秋、そばにいるよ
私が彼女と知り合ったのはそんなに昔のことではないと思う。
目を閉じると昨日のことのように思い出されるから、記憶もまだ色褪せてはいない。
少しつった賢そうな目が印象的だった。
私たちが仲良くなるのにあまり時間はかからなかった。
ひょうきんで、底抜けに明るい所がお互いよく似ていたのだろう。「男」という存在のない教室の中で、花のように、くだらないことで笑い合っていた。
私は恋に破れ、うまく笑えなかった時がある。昔から嫌なことがあると溜め込み、とことん落ち込む体質で、目の下のクマを友達に指摘されたくらいだ。
彼女はそんな私を見て、形のいい鼻筋に皺を作って笑い、こう言った。
「それはきっと、運命の人に出会うための別れだよ」
そのよどまない青空みたいな笑顔を見て、私は、何て楽天的な奴なんだろう、と心から思い、つられて微笑んだ。私を取り巻いていたどす黒いもやが、さっと晴れていくのを感じた。
始まったばかりの春の日のことだった。
その時は、なにも気づいていなかった。
女子高生ほど、恋の話が好きな動物はいない。
私たちももちろん例外ではなく、初恋から最近のものまで、思いつくものから片っ端に話していった。
恥ずかしかった話や、切なかった話など一通り語り終わった後、彼女は呟いた。
「恋が、したい」
すぐ見つかるよ、と私はあの時軽い気持ちでその言葉を流してしまったけれど、その小さな響きはどこか叫びに似ていた。私の悩みを心地よく笑い飛ばした、彼女にはふさわしくない弱音。
「そうだよね」
いつもの顔に戻って彼女は笑った。教室の窓から入る西日が背中にあたって、輪郭を金色にふちどる。あぁ、綺麗だなぁと私は見とれる。
目の前にいるのは私の友達ではなく、もっと別の触れてはいけない存在のように思えてしまった。
日を重ねるにつれて、彼女の周りで何が起き、どんなふうに心が変化していったのかわからない。
ただ、ぽつり、ぽつり、と滲み出ているのがわかる。負のオーラが。
彼女の白い肌に影を落とすのは、睫毛の影だけじゃない。
昼休み私の机に残していった女の子の落書きも、どこかさみしそうに笑っていた。
帰り道、偶然会った。
「あ、部活?」
「うん。今終わったとこ。疲れたなぁー」
たわいもないことを話しながら、電車に乗り込む。
初夏の空気を、電車の冷房が際立たせる。夏の足音が聞こえる。
「暑くなったね」
窓の外の景色を見ながら私は言った。
「夏休みまであと1ヶ月くらいだね」
「うん」
カタン、カタン、電車は揺れる。
「部活、夏休みもあるんだよね 運動部だから大変だね」
返事がなかった。
彼女は目を伏せて、何かを考えていた。
「…私、やめるかも」
「えっ?」
私は、小さく声を上げてしまった。
あんなに楽しそうにしていたのに。また、じわじわと流れ出ている。
どういう言葉をかけたらいいんだろう?
「居場所が欲しかっただけなんだ」
私が隣にいることも忘れているように呟いたその言葉には、いくつもの感情がぐるぐるとロリポップみたいにうずまいていた。
この闇はどこまで続いているんだろう。果てしなく深い気がする。
学校ではひまわりみたいに明るく笑うのに、帰りの電車と教室では印象が違う。
私は困りながら言葉を探した。
「ね、今日の宮下の授業さ…」
何事もなかったように、彼女から別の話をしだした。私はほっと息をつく。たった今垣間見た何か。心に小さなしこりができた。
話に相槌を打ちながら、私はぼんやりと天井の広告を見あげた。
ある日渡された手紙。
何の変哲もない、明日の予定とか隣の席のこの居眠りの様子とかが書いてあるだけの、普通の手紙だ。
でも、文字は泣きそうだった。彼女の涙の粒がいっぱいついているような気がして、その痛みが私の指先から伝わってきた。
恋愛や、勉強のジレンマ。見えないところでのしがらみ。
そんなものが彼女をいつの間にか取り巻いていったのかなぁ
夜、英語の予習の手をふと止めて、私は考える。
虫の声がしんしんと鼓膜に染みこんでいく。
女の子にこんなことを思うのも変だけど、守ってあげたい、という言葉が脳裏に浮かんだ。
9月。
彼女は部活もやめずに、依然としてきらきらと笑っていた。
話によるとどうやら彼氏ができたらしい。
なるほど、内側から輝いている気がする。私は誰にも気づかれないようにくすり、と笑った。
あんなに悩んでいたのに。
なんて現金なんだろう。
おかしかった。
男の子の穴は女の子では埋めることはできないけれど、女の子にしか埋められない穴だってあるはずだ。
その陥没した心の一部を、少しずつ修復していく。
私は、そんな存在になりたい。
2004.7.21