十一月一日
「シックス・センス」を見る。
後からじわじわと面白さを感じる不思議な映画。
映画を見て、子供の頃を思い出した。
病気や風邪で寝こんだとき、いつも同じ夢を見た。
今ではすっかり見なくなったけど、子供の頃はいつも見た。
真っ暗な世界に一本の白く細い道が延々と続いている。
僕にとって世界は、その一本の白い道だけだった。
そして何か得たいのしれないものが僕の後を追いかけてくるのだ。
僕はただただ必死で逃げる。
その何かは地響きをたてながら、僕を追ってくる。
そんな夢を子供の頃ずっと見ていた。
他にもあって、それは自分がどんどん小さくなっていく夢だった。
どんどん小さくなって、そして全てのものに押しつぶされそうになる。
子供の頃はそんな夢と現実の区別がつかなくなり、うなされたものだ。
ふらふらと夢遊病者のように家の中を歩きまわったこともあった。
そして、そんな悪夢の世界から僕を救ってくれたのは、いつも母だった。
そんな時、僕のただならぬ様子を感じた母はいつも僕のそばにいてくれた。
母が何も心配しなくていいよと言い、布団の上に優しく手をおいてくれた。
そうすると、不思議に安心してよく眠れた。
母と子の関係。
特に子供の頃の母との関係は、その後の人生をある意味で決めてしまうほどの影響力をもっている。
だからこそ、大事にしないといけないんだね。
そして、もしかしたら子供にしか見えないものは確かにあるのかもしれない。
僕にとっては夢で、映画では幽霊ってことになってたけど。
そんなことを、「シックス・センス」を見て思い出しました。
十一月二日
やればできるのに、でもやらない。
まだ時間はあるさ、と思いながら。
いつもやるのは、追い詰められてから。
これって良くないことだと知っている。体験として。苦い記憶として。
なんてことを考えながら、やっぱり僕は屋上で、ぼんやりと時をすごしている。
ヘッドホンをかけて、好きな音楽を聴きながら。
屋上には誰もいない。一人きり。
あ、今ひとり上がってきた。男が一人。
やっぱり、何をするでもない時を過ごしにきたのだろう。
空には飛行機雲。
風にふかれて、流されて行く。
帯状の細長い雲が、いくつもいくつも頭の上を飛んでいった。
オレンジとブルーとホワイト。
色が混じりあうと、さあっと一つ一つの色がひきたつ。
あ、また一人。やっぱり男。
屋上の長いベンチの両はじと真ん中に綺麗に三人座っている。
真ん中の男はごろんと横になった。眠るつもりかい。
あ、CDの電池がきれた。
僕はヘッドホンを外し、カバンにつっこむと立ちあがった。
さてと。
コンビニで立ち読みでもして帰ろっかねえ。
十一月三日
君に会いたくて、でもやっぱり会いたくなくて。
いつだって矛盾した気持ちを抱えてる。
やりきれなさと、どうしようもなく期待している自分。
そのどっちも大事で、どっちも幻にすぎない。
橋をわたり、川を越える。
手にしたものは確かなものかな。
目にしたものは明日には忘れてるだろう。
今日という日も一瞬で消え去るだろう。
十一月四日
あっという間に一日は過ぎ去り、あっという間に日々は過ぎていく。
TVでは昨日見たような気がする番組が、また一週間がすぎたことを告げる。
新しい展開、新しい刺激。
そのどれもが、どうも陳腐なものに思えて仕方がない。
ああ、いつからだろう。
素直に笑えなくなったのは。
ああ、いつまで続くのだろう。
この退屈な繰り返しは。
十一月五日
注射ができない子供が増えているらしい。
それも小学生だけではなく、中学生でもなのだそうだ。
注射をしようとすると、硬直して涙を浮かべていやがるんだって。
痛いのはいやだ。自分が痛いのはいやだ。絶対に。
そういう人こそ、意外と他人の痛みには無関心だったりする。
拒否して、逃げ回って、キレテ、泣き出して、叫び出して。
いつだって大人は段々世の中がおかしくなっていくと言っている。
でも、そのズレはきっと子供の頃からはじまっているんだ。少しずつ。確かに。
大人はそれに気づいているけど、でも肝心なことはなかなか理解できない。
そうして、少しずつズレていく。
ズレるのは簡単、でも元通りにするのは結構難しいよ。
十一月六日
欲しいものがある。
それには本物とフェイクがある。
値段もいろいろ。もちろん本物が一番高い。
フェイクは、何種類か別れている。
表向きだけ、似せたもの。見ればすぐフェイクだってわかる。値段も一番安い。
次に、ちょっとは本物に似せてつくったもの。これはぱっと見には本物に見えるかもしれない。
最後に、限りなく本物に近いフェイク。
これは、じっくり見ないと本物と区別することはできないだろう。
それでも、その本物との値段の差は歴然としている。
さて、ここで悩む。
あくまで高い本物を買うべきなのか、それとも精巧なフェイクを買うべきなのかと。
本物と変わらないフェイクなら、それは本物と同じなんじゃないかとか。
それとも、やっぱり本物がいいのだろうかとか。フェイクは所詮、フェイクにすぎないか。
自分が納得できるなら、何でもいいのかもね。
十一月七日
NBAを見る。
NBA JAPAN GAMES
「サクラメント・キングスVSミネソタ・ティンバーウルブス」
というわけで、ひさびさに東京ドームの中に入った。
席はどこだろうか?
