暦1999)年十二月八日 旧十一月一日(水)


 今朝不思議な夢を見て眼が醒めた。
生物の再生の鍵は人体パーツの各部にあり、頭脳ではないという発見がされたという啓示的な夢だった。
その夢を見る前、夜中に頭をたくさんの手で抑えられるのを振り払ったら枕を持ってもがいていたという、夢の中で夢を見ている夢を見た。
今日はストリートは休む事にして、一日家でギターの練習と、音造りに専念した。
これから忙しいので準備万端整えておく必要がある。
 夜ラジオでテレビ番組をエアチェックした。
結構面白い。
ニュースジャパンで「法の華」の事件について報じているのを聞きながら、

   「天声」

という事を怪だとういう風に言っていたのが面白かった。
「天声」を売り物にするのはよくない。
この世では頭を使わなければ、地の神様に対して無礼である。
とかく新興宗教家は天に傾いて地を軽く見すぎる。
これでは霊主体従とは言えない。
福永放言はやっぱり名前の通り「放言」家だ。


不思議な夢、その二

    
平成十一(西暦1999)年十二月九日 旧十一月二日(木)


 今朝も不思議な夢を見た。
雲の上にある建物の中で美人を口説く夢だ。窓越しに雲海の見える喫茶室で、どういうわけか私に喧嘩越しで接してくる可愛い娘ちゃんを黙らせようとして気障ったらしく顔を寄せて一言、

   「愛してるぜベイベェ。」 と決めると、その子の表情がパッと変わって胸をときめかせてしまうという偉く都合の好い夢だった。
 ところで皆さん、お元気ですか?
本当はまだ送電停止中なんだけど、何とか自家発電でこれまで休んだ分の

   「書き打ち」

をやっております。
 昨日の分の内容に福永放言について書いておいたから、今日この

   「書き打ち」

をちゃんとチェックしていてくれてるなら、さぞかしみんなさん安心している事でしょう。
 何分自家発電なもんで途中燃料を継ぎ足したりしなければならないし、騒音なもんで、夜中の作文は出来ませんので悪しからず。
昼も排気と喚起の都合で、ドアを開けとかなきゃならないんで寒い日はお休みさせてもらいます。
「いのちのひびき」の再開はもう少し落ちついてからにしようと思いますので御了承下さいませ。
 暮れも押し迫った今日この頃、世の中には物騒な事も多いみたいですが何とか頑張ってやって参りましょう。
 逆境即順境の精神でいれば火事場の糞力的に思いもかけない智恵が湧いて来るもんです。
要は古い常識に縛れられない事。誰も頼りにしない事。
常識は常に進化して行くものだという事を忘れずに、信念を強く持って生きて参りましょう。
 蛍光灯をつける時に知ったけど、家電製品は立ちあげる時に電力を喰うんだね。
パソコンもそうみたい。
そんな事知らなかったよ。
こんな事になるまでは。
 でもどっちみち電力を喰うから、あまり家電は使わない方がいいね、今の我が家は。
 とにかく、

   世界人類が平和でありますように
   日本が平和でありますように
   私達の天命が完うされますように
   守護霊様、守護神様
   有り難うございます
   惟神霊幸倍給世

でございます。
 今日はまたこれから例のバンドの打ち合わせがあるから、忙しい、忙しい。
うまくいったら借金全部纏めて完済だ!
負けねぇぞ!
頑張るぞ!
返すもん返してすっきりして、それからまた理想を激しく宣うぞ!
 というわけで、また後ほど会いましょう!


