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●モーツァルトとクラリネット● 〜ウィーン時代〜 |
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モーツァルトによってクラリネットを強く意識した作品が多く書かれはじめたのは、ウィーンでのアントン・シュタードラー (Anton Stadler 1753-1812) との出会いがあったからでしょう。1781年、25歳のモーツァルトは当時仕えていたザルツブルク大司教の命令でウィーンにやって来ます。しかしモーツァルトは以前から大司教を良く思っていなかったようで、そのまま故郷のザルツブルクとザルツブルク大司教宮廷楽団を離れ、以後はウィーンを中心に活動するようになります。ここで出会ったのが名クラリネット奏者のシュタードラーでした。同じくウィーンに移っていたボヘミア出身のシュタードラーは、弟のヨハンと共にウィーンの宮廷管楽合奏団(管楽器だけで編成)と宮廷楽団でクラリネット奏者を勤めるようになります。クラリネットは18世紀前後に現れた新しい楽器でしたが、早くも(ようやく?)モーツァルトの活躍していた18世紀の後半あたりからその魅力的な音色の為か、クラリネット奏者を持つ楽団も徐々に数を増やしたのでしょう。その後、現在に至るまでオーケストラの重要な楽器として定着していきます。シュタードラーは当時ウィーンで大変に優れたクラリネット奏者、そしてバセットホルン奏者としても名を馳せ、ウィーンに来たモーツァルトもその演奏に相当惚れ込んでいたようです。そして2人は非常に親しい友人になりました。 1788年、そのシュタードラーが特別なクラリネットを手にします。当時クラリネットやファゴット等を作り、楽器の改良にも励んでいた宮廷楽器製作者のテオドール・ロッツ (Theodor Lotz 1747-1792) が、通常のクラリネットの低音域を低いcまで拡張させたクラリネット(通常はe)をシュタードラーに作ったのです。これが現在では「バセットクラリネット」と呼ばれているものです。この楽器のアイデアは、バセットホルンやクラリネットの低音域を好んでいたといわれるシュタードラーによるものだったらしく、実際にどの程度この楽器の開発に関わっていたかは分かりませんが、ともかく一曲ずつ残されたモーツァルトの不朽の名作クラリネット五重奏曲(K.581)とクラリネット協奏曲(K.622)は、そんなシュタードラーと、低音域を拡張した彼の特別なクラリネットの為に作曲されたわけです。しかしモーツァルトの死後、実際に出版され現代まで伝わっているものは通常のクラリネットで演奏できるように編曲されたもので、バセットクラリネット自体も広く普及することはありませんでした。元の自筆譜は紛失してしまっているので、肝心なバセットクラリネットによる低音を含むオリジナルの曲がどんなものなのかは、正確には分からないといえそうです。 ここで「正確には」と言ったのは、元の姿を探れそうな資料があるからです。クラリネット協奏曲の第1楽章(Allegro)の元になったとされる、バセットホルン協奏曲ト長調 (K.621b:未完成のAllegro楽章のみ:バセットホルンは珍しくF管ではなくG管を指定)のスケッチが残されているのです。ここには後に通常のクラリネットの為に編曲される前の姿が残っているというわけです。もちろん、この作曲がバセットホルンの名手でもあったシュタードラーの為であった可能性は“大”でしょう。スケッチの終りのほうで曲はイ長調に変更してかかれているそうです。つまり途中まで出来ていたG管のバセットホルンの為のト長調の協奏曲を、A管のバセットクラリネットの為にイ長調に変換するなどしてクラリネット協奏曲の第1楽章とし、これに第2・第3楽章を新たに作曲のうえ作品を完成させたのだと考えられます。このように初めはバセットホルン協奏曲として完成させようとしていたものを、バセットホルンの広い音域をカバーするシュタードラーのクラリネットの出現によって曲は書き直されました。これは恐らくバセットクラリネットを広く紹介することで、シュタードラーが自身のクラリネット奏者としての名声を一段と高める為のものだったのでしょう。 ところでモーツァルト、シュタードラー、ロッツの3人は単に友人というだけではなく、フリーメイソンの同志でもあったことが知られています。1784年、ウィーンに移ったロッツは、より低音のだせるバセットホルンの研究をはじめたそうです。その頃、既にウィーンにいたシュタードラーとフリーメイソンの集会などを通じて関係を深め、バセットホルンやクラリネットの低音を求めた開発に取り組んでいったのでしょう。またモーツァルトも1784年にフリーメイソンに入会していて、フリーメイソンの儀式の為に作曲をしたりしています。クラリネット五重奏曲、クラリネット協奏曲などといったモーツァルトの名曲達は、ウィーンでのシュタードラー達との出会いが無ければ恐らく生まれなかったでしょう。ただ残念ながら、これはモーツァルト、そしてロッツにとっても最晩年のことになってしまうのですが…。それにしても、モーツァルトにこれだけの曲を書かせたシュタードラーの演奏とはどのようなものだったのでしょう。これらの曲が好きな人だったら気になるところだと思いますが、もちろん録音などがあるはずもありませんから、それはモーツァルトやシュタードラー自身が残した曲(彼は作曲もしたらしい)を聴いて想像することにしましょう。 さて、ここまで読んでいて気付きましたか?これだけ私が語りまくりたくなるような名曲にもかかわらず(笑)、結局今のところシュタードラーのクラリネットもオリジナルの姿の楽譜も無いわけで、「これらが元々どんな作品だったのか?」が非常に気になるところです。楽譜はオリジナルの姿を再現したものが(それでも確証は無いでしょうが)新たに出版されたりしています。一方のバセットクラリネットは、モーツァルトのこの五重奏曲や協奏曲を演奏する為に近年復活しています。シュタードラーのクラリネットに関しての文章が残っていて、それを参考に楽器を再現していたみたいです。しかし1992年になって新たな資料が発見されました。シュタードラーのバセットクラリネットと思われる絵が載った当時の演奏会のプログラムが発見されたのです。その絵を基に復元したホープリッチのクラリネットでは、楽器末端にある球根状のベル部分の穴を脚でふさぐことで(確かにその穴をふさぐ為のキーは無さそうだが…)低いcの更に下、低いbを出せるのだそうです!?果たしてオリジナルのクラリネット協奏曲では低いbの音までもが記されていたのでしょうか?そして低音を求めた名クラリネット奏者シュタードラーも手だけでは足りず、ついに脚まで使って演奏していたのでしょうか!?(笑)これで楽器の面ではオリジナルに大きく近づいたのかと思いきや謎が増えた? |
| ●バセットホルンについて● |
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| ここであまり聞き慣れない楽器、「バセットホルン」について少し説明をしておこうと思います。バセットホルンというと金管楽器の“ホルン”を思い浮かべてしまうかもしれませんが、この楽器はクラリネットの仲間の木管楽器です。また、シュタードラーの“バセットクラリネット”とも違うものです。1770年頃の発明とされるバセットホルンは、当時クラリネットよりも更に新しかったわけですから、楽器の音域を広げるなどの改良も盛んだったようです。しかしその後はあまり使われず、現代ではあまりメジャーな楽器とは言えません。シュタードラーはバセットホルンの名手でもあり、ウィーンに来て以来モーツァルトはバセットホルンを使う曲を多く書いてます(もちろんクラリネットも)。 |