[ the spitz 2002 物語 ] その15 『アンコール。休止。リバイバル。卒業。その後。』 管理人ありち 著
『Driver's High』の演奏を終えた僕らは、遂に、「僕らの夏のおわり」を迎えた。もう思い残すことはない。成果のすべてを魅せて、終わった。と、そこで待ち受けていたのは、「アンコール」の大合唱である。非常にありがたい。メインバンドのメンツの立つ、最高潮のシーンである。担当の先生から、「短い曲」という指示があった。『空も飛べるはず -remixversion-』を演奏することにした。前日に急造で仕上げた曲である。テンポが速いだけに、疲れる。本来片手で充分であるピアノ(コード)パートを、両手で、タッチを『波乗りジョニー』並みに強くして弾いた。曲とイメージが一致しないが、「これが、お客様に贈る最後の曲なのだから」という念が強く、必死になっていた。
文化祭は、生徒会の友達や後輩が指示を出して、展示発表へと変わっていった。もちろん、展示発表で、さっきまで僕らのお客様だった友達は、ほぼ全員が体育館の外へ出た。そこで、片付けをする。もう一度ステージへ上がり、メンバーと落ち合い、語り合う。このシーンも、最後である。そこへ、学年主任の先生がやってきた。「みんな上手いね〜」と一言。「やりたいのなら三送会で場を設けてもいいよ」という話まで出た。僕らの力とは、このような言葉を生むほどの物だったのだろうか・・・。僕は、どんなにがんばっても、メンバーのみんなが素晴らしい演奏のために、一致団結して協力し合ったかいあってのことだと思った。どうあがいても、1人や2人の力じゃ無理である。
ここから、選択器楽はメンバーの組み変えを行った。僕以外のメンバーは、文化祭の時に、ひとつまえにでた女子達のバンドのうち2人と、器楽にいたボイパの上手い男子1人を仲間に入れ、新たな活動を始めた。僕は、ソロ志望を出してメドレーをやりたかったが、人数の調整を無理にさせられ、結局、脳卒中くんをボーカルとした編成をとった。本来ソロをやりたかったが、ここは辛抱する。もちろん、あくまでソロなので、編曲やメドレー編成といった演奏全体のことはすべて僕がすることである。ポップスやロックのピアノソロバージョンを編曲し、メドレーに変えたものを演奏した。
2学期が終わって、私立の入試に向けた、いわゆる最後の『受験勉強』が始まった。入試のあった1月の後半は、みんな期待や不安に満ちあふれた表情でいた。
3学期の計画が始まる。器楽全体で一つの団体として演奏をするらしい。と、そこへ、一つ、朗報がやってきた。
最後の授業の終わりに、発表するバンドがいないかという募集が出た。僕と草野くん(☆超化学反応少年+☆くん)は即座に挙手をし、リバイバル演奏への第一歩をふんだ。公立入試の時期と重なってたため、『波乗りジョニー』『TSUNAMI』を演奏しようということになった。当然、僕はこのチャンスを失敗でおわらせまいと、勉強の他の時間をすべてピアノに託した。演奏当日。『春』の発表が終わり、僕らの出番になった。音楽室というだけあって、練習の日々が蘇る。「なつかしい!」と草野くん。Sくんのカウントが入って、いよいよ始まった。
絵を描きながらベースくんに声をかけられたあの日。選択授業の抽選会の日。オーディションの日。灼熱の太陽の下で練習した日。放課後の時間を切り裂いて夜までやった練習の日。そして本番の演奏の日。『空も飛べるはず』『波乗りジョニー』『Driver's High』。アンコールの『空も飛べるはず -remixversion-』。一旦離れたメンバー達。休みであって休みでない冬休み。私立入試。合格発表。そして今、リバイバル演奏の『波乗りジョニー』。すべてが、「今、蘇る」(『波乗りジョニー』の歌詞より抜粋)。
『TSUNAMI』は、ベースくん、DAIKIくんの「時間が・・・」の一言により、中止。
2003年3月14日、メンバーともども、僕ら49代大原中3年生は、進学先を決め、母校・大原中学校を、卒業した。あの音楽室に、生徒として入れなくなると思うと、涙がとまらない。そして、メンバーをはじめ、共に語り、共に勉強し、共に遊び、共に学び、共に受験をのりこえた友達が、タンポポの綿毛になって飛ばされるように、さまざまな進路へを旅立っていく。
その後は、僕の家などを使って、セッションなどを通じて、メンバーとの語らいや、簡単なレコーディングなどを中心に、マイペースな活動をしている。『解散』ではないことを承知していただきたい。