* There was just on THAT July morning..(21 Final) * Aug 24, 2002
暑い熱い一日が終わりました。
ジョイントできて嬉しかったが、とても後に人に自慢はできない。やっぱりただのアマチュアとプロと
では雲泥の差がありました。
同時に自分達の演奏力の無さを痛いほど思い知らされた。 メンバーから「こんなスゴい、思わず
聴き入っちゃう様なボーカルは初めてだ」と聞かされて、私はヘコむよりその通りとしか思えなかった。
私は今回、スゴいプロのボーカルとジョイントして、それがJohn Lawtonという人で、やっぱり世界的に
ネーム・バリューがあるのは当然なのだという事を普通とは逆行して理解しました。
OYA爺にもお疲れ様。でもきっと彼も嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、なハズ。そういう人でなければ
頼まなかった。 OYA爺を気持ちよく貸し出してくれて、ライブを見にまで来てくれた3Hと
ネオンのメンツにも感謝! Steerforthは仕切り直しだね、懲りるもんか!
私達は本当に運が良かったと思う。 Steerforthより演奏力のあるバンドは回りに幾らでもある。でも
もし自信を持って言える事があるとしたら、それは
'このトシまでバンドを辞めずに続けてきた事'
'迷い込んで(?)来た運を瞬間逃さず捕まえられた事'
で今回の経験が出来たのだ。
長く続けていれば、踏み切りの警報機の音の様にたくさんの人々の人生の歯車がたまたまピタッと合う
瞬間が必ずあります。 それを逃さない様に日頃から前を向いて自分を磨き続けることが大切です。
夢は叶う、思い続ければ叶うのです。
またなんか思い出したら書きます。 とりあえずここまで。
* There was just on THAT July morning..(20) * Aug 23, 2002
一旦引き上げた後、Johnがパンッと手を打って、「よしっ、'Easy Livin'だっ!」。
Boyがすっくと立ち上がって、Johnに続いてあっという間に再度ステージへ!
続いてSteve。 チヨちゃんはベースかギターか様子を伺っていた。
「ど、どーしたんだ染さん、ヤル気満々じゃん。もう行っちまったよー。」
ライブ終了直後、休む間もなくJohnはフロアへ。 残された強モノどもは夢のあとの撤収準備。
Boyがぽそっと「こんなにライブが楽しいんなら、毎日バンドやっていたい・・。」
「へっ何を今さら。そういう世界にいたくせに。」
「あの頃はねー、でも、今なら長居できると思うよ。」
いつも終わるとやたらヘコむ奴なのに、珍しく楽しんでくれたんだ。 良かった・・。
今までメンバーにそう言って貰えた事って滅多に無かったから、嬉しかった。
- Final へ -
* There was just on THAT July morning..(19) * Aug 22, 2002
私は水になった様に感じた・・'水を得た魚'じゃない、'水'そのものだった。
みんなが見える、メンバーの音が聴こえる、自分の声がスタジオ練習の様に自在に操れる・・!!
たまにMCで「ライトが眩しくて会場が見えない」と言う人がいるのは、自分がアガってる言い訳だと思う。
ステージに出た瞬間、COHのメンバー達がPAの左から右へぐるーっと円を描く様にシフトしているのが見えた。
一番Johnに近い中央のベストポジションは、初めて来るお客さんばかりだった。
個々の理由はたまたま違ったのだろう、でもみんなが同じく「Johnに近いその場所は、どうぞ。」と譲ってくれて
いたのです。 スケジュールが狂っても、お客さんが怒らず待っていてくれたのって、そういう風にウチワの人達が
色々なところでさりげない気配りをしてくれたお陰と思いました。私は「女性と子供は前に出してあげてくれ」と
言おうと思っていたのだけど、そんな必要は全く無用でしたわ。
そしてライブに関しては皆さんがご覧になった通りです。 だから演奏については何も無し。
アレが私の現時点での実力ですよ。
しいて言えば、もう勢いで前歯を折るのはこりごりだったんで、高音出す時には必ず両手でマイク持っちゃって、
ちょっとビジュアル的に良くなかったかな・・。
Part1に戻るけれど、Johnは真剣でしたよ。水が横で歌ってるのを察知すると、いきなしガーッと
近寄って来て、ニラみつけながら歌いました。 当り前かも知れないけどちゃんとモニターで他人の音、
聴き分けてるんですよ(そりゃあったりまえだろが、相手が誰だと思ってんだよ)!
