今月は1987年に発売されたアルバム「カバーズ」、シングル「ラブ・ミー・テンダー」の
発禁騒動について、あの騒ぎは何だったのかについて書きます。
これを読まれる方へ一言だけ注意させていただきたいのですが、我々は原発問題とは
簡単な気持ちで語れるものでは無いはずで、結論なんて無いことはわかっています。
ですから、ここでは「清志郎の歌う反原発」というものを語っているだけで、原発問題に
ついては一切の意見を入れてないつもりです。変に深読みせずに、清志郎についてのみ
考えていただけるようお願いいたします。
COVERS。あの発禁騒動がなかったとして、何の先入観もなく、このアルバムを聴いていたならば
どう感じただろうか? そんな事を思いながら、久しぶりにこのアルバムを聴いた。 その印象は、
「ゲストが多くて、言葉遊び豊富な、楽しそうで茶目っ気のあるアルバム」。 あとは、時事ネタが
多いので、発売当時の時代背景がわかるといったところだろうか。ああ、チェルノブイリ事故があった
後だとか、あのスパイ事件があった頃だ、とか。 そして・・・あれだけの騒ぎを引き起こす羽目に
なった、反原発のメッセージは私の心には届かなかった。
何故だろう? 当時、RCなんて聴かなかった友人に「買ったら貸して」といわれた覚えがあるから、
結構な話題になっていたんだと思う。それも、反原発を唄うことに対する賛否両論だったり、もっと
身近にあったのはイケナイことを唄う過激さへの興味だったような印象がある。「生卵」に載っている
当時の投書なんか読んでも、反原発議論が結構多い。 でも、あの騒動で問題にすべき本質は
そういう点ではなくて、発売が禁止されたという言論規制に的を絞るべきだったんじゃないかと思う。
マスコミもファンも論点がずれていったように思える。
そして清志郎も logic が通っていない・・・このアルバム〜コブラの悩み〜Timers に至るまで。
もしかすると、その辺りが周囲の論点のズレを呼んでしまったのかもしれない。 どういう風に logic が
通っていないのか。
根本的なズレは、清志郎が核兵器と原発を混同して表現しているところにある。 例えば、「LOVE ME
TENDER」で”核などいらねえ”に続いて”牛乳がのみてえ”と唄っている。牛乳、これはチェルノブイリ
原発事故による放射能汚染のためにヨーロッパの家畜・飼料が放射能汚染されて、牛乳摂取の
危険性が指摘された、その事象を指す言葉だ。核に対してではなく、原発に対する言葉なのだ。
もっとも、核爆弾なんか落とされたら、牛乳どころじゃあなくなる。 反核と反原発それぞれを唱える
のは構わないと思うが、核と原発を混同して反対を唱えるのはどうだろう? 清志郎が感情的に
原発反対なのはよく判る。と同時に、原発や日本のエネルギー政策について勉強した上で、
理論的に批判しているとも思えない。 感情論だけでは政治的メッセージとしては未熟である。
だから「サマータイムブルース」の”電力は余ってる”というフレーズも、詭弁にしか聴こえてこない。
成熟しきれない社会的メッセージは、心を強く捉えるまでには至らない、と思う。 そもそも、そんなに
強い意志を持って、反核・反原発を歌い込んだのだろうか? 普段何気なく新聞やニュースをみて、
ふと思った感情を曲にしただけなのかもしれない。それが、発禁になったんで、政治的メッセージと
拡大解釈されてしまっただけなのかも。
だから・・・発禁がなかったら、反原発なんて話題にならなかったと思うのだ。 例えば、MARVY の
「SHELTER OF LOVE-ツル・ツル」には”放射能の雨””シェルター”という言葉がでてくるが、この曲
から核の恐怖を連想するだろうか?”危険”と”保護”の代名詞として使っているように聴こえるが。
でも、何かのカバー曲の詩としてこれが使われ、COVERSに入っていたとしたら・・・反核ソングと
騒がれたかも。 今、「LOVE ME TENDER」「サマータイム・ブルース」を聴いても、あんな騒ぎが起こる
とは思えない。最近、ニュース番組でも唄っていたし。 思うに、「世の中が悪くなっていく」を十年後に
聴いたら同じ印象を持つような気がする。ああ、小室ファミリーがミリオンセラーを連発してたなあ、
