ちょっぴり大袈裟にきこえるかも知れないけれど、曽我部さんに出会う前、あたしはひどく不安定だった。繰り返し流れていく時間の流れに、ただひたすら埋もれているだけ。
何気ない毎日の中の小さな幸せとか、日本の四季の美しさとか、そういったものに気づく心の余裕を失くしてしまっていた。
いつでもぼけーっとしていて、無性に孤独で、ただ1日が過ぎるのを待っている感じで。思い返せばなんて時間の無駄使いをしていたんだろうと思うのだけれど。
そんなある日、偶然みたテレビから「White Tipi」が流れてきて。白と黒しか存在しないその画面の中で強く訴えかける訳でもなく、でも確かな何かを感じさせるように、曽我部さんは歌っていた。
あたしはなんだか違う世界を見ているような気がして、テレビから目が離せなかった。
確かその次の日、曽我部さんのCDを探すべく街へ出て、「瞬間と永遠」を購入した。それからというもの毎日これを聴いて過ごしていたような気がする。大きな傷も、小さな傷もなんだか癒えていくような感じがした。
そして少しずつご飯も食べられるようになって、自然と自分らしさを取り戻していったように思う。
たとえひとつの愛が終わってしまっても、それは決して絶望を意味するわけではない。当たり前のことだけれど、人はとても弱いから意外と気づけないことが多い。あたしも例外ではなかった。
でも新しい愛が生まれるのなら、ひとつの愛の終わりは始まりを意味するはず。終わりはきっと始まりなんだ。「愛」って素晴らしい、こう歌う曽我部さんをみていたらそんな風に思えてきた。
あたしたちは毎日を過ごしている。たくさんの情報や、世間のしがらみ、考えなきゃいけないこと、考えなくてもいいこと、悲しいこと、悔しいこと、楽しいこと、素敵なこと・・・こういったものが渦巻く中生きている。
無駄なことはひとつだってなくて、どんなこともすべて自分にとっては意味のあること。簡単なことなのに気づくのにどうしてこんなに時間がかかってしまうんだろう。どうしてこんなに不器用なんだろう。
素直に生きることは美しい。
誰かと出会えることって素晴らしい。
想いを共有できる奇跡。
口に出してしまったらなんだか安っぽくなってしまうようなこれらの言葉たちはきっと普通なこと。あまりに普通すぎて、あたしは見失ってしまっていた。その普通が何より素敵なんだということを、曽我部さんの歌は言葉を越えて再度教えてくれた。
自分はとても小さいけれど、自分の人生を切り開いていくのはそんな小さくて大きな自分なんだということも。いつだって曽我部さんは小さな自分を否定したりしない。それどころかそんな自分をすべて知った上で、あたたかく包んでくれる。そんな優しさに溢れている。
自分が自分であることにたとえ誇りを持てなくても、自分自身をすべて受け入れられれば、それがいずれ喜びに繋がっていくってこと。それに気づくことができたし、今は素直にそう思うことができる。
あたしの日常は驚くほどに変わっていった。いつもより空が綺麗に見えたり、季節の空気の匂いを楽しんだり。何気ないことが本当に素敵なことなんだって思えてくる。それはすべて曽我部さんのおかげ。
あたしはあの日から曽我部さんの生み落とす「愛のしずく」が降り注ぐ中で、今を生きている。 |