HISTORY

第1期

1982年05月

 元CKANSELのドラム、関高生とベース、松木達裕が中心となってSIEGFRIEDが結成される。
 ギターに生田 健作、ボーカル&ギターに菅野 博が加入。 EXPROSION STUDIOのブッキングで各所のライブハウスに出演を始める。
 この頃の対バンに、十二単やサブラベルズ、などの恐ろしい名前が連なっていた。
 サウンドとしては、アメリカを意識したブリティッシュなHRを目指した。
1982年07月25日

 初ライブが日比谷公園フリーコンサートになる予定だったが、雨天のため、延期になる。
1982年08月08日

 延期になった日比谷公園フリーコンサートが、またもや雨天のため、延期になる。 この頃から、関高生の雨男説が浮上する。
1982年08月26日

 池袋パモス青芸館で、事実上の初ライブ。対バンはダスト。
1982年09月03日

 目黒鹿鳴館でライブ。対バンはマザーファッカー
1982年09月12日

 延期になった日比谷公園フリーコンサートが、またもや雨天のため、延期になる。
1982年09月23日

 延期になった日比谷公園フリーコンサートが、またもや雨天のため、延期になる。 あまりの雨天続きのため、企画そのものが中止となる。
1982年10月26日

 渋谷屋根裏でライブ。対バンはマザーファッカー、サブラベルズ。
1982年11月06日

 早稲田大学学祭
1982年11月17日

 神楽坂EXPROSIONでライブ。対バンはブラウニー。 EXPROSION STUDIOが神楽坂にライブハウスを出した関係で、以後、神楽坂を中心に活動していくことになる。
1982年12月04日

 
 新宿ACB会館でライブ。対バンは死神酋長。

1982年12月16日

 神楽坂EXPROSIONで第1期最後のライブ。
 この日を最後にギターの生田 健作とベースの松木達裕が音楽性の不一致を理由に脱退。
 これを機によりハードな路線を目指すため、メンバーを募集開始。生田氏は脱退後、ワイヤークロスを結成。

第2期

1983年02月

 ギターに堤健一郎、ベースに梅津豊が加入。
1983年03月31日

 神楽坂EXPROSIONで第2期の初ライブ。対バンはEAGER
1983年04月17日

 神楽坂EXPROSIONで第2期最後のライブ。対バンはEAGER、カイザー。
 ギターの堤 健一郎が音楽性の不一致を理由に脱退。 バンドは再びメンバーを探し始めるが、思いの他難航する。
1983年07月

 ベースの梅津豊がしびれを切らし脱退。
1983年08月

 ギター&ボーカルの菅野 博がしびれを切らし脱退。 メンバーは関高生一人となる。
 元ベースの松木達裕がベーシストの座に復帰。
1983年09月

 ベースで脱退した梅津豊がギターで復帰。
1983年11月

 ギターに斎藤 武史が加入、ツインギターとなる。 4人はボーカルが決まらないままオリジナル曲を溜めはじめる。
1984年02月

 ベースの松木達裕が再度脱退。

第3期

1984年02月

 元エルザの吉田まゆみがボーカルで加入。また、ベースには新田洋之が加入。いっきにジャパメタ仕様となる。
1984年05月06日

 
 神楽坂EXPROSIONで第3期の初ライブ。対バンは虚空、READY。
 客の反応が良く、バンドのボルテージがいっきに上がった。
1984年06月12日

 神楽坂EXPROSIONでライブ。対バンは、ワイヤークロス。 吉田まゆみが喉の不調を訴え始める。ベースの新田洋之はこの日を最後に脱退。
1984年07月08日

 神楽坂EXPROSIONで第3期最後のライブ。対バンはREADY,EYES。 ベースはヘルプでMASHの那須俊弥が参加。ギターの斎藤武史が方向性の問題から脱退。

第4期

1984年08月

 ベースに須藤勝則が加入。バンドは4ピースの形をとる。
1984年09月23日

 神楽坂EXPROSIONで第3期最初で最後のライブ。対バンは狼魔、サーベルタイガー。
 ベースの須藤勝則がこの日を最後に脱退。また、ボーカルの吉田まゆみも家庭の事情により脱退。
1984年10月

