|
1989年より黒澤健一・秀樹兄弟を中心として活動していたバンドが解散後、1991年に新たにL⇔Rを結成し、ベーシストとして木下裕晴が加入し3人編成のバンドとなる。同年11月にミニアルバム"L"を5000枚限定でリリース、さらに12月にはプロモーションCDとして1000枚限定のモノラル録音"R"をリリースする。1992年の4月にそれまでコーラスでレコーディングに参加していた嶺川貴子が正式メンバーとして加入し、L⇔Rは4人編成のバンドとなり初のフルアルバム"Lefty
in the Right−左利きの真実−"をリリースする。同年5月には1stシングルとして両A面の"Lazy girl / Bye bye
popsicle〜一度だけのNo.1"をリリースし、"Lazy girl"はCFソング、"Bye bye
popsicle"はFM802のヘビーローテーションに選ばれる。 1992年9月には2ndシングル"(I wanna) Be with
You"を、11月には2ndアルバム"Lough
+ Rough"をリリースする。1993年の2月にはファーストライブツアー"Back to
MONO"を福岡、大阪、名古屋、東京で行う。同年6月には初期のレアトラックを収録した3rdアルバム"Lost
Rarities"をリリースし、3rdシングル"Tumbling
Down"はアサヒビールのCFソングに選ばれる。7月から8月にかけてライブツアー"Back to MONO 2"を名古屋、大阪、東京で行う。
12月に入ると、4thシングル"君と夏と僕のブルージーン"、4thアルバム"Land
of Riches "をリリースし、20日から25日にかけて"Back to MONO
3"と題して渋谷パルコ劇場で5日間のライブを行う。1994年1月に嶺川貴子がソロ活動のためにバンドを脱退し、以前の3人のメンバー編成に戻る。その後、3月より全国7会場での"Equinox"ツアーを開始する。ツアー終了前後でそれまで所属していたポリスターレコードからポニーキャニオンへ移籍
し、7月に移籍第一弾シングルとして"Remember"をリリース、さらに映画"四姉妹物語"の主題歌として"Hello,
It's Me"、10月にはこれらを収録した5thアルバム"Lack
of Reason"をリリースする。"Hello, It's
Me"はじわじわと売れ続けL⇔R初のメジャーヒットとなった。また、同年11月より全国10会場での"Lack of
Reason"ツアー、そして1995年1月には"Lack of Reason
-Return"ツアーを敢行する。その間に、ポリスターレコードより移籍前のシングル及びアルバム曲をコンパイルしたベスト盤"Singles
& More"がリリースされる。
1995年の4月にはドラマ"僕らに愛を!"の主題歌となったシングル"Knockin' on Your
Door"が初登場で1位にランクされ、ミリオンセラーとなった。さらに、7月に"Bye"、11月に"Day by
day"とシングルをコンスタントにリリースし、12月には6thアルバム"Let
me Roll it!"を発表する。このアルバムはゴールドディスクに輝き、アルバム中に収録された"Game"が1月にシングルカットされ
る。1996年はライブツアー"Let
me Roll it!"ツアー及び追加公演の"Let me Roll it
-Surplus-"で始まった。追加公演は大阪では大阪城ホール、東京では武道館で行われた。その後、キリンビールのCFソングをリメイクして"Nice to
Meet You"をマキシシングルとして発表、またこれまでのプロモーションビデオを納めた"PV"を発表した。
同年12月に発売される予定だったニューアルバムのレコーディングが突然中断されたと発表されたのは黒澤健一がパーソナリティを務めていた"ミュージックガンボ"の番組中だった。理由は、「自分の音楽がいいかどうかの判断ができなくなっている。このまま続けるのはとても不安だ」というものだった。しかし、11月には再びスタジオに入り、ニューアルバムのレコーディングが開始された。アルバムのコンセプトは"Doubt"でだった。アルバムコンセプト、バンドの置かれている状況、どれを取ってみても混沌とした状態だった。「いい音楽であるかどうかが分からなくなっている」この言葉が当時L⇔Rが置かれていた状況を明確に物語っている。周りの状況と自分たちの状況との間に次第にずれが生じてきて、それにメンバーが苦しんでいたのは明らかだった。
こうした中で、1997年2月にはシングル"アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック"をリリース。これまでにない、攻撃的なサウンドと自分の心情を吐き捨てるように歌ったボーカルが印象的なこの曲はヒットさえしなかったものの、非常にcoolなシングルだった。さらに、3月にはシングル"Stand"をリリース。"アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック"とは全く異なるサウンドで、しかし"いつも通りにここで待っていよう"とこれもまた現在の自分の心境を語ったような歌詞が印象的
な作品だった。そして、1年4ヶ月のインターバルを取ってニューアルバム"Doubt"がリリースされ、アルバムサポートのライブツアーを行った。その後、コンピレーションアルバム"L
+ R"、ライブアルバム"Live
Recordings 1994-1997"をリリースし、同年12月には2枚目のベスト盤"Singles
& More 2"をリリースした。
1998年に入ると予定通り各メンバーはソロ活動を開始した。黒沢健一はいち早く6月にシングル"Wondering"、8月にマキシシングルの"Rock'n
Roll"をリリースした。さらには、これらの曲を収録したファーストソロアルバム"First
"を9月にリリースした。黒沢秀樹は他のアーティストに曲を提供する一方で、自分のソロアルバムのレコーディングを行い、1999年4月に1stソロアルバム"Believe"をリリースした。その後、Howのメンバーとしてレコーディング、ライブをコンスタントに行っている。また、木下裕晴はPuffyのツアーにサポート
として参加する一方で、ソロアルバムの制作を行い、黒沢秀樹と同じく1999年4月にソロプロジェクトUse名義で、"Use Your Neighbor's
Entertainer"をリリースした。
黒沢健一は他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースを行う一方、自身のシングルもリリースし、2001年3月にはソロ2ndアルバム"[B]"をリリースし、クラブ規模のツアーを行った。さらに、11月にはニューシングルのリリース、年末には再びクラブツアーの予定が入っている。
|