十月一日
映画「マトリックス」を見る。
すごくて、かっこよくて、面白い。
うん。とりあえず見て損はしないなって感じ。
でもなあ、こういう映画は見飽きてしまったよ。
結局のところ、こういう映画は、いかに新しい映像を見せるか。
そこしかアピールするものはないのかな。
確かに新しい表現は刺激的で興奮するものではある。
でも、最近の映画はあまりにも、その点だけを追求してしまったように思える。
特に「スターウォーズ」なんて、その典型だ。
あまりにも、CGやらSFXを使いすぎて、最後は食傷気味になった。
今、僕が求めている映画は刺激じゃなく、感情に訴えかけてくる映画。
感情を揺さぶられるような映画を見たい。
もっと笑いたいし、もっと感動したい。
いつだってね。
十月二日
アフターミーのインストアライブに行く。
好きな音楽ってのは、やっぱり何回聴いてもいい。
やっぱり NO MUSIC NO LIFE だよなあ、なんて思ったりして。
アコーデオンの音が聞こえた。
一人の外国の女性が立っていて。
その人がアコーデオンを弾いてるのだった。
そのお店はオープンカフェのようなつくりで。
お客さんは静かに、その音に耳をかたむけていて。
通りすがりの人も立ち止まって。
犬さえもなぜか静かで。
この瞬間、音楽はきっと誰にでも優しい。
十月三日
最近、眠れない夜が増えてきている。
心の中にはいつだって、僕を苦しめる問題があり。
それは、とても苦しく、つらい。
全部、自分の所為だってことはわかっているけど。
この問題を解決するために、何をするべきかも理解しているけれど。
でも、やりたくない。だから逃げ続ける。
そんな悪循環をいつまで繰り返すのだろう。
一体、いつまで逃げ続けるつもりなのだろう。
いいかげん、前を向いて歩かないと。
一歩を踏み出さないと。
そんなこと、とっくに知っていたはずなのに。
自分から目を背けて、ふたをして隠して、見えないようにしていただけ。
もう、やめよう。
自分をごまかし続けるのは、もうやめだ。
そう決めたんだ。
十月四日
季節の変わり目というのは、僕にとってはあまり好きな時期ではない。
何故なら、僕は必ずといっていいほど、風邪をひくのであり。
今日も鼻の調子は最悪といってよい。
あー、はっきりいって、つらいです。
鼻がつまるって経験は、何回経験しても慣れることなんてない。
やたらと鼻をかみ、いつのまにゴミ箱はティッシュだらけ。
鼻が役に立たなくなると、頭すらまともに動かないような気すらしてくる。
頭がぼんやりとしてきて。きっと今の僕の目はうつろじゃないだろうか。
こんな日はさっさと寝てしまおうと思ったって、なかなか眠れず。
鼻が使えないと、寝るのもつらいよ。
やれやれ。
十月五日
いつから僕は土に触れていないだろう。
あの土の感触を、今の僕は忘れてしまった。
そう気づいたとき、ふいに悲しくなった。
本当にいつからなんだろう。
何か大事なことを忘れてしまった。
そんな気がしてならない。
それは、秋の日だった。
十月六日
走っている、走っている。いつかゴールにたどりつくまで。
ゴールなんてあるのか。それすらもわかってないくせに。
決められた道の上を歩きつづけるしかないのか。
ここから外れたら、それで人生は終わりなのかい?
全ては終わってしまうのか?
決められた道から降りてみるか?
それは現実逃避にすぎないのか。
全てが定められた世界。
誰がこうあるべきだなんて決めた?
でも、道から外れるってことは、全てが真っ暗になるってことかもしれない。
それは、すごく怖い。すごく不安だ。
ああ、だからなのか。だから従うんだね。
そっちの方が楽なんだね。
ずっとずっと。
十月七日
夜になって見える景色とか光景ってあるよね。
例えば、家や団地やマンションの明かり。
離れたところから見ると、マンションの窓の明かりの色はそれぞれ違う。
一軒の家の明かりも外から見ると、部屋ごとに違ってたりする。
きっと、カーテンとか蛍光灯とかのちがいなんだろうけど。
黄色、グリーン、青、ピンク、赤、オレンジ、白etc。。。
いろんな色がある。
もしかして、家ごとに色はあるんじゃないのかな。
その家の色。家族の色。
そして、自分の色。
あなたの家は、あなたの部屋はどんな色をしていますか?
あなたの色はなんですか?
