ナナへの気持ち [戻る]

「…今日もいた。」
僕は、いつのまにか彼女の姿を見つけるのが日課になっていた。
深夜のファミレス。駅の近くにあることもあってか、こんな時間でも客は多い。
僕は、仕事で煮詰まった時の気分転換にここにくることが多いが、彼女は、ただぼーっと考えごとをしに来ているようだった。
いつも、オレンジジュース一杯で、明け方まで粘っていた。
最初は、こんな時間に女の子が一人でいるのは、めずらしいと思いながらも別に気にも止めなかった。
僕もよくやる手なので、「始発待ちだろう」と、勝手に思っていた。
しかし、彼女が待っていたのは、電車なんかじゃなかったことを知ったのは、季節が秋から冬に変わり、空が高くなり始めた頃だった。


その日も、彼女はオレンジジュースを飲んでいた。
彼女を見たのは、これで一体、何回目だろう?
ここの店に来て、彼女を探せずにいたことは、ほんの2、3度しかない気がする。
今日、案内されたのは偶然にも彼女の隣のテーブルだった。
こんなに近くの席になったのは始めてだ。
いつも、僕が頼むのはアイスカフェオレと決まっていたが、今日は、メニューを選ぶふりをしながら、横目で彼女の観察を始めた。
仕事柄、そういうのがくせになってしまった。
高校を卒業したくらいの子だろうか?
茶色い髪を肩くらいまで伸ばした、とくに美人ではないけれど、可愛い顔をした子だった。
ニットの上に、薄手のカーディガンを羽織っている。
その時、不意に彼女がこっちを向いたことに気付いた。
「あの、よくここ来てますよね?」
彼女は、僕をじっと見るとそう言った。
「あ、はい」
そう答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「やっぱり。いつもアイスカフェオレ頼む人だなって思ってたんです。」
「君こそ、なんでいつもオレンジジュースなんだろうって思ってたよ。」
そう言って、お互いなんだか笑った。
「なんか、ビタミン多そうだし、体にいいかなぁって思って」
彼女はそう答えると、ジュースをストローでかき混ぜた。
「あなたはなんでカフェオレなの?」
氷がカチャカチャとぶつかる音が聞こえる。
「去年、胃に穴を開けたんだよね。だからコーヒーよりいいかなぁって」
僕の返答を聞いて、彼女はまた笑った。
「長生きできなそうですよね、私たち。あ、ごめんなさい。」
その後、僕たちは、なぜか健康について明け方まで話しこんでしまった。
夕方になると、目の下にクマができるよね。とか、駅の階段を昇ると息が切れるとか。
彼女との話は尽きなかったし、さっき、知り合ったばかりとは思えないくらい楽しかった。
空が白み始めて、いよいよ店を出ようという時に、彼女は「ナナ、20歳、フリーター」と自己紹介をした。
僕が紹介代わりに名詞を渡すと、彼女は驚いた顔で言った。
「フォトグラファー?写真撮ってるの?」
「うん」
煙草に火を付けながら頷く。
「まだアシスタントみたいなもんだけどね」
「すごーい。かっこいいなぁ…いいなぁ」彼女が大袈裟に驚いて見せるので、僕は恥ずかしくなった。
「ぜんぜんすごくないって。肉体労働だもん、ほとんど。胃に穴は開くし」
「宗太君かぁ…」
名詞と、僕の顔とをまじまじと見比べながら言う。
「また会ったら、話しかけてもいい?」
「うん。楽しかった。駅まで送るよ」
そう言って、駅に向かって歩こうとした時、彼女は反対側に歩き出し、
「ううん。送ってくれなくても大丈夫。ばいばい」
と大きく手を振って行ってしまった。
僕は、一人取り残されて、呆然と彼女とした会話を思い出そうとしていた。
しかし、本当に他愛の無い会話だったため、あまり記憶に残っていなかった。
「変わった子だなぁ」
それが、ナナと始めて話したときの印象だった。



雨の夜



ナナと僕が決定的に仲良くなったのは、それからしばらくしてからだった。
あの夜以来、ナナとは、店で顔を合わせると話をするようになった。
彼女とは、いつも店先で別れる。
ナナは、自分のことをあまり深くまで、話そうとはしなかった。
僕も、そんなに詮索しようとは思っていなかったので、多くは聞かないようにしていた。
聞いたら、いなくなってしまうんじゃないか?そんなことを考えることも度々あった。
ナナは、頭のいい子で、話していて楽しかった。
かわいい感じの外見とは違って、時々、不意に際どい意見を言ったりすることもある。
そんな、少しクールなところも彼女の魅力だった。
僕は、だんだん彼女に引かれ始めている自分を感じていた。

