めるとたうん バックナンバー


日々の思い

 

 

一月二十九日

最近、おかしな事件ばかり起きている気がする。

新潟での九年間も監禁されていた女性が、今後どういう人生を送るにせよ、

幸せな人生をすごしてほしいと願います。

そのためには多くの人の多くの努力が必要だと思うけれど。

人は誰だって幸せになる権利がある。

しかし、本当に大事で簡単な真実ってやつは、少しずつ見えにくくなってきているように思える。

それは社会のせいなのか、それとも違うなにかなのか。

 

桶川のストーカー殺人も、容疑者とみなされていた人が北海道で自殺してしまった。

彼の母親や肉親は報道陣の前でこう叫んだそうだ。

「これは冤罪だ。うちの息子は、あんなことをする人間じゃないと」

そう思う気持ちはわかるが、無実の人間が自殺をするのだろうか。

これも歪んだ愛がもたらした悲劇なのかもしれない。

少なくとも僕は、

「うちの子に限って、そんな悪いことをするはずがない」

なんていう親は好きにはなれそうもない。

過剰な愛はうんざりだし、歪んだ愛を押し付けられるのもゴメンだ。

でも子供は親を選ぶことはできない。親も子を選ぶことができないように。

人が人を育てるってことは、本当に大変なことだ。

どんな親だって、子供が犯罪者になることを望む訳がないのに。

人が正しくあるために必要なものは、あまりにも多い。

そして完璧な人もいない。

人はみな不完全で、でもそれゆえに生きていくことができるのだろう。

 

 

羊ページ

僕が理想とする言葉がここにはあります。

 

 

 

 

一月二十八日

「君は僕の時間を、少なくとも二十四時間は無駄に使わせていると思う」

 

後悔することは正しいことかもしれないが、それを忘れてしまうのは意味がない。

遅刻は止めようと思った。

遅刻するたびに、いつも思っているのだけれど。

このようなことを友達に言ったら、全く信じてもらえなかった。

童話にあった、「オオカミと少年」の嘘をついてばかりいて

肝心なときに信じてもらえない少年の気持ちが、何故だか理解できる気がした。

思うに僕が遅刻するのは、この時間までなら間に合うだろうと思いこんでしまうことにある。

そして気がつくと、その時間をとっくに過ぎていている。

それとは逆に、忙しくて余裕がないときほど、余計なことがしたくなることもある。

こうすると、もはや諦めの気持ちが先に立ってしまう。

もしくは、焦ってどたばたしてしまう。

こういう時に限って、電車は僕がホームにたどり着いた瞬間に発車してしまう。

遅刻をする度に、何事も余裕をもって行動したいよなあと思う。いつもそう思う。

しかし人は忘れながら生きている生き物であり、もちろん僕も例外ではない。

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ってことわざがある。格言だったかな。

でも今回は違う。何といっても、こうやってちゃんと日記として書いている。

今度からは二度と遅刻はしないようにしよう。

それは無理かもしれないが、なるべくしないようにしよう。

少なくとも、余裕をもって行動します。

 

 

heritropism

本の趣味が似てました。

 

 

 

一月二十六日

つまらないとつぶやいていた。

夜に出かけるなんて、全くもって面白くもなんともない。

やっぱり昼だ。太陽が出ている時に活動するのが自然なのだ。

夕暮れは綺麗だが、それでも夜の退屈さをまぎらわしてくれるほどではない。

何も見えないってのは、時間の感覚も、時として感情すらも麻痺させてしまう。

それなのに、どうして冬はこんなにも夜が長いのか。

早く夏がくればよいのに。

 

disclosure

男女の関係とは。

 

 

 