十月八日
気づいたら部屋のカレンダーは九月のままだった。
携帯は、しきりに警告のメッセージを告げてきた。
でも、操作方法がわからないんだから、どうしようもない。
家に帰って、説明書を見たらやり方がやっとわかった。
ついでにカレンダーも一枚めくった。
ようやく十月になった。
十月九日
眠いので、早めに寝ようと思ったのに、耳元に蚊の羽音が・・・。
しょうがないので、しばらく蚊取りマットでもつけてよう・・・。
もう十月なのになあ。
秋を感じる出来事。
例えば、珈琲をお店で頼む時、アイスじゃなくホットにしたこと。
今日はそんな出来事の最初の日でした。
十月十日
信号の待ち合わせ中。
「なんだよ。この信号変わるの遅えよ。まじ、むかつく」
と大声でわめいてる人がいるので、誰かと思い見てみると小学生の少年でした。
少年は何回も同じことを言っていた。周りには友達もいるのに。
余裕がない子供か。
これも時代ってやつでしょうか。
それとも子供ってのは、こういうものだったかな。
忘れてしまっただけなのかもね。
十月十一日
なんか刺激がほしいな。
このだらけきった生活を変えてくれるような。
待っているだけじゃ、ダメさ。
自分で探さなきゃな。
十月十二日
今日会った友達も刺激がほしいと言っていた。
なんだ、みんな同じか。
みんな、どうしようもなく退屈で平凡な毎日をすごしている。
僕らは、刺激を求めながら、ちっとも動こうとしないでいる。
いつだって、同じ行動をとる。約束されているかのように。
繰り返される同じ光景。
それを意外と楽しんじゃってる。
こういう日々もいいかな。
そんな今日でした。
十月十三日
ようやく部屋に住みついてた蚊を撃退したので、まともに寝れそう。
あー、よかった。一安心。
今日は図書館に行って、本を借りてきた。
読みたい本をごっそりと。
楽しみは明日からにしよう。
CDも買ってきた。
これも明日にしよう。
こういうことで僕は、ささやかな幸せを感じてしまったりする。
実に簡単。いや単純。
ま、いいじゃん。
それでは、おやすみ。
また明日。
十月十四日
夕方、雨が降ってきた。
遠くの空に真っ黒な雲があって、その雲は色を少しずつ薄めながら広がっていく。
黒から灰色へと。
そして雨が降り出す。
それでも僕は出かける。
バケツをひっくり返したみたいな激しい雨。
地面にたたきつける音。かさに降りかかる雨の音。
車のライトに照らされる雨の美しさ。
雨の光跡が確かに見える。
雨はライトアップされているようで。
それは、幻想的な空間であり、一瞬の輝きを放つことだろう。
きらきらと眩しいほどに。
十月十五日
寒さで目が醒めた。
窓を開けて外を見てみよう。
ああ、息が白いよ。
はきだす息はいつもと違い、それは僕を嬉しくさせる。
十月十六日
知り合いに会った。
近くに住んでいても会わないってことが普通だと思ってたけど。
こういうこともあるんだね。
しかし、こういう時の僕は全くダメである。
機転がきかないというか・・・。
突然の事態にすばやく反応することができないみたいだ。
そして後で後悔する。
あの時、もっとうまくやれたんじゃないかと。
そういうものです。
十月十七日
限界まで自転車を走らせた。
限界?
ここが限界なのだろうか。
違うね。
自分で決めてるだけだ。
夜が来たことを言い訳にして。
寒さから逃げようとして。
もっともっと先へ。
明日はもっと先へ。
十月十八日
ボーリングをする。
ボールはなかなか思い描いてるコースにはいかない。
まっすぐにはいかない。
曲がる。逃げる。横へそれる。
次第に疲れて、ますますボールに振り回される。
しょうがないので、ボールを軽くする。
そうやって、なんとか思い通りのコースへボールを行かせる。
なんか、これって人生みたいじゃないか。
なんて思ったりして。
十月十九日
下へ向かうほど寒くなる。
上へ行くほど暖かくなる。
これは矛盾なのだろうか。
外は寒く、内は暖かい。
それだけは、かわらないよね。
十月二十日
「なあ、この会話さ、先週もしたよな」
「ああ、やっぱりここだったかな」
「そうそう。同じ場所で同じ会話をした」
「それって、進歩がないよなあ」
「全くだ」
「それでさあ」
「ん、何?」
もしかしたら無意味なことしかないのかもしれない。
そして、それでいいのかもしれない。
十月二十一日
マクドナルドに行って、新商品を食べた。
あいかわらず、おいしくない。
じゃあ、なんで食べるかって?