そんだったら水は一秒でも彼より長くハイトーン出してみせるぜぃ! 全てがリハ無しのガチンコデュエットでした。
そろそろ終わりです - to be continued -
* There was just on THAT July morning..(18) * Aug 21, 2002
Steerforthがそろそろスタンバってたところ、John達が戻って来た。
Irisが控え室に入って来るなり、にーっこりと笑って、本チャン仕様の私のバラけた髪の毛をさぁーっと
撫でる・・思わず「み゛ゃぁぁーっ!!」。
"Oh, I'm sorry!"・・あーIrisって、ステキ(こればっか)!。
どーする、会場は満員、もう開演時間だけど、ずらして30分位Johnにフロア出てもらおうか・・?
ところが、JohnとIrisはいきなしコンピニのサンドイッチを食べ始めた! あ、昼メシ、skipしてたんだ、
可哀相に・・。
悪徳P氏が決断、「では、Steerforth, いきましょう!」
J "オレの最初の出番はなんだっけか?"
K "Look At Yourselfです。"
J "直前の曲は何だ?"
K "Tears In My Eyes です。でも、私が貴方を呼びます。(Don't worry, I will call you!)"
Iris "Goood luck, Kay!"
それはいつものライブと同じ、どのライブが一番大切で緊張するかなんて愚問だ。
それはいつものライブと同じ、ステージへの扉を開けた瞬間、もはや緊張など何も感じられなかった。
ただこの日はたとえて言うなら、私は自分が'水'になった様な気持ちだった。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(17) * Aug 20, 2002
もともとこの日のライブは、パブの様にガヤガヤとした雰囲気にしたかった。
Johnもリハが終わったら軽くハンバーガーでも食ってもらって、本番までだらだらーとフロアにいて
もらうつもりだった。遠路はるばる日曜の夜に、どう都合をつけてだかたくさんの人が来てくれる。
そういう人達と会話をしたり、写真とったり、和やかな雰囲気にしたかった。
ところが、予想もしない事態がぁーっ!!
リハ終了直後、Johnはシャワー浴びにさっさとホテルへ帰っちゃったのです。 しまった、私もツメが
アマかった! 外国の人って、スゴくシャワー好きなんだった・・。 前の会社で結構visitorが来日した
事があったが、とにかくシャワー好きだった。 シゴトのあとのお出かけの時なんか、
'May I go home and see you later? ..So itchy!' とかなあ。
それが解ってたら、ホテルはとにかくGuiltyの近くにとっといたのになぁ・・楽しみに早く来てくれた方々、
本当にごめんなさい!
しかし18:00スタートなのに、なかなか戻って来ないよぉー、ま、最悪前座はSteerforthだから
いいんだけどね。 さすがの悪徳P氏も「来ねぇーなあー・・。」だって。
おーい、もっと私は一人ぽっちで空気が揺らぐ程ピリピリ緊張してたはずなんだよー。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(16) * Aug 18, 2002
あのサムいMCかい?
あれは、前日に悪徳パートナー氏に宣言した。「MC、可能な限り英語でやるからねっ!」
普段なら殆んど日本語なんだけどね・・考えた末、あそこはそういう雰囲気で通したかった。
JohnとIrisとSteveがいるのなら、彼らに解る進行状況にしたかった。
日本語と英語、そういう場を取り払いたかった。 歌詞は全部英語なんだし、だから英語アレルギー
の人はいないはずだしね。 そもそもJohnがこれからでてくるのに、そんな事誰も気にもしてないだろうと
思ってたし。
もともと私はMCで掴みのできないタイプだから、自分じゃ気にもならなかったけど・・そんなに
ダサかったかね? ははは、一応苦労して身に付けた、付け焼刃ではない英語だったんだけどねぇ。
25年前、大好きなポール・マッカートニーと、いつどこでばったり出会ってもなんとか話せる様にと
英語を学び始めた。「私は貴方のおかげで、今ここに幸せでいられます。」 その初心は叶わないとしても、
ここで少しは役立ててもバチは当たらないだろう? Johnが、Irisが、Steveが目の前にいるのなら、
彼らに理解できる様にしたかった。
サムかろうが、なんだろうが、
"John, will you please sing 'Look At Yourself' with me?"
と私が言って、お客さんがおお!と言うのが聞こえたのだから、もうそれでいい。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(15) * Aug 17, 2002
たんかを切ったものの、もちろん私は超アガリ症である。 リハで音決めが進むにつれ、無言に・・。
その時、Johnがすーっと近寄って来た。
J "Kay, 緊張してるかい?"
K "うぅ・・はい!"
J "そうか、オレもだよ。 いつも緊張しなかった事ってないよ。"
K "え・・本当ですか?"
J "ああ、すごく緊張してるよ。"
「では曲でお願いします」の合図を聞いた途端、私は両膝が固まって歩けなくなってしまった・・!
