三月三十日
そして今、僕は苦悩しているのである。
ソファに横になって、天井を見つめている姿は一見平和そうだが、頭の中は混乱している。
ああ、どうしよう。何が悪いんだろう。原因は。ぐるぐる回る悩みは一向に解決のめどは立たないのである。
問題はMDの録音が上手くいかないことなんだよなあと、ため息と共につぶやいた。
必ず音飛びする。突如として始まるその現象は、どんな手段を労しても解決できないのであった。
まあ、確かに我が家のCDコンポは古いし、古すぎてデジタル端子はないし、
そのためにMDデッキとCDウォークマンとCDコンポを、無理やりつなげて録音しようとしている状況に無理があるのはわかっているけど。
ケーブルはこんがらがっているし、コンセントはタコ足配線であるし、この状態で録音に失敗する方が当然であるようにも思える。
ああ、でもなあ。レンタルしてきたCDは今日中に返さなきゃならんし、なんとかならないかなあと、またまた、ため息を天井に向かってはきだした。
その時、天恵というか、ひらめきというか直感というか、まあなんでもいいんだけど、問題を解決する手段を見つけたのだった。
MDがだめならテープがあるじゃないかあ!
こうして僕を悩ませた非常にささやかな問題は解決したのであった。
もちろん後になって、何ら根本的な解決にはなっていないことに気づいたことは言うまでもない。
自称モラトリアム青年による日記とテキスト。こういうドライな感じの文章はわりと好きです。音楽系かな。
looking down from the HILLTOP 〜イギリスの丘の上で〜
イギリスに留学している方のHPです。今度結婚されるみたいです。イギリスでの日常ってこんな感じなのでしょうか。
三月二十八日
自転車のタイヤがパンクしたので、修理するために自転車屋へ行く。
近所にも何軒か自転車屋はあるが、向かうのはいつも隣町の店だ。
まあ、はっきりいえば気に入っているのだ。
何故かといわれれば理由は、押し付けがましくなく、どこか落ち着く雰囲気があり、それが気に入っているからだろう。
店長は寡黙なおじさんだが、必要なことはきちんと話してくれる人だ。
やたらと喋りたがりな店長の相手を何十分もするのは、はっきりいって面倒だ。
こちらとしては直してもらっているという引け目のようなものを感じて、応対をせざるをえないのがつらい。
だからといって放任主義のような店も、あまり好きではない。
自転車を店に持っていくなり、何十分後に取りに来いといわれる。
店に戻って、直った自転車を受け取る。
会話はお金の受け渡しの時だけ。
こういうのは、味もそっけもない。何のつながりも持てなくて面白みを感じられない。
だからこそ、この自転車屋に行く。
別に何も起こらない。
僕は店の中にある椅子に座って、おじさんが修理しているの姿をのんびりと眺める。
店の外の光景を眺める。目の前を流れ行く車。歩き去る人。
おじさんは鼻歌を歌いながら、楽しそうに修理をつづける。
ただ、そこにあるのは日常のありふれた光景で、でも何故だか僕を魅了してやまない場所なのだ。
日記が楽しかったです。本人の写真は怪しげで素敵ですね。
日記は色々と試みていられるようで、試行錯誤の後が見られます。オモロ系っていうんでしょうか?
