第二次湾岸戦争 『イラクの自由』

2003.03.20


世界の火薬庫と言われる、中東問題・・・。なぜ、こんなに揉め事が絶えないのでしょう?

我々日本人には、理解しがたい中東問題ですが、
それは、彼らの歴史的関係が理解出来ていない事が原因ではないでしょうか?
なぜ理解できないかと言えば、学校教育において宗教に対する知識を与えられていませんよね?
歴史(社会科)の時間に、学問として3大宗教の年表を記憶されれた事はあっても、
宗教の根本である『教義』や哲学的な観点からの『神学』は、タブー視(?)されていますよね?

そして、学校教育だけではなく、家庭に於いても『宗教』に対する、、、
いや、『宗教』ではなく『信仰』というものに対して、(世界的に見れば)独特な価値観を持っているのが日本人です。

よく言われる事ですが、お正月には『神社』に初詣に行き、クリスマスにはケーキを食べ、
結婚式は『教会』。不幸が有れば『寺院』でお葬式。

良いか悪いかではなく、古代から四方を海に囲まれ、豊かな森や清らかな川に恵まれた我々日本人は
その自然そのものに対する『畏敬』の念を持つ事はあっても、『絶対的な力』の存在を必要としなかった。

台風や地震のように、人知の及ばない災害はあっても、日常の中で人間を捕食する猛獣はいません。
砂漠で水を求めるように、深い井戸を掘らなくても簡単に手に入る。
お腹がすいて、山に入れば無尽蔵に木の実やきのこが採れる。
僅かの知恵があれば海に住む魚を捕まえることが出来る。

そういう (地球上では非常に珍しい) 恵まれた環境の中では、『絶対的な信仰心』を必要としなかったのですね。


特定の国家に対する批判や、特定の宗教に対する偏見ではなく、
盲目的に戦争に反対する訳でも、まして戦争を容認する訳でもなく、
冷静に『ユダヤ教』『キリスト教』『イスラム教』の歩んできた歴史と、
それぞれの係わり合いを、もう一度考えてみませんか?


まず初めに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の歴史と、関わりを見てみましょう。
今は、一神教であるユダヤ教も、元々は多神教であったと言われています。


旧約聖書の研究者によると紀元前2000年頃、メソポタミヤの遊牧民の族長エイブラハムとその子孫が、
部族間抗争や飢饉に追われ (旧約では、神の啓示を受けた事になっています) アラビア半島を横断し、
中東へ移動しました。

ここで重要な事は、移動の本当の理由はどうであれ、
聖書の中では『神(ヤハウエ)の言葉に無条件で従った』と言う事です。
それまでの快適(?)な生活を捨て、一族が揃って目的地も分らぬまま移動を開始したと言う事です。
『あなたはあなたの生まれ故郷、あなたの父の家を捨て、私の示す地へ行きなさい』
『あなたの名を大いなるものとしよう』と、神は彼に約束します。
移動の理由は、『神がそう約束したから』ただそれだけの事なのです。

当初は多神教であったユダヤ教が、砂漠を避け、アラビア半島北部を通って何百年もの放浪を続けるうち、
一神教へ変化してゆきます。
アラビア半島北部の厳しい自然環境と、襲い来る肉食獣からの脅威を常に受けつづけ、
信仰の対象が、『自然(森羅万象)』から森羅万象を超越した存在、『絶対神』へと変化したのだと思います。

エイブラハムが移動を開始したのが、75歳の時で彼が旅の途中で倒れたのが205歳。
その後、彼の妻や子孫がさらに旅を続けていますから、最低でも130年+α年の旅の末、
遂にカナンに到着します。
『あなたの子孫にこの地を与える』(創世記) 神がそう言ったのです。
旅の初めと同じく、旅の終わりも、『神(ヤハウエ)』の『約束』であることが、重要な意味を持つと思います。


