YO-SUKEのグリーンマンション |

私のギター ![]()
GIBSON LP.CUSTOM
No.02680443
米国ナッシュビルファクトリー出身
私の機材 ![]()
BOSS Turbo Overdrive
PROCO RAT2
2001年11月25日
| 1998年1月 年末年始は実家で過ごした。確か年末に初めてギターで バンドの誘いがきてて、それでその曲を練習していたと 思う。 誰の曲かというと吉川晃司とコンプレックスの曲だった けど、4曲くらい候補曲があって最初全く弾けなかった 記憶がある。 実家から帰ってからもとりあえず暇な時はその曲を聴いて ギターを合わせてた。 そのうち2曲にしぼられてそれだけ練習していたら大体 弾けるようになっていた。楽しかったし、いつの間にかその 曲が大好きになっていた。ギターが弾けるようになってその 曲の良さがわかったような気がした。 早くバンドで合わせたいと思いつつ、初めて組む先輩も いたのでヘタな演奏はできない、と結構頑張ったと思う。 「CDと同じ」みたいにしようとしていた。 |
↓↓ 2002年最初の更新分です。今年もよろしく。 ↓↓
2002年1月19日
| 1998年2月 2月にはいってすぐに大学のコンサートが始まった。 ギターで初めてステージにあがって演奏した。2曲だけだったけど、 「ギターでついにできた」という感じで。まぁいつかはできるだろ うとわかってはいたものの、少し夢がかなった瞬間だった。 出来の方は確かに下手だったけれど、当時はなんか妙な、すごく 緊張はしているけれどどこからか「いける」という根拠のない自信 はあった。自分としては練習よりもいい演奏ができたという感覚が あったし、先輩やメンバー、友達、皆にほめて貰えた。 すごく嬉しかったし、練習すればなんでも出来るんだという事がわ かった。でさらに周りの人たちの協力があってできたんだ、という すごくいい気分になったのを覚えている。 その後、何日か続いたコンサートの中で僕にギターを教えてくれ た先輩と組む機会があった。コンサートのちょっと前からデモテープ をいただいていた。そこにはオリジナルの曲が何曲か入っていてそれ をやろうという事になった。譜面はもちろんなく、耳で音をとっての 練習をした。出来た部分、出来なかった部分があって、コンサートの 前日くらいに教えてもらって、更に当日ぶっつけ本番で合わすという 事になり、「どうしよう」という感じだった。 でもすごく勉強になった。例えばギターのリフとか自分で音をとって 弾いていたものと、先輩が同じ部分を弾いて教えてくれたものとが 違っていたり。音は一緒だけど弾き方が違うってだけなんだけど。 「あぁ、本当はこう弾いていたんだ」っていう、後になってすごく大 切に思えることが早くに学べた。 実際、教えてもらった弾き方の方が楽に弾けたり、音質も全然違って、 こっちの方がいいなって感じがした。「いろんな弾き方があるんだ」とも 思った。で、このコンサートが終わればクラブの1年間の活動が終わりに なった。 |
2002年3月7日
| 1998年3月 友達に誘われてエアロスミスの大阪ドーム公演へ行った。ドームのような でかい所のライブは初めてで、エアロスミスも初めてだった。 始まって周りの客というかドーム内の歓声が「おぉ〜」となって、すごい 迫力だった。すごく遠い席で見ていたんだけど本物の姿が見えて、演奏も 聴けてなんかそれだけでよかった。とても感動して、又見たいって思った。 でさらにこの3月にはすごい出会いをした。バンド「MICHIKIYA」との出会 いだ。3月の終わりに突然、先輩から電話ですごいバンドがあるから見に 行こうと誘いをいただいて、出戸のパンセホールまで2人でいった。 先輩も初めて見るようで、中でも特にギターリストは「アマチュアの頂点 だ」と言われているらしく、どれ程なのかと出番を待っていた。それでつ いに1曲目が始まった。 まずもう最初の1音、もうすでに今まで見てきたバンドとは違うなっていう のがわかった。もう言葉では表現できない。はっきり言ってすごすぎた。 「なんなんだこれは」って感じだった。 ライブが終わって先輩と2人でまずギターの話をした。 「あんな音出るか」って。この日、本当にいい音っていうのがわかった ような気がした。寒気と感動でもう・・・。 こんな人とやりたいって思った。ギターを練習してあんな風になりたい っていう憧れができた。でもこの人たちはなんでアマチュアなんだって思っ た、プロじゃないかって。プロはもっとすごいのか、って思ったりもした。 とにかくいろいろ考えてしまった。 バンドを始めて1年たとうとしている時に出会った衝撃のバンドだった。 もうハマった。それからライブがある時には絶対見に行った。何回見に行 ったか忘れた。そんな出会いだった。 しかし、出会いというのは不思議で、この「MICHIKIYA」のドラマーこそ、 ユーベットのドラマー、「code name T氏」だった。 いつかは一緒にやりたい、と思っていたら、code name T氏とはその2年後に、 ギターリストの宮田浩史氏とは3年後に出戸のパンセホールで同じステージに 立ててしまった。 今考えたら信じられない。 人生はわからないと思ってしまう。 やっぱり人との出会いは大切にしなければならないものである。 「運命が変わったかも」という瞬間であったし、この出会いが今、現在まで続 いているのだから音楽が続けていられる、と思っている・・・。 |
2001年5月5日 更新分から
2001年7月11日 更新分まで