三月二十七日
「情熱大陸」というTV番組が好きで結構見るのだけれど、ある日一人の女流棋士を取り上げていた。
一つのことだけに打ちこむ人生。
将棋は肉体を使わない。頭脳で行う格闘技である。
一回の対局で数キロやせることも珍しくないという。
スポーツに匹敵するくらいの運動を頭でするわけだ。
TVカメラは、そんな彼女の能力を垣間見せる。
例えば電車の中で彼女は詰め将棋の本を読んでいる。
本は速読でもしているかのように、次々とめくられていく。
普通の人なら何分もかかる詰め将棋の問題を彼女は数秒で解いてしまうのだ。
ある日、彼女は同じ将棋仲間の友達と喫茶店で談笑をしている。
一見、彼女達は普通の会話をしているように見える。
だが違う。彼女達は頭の中だけで、将棋を指しているのだ。
そんな時、人の能力の凄さを知ることができる。
そして同時に、自分も何かやらなきゃなあって思うわけだ。
そういう思いは、すぐに忘れてしまいがちなものだからね。
日記が共感できました。うなずきたくなります。
出演者のプロフィールやコメントなどが読めます。
・ Floating ・ Floatingああ tier・Frontier・
三月二十六日
「ビューティフル・ライフ」
帰り際、美容院で研修か勉強会みたいなことをやっているところを見かけた。
若い美容師さん達が、真剣な顔でカットの説明を聞いていた。
そういえば今日、「ビューティフルライフ」の最終回だった。
時計を見たら、ドラマはとっくに始まっている時間。
この中には、あのドラマを見たい人がいるんだろうな。美容師が主役のドラマだしな。
そんなことを考えながら家へ帰った。
ドラマは結局見なかった。
視聴率は過去最高だって話だ。
美容師は見てたんだろうか。
僕はキムタクの演技は好きじゃないので見ないけど。
何故キムタクの演技が好きじゃないのかというと、彼の演技が妙なリアリティを持っていることにある。
しかし、あくまでもそのリアルさは中途半端なものであり、そこに違和感を感じるのだ。
誰もが知っての通り、キムタクは今やトップの人気を誇る俳優の一人である。
脚本家は彼の素の部分の魅力をひきだすために、会話や役柄の性格まで綿密に検討するという。
脚本のセリフより彼のアドリブの方が、よりリアルさを持つということで、そのまま使われることもあるらしい。
その結果、彼が演じる役は常にキムタクらしさを感じさせるものになる。
視聴者はTVを通じてキムタクという幻を求める。憧れや好意の感情を持って。
だが、ドラマは所詮本物にはなりえない。嘘を重ねて作り上げるのがドラマだ。
だとすると、彼の演技はどこまで本物なのだろう。
どこまでが本当で、どこからが嘘なんだろう。境目が見えない。
彼が出演するドラマを見るたびに、その種の違和感を感じる。
それは、人気者だけが持てる特権だ。
そして、特権は時にその人自身を束縛する。
日記「思考回路」が面白い。参考になります。最近女性のHPばかり取り上げているかな。
三月二十五日
思い返せば、初詣なんてしなくなってから何年経つだろう。
川崎大師に足を踏み入れた。
ここに来るのは久しぶりだ。去年のお正月まで三年間アルバイトをしていた。
大体、どんなバイトや仕事をしてもそうだと思うが、
裏事情というか、ある種の余計な知識というものは知ってもロクなことがない。
かくいう僕も三年間の川崎大師バイトによって、
全く初詣やお守りなどに対する信頼度ががっくりと落ち込んでしまったというか、興味を持たなくなった。
そういう自分に対して一抹のさびしさみたいなことを感じないわけではないが、まあ、それはしょうがないことなんだろう。
子供が、やがてサンタクロースの存在を信じなくなることと同じだ。
その日、空は晴れていた。
山門をくぐる。
何故だろう。雰囲気が変わる。空気が暖かく感じる。
ゆっくりと、ゆったりと時は流れる。
この空間が非日常的な場所だからだろうか。
日常と似ていて、確かにどこかでつながっているのに、でも違う。
それは何なんだろうな。
階段を昇り、手を合わせ目をつぶる。
お賽銭は入れなかったが、お参りをした。
願うこと。それは、きっかけにしかすぎないのかもしれない。
でも、願うことをやめたら、夢を見ることを忘れたら、それは生きている意味を失うことだ。
そのことを忘れないために必要な場所がある。