一月二十五日

本屋で立ち読みをする。

「アフタヌーン」というマンガ雑誌。

基本的に、僕はマンガや本は定価で買わないのだが、

この雑誌には、去年僕が、例外的に定価で買ってしまったマンガが掲載されているのだ。

それも二本。

「ヨコハマ買い出し紀行」と「神戸在住」

去年、本屋で定価で買ったマンガというのは、この二作品しかない。

どちらも日常を淡々と綴った作品である。

未来と今。ロボットと神戸に住む普通の大学生。

一見、全く違うように見うけられるが、この二作品からは同じ空気を感じる。

僕は、その雰囲気がとても好きだ。

立ち読みを終えると、僕は地下街へと降りて行った。

今日は坂本サトルのインストアライブが地下街の中央広場で行われる。

ここで、彼のライブを見るのは二回目だ。最初は去年の夏だった。

あのときは、夏の熱い日差しを浴びて、汗をかきながら見ていた。

今は厚着をして、それでも足元が冷えてくるくらい寒い。

彼の歌を聞くのは結構ひさびさだったが、相変わらずだ。

心に迫る歌といえばいいだろうか。感情に訴えかけてくる何かがある。

多分、それは彼の歌に対する情熱や思いを、素直に歌に込める力を持っているからだろう。

それでも何か物足りないなとライブ後に少し思った。

これは慣れなのかな。

僕はもう彼の歌に慣れてしまって、新鮮な感動というものを、前ほどには感じられなくなっているのかもしれない。

少しさびしい気分になった。

でも、それは別の新しい何かを探せって心が言っているのかもしれない。

好奇心や探求心がない人生なんてつまらないものだろうから。

 

蠍座的考察

いや、僕も蠍座なんですよね・・・。

 

 

 

一月二十三日

枕が合わなかった。

なんか、いつのまにか部屋に、でっかいクッションのような物が置かれている。

これは、なんだろう?枕か?

親に聞いてみたら、やっぱり枕だとのこと。

とりあえず、新しい枕を使って寝てみる。

寝れません・・・。

いつもの枕で寝ました。

それが一番です。

我慢すれば、そのうち慣れるだろうけど、枕は慣れるまでが面倒ですね。

なんといっても寝れないってのは、一番の苦痛です。

新しい枕はクッションとして利用します。ちょっと固いけど。

 

Jeffの記憶

素敵なHPです。

 

 

 

一月二十一日

今年とうとう自動車事故で何らかのケガをした人が年間百万人を越えたようです。

八十年から統計して、車の総数は約二倍に増え、それに比例して事故のケガ人は多くなっている。

もはや事故に遭う確率は単に運が悪いとか言えないようだ。

可能性は誰にでもある。

確率の問題かもしれない。

それは、何にも対応をとってこなかったツケがこういう形になって現れたともいえるだろう。

何らかの対策を立てる必要がある。事故を減らすために。

しかし日本を支えている主要な産業の一つは自動車で、自動車が売れなきゃ日本経済も危うい。

今の日本には車が溢れていて、その数はこれからますます増えていくだろう。

人は誰でも快適に暮らしたいという願望をもつ。

それでも、ひたすらに利便性を求める時代がいつまでも続くのだろうかとも思う。

ヤマアラシのジレンマ?ちょっと違うか。

 

MikroKosmos

デザインが凝っているなあ。

 

 

 

一月十九日

雨が降っていた。寒い一日だった。

電話をかける。

「なあ、こっちは朝から雨なんだよなあ」

「こっちは雨降ってないよ」

「あ、そうなの?」

電話を置いてから、約束をやめにしようと言い出すことを忘れている自分に気づいた。

しょうがないな・・・。

傘をさして、いつもより大きなバッグをかついで家を出た。

落ち合う場所は、向こうの方が近い。

しかし、そこに辿り着く前に電話がかかってくる。

「やっぱり雨が降ってきたよ」

「そうみたいだな」

今度は、向こうから約束をやめにしようと言ってきた。

しかし、途中まで来て引き返すのも何なので、散歩がてら行ってしまった。

そこはビル街の谷間にあった。

ぽっかりと、そこだけ空が開けていた。

僕はただ、そこに辿り着いたことに満足していた。雨だったけど。

後で聞いたら、向こうも雨なのに、そこに行ったらしい。

しかも自転車で。帰りはパンクしたそうだ。

今度雨が降っていたら最初から止めにしようと思った。

お互いのために。

 

desco.