黄昏のスナフキン

    
平成十一(西暦1999)年十二月十日 旧十一月三日(金)


 オイラ黄昏のスナフキン。
伊勢佐木商店街で歌ってるぜ。
黒いスーツに、黒い帽子、何から何まで黒ずくめだけど、ギターだけ白いのさ。
電池が無いと音が出ないのが玉に瑕だけどな。
今日はオリジナルで人が停まってくれたのさ。
なかなか好い気分だぜ。
チップもそこそこもらえたぜ。
ガンバレよって言ってくれるのも嬉しいぜ。
 今日最初の御客様はね、よちよち歩きの女の子さ。
三曲も踊りながら聞いてくれたんだ。
お母さんも、お婆ちゃんも、連れてこうとしてたけど、イヤイヤして動かなかったんだよ。
可愛いね。
遂にお婆ちゃんが根負けして小銭を少し入れてくれたんだ。
お嬢ちゃんのお陰だね。
いろんな人がいて面白いね。

 皇太子様も子供が出来たとか出来ないとか騒いでいたけど、ああいう身分でなかったら男女の別も関係なく喜べるのに、やっぱり男の子に期待が集中しちゃうんだろうね。
大変だ。
お世継ぎが生まれないと今度は婿殿でもとらないといけなくなっちゃうのかな?
それは有り得ないかな?
皇室というのは大変だ。
 子供はホントに可愛いよ。
男の子でも女の子でも。
でも可愛いだけじゃ育てられないからなぁ・・・。
オイラも子供の頃は御近所の赤ちゃんを抱っこするのが大好きだったよ。
あの小っちゃな手を見てるとホントに不思議な感じだったもんね。
 でも今のオイラは黄昏のスナフキン。
歌とギターに想いの全てをかけて、流し稼業に精を出す。
波長が合えばみんな応援してくれる。
無駄な言葉は要らないのさ。
まるで小さな子供といる時みたいにね。
本気で叫び、本気で爪弾けば、お客さんが本気の笑顔になる。
オイラよりカッコイイ奴なんか山ほどいるよ。
でもそんなの関係ないのさ。
オイラは黄昏のスナフキン。
夜風の中のギター弾き。


創意工夫

    
平成十二(西暦1999)年十二月十一日 旧十一月四日(土)


   「必要は発明の母なり」
と昔からいうけれど、
   「不便は必要の父なり」
とつけ加えておこう。
不便を感じるといろんな智恵が湧いて来る。
昔はそんなの当たり前だったけど、お金も助けも殆どないという環境に置かれると身の回りのいろんなゴミを利用していろんな工夫が出来るんでなかなか面白い。
今まで贅沢だったのがよく判るよね。
何でもかんでもゴミにしてポイポイポイポイ捨ててたのがどんなに勿体ない事だったか身に染みて判るよ。
 何でも使える所が残っている。
工夫すればいろんな便利な道具に変わる。
日本は資源で一杯だよ。
もっともっと大事に使えば智恵と努力でいろんな事が出来るよ。
不況不況って言ったって、随分贅沢な話だよ。
僕はまだそこまで行ってないけど、ダンボールだって家を造る材料になるよ。
ただ火には弱いから気をつけないといけないけど。
確か統一協会の文鮮明牧師も駆け出しの頃はダンボールにモルタルを塗って小屋にして暮らしてたらしいけど、そういう人に比べると、日本の新新新興宗教は贅沢過ぎるから、すぐに金銭問題で駄目になっちゃうね。
情けないよ。
 この世の全てには神様の愛が詰まっているんだ。
それを何でもすぐにゴミにして捨てるからお金がないと何にも出来ない骨無し人種になっちゃうんだよな。
ホント考えさせられるよね。
贅沢は楽しいよ。
オイラも贅沢は大好きだ。
でも貧乏も、智恵と力があれば楽しいよ。
これだけ物が余っている時代だけど、時には貧乏してみれば、自分一人でもこんな事が出来たんだって、感動出来るチャンスが一杯あるよ。
もっと智恵が湧いて来れば天才にだってなれるかもしれない。
びっくりする様な大発明は、ひょっとするとそんな所から生まれるのかも知れないな。
常識的な設備のない状況で必要を満たす為に智恵が働くんだ。