林檎系な方のHPです。ちょっと毒舌というか、率直な物言いをしていますね。
日記が優しい雰囲気で読みやすいです。いろいろなコーナーがありました。
三月二十三日
卒業式の朝。
僕は珍しく、というより奇跡に近いほど早い時間に目を覚ました。
それはもうきっぱりと。自分でも信じられないほどてきぱきと準備を整える。多分、意気込みが違うんだろう。
今日が最後。今日で学生生活ともおさらばだ。
卒業式っていうのを体験するのも最後だろう。
卒業式の会場は日本武道館。こういう時だけは、この大学に入ってよかったかもなと思う。
地下鉄を降り、九段下の長い階段を昇る。
武道館の周りは人の群れ。こんなに卒業生がいたのか。約六千人が卒業するそうだ。
とりあえず入り口付近で友達と合流。とりあえず記念写真。
「俺は写真には写らないぜ。記録には残らないが、みんなの記憶に残る男になる」
などと、のたまう友達にカメラを押し付けて、撮影、撮影、また撮影。
さすがに、卒業式になると誰しもカメラを持ってくるものらしい。
まもなく卒業式が始まる。しかし退屈。
なんで、もう少し聞き応えのあるお話をしてくれないのか。やっぱり世代の差か。
まあ、校歌を聞けたのは良かった。多分入学式いらいだろう。
校歌ってのは、すぐ忘れてしまうのが難点だけど、あの何ともいえない仰々しい雰囲気は、わりと気に入っている。
さっさと抜け出して学校へ。
午後になってから個別に卒業証書などを受け取って解散。
さすがに最後の先生方のお話は、心に残った。
こんな時にふさわしい言葉が確かにある。
そういう言葉は、ありきたりでありふれたものかもしれないけれど、言ってもらえると嬉しい。
後々まで残るのは、そんな言葉と、その場所にいたという記憶だけなのだろう。
夜になって、全てが終わって、僕達は別れた。
一人、電車に乗っていると、少し寂しい気分になった。
雨が降っていた。
電車の中では、何人もの人が携帯電話のミドリやオレンジに光る液晶を見つめていた。せわしなく動きまわる指。
誰もが黙々と液晶に文字を打ち続ける。誰かにメッセージを送る。そうやって生きていることを確認しているようだ。
そうか、みんなさびしいんだなとその時思った。一人でいることを怖れている。
誰かとつながりたい。一人ではいたくない。寂しいから。自分の存在を確認する行為。
誰もが持つ想い。それは、はかなげで切なく見える。
人は本来、弱い生き物なのかもしれない。
僕は電車を降りた。雨は降りやまず、吐き出した息はまだ白かった。
いつか、この日のことも忘れてしまうだろう。
ただ、僕は覚えていようと思う。
それは、少々センチメンタルで気恥ずかしいことかもしれないが、
この、なんともいえない、「自分がどこにも属していない不安定な感覚」というやつを覚えておこう。
ふわふわと漂いながら、迷いながら、何もつかめなくても。何も得るものなんてなくても。
TRIPPER on CLIPPER without SKIPPER
村上春樹に多大なる影響を受けているようです。詩のような日常。そして物語。
三月二十二日
卒業式の前日。
やっぱりというか、なんていうのか僕は友達と遊んでいた。
別れを惜しむかのように、少し気ぜわしげに。
けれど、誰もそんなことは、おくびにも出さない。そういうものだ。
いつもと変わらない日々。きっと卒業しても変わらないものはたくさんあって、今日なんかもその一つなんだろう。
いつもと同じように、くだらないことで笑い、ふざけあう。
夜になり、専攻の謝恩会が開かれた。
待ち合わせの場所は、風が吹き付けてきて少し寒かった。まだ春じゃあないみたいだ。
街のネオンは、やけに非現実的で、僕たちはちっとも現実的には思えない未来について少しだけ語り合った。
そう、やっぱり少しだけ笑いながら。笑うことだけが今を救ってくれるような気がして。
謝恩会には四年間お世話になった(ような気もする)先生が何人か来ていて、それぞれ勝手なお話をしていった。
多分ほとんどの人が聞いていなくて、聞いていても意味がわからない話ばかりだった。
久しぶりに飲んだお酒は効いた。話が理解できなかったのは、お酒の所為なんだろう。きっと。
謝恩会の後は、いつものメンツでカラオケだったが、一人よく知らない専攻の男が参加。
誰もが頭の中に疑問符を浮かべていたと思うが、それでも受け入れてしまう彼らの優しさが僕は結構好きだ。