 ベースに松葉口氏が加入。ギターの梅津豊が脱退。
1984年11月

 ベースの松葉口氏が脱退。再び関高生一人となる。
1985年03月

 元ギターの斎藤武史を再加入させる。

第5期

1985年03月

 ボーカルに今田真、ベースに片山昭裕、キーボードに樋口美千代が決定。リハスタート。
1985年09月08日

 
 新宿ヘッドパワーで第5期初ライブ。
1985年09月28日

 神楽坂EXPROSIONで第5期最後のライブ。ボーカルの今田真とベースの片山昭裕が脱退。

第6期

1985年11月

 
 5期はテクニック的に問題があった為 よりグレードアップを狙い、ボーカルに渋谷淳、ベースに内海伸一が加入。
 アンダーグランドなHR路線を追及し始める。
1986年02月16日

 神楽坂EXPROSIONで第6期最初のライブ。対バンは乱舞。
1986年03月15日

 神楽坂EXPROSIONで第6期最後のライブ。 ボーカルの渋谷淳が渡米のため、またキーボードの樋口美千代が就職活動のため脱退。

SIEGFREID休眠期

1986年04月

 ギターの斎藤武史が転勤のため脱退。
 以後数年の間、関高生と内海伸一はSIEGFRIEDに籍を置いたまま、いろいろなバンドにセッション参加しつつ、メンバーを地道に探す。
1986年06月08日

 この頃、脱退した菅野博がバンドを作ると言うことでベースに梅津豊、ドラムに関高生という顔触れでセッションを行っていた
 この話が発展してSIEGFRIED同窓会ライブの企画になり、ボーカルに吉田まゆみを加えて神楽坂EXPROSIONでライブを行った。
 曲は6期の曲が中心であったため、かなり異質なバンドになってしまった。
1986年11月

 PEARL HAMMOND初ライブを国学院大学学祭で披露。
1986年11月26日

 代々木LAZYWAYにてPEARL HAMMONDライブ。 内海伸一はこの日を以って同バンドを脱退。
1986年12月22日

 代々木LAZYWAYにてPEARL HAMMONDライブ。 この日を以って関高生、同バンドを脱退。
1988年12月

 SIEGFRIEDを再始動させる為に、ボーカルに石川氏、キーボードに横橋晶子の加入が決定する。
1989年01月

 しかし、このメンバーでSIEGFRIEDを再始動させる気になれなかった関高生は内海伸一を含むメンバー全員をクビにしてしまう。
 友達や知人の枠の中でのメンバー交代劇に関してピリオドを打ちたかったのである。
1989年05月

 この頃、関高生はSIEGFRIEDとは別にキーボードの横橋晶子と共にIMPRESSION(STARLESSのコピーバンド)に参加していた
 この時のボーカルの中川純子の紹介により、ドラムの抜けたマージュリッチにヘルプで参加することになった。
1989年06月28日

 目黒鹿鳴館にてマージュリッチライブ。
 当時のマージュリッチのメンバーには、ベースに現WASTELANDの関きよし氏や2ndギターに元エリノアのメンバーが在籍していた。
 この時、客席には元エリノア、現SIEGFRIEDの高木修三の姿があった。
 ライブが終わってから楽屋に小川優(元サファイヤ)というヴォーカリストが来てバンドを作るんでドラムを叩いて欲しいと言われ、了承する。
1989年10月

 兵藤と名乗るベーシスト(現DUEL)から電話をもらう。バンドを作るのでドラムを叩いて欲しいとのこと。 が、このバンドのヴォーカルは小川優ではなかった。
1989年12月

 このバンドも音楽的方向性やスタイルに疑問を覚え、関高生は早くも離脱した。
1990年01月

 関高生の兵藤バンド脱退を知った小川優が接近、小川バンドに参加することになる。 これから暫くの間、メンバーオーディションに明け暮れる。
1990年夏

 度重なるオーディションにもかかわらず、良いメンバーに巡り会えなかったが、ようやくメンバーが決定した。
 ヴォーカル小川優(元サファイヤ)、ギターに横山喜照(マージュリッチ)、ベースに高木修三(元エリノア)、ドラム関高生(SIEGFRIED)となり、リハーサルを開始した。
1990年冬

