tears of thankfulness.

 いつになく元気がない相棒の背中を見つけて、木梨は小さく溜息を吐いた。 彼の大きな背中が力無く丸まってしまっている。とかく尊大な態度に見られが ちな相棒だけに、こんな風に悄然としている姿を知っているのは、恐らく自分 だけだろうと思う。
 なんとなく声を掛け難い雰囲気ではあったが、彼をそうさせている原因に心 当たりがあるだけに、放っておくのも憚られた。
「…貴明。な〜に悄気てんの?」
 できるだけ軽い口調を装って、声を掛ける。
「憲武……」
 ビクリと肩を震わせ、石橋が振り返る。一拍のうちに肩をいからせ、普段通 りの表情を作って見せたのには感心したが、如何せん、その顔には覇気が無か った。
「なになになに〜? 景気悪い顔しちゃって〜」
「…んなコトねーよ」
 ふい、と横を向いた石橋の首筋は、明らかに細くなっていた。連日のダンス や歌のレッスンに加え、舞台の演出も手がけ、各方面との打ち合わせ、衣装の 手配等も自分で行わなければ気が済まない石橋は、木梨の目から見てもオーバ ー・ワーク過ぎた。だが、言って聞く相手でもない。
「爪噛むの止したら」
 石橋はハッとしたように手を引っ込め、ばつが悪そうに木梨の顔を見た。
 木梨は石橋の向かいの席に腰を下ろし、正面から彼の顔を見据える。目の下 の隈は隠しようが無く、このままでは石橋の不調が番組スタッフたちに露見す るのも時間の問題だった。
「………そんなに辛いなら、止めりゃ良いのに」
「なにが」
「分かってんでしょ。自分で」
 そう。彼の憔悴は彼自身が招いたものだった。それは木梨も、そして石橋本 人にも分かっていた。だが、今まではお互い、敢えて口にしなかった。その分、 鬱積した感情が、彼を咎めるような口調になってしまうのを木梨は止められな かった。
 石橋が唇を噛んで俯くのに、さらに追い打ちをかける。
「今ならさ、間に合うんじゃないの。あれは冗談でしたって言えば。…そんな 時のために"横暴な石橋貴明"を演じて来たんじゃないの?」
「……なんでンなコト言わなきゃなんねンだよ。オレん中じゃ、もうヤツらの こたぁ終わってんだよ!」
「終わってないから、ンな顔してんだろーが!」
 つい声を荒げてしまった自分に、木梨自身が驚いた。こんな風に彼を追い詰 めるつもりはなかったのに。だが、誰を偽っても、自分にだけは感情を偽って 欲しくなかった。本音を聞かせて欲しかった。
「…そんな顔してウソつくなよ、貴明。何年一緒に居ると思ってんだよ。お前 の考えてるコトくらい、分かるっつーの」
「……………」
「言ったこと、後悔してんだろ。"撤収"なんてさ」
 番組の中でいきなりの"撤収宣言"だった。メンバーの誰一人として、事前に 聞かされていなかった。木梨さえも。石橋が一人で決めて、一人で発表したこ とだった。
 それについては別段腹を立てたわけではない。元より彼の発案で始めた活動 だったし、いつか―――近い将来に必ず終わりが来ることは、初めから分かっ ていたからだ。
 だが、こんな風に一人だけで苦しむのは許せない。何もかもを石橋一人で背 負い込む必要が、一体どこにあるというのか。
「続けたいんだったら、撤回すりゃ良いじゃん。最近のアンタ、見てらんない よ? 中居君と話してるときも動揺が見えちゃってんだもん」
 SMAPの中居と石橋が総合司会を務める歌番組でも、再三その話題が出た。そ のたびに中居は続行を希望し、口に出して懇願した。それに対する石橋の顔は ―――…冗談めかして笑ってはいたが、木梨だけは知っている。あれは――― 辛いのを我慢している顔だった。
 石橋は、人に弱音を見せるのが大嫌いな男だった。それは出会ったばかりの 頃から変わらず、木梨自身も石橋の弱音を聞いたことは殆ど無い。だが、常に 行動を共にしていれば分かるものだ。いつ辛いのか、何故辛いのか、…それを 我慢しているのかどうかなど。
 誰よりも傷つきやすいからこそ、"横暴な男"と言う鎧を纏って自らを守って きた石橋。だが、最近その鎧が脆くなってきている事に、木梨も気付いていた。
「………なンも言わねんだもんよ」
 ぽつりと石橋が呟いた。木梨の耳にもやっと届くくらいの、掠れた声だった。
