ロビンソン [戻る]

夏が終わったら、私たちは、はなればなれになります。

私の住む町には、海へ流れ出る大きな川があって、そこの河原が、私たちの秘密の密会場所でした。
海に一番近い橋のたもとで、私はいつも陽を待っていました。
夕焼けが、海に沈むオレンジの頃。
陽は、海岸沿いをまっすぐ続く道路の向こうからやってきます。

私と、弟の陽は、双子の姉弟です。
3ヶ月前から、別々に暮らしていますが、それまでは15年間、離れたことなんかなかった。
両親の離婚で、私は母に、陽は父についていくことになって、私と母は、住みなれた家を出ました。
今は、もとの家の近所にアパートを借りて生活しています。
離婚が決まった時、両親や、親戚の人たちが、「月子ちゃんと陽くんを引き離すのはかわいそうだ」と話しているのを何度も耳にしました。
私たちも、そりゃあ最初は本当に嫌で、何度も離婚をやめるように両親を説得したこともあったけれど、いつの頃からか、まわりをあきらめのムードが漂うようになり、私と陽は、あみだクジで、どっちについていくかを決めました。
そうでもしないと、どちらかを選ぶなんて、できなかったから。
私たちが、もっと子供だったら。私たちが、もっと大人だったら。
選ぶ道は違っていたかもしれません。
でも、私たちは、泣きわめいて離婚を思いとどまらせられる程、子供じゃなくて、両親の離婚を、現実としてしっかり受けとめられる程、大人じゃなかった。


家を出たと言っても、陽とは同じ学校なので、会おうと思えばいつでも会えたし、陽の部活が終わるのを待てば、一緒に帰ることもできました。
だけど、もう、そういう些細な接点も無くなってしまうことになりました。
私は、夏休みが終わったら、住みなれた、この海辺の町を出て、母の実家のある、埼玉に引っ越すことになりました。
陽といられるのも、もうあとわずかです。

夏休み、私は受験生だと言うのに家でごろごろしてばかりいましたが、陽は毎日、トランペットを吹きに学校へ
通っていました。
夕方、陽が帰ってくる時間を見計らって、あの橋のたもとに行くのだけが楽しみでした。
母も、陽の様子を聞けるのが嬉しかったみたいだし、父の方もそうでしょう。
私たちは、遅く帰っても怒られない生活に味をしめて、遅くまで花火をしたり、友達の家で遊んだりしていました。

一度、夕方の海で、陽がトランペットを演奏してくれたことがあります。
コラールの「主よ 人の望みの喜びよ」
うちの母は、この曲が大好きで、よくレコードをかけていました。
「胎教にいいと思って、あんたたちは毎日、この曲を聴いて育ったんだから」
と言う母と、クラシックが嫌いな父と、私と陽と。何度も何度も来たことのあるこの浜辺で。
陽の吹くトランペットの音は、オレンジ色の空と海との間に、きれいに溶け込んでいきました。
こんな光景を見ることも、陽の、銀色に光るトランペットを見ることも、もう無いんだなぁと思うと、少し悲しくなりました。
だけど、海へ流れ込んでいく川の流れも、通っていた小学校までの道も、思い出にしなくてはいけません。
来月には、私の周りから無くなっていくものは、さっさと思い出にしておかないと、懐かしくて、ちょっと考えただけでも、
懐かしすぎて、帰りたくなってしまうかもしれないから。