 小川バンドはギターの横山氏が離脱。 新たに小西斉が加入し、リハ再スタートとなった。

第7期

1991年10月

 小川バンドからギターの小西斉が離脱、横山氏が復帰する。
 合わせて小西斉がSIEGFRIEDに加入決定し、ベースには小川バンドの高木修三がヘルプで参加。
 ヴォーカルは須田高雄が参加することになり、SIEGFRIEDはやっと再始動することになる。
1992年12月

 ベースに初の女性ベーシスト小林恵が正式加入、高木氏のヘルプが終了した。
1993年01月

 ヴォーカルに関聡子が加入し、須田高雄脱退した。 これでやっと7期のメンバーが固まることとなった。
 音楽性としては、小西がマイケル・シェンカー系であるため、メロディを重視したものとなった。
1993年07月24日

 
 新高円寺RITZにてライブ。SIEGFRIEDとしては実に7年振りのライブであった。
 また偶然にも、この日ミキサーをやっていたのが、SIEGFRIEDのオリジナルメンバーである菅野博氏であり、
 再スタートに精神的な効果があった。
1993年08月21日

 恵比寿GUILTYにてライブ。 この日、SIEGFRIEDは70分くらいプレイしており、7期に関しては最高にヴォルテージの上がっていた頃であった。
1993年11月22日

 東洋大学学祭でライブ。 この頃、既にバンド内にメンバー間の亀裂が生じ始めており、実質的に7期最後のライブとなった。
1994年09月

 ギター小西斉、ベース小林恵が相次いで脱退。

第8期

1995年11月

 
 関高生は予てからもっと重たいギターはいないのだろうかと考えていたところ、その人は表われた。
 田口正樹という、トニー・アイオミが加入する事になった。
 ベースは高木修三が再び参加してくれることになり、バンドとして追及していくべき音楽性は、
 今までに無く明確で期待通りのバンドになってくれることと思われた。
1997年04月06日

 恵比寿GUILTYにてライブ。リハで1年を費やし、この日、8期初ライブとなった。 また、この頃に駒込サウンドファクトリーにて、初のデモテープをレコーディングしている。
 収録したのは、"WAITING FOR THE LAST TIME HAS COME"、"THE END OF ETERNITY"、"LONG FOR HEAVEN"の3曲であった。
1997年10月05日

 恵比寿GUILTYにてライブ。
 8期では、どうしてもキーボードが必要と感じてはいたが、キーボーディストが決まらず、しかたなくヴォーカルがキーボードを弾きながら歌うという醜い形態をとっていた。
1998年04月05日

 恵比寿GUILTYにてライブ。 この頃にデモテープ第2段として、板橋イエローナイフスタジオにおいてレコーディングしている。
 収録したのは、"EMBODIMENT"、"HILL OF GRIF"、"FORTUNE TELLER"の3曲。
1998年07月12日

 恵比寿GUILTYにてライブ。
1998年11月07日

 恵比寿GUILTYにてライブ。 しかしライブを重ねて行くうちに、いろいろな問題にぶち当たるようになっていた。

第9期

1999年2月

 
 ヴォーカル関聡子が脱退した。
 バンドを解散させるか、新しいヴォーカルを探すかの選択になったが、メンバーの考えは皆、新しいヴォーカルを探すことで一致した。
 その頃、恵比寿GUILTYのライブを企画していた板橋イエローナイフスタジオに、良いヴォーカルがいたら紹介してくれと声をかけていた。
 ほどなく、ファンクバンド“MOVE MOUNTAIN”でコーラスをやっている、荒木真為を紹介される。
 前ヴォーカルが抜けてわずか1週間たらずの出来事である。
 荒木真為はそのまま加入が決定し、SIEGFRIEDは結成以来最強の顔触れになった。

これより、SIEGFRIEDのバーミンガム・メタルとしての歴史が始まる...