とか、バタフライナイフ事件があったなあ、とか。 こんな具合に、「原発なんて危ないよなあ」とか
「最近、世の中が悪くなってるよなあ」とニュースを見ながらつぶやいているような曲にすぎないの
ではないだろうか? こう考えると、発禁騒動によって反核・反原発を強調させられてしまった、
そんなアルバムという気がする。
さて、そんなCOVERS(騒動)についてファンはどう思っていたの
だろう? 88年、日比谷野音にて取材されたニュースが流された。 RCファン(20代男性)「詳しい
ことはわかんないけど妙に説得力があった」 TV「ということは、原発反対?」 ファン「基本的には
そうです」 彼は”わかんない”といっているのに、マスコミの誘導尋問にかかって「原発反対」と
言わされた、と思うのは私だけだろうか?これってファンまで騒動に踊らされていたって事ではない
だろうか? そして、女性がチョークでこう落書きしている。 「東芝のおえら方へ こわがってないで
はっきりと(発禁の−筆者註)わけを言え RCより原発をえらんだことわすれねえぞ」 これはTV
ニュースとして意図して選ばれたものだから、違う意見を持ったファンもいたことだろう。
でも、私もライブ会場でこのニュースと似た声を聴いた。発禁するんだから原発は危ないとか、
清志郎の発言を盲目的に肯定する意見とか、東芝に対する感情的批判とかを幾つか耳にした。
当時の私がどうだったかというと、「そこまで熱狂的ファンじゃあないなあ」とちょっと退いてしまった。
実のところ、他の多くのファンは当時どう感じていたんだろうって興味がある。
こうして当時のことを思い起こしていると、こんな考えがもたげてくる。 もし、あの騒動をきっかけと
して、核とか原発について知ろうとし、真摯に考えようというファンの動きがあれば、あの騒動は
もう少し意味をもったかもしれないなと。 マスコミに煽られ、流され、踊らされるだけではない、
結果を生み出したかもしれないな、と。そうだったら、清志郎の唄う事はメッセージに成り得たのかも
しれない、なんて、現在だからこんなこと言えるのかも知れないが。 ここまで批判ばかり書いてきた
が、COVERSで私の心に響く曲もある。 例えば「明日なき世界」。”一度くらいはTVでみただろ”の
フレーズ。戦争を身近にする言葉だ。 これが唄われた3年後(1991年)の湾岸戦争で、ホントに
この光景〜ボタンが押され、ミサイルが飛ぶ光景〜をTVで見るはめになってしまう。
私の心にこの曲は切実と響く。
私は清志郎の唄う政治的な詩はあまり好きではない。 私がこのサイトで連載の「スクリーニング
レビュウ」で、キーワード検索もどきのエッセイを書いているがCOVERS や Timers の曲はほとんど
ピックアップしていない。それは、私の心に響くモノではないからなんだなあ、と思う。 私の好きな
清志郎は、ナイーブで、でもとびっきりのラブソングを唄っている人なのだ。 ・・・そういえば、
「イマジン」なんて究極のラブソングかも・・・
midnight(以下m)
: ほとんど高石友也の詩と同じなんですが、2カ所だけ大幅に違う部分があるんです。
”感じねえかよ この嫌な感じを 一度くらいはTVで見ただろ”(高石だと”わかんねえかよ 俺のいう
ことが 感じねえかよ この感じを”) ”奴らは俺がおかしいと言う”(高石だと”俺の血は狂ってきたら
しいぜ”)高石だと優等生の意見に聴こえますが、TVって言葉でぐっと身近な出来事に感じるし、
高石のいわゆる反戦フォークを先に聴いていたのに、清志郎のボーカルのほうがさしせまる感じが
して怖かったです。
p : なるほど、そうだったんですね。では本題に入りましょう。
naughty(以下n)
: 「 根本的なズレは、清志郎が核兵器と原発を混同して表現しているところにある。」
とありますが、核(放射能=原子力)というくくりなら混同もしょうがないかなとは思います。
おそらく清志郎もそういう感覚で書いたのであって、この曲の場合、核兵器は念頭に無かったと
思われますが。
m : いや「核などいらねえ」という言葉では、核はいらない=反核と捉えられるのが一般なの
ではないでしょうか?非核三原則の「核をもたない・・・」って原発じゃなくって核兵器でしょう?
