『ココロ予報』                                  
         一宇


 最近の天気といえば、神経を逆撫でするかの様に雨が降ったり、止んだり、イライラ
する。そうかと思えば、ばかみたいに晴天続きで、日差しが赤道直下並に、肌に突き刺さる。
青い空から、ぱらぱらと小さな雨粒が降りてきて、頬にあたる。
なにが『狐の嫁入り』だ。ばかばかしい事、この上ない。 
狐でも狸でもイタチでも、勝手に嫁に行ってくれ。日本列島のお天気まで巻き込む
ことだけは、勘弁してもらいたい。
世の中の人々は、よく平気な顔をして過ごしているものだ。 
鈍感なのだろうか。
それとも、素晴らしく寛大なのだろうか。
天気ひとつで、一喜一憂してしまう自分は、特別に心が狭いのだ、と深く落ち込ん
で、浮上出来なくなる。
風も嫌い。
隠し事が出来ないから、嫌い。
すべてを見透かしたように、得意顔で走り去るから嫌いだ。


「何も、わかっていないくせに」


特に『追い風』は、大嫌い。
後ろ姿だけしか、見せないくせに、前へ前へと、背中を押すから。

『横風』も、嫌い。
横顔だけしか、見せないくせに、気まぐれに頬をなでて去ってゆくから。

『向かい風』は、好き。
どんなに冷たい素振りを見せても、正面から向き合ってくれるから。

どんな人の心にも、
『太陽』が
『風』が
『雲』が
『大地』が
『海』が
『空』が
『月』が
あるのだ。

一人一人の小さな胸の中には、大きな自然の鼓動が鳴り響いているはずだ。 
それでなければ、何かに涙したり、笑顔がこぼれたり、切なくなったり、あたたかい気持ちに満たされたりは、しない。
いじわるな風が、心の中を吹き荒れる日もあるだろう。
ぽかぽか陽気に包まれて、優しい自分になれる日だってある。
意味もなく、涙があふれる夜も、来る。


降り積もる一面の、雪。
果てしなく広がる、銀世界に一人立ち尽くす。
人生の岐路とは、そういうものなのかもしれない、と思う。
世界の『果て』に、一人足を踏み出す『不安』。
振り返れば、『後悔』と『結果』が、足跡となって残る。


『後悔』は、しない。
そう、心に決めたことが、最大の『後悔』。


歩んだ道の上には、解決しない悩みなど、なかったのかもしれない。
心に広がる『大地』は、どんなに傷ついたとしても、自らの力で癒されるものなのだ。
『太陽』や、『空』に抱かれ、『風』や『波』の歌に心を委ね、流れる『雲』と語らい、
『月』の光に照らされて、安らぐ。
緑を失った山々が、長い年月を費やして生命を育む様に、大地に吸い込まれた雨水
は、地中をさまよい浄化され、『大地』に足を踏み出し、再び『太陽』と『空』に抱
かれるのだ。

心が深く沈んでいる時は、日が射さないのではなく、『雲』が多いのだ。
無理をせず、自分を信じて『風』を待つ。
 『待つ』事も、強さだ。
心が渇いて、隙間が出来た時は、『雨』を待とう。
自らに鞭打ち、自身を見失った時には、『波』と歌おう。
優しい『風』に吹かれたならば、『月』に見守られて、眠ろう。
 
そして、時々は振り返り、長く長く続く『足跡』に、思いを寄せよう。

無駄なものなんて、無い。
その『涙』は、強さに変わる。

自分のために、笑おう。
その『笑顔』は、誰かの力になる。

何が出来るのかではなく、何をしたいのか。
『痛み』を、分かち合いたい。
誰かの『風』に、なりたい。
その『風』は、『向かい風』であって欲しいと、願う。
 
『背中』を押す事は、難しいけれど、飾ることなく向き合う事ならば、いつだって、出来る。
何も持たない、自分ではあるけれども、誰かを思うことならば、いつだって、出来る。

何もわかっていないのは、自分自身の『天気』。
『狐の嫁入り』は、いつやって来るのだろう。
人との出会いは、ぱらぱら降る雨のようだとも、思う。
ココロの中の『お天気雨』ならば、いつだって大歓迎だ。
 
頬にあたる『雨粒』を、待つ。
人々の『出会い』とは、そういうものなのかも、しれない。

私の心の、『狐の嫁入り』。
誰かの心の、『狐の嫁入り』。
同じく、ぱらぱら降る瞬間こそが、二人の出会いなのかもしれない。

私の頬に。
誰かの頬に。

『ぱらぱら』と。
『ぱらぱら』と。

「明日、天気になぁれ」



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