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受験でみんなとなんとなく受けたちょっとイイところの進学校(しかも女子校)に合格して しまい、4月から仕方なく通ったけど、入学式自体鳥肌モノ。こんな学校で大事な (大人の言葉を借りると「多感な時期」?)青春時代を三年間も過ごすの!? と思うと本当にやる気をなくした。それからの日々は本当につらいものだった。 同じクラスに偶然4人、同じ中学校からの人がいたけど、そんなのも関しないぐらい 学校がいやだった。入学して一週間ぐらいですぐに研修合宿があった。 熊本といえば「阿蘇」というぐらいのもので、合宿は阿蘇の高級ホテルで行われた。 知らないもの同士が5人ずつ同じ部屋に入って、2泊3日を共にする・・・・ ものすごい苦痛だった。私は春休みに買ったばかりのポケベルだけが心の支えだった。 中学のときの友達から入ってくるベルだけで、やっとやっていっていた。 そんなベルも見つかると没収だ。隠れてこっそり見るのだ。ばからしい。 朝から晩まで勉強勉強。結婚式場を貸し切っての勉強。なんの意味があるんじゃい、と 思った。たかーい天井のもとで一心不乱にカリカリカリカリと勉強。あほらしい。 そして、たまにある礼儀作法の時間。ここでは、校則や学校の授業の合間にある 業間体操と呼ばれるリフレッシュのための体操を覚えさせられたりした。 先生たちの厳しい言葉。でも意味がない。「制服を改造したら、すぐに新しい制服を 買ってもらいますから。」別にいいじゃん。自分がそれで満足できるんだったら やすいもんじゃん。わざわざダサくしなくてもねぇ。勉強に差し支えるとはおもえん。 ほかにも数々の校則。やれ、ルーズソックスはだめ。くるぶしから5cmまでとか、 髪は肩にかかるなら結べ(しかも黒系のゴム。飾りはだめ)、体育服にはこの位置に このように名前を書け、だの。中学校でもいわれなかったような(あ、っていうか中学 校には校則がなかった)細々とした校則があった。 そして、やっと終わった研修。帰りのバスのなかで一人で泣きながら「絶対この学校 退学してやる!」と誓ったのだった。そして、家に帰り、すぐ母に手紙を書き、 学校を辞めたいということを伝えた。私の優れた文才により、母はすぐに私の 手中に収まった。(??)そして、とりあえず保留ということでそれから2,3回 学校に行ったがすぐに帰った。毎朝強制で行われている朝課外(7:30〜) だけ出て、そのあとすぐおなかが痛くなる。みたいなカンジで。体も結構きつがっていた。 そうして、そのあとは2ヶ月ほど学校に行かずに6月頃正式に退学届けを出した。 そういう場にも校長は現れず、教頭だけだった。そういうところも嫌い。 こうして、あたしの高校生活は幕を閉じたのだ。 |