夢の中の様に、足が動かない! おまけに声もでねぇー・・! 目の前にはJohnとIrisとSteveが・・
うぎゃああああーっ・・!
リハは2曲で終えたものの、泣き叫びそうだった。 またこれかよ! このまま本番もこうなのかぁっ??
この、大言癖の臆病者ーっ!
リハはJohnの番になったので一人行方をくらましてヘコんでようかと思った。 ところが、Johnは急に
Steerforthの演奏に細かく指示を入れ出した。 まそうかなとは思っていたが、これが予想以上に厳しく、
アマチュアだから妥協をしているとは思えなかった。 特にドラムへの注文は細かく、かなりBoyがマジに
なり始めた。 練習の時からリズムとギターのチューニングは気づいて指摘してたんだけど、まあJohnは
許してくれるだろうと思っていたのだが、アマチュアがわかる程のところだ、プロはあっさりとNGを出した。
モニター、エフェクターの接続方法、マイクスタンドの形、照明まで、オマケに'水くれ', etc., 曲順に
ついても細かかったなぁ・・私がヘコんでいる間も無くSteerforthとのガチンコリハは終了。
控え室で改めて一人で緊張しようと思ったら先客が・・。
今のリハのMD録音を必死で聴いているBoy。 「ねー、やっぱりこれじゃ遅過ぎるかなぁ・・?」
「Boyは緊張しないのか?」
「してるよー、でも今さら逃げる訳にもいかんし。」
そうだよな、一番プレッシャー感じてるのはBoyだよなぁ、私なんか勝手に一人で自滅してりゃ済むんだよ。
私はバンドの五分の一だ、今日こそ肝に銘じなければ!
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(14) * Aug 16, 2002
刈りジャムに参加する様になって、私もこのヨワイから学ぶことが多かった。
参加バンドのレベルも高くなってきた・・ボーカルは特に目覚ましい。 昔は'デモシカ'ボーカルとさえ
言われていた。 「ボーカルやってます」って言うと、必ず「楽器は弾かないんですか?」と言われたものだ。
声が楽器なんだよっ!
アマチュアでも素晴らしいリードシンガーに巡り合った。 初期は谷やん、三浦さん、今ではやりす、まういの、
ショーコ、GOD., 他の方々も挙げればラインが足りない、若手ではふじたが頑張ってる・・。
何が言いたいのかと言うと、「日本のアマチュアのレベルは高いぞ」。
マジで感じた事である。 US滞在時、ライブハウスにも通った。 でも彼らは・・たぶん、'言葉が通じる'
環境に甘んじてしまっているんだろうか、そりゃ英語は完璧だが、ボーカルの存在は感じられなかった。
ことごとく声量無かったしね・・。
私は私を底辺と見てもらいたかった。ライブ当日Johnに言った。
K "Are you ready to pick up my glove? (覚悟はできてますかい?)"
J "....What??? (・・は??)"
たはは・・通じなかった・・! USAでは当り前だったのにぃ!
負けてたまるか!
K "...I wanna say I am challenging you!! (あたしゃ貴方に挑戦しますってんです!)"
J "Oh!! You wanna challenge to me?? (へぇー? マジかい?)"
K "Yes, you got it! (やっと解ったか)"
J "Sounds great! I am ready to accept your challenge!! (いーねえ! いつでも君の挑戦喜んで受けるぜ!)"
おいおいケンカ売ってどうする?・・違うよ、はるばる来てくれた彼に対する精一杯の敬意だった。
Steerforthは全力で貴方をお迎えしています、の最上級を伝えたかった。一緒に演奏できて光栄です、
程度じゃ足りなかった・・そしてJohnは解ってくれた(と思う)。
日本のアマチュアをなめんなよ、この程度じゃないんだぞ! とも言いたかったのよ。
ついでに改めてSteerforthのメンツを紹介しながら、
"私は彼らを誇りに思っています。貴方もそう思ってくれると嬉しいです。"
とまでダメ押ししておいた。
後でJohnから、私のこの身の程知らずの失礼千万な売り言葉が相当嬉しかったと聞いた。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(13) * Aug 16, 2002
7月21日ライブ当日。快晴、極暑。
もちろん前日からテンパっちゃって寝られなかった。
気合いを入れてGuiltyに到着・・ところが、予想だにしない事態がぁーっ!!!
待てど暮らせどGuiltyのスタッフは来ない。
K「まさか時間、間違えて伝えてないよね・・?」
P「・・あ、それ、あるかも知れない。そういえば最初2時って言ったあと、やっぱり1時でって言ったから。」
K「・・・」
K「・・あのさ、こーいう大事なライブの時って、普通前日に電話一本入れるよね?? "明日1時から宜しく
お願いします"ってさぁ??」
P「・・・」
K「すごいツメが甘くないっ!? スタッフの人のケータイとか教えてもらってないのっ?」
P「・・・ない。」
K「どーすんのよ? John達来ちゃうじゃんかよぉーっ! ◎×▲□*ーっ!!!」
人前では決してケンカをしない仮面夫婦であった。バンドメンバーは真夏の恐怖を目の当たりにする。
そして恐れていた通り、John達が到着、もちろん汗ダラダラ!