どんよりした雲が空一面を覆っていた、冬の夜。
二人の距離を変える、ある事件が起きた。
その日は、ナナと初めて話してから一ヶ月目だった。
僕らは、彼女の発案で「友達一ヶ月記念日」を祝うことになり、いつものファミレスで待ち合わせていた。
ところが、約束の時間をとっくに過ぎて、アイスカフェオレを、もう一度オーダーしても彼女は姿を見せなかった。
約束の時間を、二時間過ぎたところで、気付いた。
僕は、彼女の住所も、電話番号も知らなかった。なんだか、落ち込みかけた。
ひどい脱力感だ。
いくら、自分から聞こうとしなかったとはいえ、僕は、あまりにもナナのことを知らなかった。
電話ひとつできやしない。
つながらない携帯電話をうらめしく思い、コートのポケットに突っ込むと、僕は店を出た。
外は、いつのまにか雨になっていた。最悪だ。
アパートまでは、走れば五分で着く。
しかし、僕は走り出せずにいた。
ナナがいた。
店の外壁に寄りかかるようにして、びしょ濡れのナナが立っていた。
「宗太くん・・・」
ナナは僕を見つけると、駆け寄ってきた。
「なんでこんなところにいるの?こんなに濡れちゃって…」
そう、声を掛けると、彼女は、その大きな瞳に涙を浮かべた。
不意に彼女が、僕に自分の体を押し付けて泣きじゃくり始めた。
「ナナちゃん?」
僕は、突然のことに驚いて、ひとまず、彼女を雨の当たらない軒先に連れて行った。
「どうしたの?何があった?」
膝を曲げて、同じ目線の高さで話を聞いてやると、ナナは泣きながら、少しずつ言葉を吐き出し始めた。
「…ゴミ袋が…動いたの」
そう話す彼女が、一体何を言いたいのか、よくわからなかった。
そこで、僕は初めて彼女が持っている、スーパーの袋に気が付いた。
「もしかして、これ?」
そうたずねると、彼女は小さく頷いた。
「ゴミ捨て場で・・・私、なんだろうと思って…開けてみたの…そしたら」
「中、見てもいい?」
なんだか嫌な感じがした。もしかして、という予感があった。
袋を開けて見ると、中にはタオルに包まった、子犬がいた。
やっぱり、と思った。
「・・・死んでるの?」
その、まだ目も開いていない子犬を見ながら、聞いた。
「最初は・・・まだ生きてたの・・・。病院、連れてかなきゃと思って、そしたらいつのまにか・・・」
彼女は、真っ赤な目で答えた。
「なんでかなぁ・・・」
彼女は、僕の腕をつかむと、また泣き始めた。
「なんでこんなことするのかなぁ・・・」
そう言って、泣きじゃくる彼女の肩を、僕は、たまらず抱きしめた。
服が濡れていくのも、人から見られるのも、かまわなかった。
彼女の前髪からこぼれ落ちる雨のしずくが、僕の頬を優しく撫でた。
「明日、晴れたらお墓作ってあげよう」
僕の腕の中で、ナナが小さく頷いた。




回る世界




泣き止まないナナをひとまず、僕のアパートに連れて行くことにした。
ナナは、始め恐縮していたが、「そのままじゃ風邪ひくよ」と言うと、黙ってついて来た。
手をつないでアパートまでの道を歩く。
僕たちはびしょぬれで、冬の雨は冷たかったけれど、つないだ手は暖かかった。

部屋に入り、僕はナナにシャワーを薦めた。
アパートに暖房器具がなかったので、てっとり早く体を温めるためだ。
ナナがシャワーを浴びている間に、簡単な食事を作ることにして、キッチンに立った。
スパゲティーとミートソースの缶があったので、それを作ることにした。
鍋をコンロにかけた時、バスルームからナナの呼ぶ声がした。
「お湯の出し方がわかんないんだけど、教えてくれる?」
僕は、ちょっと驚いてしまったが、ナナが、
「まだ服着てるから大丈夫」
と言うので、中に入ってシャワーの使い方を教えることにした。
僕がシャワーの蛇口を捻ると、勢いよくお湯が飛び出して、ナナの頭の上 から降り注いだ。
「ごめん!」
慌てて蛇口を閉めようとすると、お湯をかぶったナナは、頭を振って水を飛ばして、
「今日は濡れてばっかり」
と言って、小さく笑った。ナナの笑顔が嬉しかった。
「今日は、初めて笑ってくれたね。」
そう言うとナナは、腫らした目で僕を見た。
「今日はありがとう。迷惑かけちゃってごめんなさい。」
出しっぱなしのシャワーから流れるお湯が、ナナの体を濡らしていった。
「宗太くんが来てくれて、嬉しかった。」
湯気の中で、彼女は泣いていた。
「あの子と、自分を重ねて見てたの。私もひとりぼっちで、いらない子なのかなあって」
ナナの瞳から零れ落ちる涙を、
「そしたら、宗太くんが来てくれたの。」
そう言って泣く彼女を、好きだなぁと思った。
「宗太くんは、そんなつもりじゃなかったかもしれないけど、私は死ぬほど嬉しかった。」
無理に笑顔を作ろうとするナナを抱きしめて、キスをした。
彼女のバラ色の唇に、自分のを重ねる。
ナナは、驚いていたけれど、やがて、そっと目を閉じた。
暖かいお湯が、僕たちの体の上から、まるで晴れた日の霧雨のように、優しく降り注いでいた。


「もしよかったらだけど。」
ミートソーススパゲティーを食べながら、僕はナナに話を切り出した。
「ここで暮らさないか?」
ナナは、すごく驚いたようで、フォークを持ったまま固まっていた。
何だか、大変なことを言ってしまったような気がするけれど、帰り道からずっと考えていたことだ。
ナナに、帰る家が無いらしいことには、少し前から気付いていた。
いつもいつも、帰る方角が違うから、大方、友達の家を転々としているんだろう。
「ほんとにいいの?迷惑じゃない?」
ナナは何だか困ったように言った。
「料理とか、できたりする?」
スパゲティーを指差して言うと、
「味は保証できないけど、一応…。」
と、困惑した表情のまま、ナナは言った。
「じゃあ、ここに住んで家事とかやってくれると助かるなぁ。よければの話だけど。」
たまに休みがあっても、家事でつぶれちゃうんだよね。そう言って笑うと、ナナは、
「そんな簡単に決めちゃっていいの?」
と、戸惑っていた。
「話したいところまででいいよ。ちょっとだけ。君に興味があるんだ。」
「芸術家らしい理由」
ナナは、一瞬ためらったようだったけれど、言葉を選びながら、 少しずつ話し始めた。