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欧米の文化と社会


欧米における音楽

私たちが生きている中で音楽は常に欠かせないものになっている。現在日本における流行の音楽は結局欧米から流れてきたものであるが、
私はそのさまざまなジャンルが生まれた発端を調べていきたいと思う。
 まず1990年より少し前から年代に分けて整理していきたい。

<1990年代以前>
1900年以前、1877年にエジソンによってシリンダー方式のレコードが発明され、音を記録することに成功した。それからもまた改良されて現在のディスク方式が1888年頃エミールべルリナーによって考案された。当時のアメリカは1863年の奴隷解放宣言後の1900年代に入る直前、アメリカ南部で新しい二つの音楽が生まれようとしていた。それはブルースとラグタイムだ。

ブルースはアメリカに送られてきた黒人奴隷の労働かが元になっている。この初期のブルースは後のロックやリズムアンドブルース、ジャズの元となる非常に重要な音楽である。またこの頃には、ラグタイムと呼ばれるジャズの原型が現われてきた。初期はピアノなどソロでの演奏が多かったが、徐々にバンド編成になり、これからデキシーランドやスイングスタイルの元になったのではないかと言われている。

<1900年代>
1900年代に入り、録音技術が発達することにより、今まで聞いたことがなかった種類の音楽が一般的に出回り、大衆音楽が台頭する下地が出来上がった。またこの頃からアーティストやレコード会社が世界中飛び回った時期でもあった。
当時のアメリカはジョン・ロマックスがカーウボーイの音楽収集を行っていた。そしてロマックスは収集した作品を“Cowboy Songs and Frontier Ballads”という。
1910年に出版し、これらの音楽が広く一般に普及していった。彼はその後1913年代にも録音の旅を息子のアレンと共に行い、南部のカントリーブルースを発見して録音している。一方当時のヨーロッパは第一次世界大戦の目前、植民地やオスマントルコ帝国崩壊後の利権戦争いで火種がくすぶっていた時代だ。録音活動はレコード会社がしていたが、その他にもバルトークが現代派を代表するアーティストがいる。バルトークは収集した音楽を直接作品には反映することはせず、音階やリズムを自分なりに租借し、独自の和音理論を確立、不協和音性リズムを重視した。またオランダのアーノルド・シェーンベルクのように無調音楽を経て次の時代に12音技法を確立するなど、独自性を強く確立するようになってきた。

1910年代は第一次世界大戦がありヨーロッパの戦勝国も敗戦国も国力を消費し、落ち込み始める一方アメリカが力をつけ、ロシア革命によってソビエト連邦が確立するという新しい勢力図が引かれたきっかけとなった。
当時のアメリカは1900年代に生まれたラグタイムやブルースはジャズという音楽に変化しつつあった。最初のジャズはディキシーランドやジャズと呼ばれ、これは南部のニューオリーんズで生まれ、シカゴ、カンザスシティ、ニューヨークに伝承していって大衆音楽の一つになった。誰が最初のジャズを施したかは今となっては知る由もないが、南部の黒人が彼らのルーツから探り出してきた音楽である。しかし皮肉なことに最初のレコードは白人によって出された。また第一次世界大戦勃発の年、アメリカでは著作権の成立を受けて米国作曲家作詞家出版社協会(ASCAP)が成立された。ヨーロッパでは第一次世界大戦によって混乱していたので、1017年にアメリカに参戦し、ヨーロッパの連合群が加わるとアメリカの楽団もヨーロッパに入るようになりスクラップアイアンジャズバンドはフランスの年を巡業し、ヨーロッパにも広がっていくようになる。

