1992年の暮れ、4ヶ月のHouston出張から帰った俺はKenya達がバンドを立ち上げて、ホームグラウンド(現アジア共和国)で初のライブをやったと聞いた。 聞けばRock’n Roll をやるらしい。Rock’n Rollから離れて久しい俺は面白い話だとは思いながらも、自分がその流れの中に転がり始めるとは、考えもしなかった。
それは、1993年の秋のことだったろうか。ロドリゲス荒川がやってきてKenyaがバンドのベーシストを探しているという。一度様子を見てみるのも悪くないなと、練習を見に行くことにした。とはいうものの、実はベースと言う楽器にはさわったことがない。まあ、ギターより弦が少ないし何とかなるだろう、となめた話だった。調弦も漠然と4弦だからバイオリンと同じCGCGかなとか、いいかげんなものである。
場所は、新宿のStudio KEYだった。薄暗い陰気な場所だと思った。田舎者だからスタジオなんてところには入ったことがない。ああいうところは不良が入ってシンナーとかを吸うところだと思っていたふしがある。
平日の会社帰りで、メンバーは確かギターにKenya, 伊藤、ドラムに一丸だったと思う。曲はStonesのHonky Tonk Womenとか、ClaptonのCocaineとかをやっていた。正直言って何十年ぶりに聞いたという感じだった。俺がこの類の音楽を一生懸命聞いていたのは中学校のそれも前半の方だ。Zeppelin IVがReal Timeで、家にはBlack Dogのシングル盤が残っている。Beatlesは既に解散し、John LennonがImagineを出し、StonesはTumblin’ Diceを歌っていた。その頃の中学生はBeatles派とStones派に真っ二つに分かれていた。
さて、しばらく聞いていると確かにベーシストはいないのだが、ボーカルもいない。たまにKenyaが歌ったりしているが、それほどうまいわけでもない。聞けば、ボーカルもいないのだと言う。まあ、せっかく来たんだし、ということでCocaineなんかを歌ってみる。ふーん、捨てたもんじゃないな。ロドリゲス荒川が意外そうな顔で俺を見ている。そりゃあ無理はないだろう。会社の宴会では無類のカラオケ好きで十八番は、「霧にむせぶ夜」なんだからな。
その後、どうしたのかあまり覚えていない。ホームグラウンドに飲みに行ったのかもしれない。しかし、いずれこの時にボーカルとしてエントリーされたのは間違いない。
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