一人、水に浮かぶ油のように浮き上がる彼に気をとられ、いまいち盛り上がりにかけたカラオケは終了。
その夜、駅から自転車に乗って家に向かう途中で事故を見た。
ガードレールに自動車の前面がめり込んでいて、運転席の男性は頭から血を流していた。
近くのスナックから人が出てきた見物人が何人かいた。
すぐに、けたたましいサイレンの音と共に救急車がやってくる。
赤いライトとサイレンの音は鳴り止まない。もう一台。また一台。
救急車の男達はてきぱきと状況判断を下しながら、目の前を何度も往復する。
その横では事故の瞬間を目撃した男が、少し興奮気味に喋っている。
事故を起こした車の前を運転していたらしいカップルが
「俺達には関係ないよな」と言って、さっさと立ち去って行った。
そして僕も再び自転車を走らせる。
こんな夜でも月はいつものように、そこにあった。
見上げた空に星は見えない。それも、いつものことだった。
職業スターな方のHPです。かっこいい生き様ってやつでしょうか。江戸っ子みたいです。
三月十二日
なんで毎日映画の感想ばかりなのかというと、レンタル店が月イチの半額デーだったからです。
ついでに僕の部屋には未見のビデオが数十本あります。
いつ見終わるのか気になります。やっぱり録画じゃなく、その場で見ないと駄目です。
時期を逃すと、どんどん見る気が無くなっていきます。本でも同じことがいえます。
いわゆる積んどく状態。この問題をかかえている人は多そうです。
見ていないビデオがあるのにレンタル店に行って映画を借りる。
読んでいない本があるのに図書館で本を借りる。
人間って矛盾しています。僕だけですか?
「カラー・オブ・ハート」はファンタジー映画。
二人の兄妹が、モノクロの色の無い街を訪れる。
その世界は色が無い。人々は毎日同じ生活を繰り返す。
全てが安定した世界。人々は愉快と言う感情しかもちあわせていない。そこには悲しみも喜びもない。
そんな場所で二人は周りの人々に様々なことを教えていく。
芸術の素晴らしさ。読書の楽しみ。自由の存在。愛について。
すると街の住人が少しずつ変わっていく。新しい発見、新しい自分を見つけた人がカラーになっていくのだ。
若者がさっそく新しい文化を楽しみはじめる。眉をしかめる大人達。
次第にカラーになる人達が増えていく。これに対してモノクロの保守的な人達が反発する。
これは現実の世界にあてはまるお話だ。
常に変化を求め、新しい文化に飛びつく若者たち。
それに対して大人達は言う。
最近の若い奴らはひどいものだ。昔は良かった。このままでは将来が不安だ。ろくなことにならない。
今のままが一番素晴らしいのだ。変える必要なんてないのだ。
これに対して若者は言う。
大人はなんにもわかっちゃいない。
ああいう大人にはなりたくない。
なんでも古代エジプト時代の壁画にも「最近の若者は・・・」という表現が見られるそうだ。
遥か大昔から延々と続いていること。これからも延々と繰り返されるであろうこと。
全ての新しい文化はそこからはじまる。
否定されて、馬鹿にされて、それでも生き残るものだけが本物になりうるわけだ。
女性によるエッセイと日記。
三月十一日
「交渉人」
白人と黒人の二人の交渉人の行き詰まる対決が見られる、サスペンスの傑作映画。
白人と黒人のペアや対決物というのも映画では、割とありがちな設定である。
もちろん理由は人種差別を避けるためとか、
黒人と白人双方の観客共にアピールすることができるとかいろいろあるのだろう。
それとは別に黒人と白人のペアを作ると、
二人の性格やカルチャーギャップの違いが表現しやすいことが上げられるかもしれない。
手っ取り早くキャラクターが作り上げられるし、
二人の掛け合いをコメディー的に表現すれば、それだけで一本の映画がつくれてしまうといった利点もある。
特に警察物の映画で、この手法は多発される。
「ビバリーヒルズ・コップ」「リーサル・ウェポン」「48時間」など、その種の映画は多い。
「交渉人」は、この手の映画とは少し違っていて、コメディー的要素は一切ない。
黒人も白人も大真面目だ。熱演って言ったほうがいいかもしれない。
徹底的に理詰めで犯人を探し出していく。
十分に面白い映画なのだけど、欠点が一つ。
主人公二人のキャラクターも演技も存在感も素晴らしいのに、黒幕の犯人達はなんであんなに地味なのですか?