言葉の綾

    
平成十一(西暦1999)年十二月十二日 旧十一月五日(日)


 今日父が読んでいる「新・人間革命」の第一巻を借りて来た。
年老いた父と共通の話題を持ってやるつもりで、それを批判するにしてもしないにしても、喰わず嫌いでは仕方がないと思うからである。
さわりだけ読んでみて感じる事は、どんな宗教でも、その指導的立場にある信者は、実に誠心誠意込めて純粋にその道を貫徹しようとしているのだなあという事である。
ただ何事も縁であるから、仏教にしか心を向けない人は生涯仏教に従事し、キリスト教にしか心を向けない人は生涯キリスト教にのみ従事し、イスラム教でも、儒教でも、道教でも、ヒンズー教でも、神道でも、それは大差の無い事の様である。
要は人間はそれぞれの魂に合った鞘を求めて、最も性にあった宗教に根付くものなのだという事だ。
 どの宗教でも蓋を開ければ大差無く、用語や儀式が違うだけで、言ってみれば日本語にも各地の方言があり、風俗風習がある様なものである。
そしてどの地方出身の者も故郷に錦を飾りたいと願い、また故郷の繁栄を喜ぶ様に、何でも自分中心に物事を開花させて行きたいと願うものである。
 同様に日本でも江戸時代には藩同志の対立は疎か、村単位でも大変に争っていたものである。
部落や部族の闘争なども随分にたくさんあったものである。
宗教戦争等も、とどのつまりはその延長線上に並ぶものであり、こうした事を繰り返しているうちはどの宗教もその使命を果たし得ているとは言えない。
 私に比べれば父は考え方が古いのは当然である。
その父が今何にせよ、池田大作氏の書いた書籍にだけは心を開き、仏門に参入しようとしている。
私はそれを邪魔するよりは影ながら応援しようと思っている。
私自身は何処までも神の道を貫徹するのが因縁である。
私には父が見え、父には私が見えないだけだ。


花もいろいろ

    
平成十一(西暦1999)年十二月十三日 十一月六日(月)


 パンジーの花に「桜になれ」と命じる事は賢い事ではない。
また鴉に「鳩になれ」と命じる事も賢い事ではない。
大概の人間はこの様にそれぞれの個性の中で生きているものであるから、人間は花鳥風月にも増して自由に人生を楽しむ事の出来る生き物なのであると教えても、これはなかなか理解できるものではない。
そもそも自由という観念すら彼等には絵に描いた餅の様な言葉なのだ。
 そういう境涯から解放される為の英知を、釈迦が解脱の道として説いたにも関わらず、得てして仏門を潜った途端に彼等は厳しい戒律で自らを拘束して安息を得るようになる。
 これはキリスト教やユダヤ教、その他の戒律的宗教でも一律に見られる症状で、その教祖達の自由な生涯とは凡そかけ離れている様に見えるのである。
と言っても彼等も社会的な束縛には自由であっても、神の道を歩むについては決して脱線しなかったのであるから、滅多やたらに好き放題をやっていたわけではない。
それは以前私も記した様に、自由という事にとらわれない自由を彼等は知っていたからである。
往々にして芸術家などはこれを誤解して、奇をてらったり、人と違う事さえしていれば自由なのだという風に言動するのであるが、こういう生き方には常に苦悩も同居するものであるから、真の意味で心の自由を得たという事にはならない。
 仏教で説く処の畜生道というのは、何も獣ばかりではない。
花鳥風月等の長閑な生物同様の境遇も含まれている。
人は平和でさえあれば天命を完うしている様に想い勝ちであるが、これは誤解である。
しかし今は畜生道でもそれは生命が進化生長する上では必ず通過しなければならない天地の順序に従った路程でもあるから、これを強引に人の位置に引き上げるのも難しい。
花を愛でるのも風流だ。


さすらいのスナフキン

    
平成十一(西暦1999)年十二月十四日 旧十一月七日(火)


