鯖エキス
過日、
そんな訳で僕は追放。孤島です。
俗に「鯖小屋」と呼ばわれている島に起居している状態。皆それぞれの紆余曲折をへてここに流れ着いたんだろうが、どうせロクでも無い理由に決まっている。
網走から北北東。ベーリングに面した孤島。凍土が多い。ヒースと霜がきらめいて彼方まで。
上空にジェット気流がぶんぶんしていてアンカレッジ経由。ファーストクラスに身体を沈めるビジネスマンがぶんぶん。
つらいことである。
だったん蕎麦工場でひがな梱包作業をするも、俸給はお上の策略によって労働者の手には渡らないシステム。完璧な黒字。完璧な搾取。
その循環に紛れてわたし。
俸給の無い僕らが何で喰っているかというと、配給のコーンビーフとAレーション、Bレーション。カロリーは過多。油脂の飯。米軍の余剰品を横から流しているのだよ。日付けは1945年。
あと、たまに豆とか脱脂粉乳とかね。
我々はだったん蕎麦なぞ喰うていらんぞ。どこのグルマンが召し上がるのか。
貧民の糧を好き好んで。粟、稗、甘薯、てんさい、蕎麦だ。藁餅だ。
と
憤懣やるかたない気持ちだった頃もあるが、もうそれもない。
この辺境でいかに快適に過ごすか、その工夫に余念がないのだから。
大局に関わっていられるものか。
秋口、鯖が来る。押し寄せる。
しかし鯖が商品になる事を知らぬ農奴等はそれを捕って畑に撒くのだ。鰊のやふに。
さかなが蕎麦を育てる。鰊蕎麦ならぬ鯖蕎麦。
それを知らず、コシがだのツナギがだの言ってお召し上がるグルマン。鯖エキスの怒り。
秋の楽しみ。
夜半、畑に撒かれた鯖を掘り返して失敬。配膳係に袖の下を渡して秘密裏に焼いてもらう。泥が落ちきっていない。苦々しく旨いのが癪にさわって土佐鶴をあおる。
金鶏を一箱拝領してくゆらせ、仰臥する夕べ。南京虫が邪魔。
青山の高級料亭で頂戴したしゃぶしゃぶの愚劣さが思いだされる。皆狂喜して喰らっていたなあ。なるべく狂喜を外に出さぬふうにして。ひょうひょうと。何故か飯の話しはせず、世話事ばかし。
さんざめくおやじ。ギャル。
夕刻は長い。強制的休憩時間。土佐鶴一合では間に合わぬ。
くすねた稗などで濁密をする剛胆な者もいるのだが、法外な値、といっても自分等に現金は無いのでもっぱら煙草や生活用品での取り引きとなるが、法外な値をつけるので不人気。味も低級との噂。
それでもぼちぼちやってるらしい。どこにでもいるのだ。酒の為なら人も殺すような者が。それが顧客となって。
指先が暴発する。喋り出す指先が。融通してもらった麻袋の裏に書き付ける。
密閉されている事に気付かぬ幸、不幸を。何故でも。
こんな所に何故公園があるのか分らない。子供用の遊具さえしつらえてある。ペンキが剥離している。錆が蔓延している。ここには子供とゆう前途ある個人なぞいないのにな。
いたとしてもすぐ遠方に売られてゆく。ここに子供に出来る仕事は無いもの。
だからいるのは鯖と蕎麦と僕等。
そういう現象に状況に憤慨したのか絶望したのか、飯を放棄する者もままいる。ハンガーストライキ。しかし、そは死ぬる。散々っぱら暴行を受け、Aレーションを流し込まれ、ひいひい。
黎明の逃亡先は茫洋たる海。砂丘を越えた極北まじかの海。鯖の目が押し寄せている。
大抵そこら辺りで死んでいる。憤慨し、絶望し、果てに入水しても鯖に押しもどされてしまうのだ。逃げ切れぬ。
今日は2人。
遺体処理は僕らの残業。工場の明かりが消えたあと、サービス残業で墓穴を掘る。細切れにして畑に撒けばちいとは世間の役に立つとゆうもんだが、当の死人の考えはわからん。絶対人の為に立つ事なぞするもんか、と歯軋りしているかもしらん。
しかしそんな事には関っていられない。社会の規律がこの辺境にも浸透している為、きちんと穴をうがち埋葬の真似事なりともをせんければ。「ここはぁお国を何百里ぃ〜、離れて遠く満州のぉ〜」と口ずさむのがせめて僕の個人的な供養。
精進落としに神酒を頂く。神酒とはいっても濁酒だ。経費から出るはずも無いので、ヘンに信心深い工場長が例の濁密野郎から叩いて買ってとこだろう。
懐石して、寒風にさらされ、墓穴の前で僕ら。
賭博と春画の横行する鯖小屋で、起居していますよ。
海はどんずまり。
沸騰していて渡る術無し。