2002年7月 匿名Eさんより投稿小説です。



「灰色の一服」

人の気分というものは、些細な出来事で、急降下や急浮上と、

めまぐるしく状態が変化する。そのことを切に感じる時は、

「待っている時」だ。

人との待ち合わせや、掛けなおしてくるはずの電話、手紙や、

メールでも「それ」は、感じる事が出来る。時間の問題では無

く、待っている何かの、存在の重さの問題なのだ。

・送信した携帯メールの返信。

・かけた電話の応答速度。

・留守番電話のメッセージへの対処。

・空き時間の連絡。

・外出先の申告。



「そんな、マメな男は気持ち悪いわ」

 だるそうに、長い髪をかき上げて、下川玲子は言い放った。女

同士とはいえ、もう少し慎みを持ってもいいのでは、と思えるそ

の姿は、最低限の衣服しか身に着けていない。

 白く長い四肢は、女の目にもどきどきする。

 そんな彼女の発言は、見事に千夏を一刀両断にした。確かにそ

うかもしれない。実際のところ、マメではない相手だからこそ、

様々な望みがわくのだ。

「おそろいで、何か欲しいのは、普通の欲求でしょう」

 千夏は、小さく叫んだ。確かに、一般的な意見を述べてはいる。

 玲子が千夏の部屋に泊まりこんで三日目の夜、どちらから始め

たものか、現在進行形の男の話になった。玲子と違って、もちろ

ん、千夏には一人の該当者しかいない。

「男とおそろいで何かを持つのは、ごめんだわ。気持ち悪い」

追い討ちをかけて、玲子に止めを刺された千夏は、恨みを込め

て、彼女を睨んだ。千夏だって、いくつかの恋愛はしてきた。目

の前の親友には遠く及ばないとしても、思い出話に不自由はしな

い。千夏は、過去の男達を思い描いて、ため息をついた。細やか

に、気を配ってくれる相手も存在したというのに、もったいない。

現在の恋愛を考えると、比べ物にならないほど「お姫様」的

な扱いを受けた記憶が、むなしく千夏の脳裏をよぎる。

「気持ち悪いマメ男くんに、いい割合で当選したのよね、私」

 尽くしてもらったというのに、マメ男の命名が失礼だとは微塵

も感じないらしい。そもそも、命名したのは玲子であったはずだ。 

何の違和感もなく、千夏まで使用している。

 千夏は、過去のマメ男達を思い出した。

・助手席扉の開閉。

・降車時のアシスト。

・深夜ドライブの実行。

・要送迎。

・買出し業務。

・外出先の決定権。

 書き連ねてみれば、特別な事は何も無いように思える。しかし、

千夏の悪友連中は、いつも辛口で、「そんな男がいたら、喜んで

付き合ってやる」と言い放った。

 皆、今までどんな男と付き合ってきたのだろうと、疑問に思っ

たこともあったが、今の自分を考えるとある意味、納得。

 千夏はまさに、当選確率が良かっただけにすぎない。

気の回らない男は、確かに存在しているもので、まさか、自ら

の相手として出現するなどとは、思ってもみなかった。千夏の

男運快進撃も、ここまでの話だった。

缶ビールに手を伸ばして、玲子を見た。千夏の不幸を、心底喜

んでいる。千夏は、無言で半分残っていたビールを飲み干した。

「いい飲みっぷりね。次は何を飲むの?取ってあげるわ」

 小さな冷蔵庫は、アルコールで満員状態だった。開けるたびに、

何かが転がり落ちてくる。玲子に転がったビールを渡されて、千

夏は抵抗しながらも、笑った。

 千夏と玲子は、今日の夕方も仲良く買物に出かけた。玲子が、

外食には飽きたからと、千夏の手料理を、希望したためだ。千夏

は料理が好きで、日頃から自炊していた。玲子は住む家があるに

もかかわらず、家族を嫌って、一人暮らしをしていた。当然、外

食が多い。千夏は、喜んで腕をふるった。

 夕食は、オムライスとかぼちゃのスープと、サラダだった。玲

子は喜んで、残さずに平らげた。食の細い彼女にしては、珍しい

ほど、よく食べた。千夏も嬉しかった。

 食後には、デザートのプリンを食べて、話をしながら飲みだし