向日葵の背が、ぐんと伸びて、私は、夏が終わっていくのを感じました。

今日は、陽と一緒にいられる最後の日です。
陽は、あんなに熱心な部活を休んで、一日、私に付き合ってくれると言いました。
だけど、私の思い出めぐりは、もうとっくに終わっていて、しょうがないので、いつもの橋の欄干のところに、二人で座って海を見ていました。まだ、陽射しの高い、暑い時間でした。
片方ずつした、MDのイヤホンからは、流行りの、夏の歌が流れていました。
私は、陽に話したいことも、聞きたいこともたくさんあるのに、ひとつも言葉にできないでいました。陽も、きっとそうだったのだと思います。
私たちは、どちらともなく手をつないで、海岸沿いを歩き始めました。
二人とも無言で、ただ、雲が流れていくのを感じながら歩きました。
30分ほど歩いた時、私たちは、見覚えのある風景に出くわして、足を止めました。
岸壁に、ぽっかりと開いている洞窟。
満潮になると、海に沈むそこは、地元の子供たちの絶好の遊び場でした。
自転車で来るのにも、ちょうどいい距離だし、私と陽も、母が止めるのも聞かずに、夏の間中、近所の友達と遊びに来ていました。
「入ってみようか?」と、陽がまるで、小さな頃に戻ったみたいに言ったので、二人で入ってみることにしました。
思い出の中にあるよりも、洞窟の中は狭くて、二人でしゃがみ込むと、ちょっと窮屈な程でした。
二人で、取り止めのない話をして、笑って、でも時々、時計を見ては無言になっていました。
洞窟の中は、少し涼しくて、つないだ手の温もりが、暖かかった。
ぎゅっと、強く握ると、陽の脈が波打つのを、感じることができました。
もっと、近くで鼓動を聞きたくて、胸に持たれかかると、心音が早くなるのがわかりました。
15年間、こうして、近くに感じていた陽は、もう明日から側にいないのです。
自分の目から、あったかい涙が流れるのがわかりました。
「陽ちゃんと、はなればなれになりたくない。」
私は、彼に抱きつくと、子供みたいに声をあげて泣きました。
声は、洞窟の奥まで響いて、消えました。
「いや。ひとりになるなんていや」
陽は、泣き止まない私の頬に、痛いくらいの頬擦りを繰り返していました。
ここが、楽園への入り口だったらいいのに。
陽と二人で、ずっとずっと楽しく暮らせる、二人だけの国。
そんなところで暮らせたら、幸せなのに。
だけど、私たちは、そんなところが無いことを知ってる。
現実の中で、もがきながらも、一生懸命生きなきゃいけないことを知ってる。
薄目を開けて、陽を見ると、彼は目を真っ赤にして泣いていました。
陽の涙を見るのはいつ以来だろう?私はぼんやりした頭で考えていました。
突然、激しい雨が降ってきて、空が真っ暗になっていたことに気付きました。
夕立の、雨音をバックに、私と陽は、暗闇の中でキスをしました。
初めてのキスは、潮風のにおいがして、ほんのちょっとだけ、「サヨナラ」の味がして、また涙が出てきました。
「月子のことが、生まれた時から好きだったよ」
耳元で、陽がそう言ったのを聞いたような気がしました。
どれくらい時間がたったかわかりませんでした。
激しい雨に、洞窟から出られずにいると、海面の推移が上がっているのに気が付きました。
「今日は、新月だから、大潮なんだ」
そういえば、昨日の月は、とても細い三日月でした。
洞窟は一段高いところにあったので、気が付かなかったけれど、慌てて外に出ると、もう、水が腰のあたりまで
きていました。
なんだか怖くなって、陽にしがみ付くと、陽は、しっかりした声で言いました。
「大丈夫だから。海岸まで走るから、ついてきて」
陽に引かれて走っている途中で、だんだん、波が高くなっているのに気付きました。
その時、私は、不意にあった深みにはまって、水の中に倒れこみました。
「なにやってんの」
そう言って、陽が、私を抱き起こそうとした時、その瞬間でした。
何が起こったかわかりませんでした。
突然の大波に誘われて、水の中に飲みこまれて、もがいたところを、陽がつかんで引き上げてくれたような気が
しました。

気が付くと、私は、自分の家にいました。
見覚えのある、天井のシミや、黄色いカーテン。
ここは、昔の私の家でした。
横を見ると、なんだか懐かしい顔をした男の子が、私の顔を覗きこんでいました。
小さい頃の、陽でした。
「月子」
まだ、声変わりする前の陽の声で、彼は、私の名前を呼びました。
「離れていても、月子が泣いてたら、僕にはわかるよ」
「そしたら、すぐに側に行くから。だから安心していいよ」
私は、小さな陽を、そっと抱きしめました。
すると、どこか遠いところから、私を呼ぶ声がしました。

「月子」
陽の声で目がさめると、目と、のどが痛くて驚きました。
びしょ濡れの体を、やっとの思い出起こして、周りを見まわすと、あの橋の上でした。
「よかった。」
陽が、そう言って、私の肩に持たれかかりました。
「陽が、助けてくれたのね」
空には、さっきの黒雲は消えて、きれいなブルーのグラデーションがかかっていました。
「夢中で、泳いだだけ。無事でよかった」
「ありがとう」
陽の耳元で小さくつぶやくと、彼は、うつむいたまま言いました。
「さっき、ちっちゃい頃の月子に会ったよ」
彼は、その、不思議な話を、ぼんやりした顔で話してくれました。
私を抱えて海岸までたどりついて、ほっとしていたら、とたんに、小さな女の子に話しか
けられたのだと言い、
「その子が、言うんだよ。「離れていても、ずっと一緒にいるから」って。」
私は、たまらず彼を抱きしめました。
こんなきれいな奇跡があっていいのかな。
波の音を聞きながら、陽の体温を感じながら、そう思いました。

私たちは、きっと遠い町で、別々に大人になっていくのでしょう。
互いに大切な人ができて、忘れていってしまうこともあるかもしれないけど、でも、一緒に
生きた時間を大切に、これからは、一人でも生きていかなきゃ。
別々の家に向かって歩き始めると、空に、大きな花火が咲くのが見えました。
夏の終わりが寂しいのは、花火があるからかもしれないなと思いました。