code name Tの人間って何だろう???

What is ”code name T”?

 国籍、年齢、活動暦、実生活等不明な点が多い謎のドラマー。

 身長172cm、体重57kg、血液O型である事はどういう訳か解明されている。

 

2001年4月〜5月 テーマ「愛・@〜D」

2001年6月〜9月 テーマ「愛・E〜I」

で、今回のテーマは・・・

2001年12月 テーマ「映画@」!!

 code name T です。

 先回のテーマ『愛』を10話完結させてから随分時間が経ってしまいました。
 次のテーマとして『映画』は早くから決まっていたのですが、私にとっては
 『愛』以上に膨大なテーマであり、さて何から始めれば良いのか悩んだまま
 徒に時を経てしまいました。反省しています。

 という事で、1回目の今回は私にとって映画とはどういう存在であるのか
 考えてみたいと思います。私の中では映画と音楽はどちらが重要か、
 どちらが好きか、等甲乙、優劣を判別し難いくらいクロスした自分の
 一部みたいなところがあります。

 音楽とはまだ無縁の小学校低学年の頃に友達を無理矢理引きずり
 込んで映画らしきものを作った事がありました。映画といっても家に
 たまたま有った旧式の8ミリを持ち出してきての簡易撮影でセリフも殆ど
 無い、出演者はニタニタ笑っているだけの単なる記録みたいなもので
 余りの愚作振りと才能の無さに2度と観る気のしないものとなりました。
 その大失敗の後の4年間強はひたすら漫画を描いていました。映画で
 作り得なかった様々なストーリーも漫画なら何とか表現できました。
 しかし漫画に対する情熱も中学入学後ストーリーにつまり、絵自体の
 オリジナリティを考え過ぎる事によって醒めていきました。その後
 再び映画に一挙に傾注し始めた私は中学生ながら小学生の頃の
 反省で絵コンテや脚本めいたものも書き始め構想だけはかなり広がり
 ました。しかし今度は35ミリで撮影したい、出演者や衣装も揃えたいと
 無謀な事ばかり考え、結局予算面の不可能と同志の不在で撮影する
 以前にあえなく頓挫しました。

 高校入学後順次目覚めていった音楽活動はバンドを作るにしても、
 オリジナルを作るにしても、映画を作る難しさに比べるとお手軽というか
 形にし易かったのは事実です。特に学生時代は予算面と仲間の有無が
 大きくものを言います。音楽をやりたい仲間は映画を本気で作りたい
 人間を見つけるよりは簡単でしたし、予算も長編映画を作ろうとする時の
 とてつもない金額に比べるとバンド結成は遥かに低予算で始められました。
 その後は音楽だけでも結構お金がかかるだけに映画を作るという夢は
 ただの夢になっていきました。現在主たる活動は音楽だけですが今でも
 映画に対する興味は尽きず、映画館とビデオを足すと年間に100本近い
 映画は観ています。音楽は作り手として、表現者としてある程度の欲求は
 満たされてきたのでしょうが、映画は作り手サイドとしては何一つ出来て
 いません。どうやら私にとっての映画の存在とは元来が最大の表現手段で
 あった様です。叶わぬ壮大な表現手段として映画の存在を実感します。
 だからこそ、覚え切れない程多くの映画を観てしまうのかもしれません。

 私にとって幼少の頃から離れる事の出来ない映画の魅力とは一体
 何なのでしょうか?その辺りを今後、実際の映画名や監督名も交え
 ながら紐解いていきたいと思います。

 大テーマでもある『人間って何だろう?』という問いに答えるひとつの
 有効な具体事象が『映画』そのものなのかもしれません。

 

2002年1月 テーマ「映画A」!!