チケットを持っている友達の話では一番安いチケットとのことなので、ある程度の覚悟はしていたのだが。
しかし、いざ席についてみると、ここは世界のはじっこ。
いや、東京ドームのはじっこ。三階席の端。
コートは遠く下にある。遠くにある。うん、限りなく遠い。
持ってきたオペラグラスで試合は見た。
試合中はずっとオペラグラスを使って見てた。
そうでもなくちゃ見えないのだ。
隣の友達は双眼鏡を使って見てた。
まあ、それでも試合は楽しめた。
音楽がここまで届いてこないので、静かに試合は進んでるように見えた。
きっと、コートサイドの人達はうるさいくらいなんだろうけど。
それで家に帰ってから録画してあった今日の試合をもう一度見てみた。
そこには、まるで違う世界があった。
詳しい解説付きで、編集されたゲームは全く違うものになっていた。
ああ、こんなに違うんだと思った。
現場で試合を見ていたとき、全然活躍していないように見えた選手が実はすごい活躍をしていた。
調子が悪くてシュートを外しまくっていたイメージがあった選手が実は結構シュートを入れていた。
最後には点差がひらいて一方的な展開に思えていたのが、実は意外な接戦であったとか。
すべてはイメージされていた記憶で、それは現実とは違っていた。
情報を与えられて、はじめて僕達は真実を知る。
この目で見たものは、確かにある意味では正しいけど、
それは自分で勝手にイメージをつくりあげてしまうことにもつながるのかもしれない。
もちろん、情報が正しいともいいきれないけど。
いろんな見方があるんだな。
そう気づいただけで、今日の試合は価値があるね。
十一月八日
どうでもいいことでいらついている。
これって最悪だな。子供じみてる。
なんで、こんなことでいらいらしているのだろう。
これは甘えにすぎない。誰かに責任をなすりつけて、自分を言い訳をしている。
僕はまだまだ子供だな、と思った。
早く大人になりたい。ならなくちゃいけないのに。
いつかなれるだろうか。本当の大人に。
それとも永遠になれないのだろうか。
それとも気づいたときには大人になっているのだろうか。そうとは知らないうちに。
十一月九日
飽きるのが早い。
最近ますます、飽きるまでの時間が短くなってきてるようだ。
というより昔からそうだったのかもしれなかった。
家族も基本的に飽きるのが早いし。ひょっとして遺伝的なものだったりして。
例えば、今日行ったゲームセンター。ここには毎週のように友達と来る。
もうすでにどのゲームにも飽きている自分に気がついた。
結局ゲームはしなかった。したくなかったし。
友達は同じゲームを飽きもせず、やり続けている。
だからといって、毎週やっているビリヤードは飽きないし。
つまりは、自分が興味を持てるか。好きになれるかってことなのだろうか。
でも、たまにゲームをしたくなるときもあるんだけれど。
ゲームじゃなく、他にも、突然何かをしたくなったりすることがある。
それは衝動に近い感覚。
理解できるものもあるし、わからないものもある。
十一月十日
音楽って偉大だ。
月曜日、へこんでいた僕はレンタル屋に行ってCDを借りてきて、聴いた。
それだけで、少し楽になれたような気がした。
ああ、音楽ってスバラシイね。最高だね。
何回助けてもらったろう。ダメになりそうな自分を。いや、ダメだった時の自分も。
音楽って偉大だ。改めてそう思うよ。
十一月十一日
依存してしまうこと。
例えば本を読んだり、音楽を聞いたり、映画を見たりする。
そのことによって、深い共感を感じることがある。
ああ、この考え方は理解できる。僕の考えていたことはこういうことだったんだ。
そして、その人の言葉が全てになる。
もう、いいや。自分と同じことを言ってくれるんだし。
自分の求めていることがここにはあるし。
そうして、全てをあずけて、自分では何にも考えなくなること。
それが、とてもいやなのです。