この後はnaughtyと同じく核兵器ではなく、原発を意識していると思います。
記事にも書きましたように「牛乳を飲みてえ」もそうですし、「税金かえせ」「一般庶民をだまそうと
しても ほんの少しバレてる その黒い腹」「だまされちゃいけねえ」ってあたりは、政府が国民を
ごまかして、危ない原発つくってるってことに向けて唄ってると思われます。
カップリングが「サマータイム・ブルース」ってあたりも、この曲で反原発を訴えていると思われて
仕方ないと思います。
n : ちょっと言い方が不適切でした。私は反原発ではなくて、核兵器も原子力発電所もひっくるめて
の反核(反原子力)の曲だと思います。そう思う一番良い例が「LONG TIME AGO」の歌詞だと思い
ますが・・・。清志郎は核兵器、原子力発電所個々の事よりも、その先の恐怖、つまり、それによって
起こる放射能被害の事について感じたので、歌ったのであって、核兵器と同じくらいの被害のある
原子力発電所が同列であっても何の矛盾もないと思うのですが・・・・。
ですから、「メッセージとして伝えるには説得力に欠ける」とありますけど、清志郎としては、それを
メッセージとして伝えるつもりではなく、たまたまLOVE ME TENDERの歌詞を日本語に変換して
歌おうと思ったとき、最初から反原子力の曲にしようと思ったわけではないと思います。
たまたまLOVE ME TENDERの"LOVE ME TENDER"の部分が"何 言ってんだー"となって出来
たから、たまたまその時、話題になっていた原子力発電所の事件を歌にしただけだと思います。
ですから、あのアルバムに統一したメッセージがあるわけでもなく、たまたま清志郎がよくやる
時事ソングの一環としてつくっただけで深い意味はないんじゃないかなと思います。
m : なるほど。私は、核兵器と原子力発電所を同列に考えたことがありませんでしたので、
混同した考えは無知な感情論だと思っていました。
そして清志郎の言うことは都合よくコロコロと変わる(反核だったり、反原発だったり、ごちゃまぜ
だったり)、無責任だと思っていました。naughtyの発言聴いて、そして清志郎の考えがnaughtyの
理解の通りだとすれば、「反原子力」という考えでは(彼の中では)一貫している気もしてきました。
p : naughtyの言ったカバーズの統一のテーマって点ですけど、反核というのが元々のカバーズの
企画意図であったことは間違いないですよね。(当時のRC TIMESという紙に清志郎の書いた企画書
が一部分載ってますので)ただ、反核の一つのテーマとして出てきた反原発を清志郎は前面に押し
出していたのは確かだと思いますし、明らかに意識して作ってるんではないでしょうか?
まぁ、この企画書を書く前に「LOVE ME TENDER」の歌詞はすでに完成していた可能性も大です
ので反核ってアルバムの企画テーマは後から取って付けたのかもしれません。
n : 意識して作っているっていわれてみればそうですね。ただ、曲によっては無理なこじつけ
(マネー)があったりもしますね。
マネーの日本語詩は、チャボと清志郎になっていますが、チャボが作ったと思われる部分は、
清志郎の意図した企画がまるで反映されてなさそうですね。
そこに強引に清志郎がこじつけるために、自分が歌う部分を書いたと見る方が良いのでしょうか?
p : 一応付け加えますと、この曲自体は古くからチャボはやってて、「じれったい政府」のところは
元々無い歌詞ですよね。チャボはただ単に洋楽のカバーをやる企画に賛同していて
反核・反体制を直接的に打ち出す気はなかったと思います。ここだけ清志郎がカバーズ用に
無理矢理付け加えたのでは?洋楽に日本語訳詞ってのは清志郎っぽい感じですけど本来は
チャボが得意としてた分野ですよね。新曲作ろうと思えばいくらでもあったろうにあえてこの曲で
お茶を濁すというか簡単に終わらせてしまったってとこがチャボがこの反核・反原発のテーマの
レコーディングに燃えてなかったのではとの推測は成り立ちませんでしょうか?
m : 清志郎が意識してやったのかとのことですが、MARVY出した時のインタビュー(生卵に記載)
見ると、原発や原子力船むつやチェルノブイリ事故に対してひっくるめて「反核」って表現してます。
そして反原発をとても意識していますね。「SHELTER OF LOVE」も”反原発内容を歌ったらリスナー
がどんな反応をするかという探りを入れている”って言ってますね。やはり意識したテーマと思われ
ます。
ところで、「君はLOVE ME TENDERを聞いたか」では「あの歌は反原発の歌だってみんな言うけど
違う違う それは違うよ あれは反核の歌じゃないか よく聴いておくれよ 核はいらないって
唄っただけさ」と言ってるんですよね。このように、清志郎は理屈が通っていない、と思うんです。
だから、あんな発禁騒動は予想しなかったにせよ、原発は危ないってことを伝えたいキモチは
あったと思うんです。でも、それを伝えるほどのメッセージにはなり得なかったと思います。
「ボス、しけてるぜ」程度の、感情的な反社会的意見にすぎないと・・・それが”成熟しきれていない
政治的メッセージ”と書いた理由です。それで、「電力は余ってる」ってのも理論的にではなく、単に
言い返しているだけのように聴こえてしまうんですね、私には。私、そういう清志郎の曲ってあんまり
好きじゃないんです。当時も、発禁騒ぎの後にこのアルバム聞いて、「何故発禁なんだ」という怒り
より「こんな子供っぽい一言で騒ぎになっちゃって、変な意味で注目されちゃってやだな」と思いました。
清志郎って感覚的な人で、その感覚があってこそ素敵な曲が書けるし、そういう曲が私の心を打つ
んです。だから、清志郎に理論的に考えてくれって言ってる訳じゃないんですよ。
話ずれますが、ちょっと前に、早稲田学祭にでるでない、ってときも、はじめは早稲田のもめ事知ら
なかったので「学祭、いいな」と思いましたが、後で内容をしり、「COVERS, TIMERSの清志郎と
捉えられてるのね」とあんまいい気はしませんでした。
n : 今の発言に何点か思うとこあるのですが・・・
「君はLOVE ME TENDER」に関しては筋が通ってると私は思うのですが。
p : そうかなぁ?ここは、私も始めてこの曲をライブで聴いてからずっと疑問なんですよ。
歌としては筋が通ってるのは確かですが・・・
「LOVE ME TENDER」を「サマータイム・ブルース」とカップリングしたことに意味は無かったので
しょうか?「君はCOVERSを聴いたか」でも通じる筋なんでしょうか?