なんかいろいろ挨拶もしたな。バンドメンバーも一人づつ紹介しようと思っていた・・でもそん時はアセりと
怒りで何にもできなかった。慌ててお茶でも飲んで待っててくれる様にHiroを介して頼む。Johnは一言、
「Air conditioninggggu----!!!」そりゃそうだろな。
私の'upset状態'を悟って、なんとあの'世捨て人'Boyが喫茶店探しに炎天下走ってくれた。
30分程して、のんきに現れたGuiltyのスタッフに私は火を噴き一喝、「あの、1時からってお願いしてましたよねっ!!??」
あわててとりなすOYA爺「まあまあ、とにかく早くすすめましょうよ・・!」
緊張どころか憤怒でアタマが一杯になってしまい、'さいさきの良い'入りではなかったな。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(12) * Aug 8, 2002
ハナシは2年前に戻ります。
'Sympathy事件'、ちょっと書いちゃいましょか・・。
2年前、2000年、ロンドンで'HeepVention2000'が開催されました。いわゆるワールドワイドな
'ヒープファンの集い'です。
日本のファンクラブ(おお失礼!・・も同然の、)COHの第一人者、たーさん&Hiroに誘われて、
悪徳パートナー氏はなんと、生まれて初めての海外旅行に挑戦しました!
私は、いないよりはマシな通訳として悪徳P氏の為ならばと、大嫌いな国際線に乗ってついていくことに
なりました。私は元々飛行機酔いが尋常でない程ヒドく、それで海外出張の多い会社を辞めた
程でした。
悪徳P氏はもとよりヒープの大ファンです。神様Ken Hensley, そしてJohn Lawton, 他の人達に詳しい事、
時々私は申し訳なく思う位です。
HeepVention2000(略してHV2000)前日、前夜祭としてJohnに逢う機会に恵まれました。
私は彼を知らなかったので、パブに彼が現れた時、Hiroにしつこく聞いてターゲットを絞り、
Hiroに紹介してもらうや否や彼を押しのけて声をかけました。
だって、隣の悪徳パートナー氏の顔がすごくうるうるしてたんですよーっ!
悪徳パートナー氏と私と、Johnとの遭遇ですね! でもJohnは最初私の事、ティーネイジャーだと
思ったらしいです。
あれから2年たった先月、言われたもんね、「ハタチ小娘に見える・・!」
K「うちら、日本でヒープのカバーバンドやってます。帰国後即ライブです!」
J「ホント? キミが歌ってるの? じゃ今回ジャムセッションに参加するんだろ?」
K「いーえ、エントリーもしてません。考えてもいませんでしたよ、だって、私は日本に自分のバンドが
あるんです。 きっとあなた、ビックリしますよ!」
J「そいつは凄いネー(お世辞バレバレ!)、んで、何やってるの?」
K「Sympathy, I'm Alive, bra bra..」
J「えー? 君は本当にSympathyを歌えるの?」
K「そーです(Yes, I like that song. と言った)。」
J「ほんとに歌える? 歌詞覚えてるの? 原曲のまま? あの声、出るの?」
K「今、ここで、歌えますっ(しつこいなーっ!)(Yes, off course, I can sing it here right now!!)」
J「ほんとかい? じゃ、明日(あさってだったかも!)のHV2000のジャムセッションで、ボクは Sympathyを
歌うことになっているんだけど、キミにデュエット頼めるかい? ・・ボクは、もう、
あの原曲の高い声は出ないんだよ。」
K「喜んで!(My pleasureと言ったかな・・?)」
J「じゃ、曲が始まったら、ボクが君を呼ぶ、そして歌の適当なところで、キミに振るから、そこを歌 ってくれる
かい? 本当に大丈夫かい??」
K「Yes, off course! It is my greatest pleasure! Thank you!」
悪徳パートナー氏の方が相当興奮してたな・・。「明日はアナタとJohnが・・!」
・・ところが、それは実現しなかったのです。
ライブにつきもののの、時間のズレがもとで、Sympathyはカットされてしまいました!