十一月十二日
青春とか若さっていうのは、後悔をしながら進むことかもしれない。
言いたいことは素直に言えないし。
口から出るのは、本当に自分がいいたいコトバではなかった。
自分を守るために、他人を傷つけ、そして自分も傷つく。
どうしようもなく不器用で、そんな自分を素直に認めることもできなかった。
お互いに見えないナイフで傷つけあいながら生きてきたのです。
意地を張りつづけて、なにより自分のために。理由は一つ。
それしかないから。それだけしかなかったからだよ。
でも、その青春とか若さってのは二度と取り戻せないもの。
そして誰の心にもある普遍的なもの。
だから、こんなにも心を打たれるんだね。
それはとても気持ちのいいことだったね。
というわけで、この二本の映画はお薦めです。
十一月十三日
図書館に行ってこんな本を読んだ。
世界は広く、けれど人は生まれ育った国にしばられる。
それが、現実ってものだったろうか。
「クミコハウス」
別冊モトギ通信。お気に入りのHPです。
十一月十四日
横浜で路上ライブを見た。
最近は、ちゃんとアンプとか使っているバンド形式の人達が増えてきている。
やっぱり、大きい音の方が聞きやすいしね。
人も集まってくるし。
ここにいる誰もが成功することを望んでいるのだろうか。
ただ前を向いて歩いていけると信じている。
いつの日か夢はかなうのかな。
ただ聞いている僕には、彼らの未来なんてわかるわけないのだけれど。
今、ここにいて、聞いているだけでいいのかもしれないね。
それだって、奇跡みたいなことなのだから。
十一月十五日
雨が降っていた。
約束は忘れてしまおうと決めた。
約束は守れそうもないなと思った。
どっちが正しい?
どちらも正しくない?
雨が降ったりやんだりする中で、僕は知らないふりをした。
十一月十七日
日本には、約1800万人のタバコ中毒者がいるらしい。
これって、結構ものすごい数字だと思うんだけど。全人口の一割以上ですよ。
この1800万人の人達は、もはや自分の意思ではタバコを止めることはできないそうである。
怖い話だなあと思った。
多分、この人達のほとんどは、死ぬまでタバコを吸いつづけるのだ。
まあ、好きならいいですけれど。それで満足してる人には何も言う必要はないのかもしれない。
彼らは、たまにタバコを止めようかなと考えて、ちょっとは我慢できるのかもしれない。
でも、彼らは知らないというか、実感してないだろうけど、タバコをまた吸いはじめるのだろう。
何も知らない方がいいのかもしれない。
その方が幸せなのかもね。
知らないうちに依存していて、容易に抜け出すことはできなくなる。
誰も依存しているとか、中毒なんだとか知らない。もしくは知らないふりをしている。
でもそれって悲しくないですか。
少なくとも、僕には悲しく愚かしいものに思えたのです。
十一月十八日
「ジョーダン」と「中田語録」を読んだ。
一つ共通していることがあった。
マスコミへの不信感。
有名になればなるほど、個人のプライバシーは無くなっていく。
次第にマスコミとの関係が悪化していく。
そうして中田は海外へと渡った。
ジョーダンは引退を決意した。
いつだってこの悪循環は変わらない。
マスコミは言う。
視聴者が、読者が情報を求めるからだと。
ニーズがあるから、やるんだと。
だからといって、人が誰かを傷つける権利なんてないと思うのだけれど。
もっと想像力を働かせて考えてほしい。
自分がその立場になったら、どう思うかって。
みんなが、そう考えることができたらいいのに。
十一月下旬
サイト評価されました。
「東洋大学社会学部応用社会学科図書館学専攻4年」のかたのページです。ありきたりの音楽(J-POP)と本に関する感想などがあります。普通の人の普通の日記もあります。特に言うようなことはありません。
何のヘンテツもないサイトだけど、かなり文章がわかりやすくかかれており読みやすい。音楽の話、