<1920年代>
1920年代はラジオ放送が始まりこれまで以上に大衆音楽が一般に伝わるようになった時代でもある。また電気録音が発明され、レコードも大量生産される時代になった時代でもある。
当時のアメリカは1920年代になるとニューオリーンズで生まれたディキシーランドジャズはその場をシカゴ、カンザスシティ、ニューヨーといった、より大きな都市、市場へと移っていき、ダンス音楽として人気が出てくる。また1920年代は禁酒法・アルカポネ・コットンクラブの時代でもあり、ダンスホールやサロンでは彼らのジャズやブルースが最大の刺激的な音楽で、ディキシーランドジャズだけでなく、シティブルース、ブギウギなどのスタイルが生み出されている。1927年ニューヨークにはコットンクラブができ、デュークエリントンを迎えている。このようにラジオの登場とレコードの本格的な家庭への普及以前はジャズやブルースはサロンやダンスホールで聴かれるもので、白人中間層はあまり聞く機会がなかった。しかし1920年にラジオ放送が始まり、次第にジャズやブルースは当時最も刺激的な音楽としてラジオで紹介されていった。
この頃ヨーロッパでは第一次世界大戦を通じ、ラジオやレコードが普及していった。シャンソンは1900年代前後からフランスの大衆音楽として確立されてきた音楽ですが、ブルースの影響があるといわれている。ジャズ自身も1920年代初頭からヨーロッパ独自のアーティストが誕生している。

<1930年代>
1930年代には禁酒法が廃止になりジャズがさらに表舞台に出た時代でもありますが、第一次世界大戦の名残もまだ残っているうちの大恐慌はファシズムを生み出し、ロシア革命から始まる共産主義人民戦線をヨーロッパに広げることとなった。
1920 年に起こったアメリカの金融大恐慌はアメリカを不景気に陥れました。しかしそんな不景気にも関わらず、ラジヲシティミュージックホールもこの時代に建てられている。1934年にはジュークボックスの4代メーカ(Rock-Ola,Rowe-Ami,Seeburg,Wurlitzer)が生まれ、大衆音楽を配信するメディアがさらに増えることになり、大衆音楽の普及を加速させた。ヨーロッパでは第一次世界大戦に確立されたベルサイユ対戦は不完全なものでロシア革命から派生した各地の人民戦線やファシズムの台頭を促した。さらに大恐慌はドイツ・イタリア植民地を持たない国を直撃し、インフレ、不景気を見せた。1933年にはヒトラーによるナチス党が政権を奪いドイツはファシズムの国になった。音楽家で知られるカラヤンも音楽の職を得るためにナチス等に入党している。フランスでは世界初のジャズ雑誌Jazz Hotが1935年に生まれている。またドイツの占領下に置かれながらも地下でレコード製作を続けていた。

<1940年代>
1940年代前半は第二次世界大戦の時代であり全てが戦争中に動いていた。当時アメリカは1940年ににビバップ始祖たちが従来のビックバンドではないジャズをやり始めていた。ビックバンドのジャズは大人数でやるダンス音楽で、当事ジャズが持っていた即興性を失いつつあった。ビバップはあらゆる意味でジャズの分岐点と言える。これまでの大衆的な音楽から求道的なモダンジャズへとなっていく。そしてジャズの代わりに新たな大衆音楽が登場してくることになる。ジャズの中も対中的な要素を残したものが、ジャンプやジャイブと呼ばれるダンス音楽が生まれてくる。また、南部の田舎町でしか知られていなかったレッドペリーなどのカントリーブルースもアランロマックスなどの録音・採譜活動の中で知られるようになった。これらの音楽が後にリズムアンドブルースやロックンロールになっていく。そしてそれらが登場してくるのが1940年代後半である。また録音技術も発達し、それまで主流だったSP盤と言われるものは耐久性が悪く、収録時間も片面で5分程度しか入らなかった。しかし1948年にコロムビアから発表されたLP盤、1949年に米ビクターから発表されたEP盤は収録時間も長く、合成樹脂の利用は耐久性の問題を解決し、次第に変わっていった。一方ヨーロッパでは、第一次世界大戦、大恐慌、第二次世界大戦はヨーロッパに大きなダメージをもたらしていた。ドイツのカラヤンやフルトヴェングラーはナチス党関与への嫌疑をかけられ、その活動を制限された。多くの才能が戦争で奪われたため、ヨーロッパから脱出するアーティストもでた。例えばストラビンスキーはアメリカのハリウッドに移住した。

