これは、チャロが入院した時からつけていた日記です。
毎日はつけていないし、時間をかけてつけたものなので
文体が一致していなかったり
感情に統一性がなかったりして読みにくいかもしれません。
でも、チャロが確かに居た事を残したかった。
本当はこの日記が完結しない事を祈っていたのに。
6/29(木)
帰宅した私をここ数日ではめずらしくチャロが出迎える。
彼の顔の半分が見て分かるほどに腫れている事にその時気付く。
夜中だったため、しばらく様子を見ていたが、
朝病院に連れて行く事にする。
6/30(金)
9:00。会社を午前中休み、病院に連れて行く。
年齢の為、歯が弱くなり、根っこが炎症を起こしている模様。
食欲のない事もあり、体力が手術に耐えられるほどに回復するまで
薬を投与するとの事。
血液による精密検査を依頼。
通院と言う事なのでチャロを連れて家に戻る。
11:30過ぎに病院から電話がくる。
精密検査の結果、腎不全である事が判明。
既に腎臓の75%以上が機能していないらしい。
「このままではあと2週間の命でしたよ」と言われ、悲しくなる。
即、入院。
7/1(土)
10:00前。チャロの様子を見に行く。
箱の中、端っこにじっとして動かないチャロ。
他の動物もいたから恐かったこともあるだろうが、
元気がない。
顔の腫れは昨日よりも大きくなっている。不安。
左手に点滴を打たれている。
なでてもごろごろ言わない。
15分ほどいたと思うが、この間、体制はほとんど変えなかった。
餌は多少食べたらしい。おしっこも出ているとの事。
7/2(日)
10:00。チャロの様子を見に行く。
昨日よりも箱の手前側で座っているチャロ。
顔の腫れ物が消えている。
自然に爆ぜたらしい。
よく見ると、確かに頬に小さな穴が開いている。
人工的に穴を開けて処理すると炎症を起こす可能性が
あるということで、これはいい事なのだと先生がいう。
点滴をしていない。
本人が嫌がって、自力で取ってしまったらしい。
それ自体は困った行動であるが、
点滴を取るほどの元気が戻ったのかと思うと
ちょっと嬉しい。
喉をなでるとごろごろ言った。
体制も15分強の間に数回変えた。
帰る時には相変わらずさみしそうに見る。
7/4(火)
チャロの血液検査。
結果、値が取り敢えず測定可能なところまで落ち着いてきた。
嬉しい。どきどきした。
7/8(土)
10時前に病院を訪れる。
チャロは元気がなく、だらだらと寝ているかんじ。
心配になる。看護婦さんに聞いてみると午前中はいつも
こんなかんじだ、という事だったので、ちょっと安心。
7/9(日)
LIVEの為、初めてお見舞いできず。1日気がかり。
7/10(月)
点滴による効果が出難くなってる。
ある程度までは血液検査の結果が良くなってきていたが、そこから
値が下がらなくなってしまってる。
腎臓の機能が低下しているため、
血液を作りなさいという命令が出されず、
チャロは貧血状態に。
入院直後には少し戻った食欲も、
今ではその7割くらいの食欲にまで落ち込んでいるとの事。
体重は入院時の5Kgから4.5Kgまで落ちた。
人間でいったら5Kgくらいは落ちた事になる。
元気だった頃は6.5Kgもあった事を考えると
その痩せように涙がでます。
きっと、今チャロを覆う毛をすべて剃ったら、
その体の細さに、私は号泣すると思う。
…あー。涙が出てしまいました。
(この頃、チャロの体力を考えると
手術が不可能である事を知らされる。)
7/23(日)
久々に逢う。チャロ輸血。
7/24(月)
輸血のせいか、飛躍的に元気になっていた。
私と母がそろってるのを見て、遠くから大声でなく。
点滴装置と檻を借りて一時帰宅。つまり、退院。
7/25(火)
朝起きると夕べの餌を完食していた。
水もほとんどない。
夜通し鳴いていたようなのでお腹が減ったのだろう。
この日の夜は私が起きている間に餌を完食。
お代わりもした。すごい!
