異形のミュージシャン、マリリン・マンソン率いる異界からやってきたシアトリカル・ヘヴィ・ロック・バンド。
結成時のメンバーは他にデイジー・バーコヴィッツ(g)、オリビア・ニュートン・バンディ(b)、ザ・ザ・スペック(key)。
後にキーボードのスペックに代わりpogoが加入、ギターではバーコヴィッツに代わりジム・ザムが加入するも脱退、ドラムにはサラ・リー・ルーカスが加入、ベースのオリビアに代わりギジェット・ゲインが加入するもドラッグ問題で脱退、その後ベースでツイッギー・ラミレズが加入。など等幾度ものチェンジを経て、現在のメンバーはギターにJohn5ことジョン・ロウリー、キーボードにpogoことマドンナ・ウェイン・ゲイシー、ベースにティム・スコルド、ドラムにジンジャー・フィッシュ。
89年から'90年にかけて、南フロリダのフォート・ラウダーデイル在住のマンソンとバーコヴィッツを中心に、マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズとしてスタート。
マリリン・マンソンの名は、マリリン・モンローと希代の殺人者、チャールズ・マンソンからとられた。
結成当初からシアトリカルなステージ、自主制作のチラシ、カセットなどのアートワークを通じて、その強烈な世界観をアピール。
92年、バンド名を現在のマリリン・マンソンへと変更。
この頃にはいくつかのバンド・コンテストで優勝するなど大きな注目を集めつつあった。94年、それまでもオープニング・アクトを務めるなどして交流のあったナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが設立したレーベル" NOTHING "に第一弾契約アーティストとして迎えられ、デビュー・アルバム『ポートレイト・オブ・アン・アメリカン・ファミリー』をトレントのプロデュースにてリリース。その後ナイン・インチ・ネイルズのツアーに同行するなどして次第に知名度を上げ、続く2ndアルバム『スメルズ・ライク・チルドレン』からのシングル 「スウィート・ドリームス」のスマッシュ・ヒットでその名を一躍世界的なものとした。
96年、3rdアルバム『アンチ・クライスト・スーパースター』をリリース。全米初登場第3位に輝いたこの傑作アルバムにより、彼らの存在は一層の凄みを増し、翌年3月には待望の初来日を果たす(何とクラブクアトロ・ツアーだった!)。その後もサントラ『スポーン』でのスニーカー・ピンプスとの共演やオズ・フェスト、レディングなどの各種フェスティバルなどへの参加、全米各地での宗教団体によるマリリン・マンソン排斥運動をも逆手にとったプロモーションなど精力的に活動。
98年4月には4thアルバム『メカニカル・アニマルズ』をリリース。全米アルバム・チャート第1位を記録。
99年1月には東京ベイN.K.ホールをはじめとする、2度目の来日公演を敢行。 その後全米を“ビューティフル・モンスターズ・ツアー”と題してホールと共にツアーを開始するも約2週間で彼らと決裂!、結果ホールが降板してしまう。同年8月にはここ日本、富士急ハイランドにて2日間にわたり行われた野外ロック・フェス“ビューティフル・モンスターズ・ツアー”で両日トリを務める。また大ヒット映画「マトリックス」のサントラに「ロック・イズ・デッド」を提供。00年11月には5thアルバム『ホーリー・ウッド』をリリース。『アンチ・クライスト・スーパースター』、『メカニカル・アニマルズ』に続く壮大なる3部作の完結編として発表された衝撃の内容となっている。シングル・カットされた「ディスポーザブルティーンズ」は3月24日から公開の話題の映画『ブレアウィッチ2』のテーマ曲になり、マリリン・マンソンが映画そのものの音楽総合プロデューサーも務めている。
その後2003年5月に発売したのが、「The Golden Age of Grotesque」である。ただ、アルバム製作中の2002年の5月に、マリリン・マンソンの右腕とも言われる存在のツイッギー・ラミレズ(b)が脱退、その穴をアルバムの共同プロデューサのティム・スコルドが埋めている。いくらかインダストリアル色が強くなり、ポップになったともいえる「The Golden Age of Grotesque」は全米ビルボードで初登場1位を記録した。