n : 先程の筋というのの対象は、あくまでもLOVE ME
TENDERに関してのことです。ただ、LOVE ME
TENDER自体が騒動の象徴みたいになっちゃってますので、騒動全体に対するアンサー的にとられ
ちゃってるのかなと思います。
m : でも、「君はLOVE ME TENDERを聴いたか」の後半は、騒動に対して”ばかみたい”と触れてます
から、「LOVE ME TENDER」についてだけだというのは言い訳っぽいです。
p : もしLOVE ME TENDERは出せてサマータイムはダメだったらどんな言い訳したでしょうか?
n : 攻撃対象を電力会社にしていんじゃないかなと思います。
m : 原発は危ないって清志郎は言っちゃってるんですから、そうならそうと反論すれば良かったのに、
「反原発とは言っていない」なんて歌っちゃうから、その場しのぎの言い訳に聞こえちゃうとおもうん
です。 Pieのいうとおり、「君はCOVERSを聴いたか」でも歌えたら、説得力あったと思います。
n : 先ほどのmidnightの発言に戻って「政治的メッセージ」って出てきますけど、その捉え方が、正に
当時のマスコミとかの捉え方と同じですね。清志郎としては、本当にその時の時事問題を歌った
だけだと思います。多少、子供の将来も念頭にあったかもしれませんけどね。
m : 「もしメッセージとして伝えたかった曲ならば」という視点で言ったつもりです。曲として
公に発表するならば「メッセージとして捉えられても仕方ない」という意見も少し込めて・・・
清志郎は、本当にその時の時事問題を歌っただけだと私もそう思っています。もっとも、軽はずみ
だったとは思いますが。
p : まぁ、軽いジョークが大げさになっただけで「LOVE
ME TENDER」にしてもアルバムの他の曲に
しても深い考えは最初は無かったのは確かだと思います。
ただ、深い意味もないのに公共のメディアを使ったことに問題があったでしょうね。
n : そうですね、時期が時期だっただけに、格好のマスコミのエサにされましたものね。
m : ライブで歌うだけならまだしも、アルバム、しかもシングルカットですから、それなりの影響や反応
は予想すべきだったかもしれませんよね。ライブで歌うだけならまだしも、アルバム、しかもシングルカットですから、それな
p : 今気付いたんですが、このカバーズ騒動に対する嫌な感じって、影響や反応が余りにも
「ベタすぎる」ってとこにありませんか?清志郎=反体制=反核=反原発=発禁=言論の制限。
そう安室が結婚するときに「キャン・ユー・何とか」って曲をリミックスでだしたりして売れたりする
あの感じです。言ってることわかります?
m : 「ベタすぎる」(笑)実は安直なおきまりパターンにはまってしまった騒動かもしれませんね。
一見、政治思想など持ち合わせていないようなロック歌手が反体制を歌う、それに圧力がかかる、
マスコミは若い彼らやそのファンの意見を取り上げ、社会運動に仕立て上げ、煽る・・・しかも、
反体制として掲げたテーマが原発(しかも原発事故後の)・・・
東芝批判なんかも、当時の景山民夫の発言の「原発が停止する日まで東芝製品は電池一個たり
とも買いません」なんて、いかにもです。客観的に見たら、「そんな大げさに騒ぐ程、しっかりした
主張だったの?」という程度かもしれなかったのに。
そんな短絡的な流れなのに、清志郎やファンまでもが巻き込まれ、溺れかけてしまったってのが
私は嫌です。
p : 景山氏の発言はまさにそのパターンですね。たぶん清志郎サイドヘのリップサービスとして
ベタを承知で言ったんでしょうけど。確信犯的であるんで景山氏の発言は笑っちゃいますけど、
冒頭のmidnightの文の中で出てくるコンサート会場の路上に東芝の悪口を書く女性などは
ベタになってるのがわかってないって点で私には非常に嫌な感じです。
しかし発禁になって反原発集会で歌うなんてパターンにはまればもっとすごいベタになったんで
しょうけど。お誘いはあったと思いますがさすがそこまではやりませんでしたね。
当時、RCファン=清志郎信者=反原発論者ってとらえかたされませんでした?
