
| 1995年8月 |
当時、プータローだったTsuyoshiが「BIGになってくる。」と日本に言い残し、すし職人としてアメリカンドリームをつかむために渡米する。 |
| 1997年5月 |
やることなすことが裏目に出て、ハングリー精神ばかりがBIGになっていたTsuyoshiが半ばやぶれかぶれでシャリをピックに持ちかえることを思いつく。 |
| 1997年8月 |
場所はマイアミ、焼けつくようなビーチで夏休みを過ごしていたTsuyoshiは、日光浴中に全米縦断ストリートライブを決意する。 あるときはニューオリンズでジャズセッション、またあるときはテキサスのさびれたバーでブルース、そしてあるときはシカゴのカトリック教会で讃美歌、「Like A RollingStone」その姿はまさに転がる石のようであった(そのまま)。 |
| 1997年12月 |
1997年12月8日、この日Tsuyoshiは運命的な出会いをする。通り掛かりに寄った楽器店で日本人四人組みがショーケースのトランペットを眺めていた、それがTetsu,Jun,Naoto,Kotaである。日本人同士意気投合した5人は、その後いっしょに旅を続けることになる。 |
| 1998年4月 |
8ヶ月に及ぶ旅を終えNYに舞い戻ったTsuyoshi達には音楽の魂(soul of music)が宿っていた。そして1つの音楽スタイルを思いつく、それがロックであった。これが真のアフタヌーンディーライツ誕生の瞬間といっていいだろう。 本格的なバンド活動を開始したTsuyoshi達は何かに獲りつかれたように曲を創っていった。そして、いよいよファーストステージの幕が開く。 当然のごとく(?)そのバンドはNYの若者たちに圧倒的な支持を得て、夢への道を着々と歩み始めていた。 |
| 1998年7月 |
とある大物プロデューサーに見出され、わずか1週間でデビューアルバムをレコーディングする。 が、諸事情により発売は中止。このころから、メンバーの間にはアメリカの音楽ビジネスに対する不信感が芽生え始める。 |
| 1999年6月 |
すでにカレッジチャートの常連と化していたアフタヌーンディーライツであったが、些細なことからプロデューサーと喧嘩わかれ。原因は折からのプロデューサーとの不仲と、カレーうどん(?)だった。 |
| 1999年7月 |
これを機会にアジア進出を狙い、ついに凱旋帰国することとなる。 |
| 1999年8月 |
東京を中心に精力的にライブ活動を始めた。連日満員の大盛況で一大ムーブメントを巻き起こしていた。 |
| 1999年12月 |
初のワンマンライブも無事成功させ、自分たちの音楽に自信を深めていった。 |
| 2000年4月 |
ライブは相変わらず盛り上がっていたが、この頃からメンバーの中に少しずつ亀裂ができ始めてきた。 |
| 2000年6月 |
帰国後からのライブ活動も一区切りした時、Tsuyoshiがついに爆発した。そして全員で腹を割って話し合い方向性の違いや人間性が合わないという事で解散を決意。 |