7/27(木)
朝点滴を外してしまったので、母が慌てて病院へ。
点滴は外す事となり、はれて自由の身になった。
貧血用の薬が増えると餌を食べなくなった。
私が帰宅して居間に行くとチャロも現れた。
私の席の傍に来て寝ている。かわいい。
7/28(金)
朝は貧血用の薬を混ぜずに餌をやると完食した。
夜は貧血用の薬を混ぜた為、やはり食べない。
7/29(土)
朝ご飯を食べさせようとすると嘔吐。
先生に電話をして午前中に病院へ。体重4.4Kg。
注射を打ってもらう。
餌を食べる事が何よりも重要、と先生に言われる。
(猫の餌を食べなくなり、母が刺し身やいかの薫製などを
買ってくるようになる。
いかの薫製を私がかみ砕いて差し出すと喜んで食べる。
この頃から少しずつ居間に姿を現さなくなる。
別の部屋(チャロ部屋)にじっとしている時間が増える。)
8/6(日)
母が病院に連れていく。
注射を打ってもらった事で、多少元気になる。
なくなっていた食欲も歯の痛み止めを打ってもらったせいか
少し戻る。
釜揚げじらすをたくさん食べた。贅沢思考。(笑)
8/8(火)
チャロはぐったりしている。
最近は食欲もなく、水のにおいをかいだだけで
吐き気をもよおしている。
手も細く細くなってしまって、痛々しい。
病院で輸血してもらい、命を繋ぎ苦しみを長引かせるのと
家で静かに休ませてあげるのと
チャロは一体どちらを望んでいるのか。
一言でも、心の声を聞かせて欲しい。
チャロがいなくなったら、私はぐにゃぐにゃになってしまうよ。
8/11(金)
日付が変わる頃に帰宅する。
相変わらずチャロ部屋とよばれる小さい部屋に
チャロは寝ていた。
手足を引っ込めて丸くなっていた。
私が「ただいま、チャロ」といって背中をなでると
ごろん、と横に転がった。
8/12(土)
体を伸ばして寝たまま、あまり動かないでいるチャロ。
朝、母と話して病院にはこれ以上連れていかない事を決める。
病院が嫌いなチャロ。
先日母が病院に行く為に車に乗せると
おしっこをもらしてしまったらしい。
それほどまでに嫌がるチャロを無理に病院に連れていって
恐い思いをさせて命を長らえる事に意味があるのか。
チャロの居たい場所にいさせてやりたい。
家族の決断だった。
この日は素敵奏のTV、ラジオの収録があり、静岡に行く。
ラジオ収録が終った後(21時くらい)スタジオを出ると
携帯に留守電が入っていた。
母から「チャロ危篤」の知らせだった。
虫の息であるという。吐血もしているらしい。
打ち上げの食事は急遽断り、自宅へ急ぐ。
チャロは目をうっすらと開け、
視線を動かす力も残っていないようだった。
横になって手足を伸ばし、ぐったりとしていた。
息も浅い。
口の周りに血がついていた。
拭こうとするとそれだけで吐き気をもよおすらしく、
母もそのままにしてあるようだった。
声をかけるとしっぽで反応してくれた。
苦しいだろうに。
8/13(日)
朝。
チャロは何度か吐血。
ぐったりして動く力もないのに、吐く時には思わず体をおこす。
それほど苦しいのだろう。
母は安楽死について私に話した。
私ももちろん頭をよぎっていた言葉ではあったが、
母の言葉に返事ができなかった。
ただ、うつむいて聞いているだけだった。
今日は素敵奏の路上LIVEの撮影の日。
でもなかなかチャロの傍から離れられない。
私が声をかければ一生懸命に反応するしっぽ。
長いしっぽがぱたん、ぱたんと振れる。
チャロが生きているかどうかを知らせるのは
もう、呼吸で動くお腹と
呼びかけに必死に答えるしっぽだけだった。
私がスーパーにチャロの為に
食べものなどを買いに行こうと
玄関のドアを開けた時にチャロが再び吐血。
チャロが「傍に居て欲しい」と言っているようだった。
母が出かける時間が過ぎている私を気遣い、
「これ以上チャロが吐血をするようだったら
お母さんがお医者さんを呼んで、楽にしてもらうから、
いってらっしゃい」と言った。
浅くて早い息。呼吸も口でしている。
私が帰るまでチャロが吐血をしないで待ってる可能性は
ないに等しかった。
私は、目の前の苦しそうなチャロを見て母に言った。
「先生を、今、呼ぼう」
母は先生に電話。泣きながらだった。
「これ以上見ているのが辛い」と。
しばらくすると先生と看護婦さんが来てくれた。
チャロの様子を見たり、私たちに聞いたりした後先生は
楽にしてあげましょう、と言った。
「処理をしますので」という先生の言葉で
私と母はチャロ部屋を出た。
5分したかどうかくらいの13時半、
再び呼ばれた母と私。
先生の傍に寝ているチャロが居た。
目は閉じられ、口も鼻も奇麗に拭いてもらって
とても安らかに、ただ寝ているようにチャロが居た。
でも。
お腹は動かなかった。少しも。
呼んでもしっぽは振れなかった。
しっぽを触られるのが嫌いだったチャロなのに
しっぽを持ち上げても抵抗しなかった。