日記が、ちょっと笑わせるような・・・。

 

 

 

一月十七日

或る夜、友との会話。

「俺さ、仕事決まったのは嬉しいんだけどさあ」

「何か問題があるわけ?」

「夏休みが、たったの五日って言うんだよ。信じられる?」

「大学生は夏休みなんて、二ヶ月以上あるしねえ・・・」

「五日で何しろっていうんだよ。海外に旅行にすら行けないじゃないか」

「確かに行って帰ってくるだけで終わるね」

「これは俺に一生日本にいろって言ってるのと同じじゃない?」

「そうかもねえ・・・」

「大体何でこんなに働きゃなければいけないんだよ。なんか、おかしいよなあ」

「それは生きてくためじゃないの?」

「生きてくためには、こんなに働かなきゃ生きていけないわけ?」

「まあ、ヨーロッパとかじゃ一ヶ月くらい休めるらしいけど」

「それが普通でしょ。全く日本はおかしいね」

「まあ、そのうち仕事なんかに生きがいとか楽しみとか見出すようになるのかもよ」

「ああ、それはいや。仕事に生きがいなんて感じたくないね」

「確かに思うよね。そうやって二、三十年働いて何を得るのかって」

「はたして、何か得られるのかね?」

「少なくとも老後の人生の保障くらいはできるんじゃないのかな。つまり生きてくために必要なだけのお金」

「それだけのために働くのかねえ・・・」

(以下省略)

 

結論は、出ない。何故なら、何も知らないからだ。

どうでもいい結論で、話を終わらせる。いつも通りに。

所詮、僕らはまだ一介の学生にすぎず、

そんな立場からはこんなことしか考えられないのです。

現実を知れば、きっと変わるのでしょう。

多分。

 

 

heaven's drive

祭り好きJ-POPオタクの暴走エッセイのコーナーが面白い。

好きな音楽が結構かぶっていたので・・・。

ギターのコード集もありました。ギターを弾いてる人には便利です。

 

 

一月十六日

「西の魔女と東の魔女はどっちが怖い?」

「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」は、何も語らない。結末もない。

そんな映画だ。

ただ、人が精神的にどんどん追い詰められて、極限状態になっていく姿を映し出すだけである。

謎は解明されることはない。

映画は一種の問題提示編のようなもの。

アメリカでは流行ったらしいけど、日本では無理かもしれない。

なんたって肝心のプロジェクトが盛り上がっていないし。本とかTVは少し出ていたかな。

映画以外のメディアが盛り上がらないと、こういう映画は楽しめない。

そういえば日本でも同じような盛り上がり方をしたアニメが昔あったなと思った。

とりあえず、こういう手法もありなんだな、という参考にはなりました。

あと、想像力がある人ほど怖いかも知れません。あの闇に何があるのか・・・。

 

公式サイト

勉強、勉強・・・?。

裏サイト

ライコスにあります。

 

 

一月十五日

タンザナイトという宝石を知っていますか?

アフリカのタンザニアで採れる蒼い宝石をタンザナイトと呼ぶ。

今、幻の宝石と呼ばれるタンザナイトを求めて、多くの若者が採掘に従事している。

昔、アメリカであったゴールド・ラッシュのような現象がタンザニアで起こっているわけだ。

タンザナイトが採れる鉱山には、無数の縦穴が掘られている。

ここで働く若者は、みな一攫千金を夢見て働いている。

もちろん、そうそう上手い話は転がっているわけもない。

タンザナイトが見つかる確率は数年に一度。

タンザナイトが幻の宝石と呼ばれる理由の一つである。

この採掘の仕事は、とても厳しい。

百人来たとしても、一年後に残っているのは、わずか数人である。

ほとんどの人達はやめてしまう。わずか一日で逃げ出す人だって珍しくない。

もちろん給料などない。タンザナイトが出なければ利益などないからである。

タンザナイトが出て初めて、一攫千金が現実のものになる。

今日も明日も明後日も彼らは穴を掘りつづける。

彼らは言う。

「タンザナイトはいつ頃見つかると思う?」

「明日だよ。きっと明日さ」

彼らの答えはいつだって同じである。

前向きな気持ちを持ちつづける者だけが、ここで働くことを許される。

シンプルな世界がここにはあった。そういう世界もあるのだ。

夢をかなえるためには、決して希望を捨ててはいけない。

たとえ叶わない夢であろうと。

いや、決して叶わない夢もまたないのかもしれない。

 

テキスト王

プロ作家への道が面白かったです。エッセイも大量にあるようです。

 

 