「あいつらさぁ、なンも不平言わねンだもんよ。楽なはず、ねーじゃん。なの にさ…ドコ連れ回そうが、強制的に頭刈ろうが、変な恰好でコントやらせよう が、なンも言わねーじゃん。踊らされようが、歌わされようが、…罵倒されよ うが、なンもさぁ!」
 石橋の声はもどかしそうに揺れていた。それは泣き出す前の子供の声に、よ く似ていた。
 木梨は小さく溜息を吐く。
「要するに、アンタは言って欲しかったワケね?」
 机に肘を乗せ頬杖をつくと、ちょうど俯いた石橋の頭が目の前にくる。それ を軽く叩きながら、出来るだけ冗談めかして言った。
「アイツらの口から"撤収したくない"って…さ」
 その言葉を聞いた石橋が、勢い良く顔を上げた。目の端が赤かった。昨晩は 眠れなかったのかも知れない。だがメイクで誤魔化せる範囲内だ。―――たま には人前に出ることを忘れられれば、彼も少しは楽になるだろうに。いつでも "同じ顔"を要求されるTVの世界に居る限り、石橋も木梨自身も、本当の感情を 隠して生きていかなければならない。
「…んなンじゃねぇよ! "撤収"はオレが決めたんだから、逆らうヤツなんか 居るわけねーだろ! だいたい、最初の1曲だけの約束だったじゃねーか。そ れをズルズル引っ張ってきただけで、続けてく義理もねーし、理由もねーよ!  最初っから辞めンのは前提だったんだから…」
 ふいに木梨の胸は熱くなった。石橋の気持ちが痛いほど分かったからだ。
 石橋が言い出さない限り、「野猿」は永遠に続く。だからこそ、石橋は最後 の言葉を言わなければいけない立場に居るのだ。例え彼がそれを望まなくとも。
 石橋が望みさえすれば、野猿の活動期間には「永遠」という選択肢を選ぶこと も可能なのだ。
だが、だからこそ。
 必要以上に明るく、潔く発表された"撤収宣言"。それを決めるのに悩まなかった 筈はないのだ。それでも敢えて。
 色々な気持ちを押し殺して―――……。
「ああ…そっか。分〜かった」
「…何が」
「アイツらの方から"辞めたい"って言われンのが怖かったんだろ。可愛いねぇ、 貴明ちゃん」
「なっ…!」
 石橋は口を半開きにしたまま硬直した。その頬が見る見るうちに赤く染まっ ていく。……どうやら怒りで血が上ったらしい。肩が小刻みに震えている。
「なぁによ、図星さされたから怒ってんの?」
 殊更のんびりした口調で揶揄ってやる。殴られたら、その時はその時だ。腹 を据えた木梨だったが、石橋の拳を受けることは無かった。
 石橋は泣いていた。その眼から涙は出ていなかったが、確かに彼は泣いてい た。
「……泣くんなら、涙出しなさいよ」
「……泣いてねぇよ」
「泣いてンじゃん」
「………目ぇ腫れンだろ」
「良いでしょ、たまには。転んで打ったとでも言っときゃバレないって」
 俯いた石橋は、ただ静かに肩を震わせていた。木梨は何も見なかった振りを して、鼻歌を歌う。もし石橋が嗚咽を漏らしたとしても、誰の耳にもそれが届 かないように。
「………まぁ、番組スタッフと出演者って繋がりが切れるわけじゃなし、たま には集まって飲みにでも行けば良いじゃん。あいつら際限なく喰うから、また 頑張って稼がないとさぁ」
「…………」
「……誰が居なくなっても、オレが居てやるからさ」
 諭すように言った台詞に対して、石橋から返ってきた答えは「ばぁか」の一 言のみだった。その口調がいつもの彼のものに戻っていることに気付き、木梨 は小さく笑う。
 ちょうど顔を上げた石橋は、それを見咎めて唇を尖らせた。
「なぁに笑ってんのよ、憲武」
「べっつにぃ〜」
「…ムカつく」
 肩をいからせて立ち上がった石橋は、すれ違いざまに木梨の脚を蹴る。
「痛いわね、アンタ!」
「うっせンだよ!」
 痛みも感じないほどの蹴りだったが、殊更に痛がって見せる。それに対して 石橋も眉を寄せ、強面で対抗する。
 一拍ののち、どちらからともなく息を吐き、いつも通りの足取りでドアに向か った。
「もう行かないと、また関口が気ィ揉んでんじゃないの?」
「あいつは小ウルセェんだっつの」
「アンタ、手間かかるからねぇ」
「ああっ?!」
 何気ない会話を交わしながら、二人は控え室のドアを後にした。


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