 心象風景という言葉があります。具体的にどの様な景色がそうなのか
 解りかねますが、感覚的に私にとって忘れられない景色=1シーンに
 映画の中で数度遭遇しています。自分にとっては心象風景そのものと
 思える瞬間との遭遇でもありました。

 多感な頃に遭遇した代表的なシーン3つが上げられます。

 1・まだ幼少の頃何度目のリバイバル上映になるのか分かりませんが
 映画好きの叔父に連れられて行かれたのが『黒澤明週間』なる
 リクエスト上映会でした。その日モノクロの映画2本を観ました。
 さすがに細かなストーリー等は理解出来ませんでしたがとにかく
 黙って見入りました。タイトルは『椿三十朗』と『天国と地獄』でした。
 『天国と地獄』が妙に気になる映画で、その中盤辺りにドキッとする
 忘れられないシーンが出てきました。誘拐犯が身代金の入った鞄を
 焼却処分するとピンクの煙が出る様、事前に警察が鞄に特殊な
 発煙筒をセットしてあったのです。思惑通り鞄は焼却所の釜の中に
 放り込まれました。すると・・・1960年当時の日本だと思うのですが
 スラムの様なあばら家が立ち並ぶ街並みに1本そびえ立つ煙突から
 本当にピンクの煙が出てくるのでした。全編モノクロの暗いトーンの
 映画の中に突然その煙だけがピンクの鮮やかなカラーでもくもくと
 煙突から出てくるのです。そこから場所の特定が出来話は犯人逮捕に
 向かっていきます。勿論これらストーリーのディテイルはビデオで
 見直して再認識したもので、当時は分かっていませんでした。だけに
 そのシーンの気持の悪さ、不気味さが凄いインパクトとして心に焼き
 ついたのだと思います。それは自分の信じている日常の中に突然
 異分子が現われ果たしてどれが本当の日常なのだろうといった
 意味不明の疑問を抱くに充分な衝撃あるシーンでした。

 2・やはりリバイバル上映で小学校高学年の頃かなり意味不明の
 映画に遭遇しました。スタンリーキューブリックの『2001年宇宙の旅』
 でした。これも当時の理解力ではどうにもこうにも自分の中で釈然とした
 解釈が出来ないまま映画は終わりました。しかし映画のラスト10分位は
 心象風景に次ぐ心象風景のオンパレ状態で意味不明ながらも強烈な
 インパクトがありました。激しい画面が続く次元を越える瞬間、たどり
 着いた静寂な部屋の中で主人公以外の誰かの存在を感じその存在を
 確認すると同時に今の自分が居なくなり年老いた自分が代わりに存在
 する・・・それを2度3度繰り返し最後は死ぬ直前の横たわる自分。
 そして目の前にはこの映画の象徴である黒いメタルの板の様な物が
 立っている。そして最後のシーンは宇宙空間に胎児が浮遊している・・・
 これ程解釈し難い、逆に言うと解釈の仕様は個人それぞれの自由で
 ある映画は、その後数え切れない数の映画を観ていますが出遭って
 いない気がします。私の場合は、この映画の存在が少なくとも生命体
 として無数の細胞から成る人間イコール無数の星から成る宇宙と
 リンクするのかも・・・という漠然とした感覚をもつベースになりました。
 この映画もその後2度見直していますが未だにやはりあの黒い板
 みたいな物の解釈は出来ないでいます。

 3・中学の頃友人とこれはリアルタイムで観た映画ですが『未知との遭遇』
 があります。スピルバーグの代表作であり、彼の名を不動のものにした
 作品ではないでしょうか。当然『2001年宇宙の旅』の様な観念的映画に
 比べてエンタティメント色も充分盛り込まれてある良い映画だと思います。
 この映画も初見では多くのシーンにドキドキするものがあったのですが、
 特に私の心に響いた、「これだ〜!このシーンこそずーと観ていた様な
 絶対に観た事のある様な、現実だ〜!」と思えるシーンに遭遇しました。
 それはUFOの小型機3艇が超低空飛行で普通の道路のすぐ上を、待ち
 受けるUFOマニア達のすぐ目の前を飛び去っていくシーンです。
 パトカーがその後を追っていくのはいかにも映画的でしたが、目の前を
 超低空飛行でUFO達が飛んで行くその瞬間のシーンは衝撃でした。
 当たり前に見ている日常が瞬間的に変ってしまう何かをUFOという
 未知の存在を利用して具現化している出色のシーンだと思います。

 この3つの映画におけるそれぞれのシーンが未だに忘れられない
 私にとって凄く重要なシーンであった気がします。そしてこれら3つの
 映画が、その後私の好きな監督同士の結びつきにも繋がっていくの
 でした。次回は黒澤明、キューブリック、スピルバーグ3人の私の好きな
 監督についてこの3本の映画を起点にしてお話したいと思います。

 

2002年2月 テーマ「映画B」!!