何でだろうね。
安いから。
手軽だから。
いろいろ理由はあるけど、本当は食べたいからだ。
ちょっと違うな。
たまには食べたくなるものだからだ。
毎日はいやだけど。
たまにはいい。
毎日、お茶や水とかしか飲んでいない健康的な生活をしていると、
ふいにコーラなんかを飲みたくなる感じに似てる。
清濁併せ呑まなきゃ生きていくことはできないってことかね。
なんか、馬鹿馬鹿しいけど。
十月二十二日
新しいモノ。新しい光景。新しい刺激。
そういった新しい何かを、ただ受け入れるだけだ。
自分の内面に。
それで何かが変わることを期待しているだけではない。
ただ、自分のモノ、自分の経験にしたいだけなのだろう。
そうして、生きているうちに、何かを失っているのではないかと、恐れながら。
十月二十三日
ごめんね。
メールにはそう書かれていた。
一体、何のことだろうか。
よく見てみると、それはちょっとしたすれ違い。
人と感情を通じ合わせるのは結構難しい。
良かれと思ってした事でも、その人の受け止め方ひとつで、全てがすれ違う。
ささいな行動が、全てを壊してしまうことだってある。
そういった出来事を今でも思い出すことがある。
それは今でも、僕の心の中に確かに存在している。
でも、こういう苦い記憶があるから、今をよりよいものにできるのかもしれない。
少なくとも生かす努力をしないといけないのだろう。
十月二十四日
地図を広げて、思いを馳せる。
知らない街に僕はいた。
地図を広げて、今、自分がどこにいるのかを確認する。
もしかしたら、この街を訪れるのは今日が最初で最後かもしれない。
よく、そんなことを考える。
今日の夕焼けは綺麗だった。
全てが完璧なバランスを保っている。
僕は知らない場所で夕日を見ていた。
知らないから、正しく見える。
余計なフィルターを取り除いた、素直な眼で。
十月二十五日
本を読んでいて、ふいに何かを思い出すことがある。
目の前に風景が立ちあがってくるような。
きっと、そういう感覚が、自分にとって多ければ多いほど、良い本なのだと思う。
今日、読んだ本は、良い本だったな。
「東京装置」
小林紀晴
十月二十六日
その瞬間、彼の声は甘く変わった。
それは、突然の事で、その変化を見るのは面白かった。
彼には悪いけどね。
誰と電話しているかなんて、聞かなくてもわかってるさ。
そのうち写真でも見せてくれるかね。
ささやかな日常の光景の延長に、幸せの場面はあり、それは誰にとっても大切な今につながる。
十月二十七日
雨はいつまでも降り続き、止む事がなさそうである。
止まない雨はないし、晴れつづける空もない。そんなことは知っているのだけど。
空は夜のように暗く、時間の感覚を失わせる。
逆巻く風は荒れ狂い、ビルに跳ねかえった風は地面に叩きつけられる。
雨は重力を忘れ、横から降ってくる。
こういう時は素直に従うだけだ。逆らわずに。
ただ、それだけ。
いつしか雨は小降りになり、風はおさまった。
空を見上げても月しか見えず、それでも夜はいつのまにか訪れていた。
明日はきっと晴れだろう。
十月二十八日
やっぱり今日は晴れだった。
気持ちの良い快晴である。
でも、風邪気味っぽいので、寝てる。
二度寝したりする。
寝すぎて疲れた。
夢ばっかり見てた。
結構すごい夢。
起きても夢の事を考えたりする。
夢にひきずられた一日。
そんな日もある。
十月二十九日
何も見えない、何も聞こえないという障害者の人をTVで見た。
それは、閉じた箱の中にいるようなものだと言う人もいる。
でも、その人は前向きに一生懸命に毎日を生きているように見えた。
ただ可哀そうと言うのは簡単だけど、それだけじゃあいけないよね。
思っているだけでは何も変わらないのだから。
そんなことを考えていたら、ヘレン・ケラーの話を思い出した。
見えない、聞こえない、話せないといった三重苦の障害をもった少女にコトバを教えること。
それは、とても難しいことだったろう。
なかでも一番難しかったのは、モノには名前があるってことを理解させることだったという。
水には水という名前があることを理解させること。
全てのモノには名前があるってこと。つまり、名詞の概念。
これを理解できれば、コトバを覚えることは簡単になるらしい。
名詞の概念を持っているのは人間だけだから。
人間意外の動物は動詞しか理解できないのだそうだ。
例えば、名前を呼ぶと犬が反応するのは、それが呼びかけのコトバとして理解しているから。
十月三十日
休日、河川敷に行くと、そこには家族連ればっかりである。
それはもう見事な光景で。
そんな家族連れが遊んでいる姿を横目で見ながら思う。
なんて幸せそうなんだろうなあって。
特に小さい子供を連れた家族連れを見ると、一層その思いは強まる。
子供は五歳までで、親に全ての恩返しをすませる。なんて聞いたことがあるけど。
もしかしたら、それは本当なのかもしれないね。
幸せが溢れている世界は輝いていて、その時をすごせた意味は、ずっと後になってから知るのだろうか。
いつか、そんな時を知ることができるだろうか。
できたらいいねと微笑みながら。
十月三十一日
或る街を散歩していたときのこと。
スピーカーからアナウンスが流れていた。
「この街に、パチンコ屋と居酒屋は要りません。静かな住環境を守ろう」
そこでは署名活動も行われていた。
もうすでに、この街には何軒ものパチンコ屋も居酒屋も存在しているのに。
でも、今回はダメらしい。
それとも前にもこうした反対活動をしていたのだろうか。
「深夜まで営業するパチンコ屋や居酒屋ができれば、街には夜まで人が集まり風紀が悪くなります」
アナウンスはいつまでも響き続けた。
隣町に、深夜営業をするスーパーみたいな店がある。
その店でも署名活動をしていたなと、ふいに思い出した。
確か深夜営業を続けさせるための署名だった。
「お客様のために、今後も深夜営業を続けます。そのために署名を」
そんな話だったかな。
どっちも正しいと思っていて、きっと本当に正しくないって決めるのは難しいだろうな。
そんな僕達にできることは、自分の家の近くには面倒なことが起こりませんようにって思うことだけ。
それとも署名をすることだけ?