どんと院まつり前日 2003.08.04 春、下北沢Queにて。 第1部太陽の塔。第2部どんと+ちーこさん。第3部セッションで5曲。 私とどんとさんの初の出会いだった。当然ながら同い年なので存在は知っている。顔を見て老けたなと思った。 私の知っていたどんとさんは妖精の様な人だった。それがここ8年位でのこの老成ぶり。仙人だ。 音楽的苦労なのか。それとも家庭を構えた責務なのか。そんな凡人の考える事しか頭に浮かばず。 同い年としての肉体的感覚から言うと、同級生と比較してもこの人は私の倍位老成しているんではないだろうか、 と咄嗟に思わされる。 苦渋を刻んだ暗闇、それが第一印象。 ところが、である。話始めたどんとさんは好々爺というか、何だかぼんやりのんびりとしている。 え?と思った。直撃されていないものの、あの激しいどんとはどこに行った? 良いとか悪いとかでなくて、不意を突かれたのである。 これはまるで陽だまりではないか。へえ〜。今のどんとさんはこんななんだ。 「樹になりたい。桜の樹に。」そんな事を言う人だった。 この日太陽の塔は「小さなメロディ」をライブで初出。 歌詩も殆ど聴き取れず、2度とやらないお倉入りの曲となったが、 非常に印象に残る曲で、今迄に無いクールさにすっかりトミーの曲だと騙された(笑)。 こういう曲が聴きたいんだとアンケートに書き綴った覚えが有る。 ほぼ5年後位?まだ本来の完成ではないだろうが、アンリミのデモテに今年、その曲は収録された。 いつもよりテンションの高い彼ら。 そして私にとっては初めて見る、彼らがデビュー前から憧れ目指していた先輩アーティスト。 そして更に心血注いだセッションで、一緒に楽しんでくれた先輩アーティストのお客さん。初めて聴く曲。 ああ、この曲はこの曲の骨に・・・だから「ボ・ガンボスの匂いがする」としょっちゅう書かれて居た訳か・・・ 今迄見た事の無い、熱い眼差しを中央に送る幸せの絶頂な「初めて」の顔を見せられた。 それはファン冥利に尽きる1夜だった。 数ヵ月後の夏。どんとさんの誕生日イベントに井垣さんが1人で参加。 客席では興奮しつつ「声掛けてやってやー」とリーダー。 カウンターにこれまた北山さん。彼ら「京産トリオ」は永井さんの後輩筋なのだ。 結構な人の数に私は友達と合流出来なかった。 めためたな緊張ぶり。楽器も持てず灰皿をパーカス代わりに持って出てくるが、井垣さんがテンポを狂わす度に 背面からちーこさんがぐっと睨み付ける様な眼差しで真剣にバックアップしていたのが印象的。 そして、2人のデュエット。 初回の1年後、横浜ベイホールにて。 小さなスタンディング席の周りを厚く座席と夜景が取り囲む大人向けな場所。 今は外タレ(笑)向けなハコになっているはず。 ここは元々横浜川崎東京ベイサイド産業華やかなりし頃のディスコ、「ベイサイドクラブ横浜」だった場所。 インクスティック瑞江(鈴江?芝浦?)(=現Junk Box東京ベイ)・寺田倉庫等の音楽スポットと、 六本木・有明・横浜のクラブスポットが互いを縫う様に競い合っていた場所の跡形だ。 時代の片鱗に思いも寄せた1日。 車主体の遊び場だった訳で、当然徒歩では着くまでが大変だっただけに、余計深い記憶が残る。 対バンはモノマニアなど。高木君が井垣さん張りに突っ込んできて 私の前で思いっきりギターごと転倒したものだから、えらく驚いた。 太陽の塔は年に3ヶ月有る休養期間の明けの頃で、久しぶりに見た印象が残っている。 薄暗がりの中に、初回より更に「出し物」(1つのイベントとして固まろうとしている)感を強めた彼らが ワンセットでやってきた。 太陽の塔の新曲を多く含んだライブ(「雨やどりの木」「ウォーキングマン」「革命」)の中に 流れるように呼び込まれるどんとさん。 太陽の塔はコーラスがかなり出来るバンドだったので、何本ものマイクが立ち並んだセットとなる。 どんとマンボの井垣・中本コーラス(叫び)が耳に残っている。 時に井垣さんソロボーカルなんて曲も入る。実に多彩な運び球。 