 先回自分にとって心象風景とも呼べる記憶に生々しい3つの映画シーンを
 ご紹介しました。初めてそれぞれの映画を観た時、まさか後年偶然の
 重なりとして私にとって好きな監督の不思議な結びつきに繋がるとは
 夢にも思いませんでした。

 黒澤明に大きな影響を受けたと自認するスピルバーグですが、その大きさを
 物語る映画が彼のライフワークとも呼べる「シンドラーのリスト」でした。
 ユダヤ人であるスピルバーグがどうしても生涯の中で描きたいテーマの
 最大がホロコーストでした。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺をテーマに
 したその映画は、わざわざモノクロ仕立になっていました。テーマの暗さ、 
 時代性、残虐さを考え、よりリアリティを持たす為にモノクロにしたのでしょう。
 そしてこの映画の中盤辺りに驚くべき印象に残る重要なシーンが登場したの
 でした。それはまさしく先回ご紹介した黒澤明の「天国と地獄」の中盤辺りで
 登場する印象的シーンと同様に。

 荒廃したユダヤ人収容所の敷地内、遠くからのアングルですがモノクロ画面の
 中に突然赤い服を着た少女が走っているシーンが登場します。「天国と地獄」
 のピンクの煙がもくもく上がると同様の手法で、スピルバーグの黒澤明映画に
 対するオマージュだと思いました。ただ違ったのはその印象的な赤い服の意味
 するものの深さでした。モノクロ映画の中に登場する唯一の色彩、赤い服は
 その後再度登場します。ユダヤ人の虐殺された無数の死体の山をショベル車で
 まるでゴミのように救い上げ放り出すというシーンが登場します。無数のモノクロ
 の死体の中にその赤い服を着た少女が死体として混ざっているのでした。
 赤い可愛い服がその少女の痛ましさを増幅させ、この映画のテーマである
 残虐な史実と悲しさがより心に響くシーンでした。

 スピルバーグは「ジョーズ」「インディージョーンズ」「ジュラシックパーク」に
 代表されるワクワクドキドキの痛快ムービーを作るのが凄くうまい監督だと
 思います。また「未知との遭遇」「ET」「オールウェイズ」「フック」等に代表
 されるほのぼのとした心温まる作品を作るのもうまいです。そして「カラー
 パープル」「太陽の帝国」「アミスタッド」「シンドラーのリスト」「プライベイ
 トライアン」といった歴史に基づくリアルで残酷なテーマを基にした映画を
 作るのもうまくなりました。うまくなりましたというのは「カラーパープル」や
 「太陽の帝国」は、初期のリアル路線への挑戦映画でしたが、お世辞にも
 出来は良くありませんでした。それこそスピルバーグも終わったのでは
 ・・・?と酷評を受けるに相応しい退屈な映画でした。しかし「シンドラーの
 リスト」でついにリアルな重いテーマの映画も作れる監督としてその地位を
 不動のものにしました。そうして全ゆるジャンルの映画を作れる世界一の
 ヒットメーカー監督になったのです。

 スピルバーグの一番新しい映画はまだ記憶にも新しい「AI」です。
 「AI」のお話をする時にどうしても避けて通れないというか、「AI」は
 むしろ、スタンリーキューブリックの映画ではないのかと言われる所以を
 お話したいと思います。次回は私にとってのキューブリックを掘り下げ
 ながら「AI」のお話も交えていきたいと思います。

 

2002年4月 テーマ「映画C」!!

 スタンリーキューブリック。ほんの数本しか作品を観ていないにも関わらず
 印象度としては、私の中で一番になってしまう不思議な監督です。
 『2001年宇宙の旅』『時計仕掛けのオレンジ』『シャイニング』
 『フルメタルジャケット』『アイズワイドシャット』の5本だけです。
 残念ながら『フルメタルジャケット』だけはほぼ印象の無い退屈な
 戦争映画としてしか記憶がありません。もう一度見観直す必要があるかも
 しれませんが・・・。に比して他の4本は何れも非常に印象的な映画です。

