1997年7月21日、KinKi Kidsがデビュー。
堂本剛、堂本光一の二人 がグループを結成してから5年、初共演を果たした映画「200X年 翔」 (1992年11月)から5年もの歳月がすぎていました。
と言う訳 でこのデビューは文字どおり待ちに待った記念すべき日だったのです。
二人とも家族が本人に内緒で履歴書を送った事がきっかけで事務所入り。
合格 通知と言うものはなかったそう。
その代わり「ジャニーだけど」と喜多川社長 直々に電話があり、「東京に遊びに来ないか?」と言う誘いのままに関西から遥々上京、そこで二人が初めてのご対面を果たした。とにかく人見知りの激しい二人が 初めて交わした会話は「テレビ、なに見る?」だったとか。
グループを結成して間も無いころは「W堂本」、「関西ボーヤ」などと呼 ばれていたことも。
現在のグループ名は二人がまだ中学生だった頃、ジャニー 喜多川氏に「Youたち今日から KinKi Kids だから」と言われ正式に決定。
それを聞いて思わず「英語にしただけやん」とツッコミそうだったとか。
そんな名前でも使っていく内に不思議と愛着が沸いてくるもので、今では彼らにとって”KinKi Kids”の名前がとてもしっくりとしているらしく、「この名前以外考えられない」と語る事もしばしば。
某日のトークで「自分のグループ名KinKi Kidsで一番大切なのは?」という質問に光一は「sです。」と答えた。
なぜかというと「s がないと KinKi Kid となり1人になっちゃいますもん。KinKi Kids は2人で KinKi Kids ですからねー」だそう。
なんとも心暖まるコメントだと私は感動しました…。
二人の活躍はデビュー前から目覚しく、CDデビューもまだだった1994年12月のファーストコンサートでは、日本武道館をファンでうめつくし大成功に終わらせた。
そのコンサートで光一は
「今日 (1994/12/31) のことは、一生忘れません。今日の思い出を明日の励みにして、僕達は心の中に、一生、刻み込んでいきたいと思います。今日、僕はまだ15歳です。明日は、16歳の誕生日を迎えます。僕達が50歳、100歳、200歳、300歳になっても、今日のことは絶対に心の中にしまっておこうと思います。」と語った。
TV界でも「人間・失格」、「伊達政宗」、「金田一少年の事件簿」、「若葉のころ」、「LOVE LOVE あいしてる」など多数のドラマやバラエティーで活躍するも、デビューは決まらず、二人は本気で「CDデビュー、ないんじゃないか」と心配していたという。
1997年5月28日、二人は突然事務所から呼び出しがかかり、最初「やっばい、なんか怒られるわ〜(光一)」、「なんか悪いことしたで、おい〜(剛)」とそうとうビクビクしていたそう。
しかし実際は念願のCDデビュー決定の知らせ。しかし喜ぶ間も、家族に連絡する間もなく翌日CDデビュー緊急記者会見を豊川稲荷にて決行。
さすがジャニーズ事務所、やることが強引かつ大胆。
超緊急で集められた約300もの報道陣をエンターテインすべく、会場が夏のお祭りの様にセッティングされ、りんご飴、わたがし…射撃にゲームルーレットなど出店 (しかも全てタダ!)がところ狭しと並べられていた。
だが当時の様子を振り返って二人は「何がなんだか分からなかった。」と語っている。
そんな二人だが報道陣の前にでてきてまず言ったセリフが「え〜、今日はみなさん、ほんとに突然ですけども、突然で自分もビックリしてるわけですけども … 略 … みなさんから見て左っかわ、わたくしが堂本光一でございます。よろしくお願いします」が当時の混乱を物語っている(立ち位置も逆だった)。
ちなみに剛は「えー、そしてわたくしがKinKi Kids、英語担当の堂本剛です。どうも」と違う意味で報道陣を混乱させた。
そんなこんなで無事、金屏風&赤い柱の前で7月21日のアルバムデビューを発表、ハッピ姿のJr達に見守られながら鏡割りも終えた。
ちなみに「(レコード会社は)ジャニーズエンターテイメントっていうことなんですよ。
聞くところによると、あの〜、世界で一番小さなレコード会社だと、いうことなんですけども(笑)(光一)」と相変わらずの毒舌を披露した。