一月十四日

雨が降り続いている午後。

街に散歩に出かける。

オフィスビルの中にあるコンビニエンスストアに入り、しばらく雑誌などを見る。

店を出たとき、あることに気づく。

傘がない。

店の外の傘入れにつっこんでおいた、僕の傘は消えていた。

あれ?もう一度探してみる。やっぱりない。

くるくると、ビルの中を探しまわってもやっぱり結果は同じである。

どうしたって傘がない事実に変わりはない。

不思議と、そんなに悔しくはなかった。

大体、あの傘は一本骨が壊れているしなあ。盗んでどうするんだろう。

なんてことを考えながら、外へ出ると運良く雨は小降りになっていた。

僕は、そのまま傘をささずに家へ帰った。霧雨が妙に気持ち良かった。

きっと、大雨だったら僕も傘を盗むのかもしれない。

全ては空の都合。

少なくとも罪悪感を抱くような事態はさけられたのであって、僕はそれが嬉しかった。

傘を無くしたというのにね。

 

素晴らしきこの世界

圧倒的な量の雑文。読み応えあります。

 

 

 

一月八日

年末年始は風邪をひいていたので家でTVを見ている機会が多かった。

高校サッカーもその一つ。

決勝戦は千葉と鹿児島の代表対決。

千葉代表の高校が鹿児島代表を完封して勝利。

これで優勝までの六試合、全て無失点。

彼らのディフェンスは高校レベルを超えているそうだ。

それは何故か?

答えは簡単。

千葉が最もサッカー指導者の育成に熱心だからだ。

千葉は、日本でサッカー指導者のライセンスを持っている人が最も多いそうだ。

サッカー指導者育成の講習会も日本で一番多いらしい。

指導者が多いということは、それだけ子供の頃から正しい練習方法で、きちんとサッカーを学べるということ。

裾野が広がったことにより、個々の選手のレベルが上がり、それが高校選手権での結果につながった。

ピラミッドは大きければ大きいほど良い。

しかし、そのピラミッドを大きくするためには、しっかりとした土台や骨組が必要になる。

それは地道な作業だけれど、長い年月の後には、こうして結果がきちんと出る。

華やかな表舞台の裏には、必ずこういった裏での努力があるのだろう。

 

Football Lovers

日本のサッカーに関する情報など。

 

 

一月三日

箱根駅伝を見る。

僕が通う大学も出ていた。

最下位だった。

往路も復路も。

別に愛校心などないけれど、あまり面白いものではない。

最下位だから、当然ほとんどTVにも映らない。

しかし二日目、最後の中継所で事件は起こる。

トップの大学から遅れたために、うちの大学は繰り上げスタートになった。

これまで、なんとかつないできた襷が途切れたということだ。

繰り上げのランナーが出発し、しばらくしてからようやく中継所にうちの大学の選手がやって来た。

彼はすでにふらふらだった。危うく沿道の観衆や車にぶつかりそうになっていた。

明らかに様子がおかしい。どうやら前半オーバーペースで頑張りすぎたためらしい。

彼は倒れこむように中継点にたどり着いた。

あわてて、サポートに走る関係者。

カメラは彼を追いつづけた。

彼は泣いていた。号泣していた。大声で。

顔をおおいながら。きっと、悔しかったのだろう。

それは愛校心なんかでは決して無い。

使命感のようなものだろうか。

果たせなかった使命。または役割。

もしくはむくわれなかった努力であるとか。

それが、くやしくて彼は泣いているのだ。

何であれ本気で努力している人は、多くの人を感動させる力を持つのかもしれないと、その時思った。

 

箱根駅伝関連データ

 

 

一月一日

朝、空腹で目がさめた。

食事の後、お正月のやけに分厚くなった新聞を読む。

何枚かの年賀状を受け取り、TVを見て一日を過ごす。

お正月の、のんびりとした空気は心地よい。

空もいつもと違い澄み切っているような気がする。おそらく車が走っていないせいだろう。

街は静かで、時間はゆっくりと流れている。

新しい一年について考えてみようという気分にしてくれる。

過去は綺麗さっぱり忘れて、明日のことだけを考える。

こういう時間は多くの人にとって必要なものなのだ。

新年明けましておめでとう。今年もよろしく。

 

回転寿司占い

楽しめます。しかし僕は完璧な人間ではないです。ましてや周りの人から賞賛されません。
でも、それ以外は当たってたかな。

 

 


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