 私の好きな上の4作品に共通して流れているテーマは結局「人間とは?」
 という素朴な疑問である気がします。『2001年・・・』ではそれこそ人類創生
 のシーンから始まり一挙に2001年の宇宙時代にシーンは展開します。
 人類創生・・・キューブリックは見事に人類創生とその後コンピューターに
 支配される文明社会への流れを描いています。肉食獣の恐怖から逃げる
 だけの複数の類人猿、その内の一匹(1人?)がある日風化した動物の
 死骸の中にある大きな骨に惹きつけられる。その骨を取り出しおもむろに
 周りの小骨を少しづつ壊し始める。この大きな骨の塊で物が壊せる・・・
 シーンは彼が初めて武器を手にした喜びを表しながら大きな動物達を
 なぎ倒していくシーンとオーバーラップします。そして勝ち誇った彼が
 その骨の固まりを空高く雄たけびと共に投げ上げるのです。突然スロー
 モーションとなり、その骨=人類最初の武器=道具が大空を背景に
 ゆっくりと回転しながら落ちてきます。そしてその骨そっくりの形をした
 宇宙ステーションが大宇宙の中を遊泳するシーンに突然変わります。
 2001年間の人間の物質的進化をその一瞬のシーンで見事に表現した
 のです。骨を道具として、武器として選んだ動物が人間であり、2001年
 の時を経て象徴的な姿の宇宙ステーションを作るに至ったという、
 人間の英知を表現する事からこの映画は始まります。

 しかしその後、宇宙船をフルコノトロールするコンピュータ『ハル』の
 造反に合い人間は窮地に追い込まれていきます。コンピューターが
 人間を支配するという今では当たり前の観念を初めて映画の上で
 表現したのがこの映画でした。1968年辺りの作品ですから驚きです。
 そして機械文明を謳歌する筈だった人間は機械に裏切られ『映画A』
 で書きました、最後の象徴的なシーン、人間の未知の部分への原点
 回帰へと帰結していくのです。

 この映画は何度観てもストーリー的には理解し難いです。何度も登場
 するメタル板の様な象徴的物体の意味が分からない限りストーリー
 全体が釈然としてこないのです。観た人は各自それぞれにそのメタル
 板の意味を解釈せざるを得ない作りとなっています。ただ、その奥底に
 人間とは一体何なのだろう?というテーマ性を感じるのです。
 人間が何故他の動物と異なる進化を遂げたのか、から始まり文明
 科学の粋を集めた宇宙旅行を題材にその愚かしさを表現し、そして
 文明科学で割り切れない未知なる存在、そしてそれは人間の生命の
 神秘自体の中にあるのかもしれない、と思わせるエンディング。
 終始一貫して『人間』という不思議な動物を色々な角度から眺めている
 客観的で皮肉っぽい視線を感じるのです。

 『時計仕掛けのオレンジ』では、ほんの少し先の未来社会においても
 人間の欲と性、暴力と談合、といったおぞましさは変わらず、存在
 としての醜さや儚さをブラックユーモアたっぷりに、目一杯の皮肉を
 こめて描いています。去年話題になった『バトルロワイアル』に代表
 されるティーンエイジャーの無軌道な暴力、しかしその裏に見え隠れ
 する大人達の汚れきった廃退した世界、といった手法の映画も、今や
 当たり前化した感がありますが、それら手法の映画の原点もやはり
 1970年近辺に作られた『時計仕掛け・・・』ではないかと思います。

 『シャイニング』は極めて少ない登場人物と狭い舞台を背景に展開
 される映画です。豪雪地区のある別荘を冬の間メンテする仕事で
 売れない作家一家が、バイトをしながら静かな、作家活動にも適した
 環境を得れると喜んでやって来ます。作家役のジャックニコルソンの
 演技が凄いです。人間の深層心理にある狂気の部分が、一面の
 雪と静寂、昔ホテルであったその別荘にまつわる亡霊達によって
 呼び起こされていく過程を克明に描いています。いわゆるグロい
 顔やスプラッター表現は全く無く、淡々と主人公の内面が壊れて
 いく様を現実シーンと心象シーンを交えながら描いていきます。
 サイコスリラーという分野も今や当たり前になりました。草分け
 としてのヒッチコックは余りに有名ですが、隠れた継承者として
 この映画におけるキューブリックは特筆に価すると思います。