た。気が付けば、玲子の話よりも、千夏の愚痴が大半を占める形

になっていた。いつものことだ。玲子は、常に冷静に千夏の話に

耳を傾けた。

「メールだ、電話だ、って千夏もマメね」

 玲子は、ベッドの中から上半身を伸ばして、煙草とライターを

取った。

「寝タバコはダメ」

 千夏が厳しい顔をして、玲子に訴える。玲子は大人しく、体ご

とベッドから這い出た。風邪をひきかねない姿だ。

 玲子は、タバコケースを開け、一本取り出すと、不似合いなジ

ッポライターで火を点けた。

「玲子らしくないライターね」

 玲子は、重量感のある小物が嫌いで、いつも使用しているライ

ターも、タバコより一回りだけ大きい、細長い物だった。

 玲子は、扱いにくそうに、ライターのフタを閉め、煙を吐いた。

「私らしくないでしょう」

千夏は、ソレが贈り物だと気が付いた。数多くいる相手の誰か

が贈った品物に違いない。しかし、玲子が、身の回りの品を贈

ってもらうことなど珍しい。自分のスタイルを崩すことを嫌う

玲子は、日常に使用するものや、身に着けるものは受け取らな

い。自分の目で確かめた、気に入った物しか認めない。

千夏は、送り主を突き止めたくなった。親友の初めての異変を、

放っておく訳にはいかなかった。

「玲子にライター贈るなんて、勇気のある男がいるのね」

 千夏は、玲子に灰皿を用意ながら聞いた。

 玲子は、灰皿を受け取ると千夏に礼を言った。そして、ライタ

ーを手に取り、千夏に渡した。

「あんたが使うなら、あげるんだけどね」

 玲子らしくない言動に、千夏は驚いた。玲子は人からの贈り物

を、よそに回したりは決してしない。今までの玲子なら、要らな

いものはもらわないし、やむを得ず受け取ったとしても、処分し

てしまうか、質に流した。最後まで、玲子本人の持ち物として扱

い、権利を放棄するようなことは、しなかった。

「あげるって・・・、玲子らしくないこと言わないでよ」

 玲子は煙の先を見つめている。何か様子が変だった。千夏は、

玲子との間に感じる違和感に、とまどった。

 玲子は、煙草をもみ消すと冷蔵庫から、ミネラルウォーターを

取り出した。一息に飲み干すと、千夏を見つめた。

「おそろいのものが欲しいって、言ってたじゃない」

 玲子は、ゆっくりと立ち上がると、脱ぎ捨ててあった服を手に

取り、着替えた。日付は変わったところだった。玲子と千夏は、

四日目の時間を共有していた。

 千夏は、玲子から手渡されたライターを眺めていた。同じもの

を知っていた。千夏は、このライターと同じものを、とてもよく

知っていた。

 ほとんど身一つで訪ねてきた玲子は、四日前と同じ顔をしてい

た。何も変わってはいなかった。

「そのライターあげるわ、私には不要なものだから」

 玲子は、かなりのヘビースモーカーだ。千夏は記憶を辿ってい

た。一緒に過ごした三日間、千夏は一度も灰皿を用意していない。

 寝タバコを注意したのも、一度きりだった。

 千夏は、玄関先で靴を履く玲子の背中を見つめた。ドアノブに

手をかけたまま、玲子は動きを止めた。しかし、振り返らない。

 千夏も玲子も、穏やかな気持ちだった。

 千夏から先に、声をかけた。

「私と(・)親友じゃなかったら、このライターはどうなっていたの」

 玲子は、ドアノブを軽く回すと、扉を開けた。

「いつもと同じよ、受け取る理由のない代物だもの」

 少しの沈黙が、二人の間に流れた。玲子は、扉をくぐり、後ろ

手でドアを閉めた。千夏の耳には、玲子の足音が、数秒響いてい

た。

 千夏は、玲子が出て行った扉を見つめていた。玲子の性格は知

っている。戻るはずなどなかった。

「私が(・)親友じゃなかったら・・・」

 千夏は、酒缶ラッシュの冷蔵庫を開け、手のひらの上で鈍く光

る金属を、乱暴に乗車させた。




〜このウィンドウは上のボタンを押して閉じてください〜