<1950年代>
1950年代は第二次世界大戦も終わり、録音された音楽はレコードやラジオを通じていろいろな地域に伝わることとなる。だから50年代からはアメリカ、ヨーロッパという見方はできなくなっていく。録音技術もこの時代に大きく変化し、現在の録音方法にちかくなったのがこの時期だ。磁気テープが開発されるまで、音楽はレコードの磁気に直接刻まれ、記録されていた。磁気テープは1929年にドイツで開発されたが、後にアメリカやヨーロッパに持ち込まれ、1948年には米Ampex社によって録音機、米3M社によって磁気テープが発表されることになる。そして50年代はそれが主流になっていった。これまでの録音は基本的に演奏そのものを記録するもので、編集などは基本的に行いませんでしたが、磁気テープの登場によって、編集できるようになり、後には多重録音技術が生まれるようになる。
 チャ−リ−・パーカー等のビバップから始まったモダンジャズの流れは50年代にはクールというスタイルを生む。しかし東海岸ではアート・ブレーキーなどを中心にハードバップと呼ばれるビバップを少し落ち着かせた音楽が主流になっていった。ジャズはニューヨークを中心となっていましたが、スタンゲッツやジェリーマリガンなどを中心に西海岸にも広がりウェストコーストジャズが生まれる。しかしこれらのスタイルは全てビバップから始まるモダンジャズの路線から外れずに、大衆音楽の主役は徐々にリズムアンドブルースやロックンロールといった新しい大衆音楽に移っていく。
 リズムアンドブルースはゴスペル、ジャンプ、ジャズ、ブルースといったこれまでの大衆音楽の集大成のようなものだった。そしてリズムアンドブルースはさらに二つの音楽を生むこととなる。ひとつはロックンロール、そしてもうひとつはソウルである。最初の頃のロックンロールはリズムアンドブルースから派生したもので同じルーツを持っている。これにカントリーの音楽が加わる。ロックンロールのような黒人音楽の影響を強く受けた音楽が広くヒットする背景にはラジオの影響がある。クリ−ブランドの白人ラジオDJガロックンロールという言葉を作り、白人若者層に紹介していったものであった。南部ではゴスペルやリズムアンドブルースに触れながら育ったエルビスプレスリーも1954年にはデビューし、ロックロールの大スターとなった。そしてこの頃にはレコード会社だけでなく、いろいろなレコーディングスタジオができ、プロのアーティスト以外でも録音できるようになった。またロックンロールが出現する中でエレキギターやエレキベースといった現在のロック楽器も出てきた。
 白人層から支持を受けたロックンロールは次第に商業化し、刺激が少なくなっていく。こうしてロックンロールが白人層に支持される中、リズムアンドブルースはより黒人性を意識した音楽であるソウルへと発展していくことになる。

<1960年代>
 1960年代はアーティストならビートルズ、ボブディラン、ビーチボーイズ、ジェームズブラウンなどが挙げられる。大手のレコード会社では大型のスタジオ建設が行われ、録音施設もレコードもこのような大型施設で作られるようになっていく。60年代に出てきた録音技術としてステレオ規格、磁気テープ出現による編集作業、マルチトラック録音、PCMによるディジタル録音の原型が挙げられる。この当時アンプも真空管の時代からトランジスタの時代に入ろうとしていた。こうした環境の中で徐々に表舞台に現われてきたのがプロデューサーの出現である。こうした優れたプロデューサーの登場する反面、直接的な歌詞を和らげたりすることによりロックンロールが持っていた初期衝撃が鈍化するようになっていった。
 新しいスターが生まれることにより、ロックンロールはロックへと変化していくことになる。その境目となるのは1958年から60年にかけてのエルビスの徴兵と1962年のビートルズ、ボブディランの出現だ。ビートルズは1960年頃イギリスのリバープルデ結成され、1962年にイギリスでデビューを果たす。彼らのコピーだけに足らず自分達でも独自の曲を作るようになる。これらのイギリスのバンドはアメリカのロックンロールやリズムアンドブルース、カントリーブルースなど初期のアメリカに刺激を与えた。アメリカでもロックンロールやそれ以前の大衆音楽から影響を受けたさまざまな音楽を見出せるようになる。ボブディランはそのうちの一人だ。彼は1950年だのビートニクを通過し、ニューヨークでプロテストを主体としたフォークを世にしらしめした。