置いた場所にだらりと垂れるだけだった。
「チャロ」と呼んでも、呼んでも。
チャロの体を撫でては泣いた。
覆い被さるようにして泣いた。
声を上げて泣いた。
悲しいという言葉以外に見つからない感情。
たくさんのチャロの姿が浮かんで、涙になる。
手のひらにも乗ってしまうほど小さかったチャロが
うちにやってきたのは私が小5の春。
一度トイレの場所を教えるとちゃんとそこでおしっこをする
利口な猫だった。
猫ずわりができなくて、壁によりかかって
パンダのような恰好で座ったチャロ。
頑固で、自分の意見を通すまで鳴き続けたチャロ。
朝は私と共に起きて一緒に顔を洗った。
トイレに入るとドアの前で待ってて、
私が扉を開けるとぶつかった事も何度もあったね。
お風呂からあがると一生懸命足をなめてくれた事もあったなあ。
猫なのにまたたびに興味の無いチャロ。
カルカンが好き。
毛をすいてもらうのが好き。
私の部屋が好き。
私のバッグや座布団も好きで、毛だらけにしちゃったよね。
若い頃には網戸によじ登ったり、
こたつの線を切っちゃったり、
なかなかやんちゃだった。
掃除機が嫌いで、知らない人も苦手。
お風呂も嫌いだった。
体が弱くて、我慢強くて、
たくさんの治療に頑張って耐えてきたチャロ。
胆石ができた時も、
目がひとつになっちゃった時も、
そして今回も。
本当に頑張ったね。
私たちの応援に応じるように一生懸命に
病気と闘ったね。えらかったね。
チャロは赤いバスタオルに寝かせてあげました。
チャロは赤が似合うから。
箱に入れちゃうのがかわいそうで、
大きくゆっくり寝かせてあげました。
体を持ち上げた時、体温がとても低くなってました。
こんなにも体温が低下してたのか。と
悲しくなりました。
私は静岡で予定通りに歌いました。
一部の友人や相方はチャロに何が起きたのか
知っていたので、それが逆に救いだったな。
自宅に帰るとチャロがかたくなっていて、また涙が出た。
冷たくなった頬。
黄色くなった肉球。
母がお線香と餌、水をあげてくれていた。
私はチャロと一緒に1階の部屋に寝た。
8/14(月)
先生や母の話によると富士宮では
動物を火葬してくれるらしい。慰霊碑もあるそうだ。
しかし火葬するためには
市役所で許可証をもらう必要があった。
そこで、午前中、チャロとともに市役所に向かう。
すると「今日の予約はいっぱいなので明日以降にお願いします」と
言われた。
明日の9時の許可書をもらい、家に帰る。
チャロはもう一晩うちに居たかったのだろう。
もしかすると具合が悪くなって上がれなくなった2階にある
私の部屋に行きたかったのかもしれない。
今日は私の部屋に一緒に寝る事にした。
葬儀屋さんで母がドライアイスをもらってくれて
チャロの体を冷やした。
8/15(火)
雨。お盆でうちに来ている叔母や祖母が
チャロにお線香をあげてくれた。
朝9時に火葬場に行く。
人間が火葬されるのと同じ建物内に動物を火葬する場所があった。
正面の入り口から入り、
人間のものよりも随分小さい入り口から
箱が入れられた。
箱には
赤いバスタオルにくるまれたチャロのほかに
花と
私のフェイスタオル
(私の使っていたものを何か入れたかった)と
餌とが入っていた。
もっとたくさん入れたかったけど、
いざとなると何を入れていいか分からなかったし
燃えないものは入れられなかった。
鉄の扉が閉まって、おじさんがそれを固定した。
がらんとした火葬場にチャロの燃える音が
低く響いた。
私は突っ立って、鳴咽した。
20分もすると、チャロは骨さえも残らないように
なってしまうという事だった。
30分近く、そこに居た後、建物の後ろにある慰霊碑に
「チャロをよろしくお願いします」と挨拶して帰った。
チャロの毛並みも
チャロのにおいも
先っぽだけ内側に巻いた長いしっぽも
もう私の記憶にしかなくて
二度と、触れる事ができなくなってしまった。
今まで生きてきて、
こんなに悲しい事はなかった。
転校して埼玉から静岡にやってきた高橋家。
見知らぬ土地に来た私たち姉弟に
母は「欲しいものをひとつだけ言ってごらん」と
言った。「それは必ず叶えてあげる」と。
私は迷わず「猫」と答えた。
そうして我が家に来たのがチャロだった。
転校や、いじめや、受験や。
たくさんの辛い時にいつもチャロはいて、
そして私が社会人になった今、
役目を終えたように居なくなってしまった。
私の余命の半分をチャロにあげられたらいいのに。
と何度も思った。
チャロと話がしたい。
チャロ。
まだ今の私には「今までありがとう」なんて
言えないよ。
まだまだたくさん一緒にいたかったよ。
でもさ、最後に出会ってお世話をしてくれた
先生がとても優しい、いい先生で良かったね。
看護婦さんも一緒に泣いてくれたよ。
みんなに愛されてるんだよ。チャロ。良かったね。
チャロ。大好きだよ。