彼らは、敬虔な信者であり神の教えを守り、どちらかと言えば非戦的な民族ではありましたが、
飢饉の発生で、今度は多くのユダヤ人たちがエジプトに移住します。
比較的非戦的で、勤勉な彼らは、それゆえエジプトでは奴隷として扱われます。

紀元前13世紀ごろ十戒で有名なモーゼの指揮で、エジプトを脱出した彼らは40年にも及ぶ放浪の後、
エルツ・イスラエルにたどり着きます。
しかしその後も、自らの部族間紛争やローマに代表される他民族支配(紀元前586〜紀元300)を受け、
その間に多くの民は離散したり追放されたりの苦難の時代を送ります。

(ここまでが旧約聖書。これ以降が新約聖書。旧約とは神と交わした古い約束。新約とは新しい約束)

そして、ローマ支配のイスラエルに残ったユダヤ教徒の中から、イエス・キリストが生まれます。
彼は、敬虔なユダヤ信者でありながら、形骸化したユダヤの戒律を自ら破り、神の愛を説きます。
多くの支持者を得ますが、反対に、彼が救世主であるなら、『イスラエル王国』の復活
すなわち、現世の利益を彼に求めるものも多く存在しました。

イエスの説く、『神の愛』ではなく現世での救済を求めたものは、彼の非力を責め失望します。
又、ユダヤ教の司祭達は、己の権威を守るため彼を亡き者にしようとします。

磔にされて3日目に復活したイエスを目にした彼の弟子達は、
イエスを神の子 (救世主) と崇め、彼の流した血によって全ての民の罪が許される事を信じ、
ローマ・ギリシャへと布教を開始します。


そして紀元570年ごろ、今度は、現在のサウジアラビアのメッカにいたユダヤ教徒の中から、
マホメッド(ムハマンド)が誕生しました。
彼が40歳の時、神(アッラー)の啓示を受け、布教活動を始めます。

彼は『神の絶対性』を説き、争いを戒め、弱者を救済することが『神(アッラー)』の意思に沿うことで、
不公平な階級社会の矛盾を、改革しようとします。

当然、イエスと同様に階級の上位の者からの迫害を受けますが、階級社会の底辺に住むものには
非常な速さで受け入れられてゆきます。


要するに、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、基は1つの宗教なのですね。

簡単に、それぞれの教義や、信仰の対象をまとめて見ましょう。
 



信仰対象 神のみ (ヤハウェ)
経典 旧約聖書
教義 神に選ばれたユダヤの民が、聖書による戒律を守ることで救われる。
預言者 旧約に登場する預言者のみ。
救世主 まだ現世に登場していない。
特徴 ユダヤ人のためだけの宗教。(選民思想的で、隣人愛の発想はない)
戒律を重視。
イエスは反逆者であり、新約聖書を認めない。
基本的にモーゼの十戒にもあるように、偶像崇拝を禁じている。




信仰対象 神 (ヤハウェ) イエス・キリスト 聖霊
経典 旧約聖書 新約聖書
教義 キリストを信じれば戒律を守られなくとも、キリストの流した血によって救われる。
預言者 旧約、新約に登場する預言者。
救世主 イエス。
特徴 たとえ戒律が守れなくても、イエスが罪の償いの為に十字架にかかり、
神との新しい契約を交わしたのだから神、イエス、聖霊の三位一体を信じる事で救われる。
イエスは、隣人愛を説く。
偶像崇拝を禁じているが、なぜかイエス像とマリア象がカソリックの教会にある。




信仰対象 神のみ (アッラー)
経典 コーラン (旧約聖書も新約聖書も、聖典として認めている)
教義 マホメッドでもましてやイエスでもなく、ただ神の教えに帰依・服従する。
預言者 旧約、新約、マホメッド。
救世主 唯一絶対の神のみが救世主。
特徴 アッラーは他の存在から生まれたものではなく、また、他の何かを生み出した事も無い。
イエスも、マホメットも単なる預言者の一人。一切の偶像崇拝を認めない。
(モスクには、マホメットの像も何もありません)
個人的な解釈なので、正しいかどうかは分りませんが、、、

