チェリー [戻る]

夏休みに、実家に帰省した時、幼なじみのマリを見かけた。
8年という歳月が、一気に埋まっていくのを感じた。

僕とマリは、隣同士の家に生まれ、一緒に育ち、まるで当然のことのように付き合い始めた。
つまらないと言えば、つまらない恋だったけれど、マリといるのは楽しかったし、
彼女もそうだったのだと思う。
僕は二人でいる時間が、とてもいとおしいものに思えていた。
マリの、ちょっと太めだけれど形のいい足とか、寝ぐせのつきやすい柔らかい髪とか、写真を
撮られるのを嫌がって逃げる時のしぐさだとか、そういうひとつひとつのカケラが、マリから
溢れる生命力のオーラが、僕は好きだった。マリのことが好きだった。

ところが、マリと過ごす18回目の冬。僕は苛立っていた。
芸大の入試に全て失敗して、春から浪人生活をすることになったのだ。
「来年、もういちどがんばればいいじゃない。絶対受かるって」
そう言ってなぐさめてくれるマリは、地元の短大に入学が決まっていた。
「芸大って倍率高いんだし、しょうがないって」
今ならわかる。あの時はマリなりに、コトバを選んで話してくれていたのだ。
だけど、ガキだった僕は、自分だけが不幸なんだと思いこんでいた。
大学生になれるマリが、うらやましくてしかたなかった。

僕は、大学で写真を勉強したかった。
もともとは、子供の頃から、写真を撮られるのが嫌いなマリを、からかうためのカメラだった。
しかし、一度、ファインダー越しに見た彼女が、まるでマリア様の様に神々しく、美しく見えてから、
病み付きになった。
レンズを向けた世界が、鮮やかになっていくのを感じた。
カメラマンになりたい、とか明確な夢があるわけではなかったけれど、もっと勉強すれば、
自分のやりたいことの方向性とか、沿革が見えてくる気がした。
別に、大学でなくてもよかったのだけど、「潰しがきくから」と担任に薦められて、芸大を志望した。
一週間、泣いて、考えて、迷って、結論が出た。
「潰しがきかない人生だっていいじゃないか。」
若いうちの1年間を無駄に過ごすくらいなら、どんな人生だって受け入れてやる。
その間、マリからは何度も電話があった。
マリのつぶやく「愛してる」というコトバが、僕を強くするのと同時に、このままじゃいけないと思い
はじめさせていた。
マリといるのは、とても居心地がいいし、安心する。
だけど、このまま、こんな視野の狭い生きかたをしていていいのだろうか?
僕は、東京の専門学校に行くことに決めた。
春から、新しい生活が始まる。
引越しの当日、駅まで見送りに来たマリに、前の晩に書いた手紙を渡した。
18年間の思いをコトバにするのは、むずかしくて、書き終えたら、とてもシンプルな手紙になった。
「いままでありがとう」と「さようなら」
それ以来、マリとはちゃんと会っていない。
実家に帰ったときも、極力、マリのうちに近い玄関からは出入りしないようにしていた。
2年後の冬、母の口から、マリが結婚したというのを聞いた。
「できちゃった婚らしいけど、マリちゃんが幸せそうでよかったわー」と、母は笑っていた。
僕はというと、専門学校に行っても、あまりいいものが撮れず腐っていた。
学生最後のコンクールで、だめもとで送った、高校生の時のマリを写した写真がグランプリを取り、
それがカメラマンの先生の目にとまり、助手として雇ってもらうことになった。
そして今に至る。
名前こそ知られていないが、今では、いろんな雑誌で使ってもらうことが多くなった。

そして、やっと取れた遅い夏休み。
実家の前の道で、マリを見かけた。
幼稚園生くらいの女の子と一緒に、歩いている。
彼女の子供なのだろう。
僕は、そんな光景を見て、涙が溢れるのを止める事ができなかった。
女の子に笑いかけるマリ。
スーパーの袋を持っている。きっと買い物帰りなのだろう。
マリは、ちょっと背が伸びて、きれいなおかあさんになっていた。
玄関から、男が出てきて、マリの持っている買い物袋を受け取る。
マリが「ありがとう」と言って微笑む。

僕はマリのことが本当に好きだった。
子供なりに真剣に好きでいた。そして、ずっと支えられてきた。
あの時は、別れるしかないような気がした。
だけど、ほんのちょっと僕が大人だったなら、マリのすべてを受け入れる事ができたなら、
なにかが変わっていただろうか?
あそこで、マリの荷物を受け取るのは僕だっただろうか?
そんな、思っても仕方ない事を考えていた時、不意にナナに話しかけられた。
「宗太くん」
僕の下げている大玉スイカを触りながら言う。
「おかあさん、スイカ好きだったかなぁ?やっぱりメロンの方がよかったかも」
「…うちのかあさんは、スイカに塩をかけて食べるのが大好きなんだ」
鼻が詰まった声で言うと、ナナは驚いた声を出した。丸い目をもっと丸くしている。
「泣いてるの?」
そう言って、顔を覗きこむ。
「虫が目に入っただけ」
鼻をすすりながら言うと、彼女は「大丈夫?」と言ってハンカチを渡してくれた。
「もう、夏も終わりだねー」
「うん」
そう、うなずきながらも、僕はマリが家の中に入っていくのを確認せずにはいられなかった。
「来年の夏に帰ってくる時には、3人家族になってるね」
「うん。帰ったらちゃんと報告しないとね」
バタンとドアの閉まる音がした。
いつか、あのドアを開けて、マリに会いに行くことができるだろうか?
その時も、彼女は幸せそうに微笑んでくれるだろうか?
もしそうなら、僕は嬉しい。それを励みに生きていける気がする。
きっと、想像した以上に騒がしい未来が、僕を待ってる。