<1970年代>
 1970年代はロックの進化には技術的な側面の他、文化・精神的な側面もあります。自作自演歌手たちは60年代の反社会性を打ち出したロックとは異なり、自分達の内象的なことを優しく綴った。シンガーソングライターから始まるこの潮流はソフトロックと言われるものを作りあげていった。ジャズは戦後にモダンジャズに変換してから芸術的な側面を強め、商業的にはなりにくくなっていった。ロックとは打って変わってソウルにより、ソウルにより黒人らしさに目覚めたアメリカ人たちは1970年代以降も音楽充実度を増していく。フィラデルフィラではソウルにストリングスをのせ、独自のフィリ−ソウルを形成した。このフィリ−ソウル派ディスコでも流行り、クラブDJたちに好んで取り上げられた。

<1980年代>
 1980年代はいろいろなスタイルを醸造し、70年代に登場したカセットテープ、ウォークマン、ビデオ、コンパクトディスクが影響を受ける時代でもあった。
 80年代には簡単に家庭でも自分でレコーディングできる時代になっていた。そしてウォークマンは1979年にソニーから発表され、瞬く間に若者に受けいられていった。またビデオテープはそれ以前、音楽をラジオ局に売り込む場合はプロモーション用のレコードが用いられていたが、ビデオテープの登場以降、プロモーションビデオも作られるようになっていった。そして1981年にはこのプロモーションビデオを24時間放映するMTVがアメリカのケーブルテレビによってスタートする。それから1980年代にはディジタルの時代とも言える。PIMの録音はすでにあったが、再生する媒体はアナログだった。ところがディジタルにすることにより、録音や編集に音質の劣化がなく、編集が容易にできるようになった。
 音楽のスタイルとしては、ヒップホップと呼ばれるスタイルも登場しこれはソウルの根幹のひとつである貧困層を代弁する音楽がなくなりつつあるのに代わって出来上がった。

ヒップホップはニューヨークのブロンクスで生まれた文化の総称でグラフィティアーティスト、ラップ、ブレイクダンスなどがその代表である。その音楽はレコードを擦りあわせるスクラッチや演奏をつなぎ合わせるブレイクビートから始まる。他にもハウスというスタイルがある。1970年代のディスコ期からハウスの先駆者によってリミックスは行われてきましたが、シンセサイザーやビートボックスに加え、サンプリングが登場するクラブ音楽という限定した範囲だけでなく、一般の音楽にも影響を与え始めた。イギリスではプロデューサーがよりポピュラーな音楽を新しい技術を使って作り出す反面、アメリカではクラブDJたちによりアンダーグラウンドなデトロイトテクノを生み出していた。

<1990年代>
1990年代はPCとインターネットの時代である。PCはすでに70年代後半からあったものだが、本格的に普及したのが1995年に発売されたWindows95からとなる。作り手としてはシンセサイザー、サンプリングなどにより複雑化したレコーディングをコンピューター制御できるようになった。また自宅での録音も従来のカセットテープによるマルチトラック録音からDTMと呼ばれるPCデのハードディスクレコーディングが普及していった。
 このように最近の音楽ができるまでの過程を時代ごとに見てきたわけだが、政治や世の中の背景から音楽のさまざまなジャンルが生み出されていったことがよく分かった。人種差別によるズレが目立つが、今までのことを調べるにあたって根本的な発端の真実がなにであるかということが分かってさらに音楽に興味を抱いたと同時にまた好きになった。

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