私なんか別にそう言った意味でファンやってたわけではないのに・・・
そういえばこの頃から人様に堂々と「清志郎好き」って言えなくなってしまった気がします。
n : そうですよね。流行的な格好良さで、一時的なファンが急増しましたものね。何か、聞いてる
ことが(知ってることが)格好良いみたいな感じで。ちょっと話、ズレるかもしれないんですが、
ローリングストーンズが初来日したとき、それはそれはものすごい大フィーバーになりましたよね。
本当に知ってんの?みたいな人もファンになったりして・・・。その時の雰囲気が、規模の差こそあれ、
同じかなと思いました。案の定、ストーンズは去年来日したんですが、満員になった公演は
半分くらいでした。
m : 私はpieが言ったような事は感じなかったです。ま、その頃は学生で、外の世界にでていなかった
というのもありますが。発禁になったとき、「どんな内容なの?」とはすごく聞かれましたね。
「おまえはどう思うの?」とも。それに、ネクラなオタク系の学生、周りに多かったので、彼らはとっても
おもしろがっていて、それが嫌でしたね。
こうして色々話してみると、冒頭の「COVERSのメッセージは届いたのか?」との問いかけに対する
我々3人の答えは「ノー」となるようですね。「届いたのか?」と考える前に「COVERSにメッセージは
込められていたのか?」という疑問もでてきましたが、それに対しても否定的で、「あれは単なる
時事ソングのつもりだったんではないか」との意見で一致したように思います。
もっとも、この辺の真実については、清志郎本人に聞いてみないと判明はしないでしょうけどね。
pie(以下p)
: 当時カバーズ発禁ってのはどう思われました? 私はまだ学生の頃でそれ程わかってた
わけでないですけど、企業の論理として当たり前のことで、怒る清志郎の方が おかしいと思ったり
したんですが。あの出来事は言論の規制とは違うと思うんですよね。キティで出せたわけですから。
naughty(以下n)
:個人的には、それ程騒ぐ程の物?という気持ちでした。
私もそれ程分かっていたとは思いませんが、 確かにpieの言うとおりの側面もあったと思います。
清志郎が幾ら批判しても、結局はその批判している企業のグループの一因だったりしますからね。
p : いつも以外と簡単に身内を批判しますよね。あれって本当に本人の意見なんでしょうか?
周りが焚き付けてるんではないかって感じがします。
n : そうですよね。
p : また、「コブラの悩み」で東芝にけじめを付けさせたなんて
話ありましたが、東芝が大人だった
だけのように思えます。当時「最初に言いだしたやつをみつける」なんて言ってましたが見つかった
んでしょうか?
n : あれは、もう騒ぎが大きくなって収拾がつきそうになかったのと、あれだけボロクソにこき下ろした
東芝からまたレコードを出すことの単なる理由付けだと思うのですが・・・・。
おそらく本当に怒っていたなら、東芝以外に移籍して出すのが普通だと思うのですが、きっと契約が
かなり残っていたので、契約を破棄して、シングルマン時代の悪夢の再来にする訳にもいかず、
そのまま東芝から普通にアルバムを出すと、周りから結局ポーズだったみたいな批判が出るという
のが予想されたので、ああいう形で出したのだと思います。東芝にとっても妙に話がもつれず、
すんなり次のレコードが出たことによって、イメージがそれ以上悪くなるのを避けられたし、一応、
両方とも顔が立ったということでしょう。
p : あの当時のFC会報「BAD」も扱いに困った感じでほとんどこの件に関してはとりあげなかったり
身内から清志郎擁護の意見がほとんど無かったのが印象的だったんですが、やはり周りも企業と
いうものがわかってたんでしょうね。
n : ただ、言論の規制云々は後から付けたような気がします。
元々はただ、レコードが寸前で発売
中止になって、マスコミがその理由を過剰なまでに持ち上げたんで、だんだんそっちの方向に
行ってしまったのではないかという気がしますね。
p : ニュースステーションとかでも取りあげられたりしましたよね。
いつもの反体制=清志郎のステレオタイプなイメージが影響したんでしょうか?