ユダヤ教というのは、神に選ばれたユダヤ人のための宗教。
 例えば私がユダヤ教に改宗しようと思っても、不可能ではないにしても、かなり困難でしょう。
 だって、私はユダヤ人ではありませんからね。
 絶対唯一の神を独占する事で成立しているのが、ユダヤ人のためのユダヤ教とも受け取れます。

キリスト教は、神の子であるイエスの教えを信じるもののための宗教。
 一番の問題は、イエス自身を信仰の対象(神の子)としている事で、これは本来彼ら自身が認めている旧約を
 改竄 (かいざん) したとも受け取れます。
 そして、彼ら自身に都合のよい改竄(?)が、キリスト教最大の特徴であり、現在のキリスト教国に見られる
 合理主義に繋がっているように思えます。

イスラム教は、マホメットもイエスも単なる預言者(神の言葉を伝える者)であり、信仰の対象はあくまでも神。
 『喜捨』という考え方に見られるように、イエスの隣人愛をさらに一歩踏み込んだ
 『弱者救済』などは、最も宗教としては完成されているように思えます。
 が!その事が 多くのキリスト教国との経済格差や、科学技術面の格差を生んだとも思えます。
 

一つの経典を信じる三つの宗教、一般にこの三つの宗教を敬典三宗教といいます。
唯一絶対の神を信じていながら、信じている事が原因で、他を認めない。

ユダヤ教は、他の二つを全否定しています。

キリスト教は、ユダヤ教をルーツとしては認めても、選民思想を否定し、イスラム教に対しては全否定。
このイスラム教に対する全否定は徹底していて、マホメット個人に対する侮辱や、
教義そのものに対する、デマを喧伝する事まで行いました。

イスラム教は、他の二つを兄弟として認めていますし、旧約・新約の預言者も認めてはいますが、
ユダヤ教の選民思想、キリスト教のイエス救世主説などは、否定しています。
 

まぁ、現在の敬典三宗教の関係はこうなっていますが、なぜこう迄憎しみ逢うのか・・・。
実は、以外と言うか、やっぱりというか、ある時期までのこの三つの宗教は実に上手く付き合っていました。
神学上は相容れない部分があっても、実際の社会生活上、個人同士の付き合いの中では、
現在のようないがみ合い、憎しみあい、お互いの命を奪い合うような事は無かったのです。

では何が原因でこんな関係になってしまったか・・・・・・。
 
西暦1095年頃、『聖地奪還』を旗印にした、十字軍の遠征がありました。
大義名分 (と言うか、建て前) はあくまでも『聖地奪還』、キリスト教徒から見れば聖戦です。

1990年の第一次湾岸戦争も、つい昨日始まった第二次湾岸戦争もそうですが、大変な戦費が必要です。
これは当時も同じであり、十字軍の遠征費用は大変なものだったのです。
では、誰がその戦費を出したのか?
当時は『人間は出さないけれど、お金だけだします』などという某国は存在せず、
『国連決議が無くても、攻撃を支持する』などという某首相も居ませんでした(笑)

膨大な戦費を提供したのは、『商人』達でした。
勿論、建て前は聖地奪還です。
でも、本音は?
はっきり言えば、『市場開拓』です。
自国の領土を増やす事で、その地からの移入品を売って儲け、こちらからの移出品を売って儲ける事。
それが本当の理由だったのです。
早い話が『投資』。。。


当時のエルサレム(イスラエル)はイスラム教が実効支配していましたが、現実はキリスト教が喧伝したように、
巡礼者の虐殺や、圧制は無かったとされています。
それでも、イスラム教徒の立場を言えば、キリスト教徒に侵略を受け、その侵略に対する防衛戦、
すなわち、これも聖戦になってゆくのです。