 黄昏のスナフキンは伊勢佐木商店街から旅立って今日から、

   「さすらいのスナフキン」

に名前替えだ。
彼処はエレキは駄目なんだ。
オイラはエレキの方が景気が好いと思うんだけど、世の中不景気だと、どうもお祭り騒ぎにはなれないらしいから、あの町は生楽器野郎に任せて他の町に行く事にしたんだ。
そんなわけでL○SーJ○P○Nで伊勢佐木モールのスナフキンなんて書いてあるのを信じて探しに行っても、もう彼処にはいないから宜しくね。
それに新たに始まったバンド・プロジェクトの練習も今晩から開始したんで、ソロ・プロジェクトと同時進行させなければならないんでなかなか忙しくなってしまった。
 これまでの様に部屋の中で全て自分のペースでやってたのとは違い、外に出るとどうしても他人とのかねあいで臨機応変に対処して行かなければならないから、言動がころころ変わるけど、そこはわかって下さいませ。

 行雲流水的に、風の流れや、岩の配置に合わせて流れて行くのが惟神の道だ。
頑固に構えているわけにはいかない。
偶然の中に神の意志を汲み取りながら、素直に素直に流れ易い方に流れていくのが現場での実践の基本だ。
人間は仏像や道祖神みたいに、鳥に糞をかけられようと雨が降ろうと、何があろうとそこに不動で居なければならないものではない。
その為に意志もあり、心もあり、感情もあり、智恵もある。
 昨日もバンドの初めての練習スタジオに、リーダーに招かれるままに着いて行ったら、昔一緒にバンドをやった事のある奴が従業員だったりして、世の中の狭さというか、縁というものの不思議さに驚かされた。
 なかなか計画通りに運ばないのが現実だし、思わぬ展開に奇跡があるのも現実の面白さだ。
だから宗教団体の役員にはなりたくないのさ。


壁に耳在り障子に眼在り

    
平成十一(西暦1999)年十二月十五日 旧十一月八日(水)


 人間迂闊に他人の悪口を言うものではない。
どんな経路でその悪口が耳に入って来るか判らない。
そういう事が自然に悪口を言った人の首を絞める様になって行くものだ。
 三八歳までの私の様に、それを承知で色々と仕掛けをする事も出来るけど、そういう事は影の仕組みだからあまりお薦め出来る事ではないのだ。
人は先ず自分を幸せにしようと思えば他人の好い部分ばかりを口にして、誰でも仲間にする様にするのが最善の方策だ。
わざわざ敵を作るのは損ばかりあって不幸を招く。
これが善言美詞というものである。
 勿論、人間誰でも叩けば埃が出るものだが、それを本気でやり出したら、この世の中は全く憎しみの世の中になってしまう。
 人間他人から意見をされなくなったら終わりだとはよく言うけれど、そういう事は本当に身近な者同志でやっていればこそ有難味があるので、人伝に自分の悪口を聞いたりすると憎しみの方が増大するものだ。
だから昔から陰口はするなと言うのである。
それに物事が上手く行っている時に、のべつまくなしに落ち度ばかり並べていると悪戯に煙たがられるだけでつまらないものである。
 自分で判っている欠点は自分で正せば好い事で、それをいちいち周囲の人間に言わせて悦に入るのも考え物である。
そんな暇があるなら、同じ失敗を二度と繰り返さないように黙って実行する方が周囲の人間も喜ぶものだ。
 また自分で自分の欠点を判っていない人間に何度も同じ指摘をしても、時間を無駄に費やすばかりでつまらない。
 営業上の話法として、わざわざ自分を相手より低くしている場合は除いて、チームで何かを成し遂げようとしている時は、自他を責め合う事よりも、少しでも進歩した部分を立て合って前向きにやる方が楽しいものである。


テレビが見たい

    
平成十一(西暦1999)年十二月十六日 旧十一月九日(木)