この頃太陽の塔としては曲の変化からなるギターとの兼ね合いで、キーボードが音量的に小さくなっていた。 「雨やどり〜」はこの頃に限って言えば打ち込みからスタートしたのである。 その辺り払拭するトクロウさんの弾けぶりはデビュー当時のワンマンを見るかの様だった。 井垣さんにとっては当時剃髪したりしていた頃で、本当にどんとさんの存在が心の支えだったと思う。 競演し始めの激しさよりは支えて貰っている感じがした。 勿論リーダーは今より更に心的状態が外に出ていた頃だから、素晴らしく力強かったし安定していた。 北山さんは前回の感極まった昂揚ぶりから1歩進んで、ステージングする余裕すら見せている。 トミーがこの面子の中では1番当初大変だったと思うのだが、 それはそれとして昔のこと、勘とバランスの良さ・テクニックでどんどん前に出て来る。 翌日のパワーステーション。 この両日、ぴあのイベントとして企画され、協賛としてTVKが付いていた為「LIVE Y」でも特集を組んでもらえた。 対バンはゆず・BEGIN・ドミンゴス。そのメンバーの中でのトリ。 数回見ている内に分かった。どんとさんには定型が無い。 むしろキッカケを良く間違えて太陽の塔がフォローするという展開。 前日と同じセットリストの為、その事が非常に良く分かる。現役時代はどうだったんだ? こんなではなかっただろうが、近かったのかもしれない。 しかしどんとさんも数年ぶりのバンドタイプを良くぞ知名度もままならない彼らに任せたと思う。 他のメジャーバンドだったら、「バックバンドなんて・・・」とつまらないプライドで躊躇していただろう。 いわゆる完コピなのだから。 だけど彼らは絶対そんなこと考えてなかった。そんな角度からは全く考えてなかっただろう。 頭を下げてでも「やらせてください!」と言ったに違いない崇拝ぶり、そう、心が伝わったんだね。 彼ら自身の心に火を灯す、素晴らしきエネルギー交換。 どんとさんはこんなコメントを残している。 「明らかに僕の真似してる癖に全く触れない人が余りに多かったんだよね。 だけど彼らは自ら、真似してますっ!って公言していて。」 その後に続く言葉を忘れてしまったが、単なる感情論では無い展開だった気がする。 天才故の発言って、こういうものかね。 「自分に影響されてる癖に・・・」とはなかなか言えるもんじゃない。 その年の秋。ON AIR EAST。確か当日にはフラカンのワンマンが有ったはず。 おそらくメンバーもそちらに行っていたことだろう。 ホーカシャン(伊藤ヨタロウさんら)・オーケン+水戸さん+MAGUMI・どんとさん+ちーこさん+Drという面子。 同世代技術者の立ち並ぶイベントの中、直前の組み合わせが当時のロックシーンに触れた。 (いわゆる「四文字」ロックの事を指すのだが)その枠の中に自分らは同級生的に存在していたと。 その話を聞いたどんとさんから信じられない言葉が出た。 「僕は当時その『〜ロック』の中には居なかったんだけどね、でも後継者が出来たんですよ。 太陽の塔と、フラワーカンパニーズ。日本語で言うとお花屋さんですねえ」 え?今なんて言った?すみとあいと私と。一瞬耳を疑ったほどナチュラルに。 両バンド、当然ここに来てる訳じゃない。リップサービスなんかじゃない。 その後の演奏で初めて、今までの相手に合わせるどんとさんではなく、 自分の思う楽器の音が出ないのをステージ上(曲中、しかもソロ中に)で調整する程の ギター少年、芸術家どんとを最初で最後、目撃した。 あれでも、かなり彼らに合わせていたんだ。 でも、3回目の春は無かった。 彼らの活動がままならなくなって来たのが目に見える程になってきたのである。 ラストツアー。 どんとさんのソロ活動告知を目にするたび辛かった。空白の3ヶ月。 そしてアンリミ。 その5回目のライブはブラワーエンジンのレコ発のオープニングアクト。 アンリミ最後のMCの中で。 「今さっき、僕の大好きなミュージシャン、どんとさんがハワイで亡くなったと、連絡貰いました」 と井垣さん自身の口から聞かされる。 そうだ、あれは251でだったんだっけ。今思い出したよ。 ★back★