HiroがJohnからの伝言を伝えてくれたんだけど、私は「あーそう?」位しか思わなかった。
むしろ悪徳P氏の方が残念がってましたね。
しかしまぁ、なんとJohnが当日私を見つけ、近づいてきてアタマを下げた・・「ゴメンなさい!」
やっぱり私は「あーそう?」位しか思わなかった。
2年経って、たーさんやHiroがその件に関していろいろ気を遣っていてくれてた・・でもなんとJohn本人がその
guiltyをしっかり覚えていたよ。
7/18来日初日、ホテルのロビーでJohnが私に言った。「前回は逃したよな! だが今回は・・!!!!」
マジで'This time....!!'で指さされて会話が終わった時、相当ビビりました!
- to be continued (しばし休筆、また来週!)-
* There was just on THAT July morning..(11) * Aug 8, 2002
Steerforthがスタジオに入った時は、7/21本番まで一ヶ月を切ってしまっていた。
無理もない、Boyには無理矢理 'Sympathy/ Hanging Tree/ I'm Alive' を、OYA爺にはその他8曲、
計11曲ーーっ??を押し付けていたのだから・・。 しかし、今考えると、OYA爺って、ホントに超人だねぇ・・!
Johnのバック上記3曲の音合わせは、そりゃーひどいものだった。でもたいがいSteerforthは課題曲を
増やした場合、最初のスタジオでは必ずとってこない奴、聴いてすらいない奴が出る。
今回は違ったよ・・みんなちゃんと聴いて来てたねぇ。
上記3曲を2回まわして、悪徳パートナー氏が「・・じゃ、いつも通りの曲やりましょか・・」と言った。
その時なんとBoyが叫んだ。
「え゛ーっ、今日はもっとこっちの曲だけやろうよ!」
「・・どうしたんだ、ソメさん、やけにやる気やんけ??」
「だって、知らないガイジンの前で恥かきたくないよぉっー!!」
彼はいつも「もー、本番じゃどーなるかわかんないよー」とか、「リハなんかめんどくさいからやめようよーっ」
と言う輩である。 ヒープの曲としては、自分が思い入れがあって楽しめるバイロン時代しかやりたくない、
と常々言ってきたヤツである。でもさすが元プロでメシを食っていただけあるなぁ。
あとで悪徳P氏が言った。
「オレは、ソメさんがもうイヤだろーと思って他の曲やろうとしてたのになぁ・・。」
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(10) * Aug 7, 2002
Johnの声はスゴイ。どうったって、声本質の良さが普通ではない。
あんな声、そうそう世界中探しても出せる人っていないだろう、それは事実。
でもきっとJohnも声に対して気にしている事はあると思った。 HV2000でライブ見て、私はすぐに
「殆んどキー下げてるなー」と気づいていた。 悪徳P氏は今回GunHillバージョンでコピーする時に
気がついた。
たいていの超有名なハイトーンボーカルでも、後年トーンダウンは避けられないものだ。
Johnはいつ頃それに気がついたのか、それを認めざるおえなかったのか・・いつか私はぶしつけでも
同じボーカルとして聞きたい。
来日前、私は再三Johnに「日本はとんでもなく蒸し暑いから、あなたが声のケアに使っているものが
あれば、ぜーったい持ってくることをお薦めします」とメールしておいた。
7/21当日、Irisが私に言った事。
「貴方のハイトーン、すばらしいわ。 Johnも昔はね、貴方位歌えたのよ。でも今はね、彼の声は
すごく'bluesy(ブルージーだ、スペルが解らん!)'になってしまったの・・。
(Irisはノドを指して)わかるかしら・・今はとってもbluesyな声なのよ・・。」
Iris = Johnなのです。 私はそれで理解しました。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(9) * Aug 7, 2002
4/28のライブは一度キャンセルしたものの、退院したばかりの悪徳パートナー氏のたっての希望で、
ギターとドラムにヘルプを頼んで参加した。
ササキはヘコんでしまって演奏不可、Boyは見事にライブがバッティング。
ギターは悪徳P氏の大学時代からの付き合いでウマい人だった。ドラムも、プログレが得意でプロの人とも
交流がある人で、完璧な構成力を誇り、かつて悪徳P氏のインチキ振りにキレて大喧嘩したエピソードを持つ人だった。
素晴らしいプレイヤー達、でもヒープは殆んど知らなかったので、無理矢理曲を叩き込んで初めてスタジオに入った時は
ライブまで3週間を切っていた。
・・・やはり、私の今まで慣れてきた歌い回しと余りにもズレると感じた。
私はそこで、自ら'バンド五分の一'の掟を破ってしまった。 「私が頑張るしかない、私さえ頑張れば・・!」
4/28神様が私に罰を下した。本番で私から声を奪ったのだ。
本番で泣きながら後悔した私に、神様は'では今日はお前に、高音の代わりに表現力を与えよう'と言ったのだと思う。
私の高慢なハイトーン・ボーカルなど水物で意味もなさないことを痛感した大事なライブだった。
6/15 'Show Must 轟音'、Boyが戻るがギターはヘルプ。でも私が大好きなギタリスト、JUNGOさんが幸運にも手伝って
くれる事になった・・! 彼のギターはまるで精密機械の様だと思っていた。
しかし4/28の自己嫌悪から、私は殆んど歌えなくなってしまっていた。声が出ない! スタジオが苦痛だった。
でも今回、私は絶対に自分は五分の一のメンバーでいようと心に決めていた。 ヘルプでもJUNGOさんがあってのライブだ。
7/21につながるものとしたい、それでは自分にノルマを課そう、「今日良いライブが出来なければ、7/21などもっての他。
ボーカルを辞退しよう。」
6/15、集まってくれたのはたーさんを筆頭に、普段滅多に顔を見せないCOHの人達多数。 ステージ前のテープルで
見守ってくれた。嬉しかった・・ありがとう、私は皆さんのお陰で声を取り戻しました! 私はバンドの1/5どころか、
見に来てくれた方々と融合してこそのボーカルだと痛感しました。自分でも信じられないくらい伸び伸びと歌えました。
よし、7/21に向けてもっと頑張らねば!