n : だと思いますよ。ニュース側からすると過去のガム吐き等の経歴もあったし、本当に絵になる
素材だったので、取り上げたのだと思います。
これがフォークの人だったら、どうだったか・・・と思います。
p : 多分話題にもなってなかったでしょうね。「反原発・反核」のテーマ云々より清志郎が騒ぎ起こした
のがマスコミには良かったわけで。 私たちの知らないとこでレコ倫等の規制なんていっぱいあって
るはずです。
n : 確かにそうですよね。 そういう意味では、清志郎は、マスコミにとっては絵的にも格好の素材
だったと思います。
おそらく清志郎自信は当初、単純に自分たちが作ったアルバムが出せなくなったことに腹を立て
ただけだったと思うんです。世の中がそれで騒いだんで、だんだんとそっちの方向に変わっていたの
ではないかと。
p : アルバムが出せないことに対する単純な怒りってのはわかります。それだけの話が大げさに
なったのは清志郎自身が踊らされてしまってたとこもありましたよね。
n : あと、清志郎が元々持っていると思われるコマーシャル的な計算も多分にあると思います。
おそらく反体制的なイメージで騒がれはじめたので、戦略的にしばらくそっちで行こうかなと思った
とか・・・。キティはその辺の流れをうまく読んで、出したような気がします。普通に考えたら、幾らRCの
アルバムといっても、内容的にセールス期待できませんからね。
p : あれ、オリコン1位になりましたよね。どこが出しても売れたでしょうね。
n : だと思いますよ。だからこそ、キティが手を挙げたんだと思います。
p : カバーズ騒動といえば私はRC解体を一気に進めた出来事だったと思うんですよね。たとえば、
独立やRAZOR SHARPとかいろいろとバンドに変化があったわけですけどもっと直接的に結びつい
てると思います。
n : そうですね、この時の各メンバーの反応のズレがRC解体へ進んだ理由の内、大きなウェイトを
占めているでしょうね。
p : やはりチャボなんかの後のインタビューで感じられるように反核/反原発なんかを歌うのは
全面的に賛成って訳では無かったみたいですね。
n : 多分に昔のフォークぽくて嫌だったんでしょうかね。
p : 余りに個人的な解釈の歌だったんでいやだったんでは・・・
チャボはちゃんと意思表明するタイプではなかったですからね。よく、思うんですが「SHELTER OF
LOVE」を聴いて資料を送ってきたファンがいたりして「原発」に興味持ったらしいんで、それを送った
ファンがRCを解体させた張本人かも知れませんね。
n : それもありそうですね。
p : ところで音楽的な面では清志郎なんかその後に影響あったでしょうか?
n : 音楽的にはないと思いますよ。ただ、扱う内容によって人間(バンド)を使い分けるように
なっていきますよね。元々清志郎は何をやるにもRC1本と考えてると思うのですが、それ以外の
活動をやる時って、必ず妥協があってからだと思います。RAZOR SHARPだって、元々RCの話だった
のに、みんなが反対したからああなった訳だし・・・。
ルージュマジックも丁度売り出し時期の真っ最中だったから、事務所の思惑や桶田氏(破廉ケンチ氏)
に頼まれて仕方なしって感じで本来だったら絶対組む訳のない教授と組んだ訳だし・・・。
p : そういえば、それまでKJLCも勝手にやらされたみたいな感じで自主的にやったのは最初の
Dr.梅津バンド位ですよね。タイマーズもRCがやんないから仕方なしって感じで始めた訳ですけど、
それがあまりにRCと違って居心地良くてやりにくいRCよりも・・・って感じでこだわりも減っていったん
でしょうね。でもよく考えたらニーサンズもこんな終わり方だったですね。
n : そうなんですよね。 まあ、清志郎にとっては絶対服従とは違って、いっしょに同じ感覚で楽しめ
る同志とやっていきたいといった感覚なんでしょうね。
p : ところであのアルバムをやってサウンド的に原点回帰みたいなことはあったんでしょうか?
n : ないと思います。サウンドが変わっていったのは、周りも変わっていったからだと思います。
p : カバーズ自体の評価がかなり曖昧で「発禁」以外のテーマで語られること無いですが、アルバム
自体の質はどうでしょう。
n : 私、個人としてはコブラと並んで、ほとんど聞かないアルバムです。
何かゲストが多すぎて、
RCというバンドの顔が見えないし、演奏は平板だと思います。
p : 各楽曲に対するクールな演奏が耳に付くように思えるんですが。RC色をあえて出してないんで
しょうか?
