先日、とあるファミレスっぽい(しかしファミレスではない)お店で食事をしました。
ぶっちゃけた話、O戸屋なんですが。
私はカウンターに通されましたが、隣の席は空いていました。
対面には低い仕切りがあり、向こう側には人がいました。女性でした。
しばらくして、隣の席には若いカップルが座りました。男が私の隣に座りました。
最初に料理が運ばれてきたのは対面の女性で、次に私、そして隣のカップルという順番でした。
まあ入店の順番通りで、何の問題もありません。
あー友達が遊びに来た時に食事に行く場所は、うちの近くにはラーメン屋以外はしょぼいファミレスしかないと思っていたけど、こういう店に来てもいいなあ、などと考えていましたが、当然、目に入るのは正面の女性でした。
何を注文したのかまでは見ていませんでしたが、普通に食べていました。
で、私の注文したものが来て、食べ終わりました。
で、私は食後の一服。
正面には女性がいますから、右上方へ煙を吐いていました。まあ喫煙席ですから問題ないでしょう。
すると目に入ってきたのは隣のカップルの食事風景でした。
これがお世辞にも上品とはいえないものでして、肘をついて、こう、口から食べ物を迎えにいくような食べ方でした。
とまあここまで来たところで、何かで読んだことのある、「食事を人に見られるのは恥ずかしいことだ」というような話を思い出しました。
確か、人間が本能に基づいて行うことは生きるためにするということで、全て生々しい(=野蛮)。これらは全て隠すべきであって、人様に見せられるようなものではない。例えばセックスもそうだし、排便もそうだ。ならば食事だって隠すべきではないのか。見られたら恥ずかしいじゃないか、というような話だったと思います。
で、私がこの話を思い出したのは礼儀作法という点からです。
他の礼儀作法については今の日本では半分以上が廃れていますが、食事に関しては大分残っているように思います。食事の作法というと、大体子供の頃に親から教えられるものだからだと思います。
これはつまり、食事にだけ礼儀作法が色濃く残っていることは、やはり食事も礼儀作法というフィルターをかけることで生々しさを半減させようという狙いがあってのことではないでしょうか。
だからこそ礼儀作法がしっかりとしている人は上品であり、そうでない人は下品なのだと思います。
そんなことを考えながらO戸屋で食後の一服を楽しむ私でした。
相変わらず、だから何だって自分でも思います。
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