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(8) * Aug 6, 2002
楽しい、醜い、自己弁護。
私は自分が良いボーカルとは思わない。 声の悪さやウタのヘタさは他でカバーができるでしょ、
それよりも、致命的にノドが弱い!!
カゼをひくと熱もないのに声が出なくなる。 ストレス溜まると声が出なくなる。
今日現在、悪徳パートナー氏から移動してきたカゼの為、他はピンピン、しかし何故か
会話不可能になっている。
ライブ前一週間を切ると、無菌室に入りたくなる。 飲み会、他人のライブ等、人前には出ない。
会場での他人のタバコが恐怖だ。 去年の最悪の声つぶしを経験して、蒸気吸入器を購入した。
ルゴール原液もアレルギーの副作用覚悟で服用する。
それでも「あ、ヤバいかな・・?」と思ったら、即医者へ。
ケツへの筋肉注射だろうがなんだろうが、「声を、声だけはなんとかして下さいっ!」と
医者に懇願する。ライブが近けりゃ、なんでもまかり通る。
もし7/21直前に悪徳パートナー氏が少しカゼでもひいたら、私はそのまま埼玉の実家へ帰る
覚悟でいた。
7/18John来日当日、たーさんにも「Kayさん、カゼだけは絶対にひかない様にね。」と励まされた。
ありがとう、たーさん。心の中では「今ひいてたまるかー!」とテンパってたんだよ。
ライブで私の嫌いなMC、
「練習不足なんで・・」
「間違えてすいません・・」
「カゼひいて、調子悪いんですよ・・」
それが通じるバンドってのは確かにあると思う。だからこれはあくまでも私個人の信念だけど、
そうならない様に、出来る限りの事は絶対にしようと思っている。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(7) * Aug 4, 2002
6/15の'Show Must 轟音'は、私にとって非常に大事なライブ(いつもそればっかり!)だった。
後述しますが、ノドの調整をして自分のボーカルとしての自身を取り戻す為の、最後の砦だったのです。
それは後程。
7/21に向けてやるしかない、まずドラムのboyには、'Sympathy/ The Hanging Tree/ I'm Alive'をとって
もらわねばならない。しかもGunHillバージョンで。 OYA爺にとっては、Steerforthと合わせたことすら無い。
悪徳P氏は、こういう場合は潔く曲目を減らす。 完成度を上げるため、メンバーへの負担を少しでも
軽減するため、当初私がボーカルのSteerforthとしては7曲だったのが、一気に4曲に。
ところが悪徳P氏は、その4曲の中の'Look At Yourself'をJohnに歌ってもらうつもりだ、と言った。
私は自覚している程ワガママで傲慢だ。 いつも「私が、私がぁー!」と自分さえ目立てば良いとしか
思わない。 今回は、'July Morning' を、最初からJohn&Steveにお願いした。 ヒープファンならナマで
聴きたいはずだと思ったからだ。 だからSteerforthのセットから、'July Monrning'は外していた。
スタジオではぜーんぶ私が歌ってるんだよー、ぜーんぶ歌えるんだよぉぉーっ!
それで私は、たったの3曲しか歌えないのぉー!? 得意な'Look At Yourself'を披露できないのぉーっ!!!??
