『あの頃の彼なら私が殺しました』 著者.山本有希子
静まりかえった部屋 窓辺に置かれた青い椅子
今日も彼は何かに怯え うつむいたままその場を動かない。
鈴木咲季と同居して3年になる彼の名前は杉崎充
彼と出会ったのはそもそも高校を卒業する少し前だった。
同じ夢を追いかけていた彼は、たまたま咲季と同じ専門学校を選んでいた。
咲季と充は同じ高校でありながらも、お互いコトバを交わしたことなどなく
卒業してからの1週間、トモダチとの飲み会に明け暮れていた2人は
偶然にも共通のトモダチが出来ていて、同じ飲み会に参加するようになっていた。
何度も飲み会で会う内にお互い進路の相談をしあうほどの仲になった2人は、
東京に上京する時も同じ日に合わせ、偶然に偶然が重なり借りたアパートも
たいして遠い距離ではなかった。そのため、上京してすぐは入学しても
一緒に帰ったり、時には片方の家に泊まることも少なくはなかった。
こんな関係が続くうちに咲季にとって充は自然と友達から心の支えへと変わっていた。
そんなある日、咲季はいつものように充との会話を楽しんでいると、
いつもにない表情で
「付き合っちゃおうよ。」
精一杯のキモチを冗談ぽく伝え、充の返事がOKであることを祈った。
-------返事は即答だった。-------
「俺等ならうまくやってけるよな。」
笑顔を交わした2人はそれからまもなく同棲することを選び
交通には不便だが安くてちょうどいい部屋へと移り暮らしたのだった。
時が経つにつれ着々と2人は、恋人でありながらも同じ夢を持つライバル同士
専門学校も卒業し就職が決まった。
学校生活はお互いコースが一緒だったこともあって
ほぼ同じことをし、仲間にめぐまれ、ケンカすることもあったが
一つ屋根の下暮らすモノ2人にとっては休憩のようなものに過ぎなかった。
結局、別々の会社に入社すると一緒にいられる時間は限られるようになってきた。
咲季にとってこの仕事は生き甲斐であり大人になっていくことの
唯一の目標であったため離れた時間も苦痛ではなかった。
勿論、家に帰れば同じ寝室で愛を交わすこともあるのだから・・・
しかし、待っていた現実は甘くはなく会社が忙しくなると家に帰れないことも増えた。
優しい言葉をかけあう時間も減り、メールや電話だけが連絡手段となって
充の会社とは咲季の会社は明らかに差が見えだした。
咲季は、上司に恵まれ自分の提案が採用されることも多く活き活きと充実した毎日を過ごした。
充はというと、なかなか自分を認めてもらえることができずに悩んでばかりいたのだった。
独りで歩く帰り道 呆然と空を見上げ呟いた。
「あの頃は咲季がいつも傍にいてくれたのに・・・。」
会社での仕事もうまくいかず苛立ちをぶつけるところもなく
愚痴をいいだせば情けなくなりカーテンで締め切られた暗い部屋に
荷物をおろすとため息をこぼし、咲季の帰りを待っていた。
疲れていたためか、気づいたらすっかり明るくなった窓の外
咲季はその日も帰らなかった。
投げ捨てていた携帯を手に取ると、
「ごめん、今日は忙しくて帰れそうにありません。先に寝ててね。おやすみ」
---------もちろんそれは、咲季からのメールだった。----------
よっぽど大変なのだろう。絵文字を頻繁に使うあの咲季が点と丸しか使わないのだから。
精神的にも参っていた充を癒せるのは咲季だけなのに・・・
日々笑顔が消えていく中、充と咲季に幸運にも同じ休みができた。
久しぶりのデートに胸を躍らせていたため、前日の夜から愛を確認する。
咲季の提案で上京してすぐにみつけたお洒落なカフェへ向かうことにした。
快晴の日曜。家をでると昔のように指を絡ませ誰が見ても幸せそうな2人は