n : そこなんですよね。演奏にグルーブもないし(特に新井田氏のドラムがまるでやる気なさそう
ですね)。 オリジナル以外でも楽しめる解釈の曲って、サウンドの点では サントワ・マ・ミー位
ですし・・・。
p : 新井田氏はもともとドラムで語る人では無いでしょうけどこのアルバムはひどいですよね。
リズムキープだけって感じで・・・。ドラムマシーンとやってることはかわんない。
G2が活躍してないのもやはりRC色を消しているのではないでしょうか?G2もこの時期すでに全然
やる気ないんだと思いますが。全体的に淡々として燃えるものがないですよね。
また、訳詞という部分はどうですか?私は発禁シングルの2曲は評価しませんけど・・・
n : 私もそう思います。ま、上記の対談でも出てきましたが、LOVE
ME TENDERなんかは、単なる
言葉遊びから生まれた時事ソングだと思ってますので・・・。
p : 詞の出来をどうこう言うレベルのものでは無いのかも知れませんね。
あと、コブラの「ヘルプ」も最悪ですね。
n : あれもLOVE ME TENDERと同じだと思います。
p : しかし、あの詞でよく作者というか権利者の許可降りましたよね。
n : おそらく権利者はそこまで細かく聞いてないのではないでしょうか。原曲は、どれも名曲なので、
放送等も世界中でされていると思うし、それに対するギャラ(権利金)が入ってくるのに対する、
事務作業も相当な物だと思いますので、日本の1アーティストが出したアルバムの中の曲の中身まで
チェックはしてないと思いますよ。
p : そうですね。しかし、Mr.childrenが「花はどこへ行った」を反戦歌としてリリースしようとして、
レコーディング、プロモ盤まで作成したんですが結局許可が下りずにボツになったとの話を
何かの本で読みました。ちゃんと管理できてるところと、そうでないところの差があるんでしょうか?
ただ、「風に吹かれて」「イマジン」「悪い星の下に」は原曲の意味を壊さず清志郎の言葉になって
おり素晴らしいと思います。カバーズの原点が87武道館の「風に吹かれて」を当時の東芝の担当
近藤氏が感激して、なんて話が残ってますが、解る気もします。もし、反核をテーマにしないでこの
3曲みたいな曲で埋められていたらかなりいい作品になっのではないかと思ってます。
n : そうですよね、あとカバー全部でなくて、オリジナルも少し入れて、更に窓の外は雪を、もう一度
セルフカヴァーして、アルバムの中盤(LPで言えば、B面の頭)に収録して、イマジンで終われば、
ちょっとしたコンセプトアルバムっぽくなったりして、良かったのかなと思います。
もっとも、まずあのゲスト陣を減らして、更に演奏をもう少し何とかしてからの話ですが・・・。
p : オリジナルのセルフカバーもありですか。面白かったかも知れないですね。
しかし清志郎の良さはスタジオ録音でセルフカバーをやんないとこだという気もします。
泉谷の「春夏秋冬」って何テイクもありますよね。
n : そうですね。泉谷の場合は曲の成長過程を形として残しておくんでしょうね。
清志郎は多分それをライブ盤でやってるのかな、と。ただ"雨あがりの夜空に"とかのどうしようも
ないアレンジの曲はスタジオでも録り直してほしかったですね。以前の特集でも触れましたが、
あれがベスト盤になんかで残っていくのは・・・。ところで、pieは、サウンド、楽曲的な視点からの
カバーズはどの様に感じてますか?
p : ハッキリ言えば私にとってはその面で言えば取るに足らないアルバムだと思ってます。
極端な話演奏はRCであってRCではないし、私の好きな清志郎ではないし。
今回このサイトのために90年代になって始めて真剣に聞いたんですが、ということは10年振りくらい
ですけど特に思うこともなかったです。ただ、反原発騒動についてはmidnightとのやりとりでも
あるように、いろいろ思うとこはありました。ここいらはダブって話してもしょうがないので、この辺で・・・・
RCサクセションのアルバム「カバーズ」と言えば、随分話題になりました。88年あたりはイカ天、
ホコ天などのバンドブーム初期、なにか目新しい音楽を欲していた当時の高校生に「カバーズ」の
メッセージソングはとても新しく思えた。もちろんこういった社会ソング、反戦歌に類する曲はいままで
にも沢山あっただろうが、いままで愛だ、恋だの歌謡曲を聴いていた彼らにはこの強いメッセージ色は
カッコ良かったらしく、ましてや日本語、わかりやすい!しかも発売中止ですっかりハクもついたこの
アルバムにはみんな飛びついたものでした。
さてさて、僕はというと「カバーズ」よりちょっとだけ前に清志郎には出会っていて、RCサクセションの
ニューアルバム「カバーズ」は楽しみにしていました。カバー集だという事は事前にわかっていた事
で(タイトルでもわかるけど)清志郎の英語はカッコイイ、「IN THE MIDNIGHT HOUR」は入るの
かなぁ、オーティスはかなり入るんだろうとすっかり勘違いしてました。
聴いてみると僕の思っていたカバーとはまったく違っていてオーティスはなく、全日本語詞。しかも
「LOVE ME TENDER」の訳はまったくのオリジナルじゃないか、と洋楽を聴かない僕にはわかりました。
歌詞は核・原発・戦争に対するメッセージ、核は日本にはないはずだから世界規模の問題を含んだ
メッセージですね。このメッセージ、清志郎はどのような意図で書いたのか?清志郎の怒りなのか?