私のワガママに悪徳P氏遂にキレる。
「JohnはあくまでSteveと一緒にやりたがってる、SteerforthにJohnだけ呼ばないと、チヨカズさんがJohnと
一緒にベースを弾く曲が一曲もないんだぞ! それに、お客さんは、アンタの歌を聴きたくて遠方から
来るワケじゃない、自分のことばっかり考えやがってっ!!」
それでも半泣きで抗議する私に最後に一言、「あなたに任せます、好きにしな・・」
考えて、考えた・・
それで当日は、ああしたのですよ・・楽しかった、良かった!
ossieの撮ってくれたチヨちゃんとJohnのツーショット、あの目線、'ニラみ愛'に感動しました。
HPに掲載したのは、あまり体が丈夫ではないチヨちゃんの奥さんが一生懸命撮った、Johnとチヨちゃんの
ショットです。
後日、Johnの'Look At Yourself'が聴けて嬉しかった、と言ってくれた人が2人もいた。 もう満足!
楽しかった、良かった!
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(6) * Aug 3, 2002
"Steerforth is a very noisy unit..."2度もしつこく書いて、とどめで"Thanks for your best
understanding.."
もう私の取り付くシマもないメールに、遂にJohnも'OK'。Steerforthはバク音演奏のみジョイントできる
ことになれました。お互い8本ずつのメールバトルでした。
ハナシ飛ぶけど、7/21当日、リハの音決めから参加していたJohnが「音デカイなぁ・・」って呟いたので、
私は思わず、「だから言ったでしょ、Steerforthはnoisy bandだって!」と言ったら、Irisがニコリと一言。
「noisy 'unit'だったわよネ?」あー、Irisって、ステキ・・。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(5) * Aug 2, 2002
ギタリスト探しと平行して、Johnと直接メールでの曲決めを行った。
6/15のライブがまず最優先、だから7/21の本番まで一ヶ月で仕上げなければ。
Johnは最初のメールではとても気さくで優しく、「何を歌えばいいのか教えてよ」と
言ってくれた。もう、こっちが言うなりに何でも歌ってくれそうに思えた。
Johnのプロのsingerとしてのプライドは素晴らしかった、まずこれを完全に理解して頂いてから
次に進んで下さい。
こっちが送った選曲、1回目、2回目、全て'No'。
理由: 「自分がライブでやったことが無い」「Steveがやった事が無い」「その曲覚えてない」
3回目で、「じゃあ、オレがイチ押しのCD送るから、まずそっち聴いてから決めなおそうよ!」
全て'No'に・・送られてきたCDは、最新版'Steppin' It Up'。
Steerforthは・・・ハードロックが大好きなバンドバカの集団なんです。
ドラムのBoy、彼ならまず叩けないものはないだろう、でも'思い入れの無い、知らない曲'は
'No'なのです。 前述の通り、なぜアマチュアのままだったのか、それは今まで'No'と言って来たからです。
私も同じ、'July Morning'をライフワークにしている、Heepの曲なら頑張れる、でも・・それ以外は'Sorry, No!'
ファンなら願ったり、叶ったりだったろう・・でも、私達はガンコなバンドマンでした。
そして、Johnもまた最後までproudでした。
悪徳P氏は、ほんとに信じられないだろうがあれでバンドメンバーを大事にする。
「JohnよりSteerforthをとる。メンバーが楽しめないものはやらない。」ちょうど知合いにヒープを始めた
バンドがあったので、彼らにJohnのバックを頼んでみようとした。 ところが今度はJohnから
'No Other band!'
壮絶でした。
「Steerforthはバク音モノしかできません。」
「なんで・・・? 一緒にやりたくないの?」
「そうだと言え。それが嫌なら、もう一緒に演奏しなくても良いと言え」
悪徳パートナー氏の決断。 どうメールを送ればいいんだよ! 激怒するかもよ!
6本目あたりのメールは、送信も、返事を開くのも緊張してました。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(4) * Aug 1, 2002
変人の集団、Steerforth。冗談でも不仲説が出る位、演奏以外の付き合いは一切無い。
飲み会も無し。 事務連絡以外のコミュニケーションも無い。 ライブでは全員完全単独行動。
リハに現れ、本番前に再び現れ、終わると解散。 消えるヤツ、帰るヤツ・・。
それで楽しいのかって? ライブ見てくれてる人には解ってもらえると思う。 私達は、
演奏で会話をしてるのだよ。
それぞれが、自分のバンドでの五分の一としての役割を明確に理解しているのだよ。
バンドでの集合写真ってのも無いな。興味が無いんだろな・・今回それがモロに出た。
あのクソ狭い控え室の中で、誰もJohnと写真すら撮ってねぇ! Johnにしてみれば、"..???"