満足感でいっぱいだった。せっかくの休みだ。人混みより静かなところがいい。
カフェをでると、再び手を繋ぎ人の気配を感じさせない公園のベンチに腰掛けた。
この日の2人は学生時代と変わらないほどの無邪気さで
笑い合うたびに何度も何度もキスを交わし沈黙を埋めるかのように肩を抱いた。
日も暮れてきたところで、近くのスーパーに寄り
夕食の材料などを買うとそのまま家に向かう。
こういう瞬間に思うのだ。
「幸せはこんなに身近に感じられるモノなのか」と・・・
2人には特別おそろいのリングもない。
そればかりか、あるのは写真だけで恋人を証明できるものなんて持ち合わせてない。
そしてこの先もきっと----結婚するまでの楽しみにとっておく---とでも言っておくか。
この日、充はめずらしくため息をこぼすこともなかった。
というより、充は咲季の前では平然を装ってばかりいた。
「疲れてるんでしょ?」なんていわれても咲季には笑顔で応答するのだ。
そう、今は充にとって咲季ほど愛おしく手放せないモノはない。
きっと咲季も同じなのだが、最近の充は変わっていた。
[何が?]そう思う人も多いであろうが、充は世に言う[依存症]にかかってしまっているかのように
咲季への大きなキモチが隠せずにはいられなかった。一秒たりとも無駄にはできない。
『欲しがってしまう。そしてすべてを受け止めてもらいたい。どこにも行かないでくれ』
心の片隅にあったはずの欲望が暴れ出した。次第に彼は本能のまま涙をこぼした。
それからというもの自分の醜さを確認するようで
鏡のようなモノを見ればそこら辺のモノを投げつけることもあった。
咲季が異変に気づいたのは勿論のこと。
精神科に行くことを彼に勧めた。
咲季は仕事に追われながらも充の体を気遣った。
暇さえあれば精神科医を探す事に専念したのである。
咲季が家を留守にする間に孤独で震えている充は、寂しさに荒れ
壁に頭を何度もぶつけ昔の自分を恋しがっていた。
「俺はこんなにもろかったのか?」
静かに涙をこぼしながら少し荒い呼吸を整えるのに必死であった。
咲季が部屋に戻ると充は待ってましたといわんばかりに幸せな笑みを浮かべる。
エサを待つ純粋な目をした子犬のように・・・
彼女も充を愛している。だから、少し顔色の変わった彼でさえ
頬に顔をすり寄せながら優しくキスをしてあげる。
「あたしならここにいるよ?ねぇ信じて。」
口癖のように毎日部屋へ戻ると彼の耳元で囁いた。
抱きしめてあげれば彼の今にも割れそうな心の中を癒すことができる。
あれから何人ものカウンセラーに合わせたが結局は咲季でなければ
彼の錆び付いた冷たい心の病気なんて治らない。
ついに彼女は疲れ果てて倒れた
お互いを互いの愛で弱くした2人
彼の元には毎日カウンセラーがやってくる。
後にカウンセラーから聞いたのだが彼はたまに涙ぐんで言うそうだ
「咲季に会いたい。」「俺の咲季を返してくれ。」と。
同じように彼女の元にも医者がやってくる。
ついに仕事の休暇をもらいソファーに横になったままだ。
彼女は充の写真を片時も離さずに見つめている。
そして幸せそうな笑みを浮かべたかと思うと涙ぐみ言うのだ。
「あの頃の彼なら私が殺しました」
彼女はひたすら充が壊れたのは自分のせいだと責め続ける。
静かで強い愛の中 光をカーテンですべて閉ざした部屋に
2人はただ呆然と浮かぶ幻想に微笑みそして泣く。
電気をつけることもほとんどなくなって
当時は素敵だったブラックライトが今では奇妙に孤独を照らす。
愛し合っていても塞げない恋人達の欲望
罪深き欲望。安らぎという場所へ墜ちていく
窓辺に置かれた青い椅子 幻覚をみている2人には
誰も心を癒せない・・・
-----------------もし癒せるとすればそれは-------------
END