 『アイズワイドシャット』は、結果キューブリックの遺作となりました。
 この映画は私の中では、『時計仕掛けのオレンジ』の大人版、現代版
 という捕らえ方になりました。どうしても目は主演のトムクルーズと
 妖艶なニコールキッドマンにいきがちですが、映画全体に流れる
 現代社会の陳腐さ、上流社会にたむろする人間の荒廃、滑稽さを
 いつも通りの皮肉な目で、独特の美しい奥行きのある画面構成で
 描いています。さすがにキューブリックも年齢のせいか角が取れた
 と思える部分と、相変わらずの鋭さを感じる部分が交錯しています。
 何れにせよ、キューブリック自身がこの作品が遺作になると考えて
 いなかったでしょうし、肩の力を抜いて一種のブラックジョーク的に
 撮った作品ではなかったのでしょうか。私はそんな気がします。

 そして、キューブリックが最後に、本当に撮りたかった作品こそ
 『AI』であったのではないかと私は思ってしまうのです。
 次回は私の好きな監督2人が、結合した形になった『AI』について
 お話したいと思います。 

 

2002年7月 テーマ「映画D」!!

 スピルバーグの数ある映画の中で、あえて一つだけ究極の選択を
 迫られたとしたら、どの映画を選びますか?私は悩んだ末にやはり
 『E・T』を選びます。地球外生命体=ETを通じて描かれる心暖まる
 子供を中心にした人間模様がこの映画の最大の特徴だと思います。
 サイエンスフィクションでありながら、宇宙人を題材にしながら、実は
 この映画ほど、人間自体を描いている作品はないと思うのです。

 さて、前回の続きになりますが、キューブリックが多大にインスパイア
 された映画が『ET』だったそうです。スピルバーグの名を不動にした
 『未知との遭遇』が少なからずキューブリックの『2001年宇宙の旅』に
 インスパイアされている事を思うと、何だか微笑ましくなる話です。
 『ET』に感銘を受けたキューブリックが是非自分が撮りたいと、探した
 のか誰かに書かせたのかは定かでないのですが、その作品こそが
 『AI』でした。実際『AI』のエンディングロールの最後に、キューブリック
 に捧ぐ、という文字が出てきます。

 『AI』は、実際はスピルバーグが監督しました。既に他界していた
 キューブリックの意志を受け継いでスピルバーグが丁寧に作った
 作品だと思います。感情を持つ少年ロボットの悲哀を丁寧に、淡々と
 描いています。スピルバーグの映画とは思えない地味で静かな
 映画です。それだけに、本当の人間より機械の方が人間っぽく、
 人間の方が機械っぽいのは何故?という隠されたテーマの深さを
 切々と感じると同時に、果たして人間とは一体何なのかという
 キューブリック映画に共通した大テーマが根底にある気がするのです。
 
 スピルバーグのエンターテイメント映画にしては珍しく『AI』の評判は
 決してよくありませんでした。痛快さや、ワクワクドキドキ感、晴れ晴れ
 とした感動、等スピルバーグが得意とするエンターテイメント性は
 全く無い映画でした。一言で言うと救い様の無い悲しさが溢れる
 極めて重い映画でした。まるでキューブリック映画のように・・・。

 もしキューブリックが生きていて、実際に『AI』を撮っていたら、多分
 これ程の世界的ヒットはしなかったでしょう。スピルバーグならではの
 宣伝のうまさ、実際に撮影中から一切未公開でどんな作品なのか
 期待感を募らせるだけ募らせ、巨額の宣伝費をかけ、映像が公開に
 なってからもスピルバーグ映画のスペクタクル部分を感じさせる
 範囲だけを我々の目に届けました。しかし実際の映画は、深く重い
 テーマを淡々と描くキューブリック映画そのものでした。

 スピルバーグが尊敬していた監督の1人キューブリックの意志を
 忠実に受け継ぎ、キューブリックの世界をより多くの人に観て欲しいと
 切望していたのは、誰よりもスピルバーグだったのかもしれません。
 スピルバーグの新作サイエンスフィクションを宣伝で知り、ジュラシック
 パークや未知との遭遇、ETの再来を期待して観に行った多くの観客は
 失望したかもしれませんが・・・。私はスピルバーグに感謝しました。
 何故なら・・・『AI』はスピルバーグが真剣に作ったキューブリック映画
 そのものだからです。