『中学時代の思い出』 その2 [2年の時]
2年のときは、5組になった。担任は音楽専科の先生。最初の自治委員決めでとまどったが、のちのボーカルDAIKI君が務めることになった。
とにかく、あの責任重大な委員会だけは嫌だと思っていたところに出てきてくれた助け舟のような感覚だった。しかし、この行動がのちの最悪な生活に結びついてしまうのだった…。
このころ、我ら陸上部は顧問の先生が一人交代。前例を見ない鬼コーチ(?)がやってきた。朝練と午後練、それに休日をつぶされ、1学期中はなんとかついていけたものの、先輩の引退と共に一気にサボりへ走ってしまった。
部活がしんどくなる一方、DAIKI君や堂○さんたちの構成する実行委員によって、林間学校が実施された。このころ、僕は、体育委員のピンチヒッター(?)として仕事をしていた。体育委員の仕事は、それなりに楽しめた。
2学期が始まった。このころから、林間学校で、DAIKI君達の活躍を見て、自分はやはり自治委員に向いているのかもしれないと思っていた一時期があった。そのせいもあって、後記の委員会決めで自治委員に立候補した。その結果が落選であったことに、ある3文字への連想が浮かび上がった。それは「いじめ」という3文字である。はっきりいって、この行動、不平等にも程があると怒鳴りつけたくなるほどの行為だという考えが根強い。しかし、僕の方では、特記で「いじめ」と書けるほどの行為はされてなかったと思う。
話の展開からしておかしいが、文化祭の事を書く。2年の時の48回文化祭である。器楽の発表は、アンコール上等の素晴らしい演奏だったのに、なぜかアンコールでの演奏曲がなかった。演劇は、いつもどおり、なかなかの演技力を魅せてくれたと思う。吹奏楽にも、いつもどおり、魅せられた。自分達の合唱…。学年主任の先生に怒鳴りつけられた。指揮と伴奏が止まってもみんなが歌い続けたのは、正直言って、みんなが成長した証だと思えた。
2学期の後半と3学期は無事に何事もなく過ごした。