 私はテレビっ子である。
子供の頃からテレビ漬けで生きて来た。
夜の番組を見始めると他の事が手に付かなくなる。
だがそれでは肝心の仕事が出来ないので、やはりどちらかを犠牲にしなければならない。
そうすると本来怠け者の私であるから、仕事をそっちのけでテレビを選ぶことになる。
だから仕方がないので自家発電を停止して蝋燭で夜を過ごした。
ラジオも面白いが、薄暗い部屋でじっとしているのは性に合わない私である。
やむなく、ギターを持って「さすらいのスナフキン」になる。
暫くぶりに伊勢佐木商店街に行ったら閑古鳥が鳴いていたので、景気づけにドカンとやった。
遠くの方で誰か歌っていた。
いつも津軽三味線姉ちゃんが少し離れた所で演奏している。
無論閑古鳥が鳴いているのだからチップはゼロだった。
それでも新しい構成のカラオケでのレッスンには充分なった。
そろそろ片づけようとしていたら酔っぱらいカップルにワシントンホテルの道順を尋ねられた。
兄ちゃんは早く帰りたそうだったが、姉ちゃんがへべれけでまるで頓珍漢な事を言いながら明後日の方へいってしまった。
結構美人だったが、まだ遊びたいみたいだった。
若き日の恋を思い出した。
女の子は美人ほど彼氏の前で大胆になるものらしい。
まるで、少女コミックの「白鳥麗子」みたいである。
 そういえば今朝、眼が覚めてから久しぶりに旧約聖書を読んだ。
何となくだけど、その中の「イザヤ書」を読んでいたら、なんとなく大変な物を読んでしまった様な気がした。
最近、とんと雨が降らないみたいだし、街には耳輪や鼻輪をした連中が大勢いるし、神は、

   「彼等には預言の意味を分からない様にしなさい。」

とイザヤに命じているし、全く・・。
イザヤと言えば、

   「イザの神、人」

であるから、神伊邪那岐大神に仕える人と読む事が出来る。


暖冬の洗髪

    
平成十一(西暦1999)年十二月十七日 旧十一月十日(金)


 今日は午前中に各家月例祭を挙行した。
献祭に捧げる物は水と火と塩しかないが心を込めて実施した。
後半に室内の東西南北を祓い浄め、霊界物語を一日分拝読して終わった。
 今年は暖冬である。
昼間に外の水道で洗髪をしたけどあまり寒くなかった。
部屋の中でストーブをつけて洗い髪を乾かしながら、生ギターでの弾き語りの練習をした。
そういえば今朝目覚める直前に東京電力の職員が来てポストに送電解約の連絡を入れて帰った。
私が四ヶ月分も電気代を払ってないのでそう決定したそうである。
再契約する場合は滞納分を納めてから改めて申し込む様にと書いてあった。
ま、当分は無理な話である。
どちらにしても今はバンド・プロジェクトが軌道に乗るのを待つばかりである。
 この二、三年程は暖冬が続いていると思うが、今年は特に寒くならない様に私も祈っているので、勝手な話ではあるが助かっている。
まだまだ水不足の心配は無いと思うけれど、あまり雨が降らないと来年の夏は大変な事になりかねない。
一週間程度の水を貯めておくくらいではとても間に合わないが、私が預言者でもない限り、預言をしている間、雨を降らさない等という芸当はしないであろう。
 そういえばここの所、よく水道工事を見かける様になったけど、年末になると帳尻でも合わせる様に忙しくなるのかな・・・。
 それとも誰かさんのせいだろうか・・・。
まぁ、水道工事だって警察の道路使用許可無しでは簡単に出来るものでもないと思うから、私があんな事書いたくらいで急遽工事を始めるわけもないと思うけど・・・。
 今夜は少々チップがあった。
やっぱり目玉は「ハイウェイスター」である。
その内著作権協会に挨拶しないといけないな。
何しろ私の「ハイウェイスター」は評判が好すぎる。



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