怒ってる清志郎っていうのはアルバム「FEEL SO BAD」のBAD SIDEでありますね。古くは「ガラクタ」
「Oh!Ya」なんかもそうです。またLSRの「裏切り者のテーマ」でも個人名を挙げて攻撃してます。
こういった清志郎自身に関する怒りや不満を歌詞にするのは共感はしませんがわかります。
(反論の場もない個人名をいれるのはどうかと思いはしますし、そのプロジェクトに乗ったのは
清志郎自身なのになんでそこまで怒るのかわかりませんが・・・)
しかし「カバーズ」に関してはあまりに根拠が薄いですね。
〜サマータイムブルース〜
それでもTVは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねぇ、根拠がねぇ
とありますが、安全な根拠もないが清志郎が言う「電力が余ってる」から原発が要らないってのも
根拠が薄いのではないでしょうか?
また、アルバム「コブラの悩み」での曲「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」では意図的に曲が
途切れていますね。ちょうど”あの歌は反・・・”と途切れているので気になっている方も多いと
思います。
〜君はLOVE ME TENDERを聴いたか?〜
君はLOVE ME TENDERを聴いたかい
僕が日本語で唄ってるやつさ
あの歌は反原発の歌だって
みんな言うけど 違う違う それは違うよ
あれは反核の歌じゃないか
よく聴いておくれよ 核はいらないって 唄っただけさ
たしかに「LOVE ME TENDER」に限って言えばそうなのですが、カップリング曲「サマータイム
ブルース」は反原発なのですよね。「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」は「カバーズ」騒動に
対しての歌ととってもよいと思うのですが、清志郎は「LOVE ME TENDER」のみに絞った答えを
歌ってます。うーん、僕が聴きたかったのは「カバーズ」の答えなんだよなぁ。
しかしながらこの「カバーズ」を聴いて気分が重くなった事はありません。楽曲の良さと多彩な
ゲストのおかげもあり気持ち良く聴けるのは僕だけでしょうか?「明日なき世界」はとても力強い曲
ですね。「サマータイム・ブルース」はこんな直接的な詞ですが、泉谷しげるのキャラクターがうまく
入っていて楽しくなります。RCサクセションて職人気質というか閉鎖的という感じがあって、これまでの
アルバムでゲストといえばほんと身内っぽい方がお手伝いという形で参加しているような感じを受け
ました。「カバーズ」でもやはり清志郎と繋がりはある方がゲストですが、それほど濃い繋がりのある
方でなく、もっと有名な方がゲストで参加してます。坂本冬美さん、高井麻巳子さん、桑田佳祐さん。
これらのゲストもRCの作品には異色なのではと思います。テーマの重さとは裏腹に楽しいアルバム
に仕上がっているんじゃないでしょうか。RCがRCだけでこのテーマを歌っていたらもっと聴者も重い
気持ちになったと思います。これが清志郎の狙いだったらさすがだと思います。このゲストは反核・
反原発に賛同して集まった訳ではないですよね?
ゲストの多さとカバー曲(楽曲の良さ)はこのアルバムの良い所なんではないとか思ってます。
「カバー集」というコンセプトで詩を違ったテーマで作ったらどんなアルバムになっていたのかな。
そうなるときっと選曲自体がこの「カバーズ」とは違った選曲になっていたと思いますが、もっと純粋に
清志郎が選んだ「カバーズ」が聴けると思います。無理な語呂合わせでなく。いや、この語呂合わせは
楽しんでやっているとも思えますが・・・。
結局このアルバム、発売中止騒動などで騒がれすぎちゃったみたいに清志郎は言ってますが、
この後「コブラの悩み」やTIMERSへと清志郎自身もノリがよかったですよね。その時話題の事件
などは相変わらずライブでのMCや歌詞に入りますね。だが、原発に対する不安等は清志郎の中で
どうなったんだろう?この不安は原発がある限り続くとは思うが、過去の作品で歌われている事務所
関連の怒りや、「裏切り者のテーマ」での個人的な怒りは詩を書いた時点での怒りであって、清志郎
自身がいまこの曲を聴いてどう思うのだろうか?「あの頃は」なんて懐かしく思うのかな。大袈裟な
言い方だけど、作品は永遠に残るものなのだが・・・。