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荒川バンド創世記秘話(その2)
という事で、治ちゃんとの出会いについて紹介したい。
1989年ストーンズ・ファンとしては夢のようなニュースが飛び込んできた。
この年ニューアルバム「スティール・ウィールズ」が店頭に並び、
その夏からフィラデルフィアのベテランズ・スタジアムを皮切りに、全米30箇所を回るツアーが開始され、
その後ワールド・ツアーに出かけ、何と日本でもコンサートが行われると言う物だった。
12月21日つけのスポーツ紙では
12月20日に1990年の2月14日から27日に9コンサートが東京ドームで行われると言う発表があった事、
入国ビザを法務省で審査中で本当に来日するのか一抹の不安があることなどが報道されていた。
当時、研也は会社の厳命によりヒューストン勤務をしており、ヒューストンも公演地の一つとなっており、
我愚妹も友達とお邪魔し楽しんできたということもあった。
このような世の中ストーンズ一色の雰囲気のなかで、治ちゃんとの衝撃的出会いがあった。
その前からそんな人いるなと言う程度だったある日、
某大沼氏より、ストーンズファンがいて、彼もコンサートに行くらしいとの情報を仕入れ、
まだ一言も話した事の無い彼のところへ即飛んで行き
「荒川と言います。ところでストーンズ好きなんすか?」と声をかけたのでした
(「んっ、これってなんかナンパ?」と自問自答したのを覚えています)。
それがオサム・伊藤だったのです。
それからすぐに嫌がるオサム氏を引っ張り居酒屋に行き音楽談義に(勝手に)花を咲かした所、
当時聞いていたアフリカ系ポップスや民族系音楽等音楽趣味が共通している事が判明し、
ますます荒川はオサム氏にのめりこんでいきました。
その中でストーンズに対する熱い心、またバンド経験者(現真っ黒けボックスの一員)との事を知るにつけ
「研也が日本に帰ってきたら何か面白い事ができそうだ。
絶対二人を引き合わせるぞ」と言う気持ちが強くなり、
その後研也帰国と同時に紹介しバンドをやろうと言う事になり、「荒川バンド」が誕生したのでした。
さて、バンドをやるにもドラム(当時治ちゃんはドラマーだった(今も))と
ギター小僧と宴会係だけでは何も出来るはずもなく、
他のメンバーに対するナンパ大作戦が展開するわけだが、
この間のことについては10分ほどの休憩を入れてから再び述べる事としたい。
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