Midori, Osato--大里みどり--
Nampeyでの・・・
担当楽器:打楽器、マリンバ、ドラムス、鳴り物全て、(曲によっては光二や貴之に鳴り物を取られ、すねることも。)
担当部署:宴会奉行(私がきめるっ!)、練習室会場とり、会計、
宴会の買出し品目に一番うるさい(ド●キで駄菓子を大人買いするのはよせっつーの>メンバー)
フリーという社会的立場(爆笑)から、Unit内では一番仕事してる(…はず…まぁ、質は問うなっ)
位置付け:高木光二の高校の後輩。 伊藤貴之とは中学からの腐れ縁。 この先もきっとこんな感じが続くと思っている。
普段も、超おきらくな人生を、苦しくも楽しんでいる、今もむかしも、幸せなヤツ。
プロフィール(本人による)
胎教でクラシックをよく聴いてた母(祖父の影響)のおがけで、
生まれてくる前より音楽の英才教育を開始。(ほえ?)
5歳でピアノを始め、10歳で小学校の鼓笛隊で小太鼓に出会う。
「ヘンな音!」と自分でスネアを引っ張ったり、チューニングキーで皮を張ったりと、
この頃から天性の打楽器奏者ぶりを発揮(爆笑)
中学で伊藤貴之に出会う、
そのときの第一印象は、「ヘンなやつ。でも、一生懸命でおもろいな」
恩師である荻原先生在任最後の年、いっしょにすごした吹奏楽コンクールの練習で、
先生の特に打楽器の楽音に対する考えに深く感銘。
ほめられ、おだてられ、めきめきと上達する。
見様見真似でこのころよりドラムセットも始める。
たくさんの素晴らしい仲間と出会う。
高校の吹奏楽部で高木光二が1級上の先輩にいた。
そのときの第一印象は、「怖いっ・・・」(・・・沈黙)
だってぇ無口でいつも、むっとしてたんだも〜んっ。
もといっ、その後他の友人がこの「怖い先輩」をうちでの集い
に連れてきた時(学園祭の終わった日だったなぁ…)
すでに疲れきっていた先輩は、
玄関先でグーグー寝てしまった、それも朝まで…>あ〜ぁ
「なんだ怖くないじゃん、イイ人じゃん(へっ?なんで?)」
失態を見せた光二君は、これ以降、わたしに逆らえなくなった?のであった(嘘)
高校時代に、中学の仲間+貴之+私の高校の仲間での、寄せ集め吹奏楽団"the
HNO3"を結成。
記念すべき第一回演奏会を企画実行。
その後、名前を"南平ウィンドアンサンブル"とし、
伊藤を音楽監督、高木を団長、大里みどり他を副団長として、市民バンドとして活動。
3回の自主演奏会、市内の音楽行事などにも、積極的に多数参加。
プロの指導者を置かないが、サウンド・クオリティやモティヴェーションの高い、
しかしその正体は??の、謎だらけの不思議なバンドとして注目される。
しかし、コンクールなどには興味を示さず、ひたすら演奏行事へ・・・
そしてまったりと数年そのまま活動する。
5年間のアメリカ留学(遊学?)より帰国の2001年の冬、
その間、偶然にも重なった、多くの友人の死という
悲しく個人的な大きな事件がきっかけになったのもあり、
「今やらなきゃダメだ…!」
かねてより考えていた、新UNIT結成の話を、旧知の仲間である伊藤と高木に持ち出す。
あっさりOK、2002年1月より、またまたまったりと怪しい活動を始める。
結局、居心地のいいところに落ち着くんだよな…。
今後もいろいろと変貌しながらも、続いていくことでしょう…
え?もっと知りたぃ?(*^_^*)?
わたしのWEBあるんですけど・・・、よろしかったら、是非おいでください(笑)