だったかもね。
ギタリストを探すにしても、変人集団Steerforthを、その五分の一としての役割を理解している人でなければ
ならなかった。
「ウマイ人に頼む、それが理由なら、一緒にボーカルも探してくれ。私は降りる。」
私の歪み切った性格が炸裂した。 悪徳パートナー氏は私の無理難題を受けとめ、一人にターゲットを決めた。
7/21は夜勤でライブにすら来られないと言っていた、OYA爺だった。
「では、寝ないでシゴトに行って下さい」悪徳氏はあまりにむごいメールをOYA爺に送った。
そしてSteerforthは始動した。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(3) * Jul 31, 2002
Uriah Heep道2002は、7/21に決まり、でもSteerforthはギターが決まらなかった。
ギターのササキは、3月から父親の病状が思わしくなく、かなりバンドに対して消極的になっていた。
仕方が無い事だが、私等には見守ることしかできない。
6/15に'Show Must轟音'という大事なライブがあり、バンドバカの集団には、目先のライブが
先決だった。
そちらには刈りジャム史上屈指のギタリストに参加してもらえた。 ドラムのBoyも復帰して、それなりに
成功。 しかしギターの彼は、7/21は'No'と言った。 それは彼の音楽に対する考え方、無理強いは出来ない。
このトシまでバンドやってきた、それなりのウデもある、なぜアマチュアでここまで来たのか、それはプライドが
あったからだ。 お互いそれが解る、だから'No'が認められるのだ。
悪徳パートナー氏は、信じてもらえるかどうかわからないが、バンドメンバーを非常に大切にする。
Steerforthは、誰一人欠けても'Steerforth'では無い、この5人でなければSteerforthでは無いと言った。
4/28大塚ウェルカムバックではドラムとギターが仮メンで'Little Emily',
6/15同所ではギターが仮メンで'夕飯はスープ'と名乗る。
どちらも私にとっては大事な一番だったし、方向性がきちんと見定められた良いものだったのだが・・。
ササキでなければダメだ、それは解ってる、でもそれどころじゃなかろう?
Johnが全てを任せて来日する、ファンのみんながライブを楽しみにしている、あんた、正面から受けて立てよ!
掲示板上で、'最悪Steerforth出演中止'の弱気な発言をした悪徳パートナー氏と私との、凄まじいバトルが
繰り広げられた。
今回、Steerforthの一番の難関だったなぁ。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(2) * Jul 29, 2002
ライブハウスは大体3,4ヶ月位前に押えます。 バンドに打診して、しばし返事待ち、出演バンドが揃った
ところで、各バンド準備期間2,3ヶ月。
ところが今回の刈りジャムは出演バンドが足りず、2ヶ月前にしてやむなく断念。
掲示板上にアナウンスをして、Guiltyをキャンセルする事にしました。
ライブ命の私にはそりゃー無念、無念でヘコみました。出演表明してくれたバンドにも申し訳が無かったし。
その2日後、COHのたーさんからのTEL・・「7月にロートン呼んじゃった・・」。
始めの来日予定は一週間早かったので、とりあえずライブハウス探し。 しかし'それなり'のところは
2ヶ月前ではどこも空いてない。 まだGuiltyはキャンセルしていないし、これは神様がここでやれと
言っているのかも知れない。 考えた末、たーさんに連絡。「Johnに来日を一週間ずらしてもらえないかな?」
ダメもとだと思ってた・・ところが、JohnはあっさりOK。
本当かよ? マジかよ? そんな事、あっていいのかよ?
寝て起きたら状況が一転してました。
- to be continued -
* There was just on THAT July morning..(1) * Jul 28, 2002
どのライブも大切、どのライブにも命をかけても良い。
でもその中でも、自分の今持てる力どころか、これまで身に付けてきた人生全てを
振り絞って臨む別格のライブがありました。 7/21 URIAH HEEP道2002。
まずは、いらしてくれたお客さん、しかも当日泊りがけの相当遠方の方々もいらっしゃった、
そして企画スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。
楽しんで頂けたなら、その成功要素の一つ一つ全ては皆さんに作って頂いたものです。
これから数回に渡って、バンドマンとして今回のライブを順を追って振り返って行きたいと思います。
とりあえず終わっての感想ですが、皆さんに「スゴく嬉しそうに歌ってたよー」
「至福の喜びの表情だった」と言って頂いたのですが、私はそりゃもう'必死!!!'でした。
Johnの目、コワかったです。「ホラァ、ついて来い!」って言ってました。
こっちも、「ニッポンのアマチュアをなめんなよぉー!!」って目をそらさず歌いました。
つまり、あれはその必死の形相なんですよ。
ビデオチェックしたら、私はもとよりフロントが小粒なメンツなんで、欧米では小柄なJohnが異様に
デッカく見えるな。 学芸会にオトナが飛び入りした様だ・・。
- to be continued -