ユダヤ教徒にすれば、元々自分達が神から与えられた土地を、他人が奪い合っている。

そして、侵略を受けた側の住民たちは、自己の宗教に対するアイデンティーに目覚めます。
イスラム教徒はキリスト教徒を憎み、キリスト教徒はイスラム教徒を嫌います。

個人同士の付き合いでは表面化しなかった、各宗教の神学的な食い違いが、個人を超え
宗教同士の憎しみあいに発展してゆきました。
 
話はいきなり二十世紀に飛びますが、イスラエル建国にも当時のキリスト教国の、
(利己的な)建て前が反映されています。

地図を見れば分りますが、地中海の東に位置し、ヨーロッパからアフリカへの陸路シナイ半島。
極東からヨーロッパへの交通の要衝シナイ半島。

海路・空路を別にすれば、ヨーロッパ〜アフリカ間。ヨーロッパ〜インド亜大陸。ヨーロッパ〜極東間。
全ての交通の要衝であるシナイ半島を、領有する事は戦略的に見て非常に重要な事です。
自国の利益に直結します。

当然その地勢的に重要な場所は、自国が領有したい。
それが無理なら、自国に友好的な国をその場に置きたい。

そしてその利己的な行為が、また聖戦に変化してゆきます。。。
 
第一次湾岸戦争の原因ってご存知ですか?

一般には、1991年突然イラクがクウェートに侵略をはじめた。って事になっていますが、その前年、
イラクがクウェートに対し、イラク国内の油田を盗掘していると訴え、話し合いが持たれた事があります。

クウェートはイラクの訴えを無視し、(盗掘が事実かどうかは知りませんが)石油の増産を続けます。

この石油の増産というのは、、、
OPECで取り決めた石油採掘量を、クウェートが無視して増産したという事です。

なぜ、『正義』を振り回したがる某大国が、この件を無視していたか・・・。
そりゃ、増産してくれれば原油価格が下がって経済的メリットがありますからね。

で、結果的にイスラムの教えにある『喜捨』の精神に反し、富を独占するクウェートに怒ったイラクが
大挙して侵略し、クウェートを占領した。
 

 

まるで、イラクの味方のような書き方になってしまいましたが、決してイラク(イスラム教)の肩を持つ訳でなく、
歴史的・宗教的事実を言えばこうなってしまいます。
だからと言って、サダム・フセインの独裁や、大量破壊兵器を保有する事を正しいとは思いませんよ。
ましてやアルカイーダのテロを許そうとも思いません。

でもね、『イラクの自由』と名づけられた今回のこの戦争の一体何処に、本当の『正義』があるのでしょう。

大量破壊兵器の保有量が世界最大の国が、他国に対し『正義』を押付ける事。
イスラム教を『いんちき宗教』と呼ぶ大統領が押付ける『正義』。。。

国連決議を無視し、大量破壊兵器を保有する独裁者。
自国内の他民族に対し、化学兵器を使用する、大統領の名を騙る独裁者。

国連で、拒否権を行使する寸前までゆきながら、戦闘が始まった途端に戦後の自国の利益を考えて
腰が砕ける常任理事国。

徹頭徹尾、外交機軸を『錦の御旗』に米英を支持する某国首相。
イスラムの『一夫多妻制』の目的が、寡婦・孤児の救済にあることを教えない某国文部省。

しかも、日本では『剣かコーランか』などという、キリスト教徒のでっちあげを教科書教育で行っています。

宗教的偏見や、歴史的差別を一旦全て切り捨て、本当の正義が何処にあるのか。
私自身、歴史的な事実を踏まえて考えてみたいと思います。

特定の国家に対する批判や、特定の宗教に対する偏見ではなく、
盲目的に戦争に反対する訳でも、まして戦争を容認する訳でもなく、
冷静に『ユダヤ教』『キリスト教』『イスラム教』の歩んできた歴史と、
それぞれの係わり合いを、もう一度考えてみませんか?
 

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