本の話がありますし、体験記というか適当にかかれた面白い話もあります。
読み応え度はFMラジオを目で読む感じと言うべきでしょうか。
十一月二十日
誕生日でした。
でも、何も変わったことはありません。
いちおうケーキは食べました。
意外なことに二人の友達からお祝いの言葉をもらいました。
ありがとう。
自分でも忘れていたのです。
まだ自分の生まれた日に、意味を感じることはできません。
でも、いつか大事に思えるときが来るかもしれません。
それはいつのことかは知りませんが。
その時は自分におめでとうって言います。きっと。
十一月二十二日
今日の日記は「つれづれなるままに」(エッセイ集)に移行しました。
「古本屋」。なお移行にあたって加筆・訂正を行っています。
「ファミレス日記」が最高。今日の日記を書いたのはここの影響です。多分。
十一月二十四日
セブン・イレブンが7%還元セールをやっていたので、買い物した。
受け取ったレシートを見ると、7%引いた後で、しっかりと5%の消費税がかかっていた。
つまり結局は、わずか2%の還元ってことだ。
数字のマジック?
いえいえ、それが社会ってやつです。
そんなに甘くはないってことで。
公式じゃあないですよ。
十一月二十五日
ここ数日、妹が甥っ子を連れて実家の方に遊びに来ました。
毎月一回はくるんですけどね。
今回はいつもより長く泊まっていったので、甥っ子とふれあう機会が多かったのです。
そろそろ1年くらいかな。
ひょっとしたら、今が一番かわいい時期かもしれません。
まだ、はいはいの段階だし。言葉もしゃべれないし。
しかし、母親のことはちゃんと認識できるようになっていて。
この様子が本当に面白い。
母親がちょっと目に見えないところに行くと、とたんに泣き始めるのだ。
それは、もう唐突に。
そして母親が戻ってくると、すぐに泣き止む。
スイッチが瞬間的に切り替わっているみたいだ。
なんか、そういうものだそうですけど。もちろん僕もそうだったってね。
動物とかのプリンティングに、よく似てる。
ただし、動物は目が見えるようになったら、すぐ親に反応するらしいけど。
人間の赤ちゃんは、そうなるのにすごく時間がかかる。
ゆっくりと。ゆっくりと。
日記が良い。オレンジ。
十一月二十八日
「インフィール」
というバンドのインストアライブを見に行く。
全く知らないバンドだけど、結構良かったです。
でも、男二人組でアコースティックというのはね。ありふれてるかな。
曲もなかなかいいけど、ちょっと地味かもしれない。
ゆずとかサムシング・エルスに似てるところもある。
売れるためには個性が必要なのかもしれない。
自分たちにしか、できない何か。
それは楽曲でもメロディーでも歌詞でも何でもそう。
そして問答無用で人を引きつける力も必要だろう。
まだ彼らにはその力は無い。残念だけど。
とりあえず彼らが売れるためにはまだまだ時間が必要だろう。
それとも売れないまま消えていくのか。
僕は結構好きですよ。
所属レコード会社。
十一月三十日
ゼミでの発表があった。
多分、これが大学生として最後の発表だろう。
しかし、終わった後に残ったものは何もなかった。
やはり、残ったものは後悔。
もっと真面目にやればよかったなあと。
それは、いつだって遅すぎることだけれど。
だけど、そう思わずにはいられない。
もう何度も何度も、いつだって同じことの繰り返し。
これって進歩がない。
同じところに、ずっとずっといるみたいだ。
馬鹿らしくて。やってられないね。
次こそはってつぶやいてみようか。
少なくとも忘れないように。
noteのe
十一月三十日
ええと、来月からは下から上に日記を書きます。
そうした方が読む人にも自分にとっても楽そうだから。
このくらい量があると読みがいがありそうですね。今は日本に帰ってきてるみたいです。