NEW ORDER〜バイオグラフィー

1976年にイギリスのマンチェスターでセックス・ピストルズのステージを見ていたバーナード・サムナーとピーター・フックが出会い、スティッフ・キトゥンズというグループを結成。その2人がイアン・カーティスに出会い、ワルシャワとバンド名を変え77年5月にはデビュー・ギグが行われる。そこにドラマーのスティーヴン・モリスが参加する事となり、78年にはジョイ・ディヴィジョンと再度バンド名を変え、偉大なるグループの歴史が始る。彼らは共にセックス・ピストルズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、イギー・ポップなどに傾倒していた。

当時マンチェスターで始動したばかりであったファクトリー・レコードと契約し、79年にデビュー・アルバム『アンノウウン・プレジャー』をリリース。デビュー・アルバムにして、既に独特のゴシック調のサウンド・トーンとイアンの深みのあるボーカルが作り出す世界を確立していた。プレスからも絶賛されたこのアルバムは後のシーンにも大きな影響を与え、ライブ活動などとともなって、彼らの評価はPIL、ポップ・グループらのポスト・パンク・グループと並んで高まっていった。しかし、80年5月には中心人物であったイアン・カーティスが衝撃の首つり自殺。この事件から2ヶ月後にリリースされたセカンド・アルバム『クローサー』は大ヒットを記録し、彼らを英国ロック・シーンの歴史に永遠に刻み込む名作となった。

81年には未発表ライブ楽曲から成るアルバム『スティル』が、そして88年にはレア音源を中心としたコンピレーション・アルバム『サブスタンスII』がリリースされた。

イアン・カーティスを失った残りのメンバーは3人でニュー・オーダーとして活動を再開。81年2月にシングル、そして同年の11月にはデビュー・アルバム『ムーヴメント』をリリース。82年にはジョイ・ディヴィジョンの影を払うかのように女性キーボーディスト、ジリアン・ギルバートをメンバーに加える。そして、彼らの新しい試みであったデジタル・ダンス・ビート・サウンドが「テンプテーション」、「ブルー・マンデイ」等で大きな成果として表れ、彼らの新しい方向性を確立した。

その後、『権力の美学(POWER CORRUPTION & LIES)』(83年)、『ロウ・ライフ(LOW-LIFE)』(85年)、『ブラザーフッド(BROTHERFOOD)』(86年)とヒットを出しながら名作をリリース。87年に2枚組コンピレーション『サブスタンス』をリリースする頃には80年代を代表する偉大なるグループへと成長を遂げた。近年は作品のリリースのインターバルも大物グループらしくゆったりとしたものであり、89年に『テクニーク(TECHNIQUE)』をリリースした後、93年発表の大ヒットアルバム『リパブリック(REPUBLIC)』までバンドは個々の活動が目立つようになりバンドとしてはほとんど解散状態にあった。そして94年にはベスト・アルバム『(the best of)New Order』を発表。このアルバムのためにバンドはスタジオに篭もり、ニュー・オーダーのクラシック・トラック4曲をリレコーディングした。「トゥルー・フェイス」「ビザール・ラヴ・トライアングル」「1963」「ラウンド&ラウンド」が選ばれ、原曲に忠実に、新たな生命を与えられた。しかし多くのファンが予想したように、ニュー・オーダーはこのベスト・アルバムの発表の後、バンドとしての活動を停止してしまう。バーナード・サムナーは元スミスのジョニー・マーと組んだエレクトロニックで活動し、91年、96年、99年にアルバムを発表。ピーター・フックは自らのバンド、リヴェンジを発展させたモナコとしてアルバムを97年に発表。そしてスティーヴン・モリスとジリアン・ギルバートはその名もズバリ、ジ・アザー・トゥーとして93年、99年にアルバムを発表している。しかし98年、突如としてバンドは、レディング・フェスティバルのステージに立った。そして99年、バンドはニューアルバムのための制作を開始した。2000年3月には映画『ザ・ビーチ』のサウンド・トラックに実に8年振りとなる新曲「ブルータル」を提供。そして2001年7月、ニュー・シングル「クリスタル」発売、8月、ニュー・アルバム「GET READY」発売、FUJI ROCK FESTIVALに出演し、伝説のバンド、ニュー・オーダーは完全復活を遂げた。

イアンの死から20年。ニュー・オーダーは二つのディケイドを股にかけ、新たな歴史を刻み始める。


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