はっきりいって、役者の格がつりあっていません。
もったいないなあ。
野生の雄叫び・吠えろゴリさん!
上の文句はなんだかよくわかりませんが、率直で面白いエッセイです。
三月十日
映画「ザ・エージェント」を見る。
トム・クルーズ扮する主人公がエリート・サラリーマンの道から一転、どん底まで落ち込む男を演じる。
途中彼は結婚をする。どん底まで落ちた彼を信じてついてきてくれた唯一の女性と。
しかし幸せな結婚生活はそう長くは続かない。
彼はクライアントと話をする。
「なんでお前は彼女と結婚したんだ?」
「決まってる。彼女が従順だったからだ」
彼女も薄々と感づいている。
そして、彼女は彼に別れを告げる。
「このままの生活を続けてもいいかなって思ってたの。家はあるし、あなたは子供を大事にしてくれてるしね。
そして、私のことも嫌いではないみたいだしね」
でも別れなくてはいけない。たとえ幸せでも。それは偽物の幸せだから。
どんなに楽しそうに見えてもお互いの心が結びついていないなら、意味がないから。
結婚することは簡単かもしれないけれど、その結婚を続けて行くためには努力が必要なんだろう。
そして意外にそんな大事なことを忘れている人も多いように見える。
結婚したことない僕が言うのもなんだけど。
ついでに言っておくと、この映画はハッピーエンドで終わりますよ。
シンプルで読みやすいHPです。
三月九日
鉄塔にひかれる人はどのくらいいるのだろうか。
鉄塔には不思議な魅力がある。
それは鉄塔の近く、それも触れられるほど近くにいくと実感できると思う。
機能美というか、ただ一つの目的のために作られたものは、時として不思議な存在感を放つことがある。
子供の頃は鉄塔には高圧電流が流れていて、触ると感電するのではないかと密かに怖れていた。
そして別に気になる存在でもなかった。
あの頃は鉄塔なんかより遥かに楽しく興味を抱かせるものがたくさんあったのだ。
鉄塔とか、そういった子供の頃には興味を抱かなかった存在に目をとめるようになったのはごく最近のことだと思う。
それは自分の中で何かが変わったってことなんだろう。
鉄塔文学というジャンルはないと思うが、かって一冊だけその類の本を読んだことがある。
「鉄塔武蔵野線」という小説。
少年二人がただひたすらに鉄塔を追い求めるお話だったと思う。
鉄塔が尽きるところには何がある?
そんな素朴な疑問の答えを見つけるために。
この鉄塔も遥か遠くどこかへと行きつくのだろうか。
僕は鉄塔の真下にもぐりこみ上を見上げた。
鉄骨の骨組が青空に透けて見える。
そういえば少年は鉄塔の中心には特別な力があるって言っていた。
そんな不思議なお話も信じてしまいたくなる場所だ。
見えているのに見ていないものは多い。
そういうものを改めて見てみると、案外面白い発見があるかもしれない。
「鉄塔武蔵野線」公式HP
三月八日
例えば、新潟県警の最近の不祥事であるとか。
もはや警察は上も下も腐敗していてだらけきっていて、どうしようもないのだろうか。
神奈川県に住んでいるって言うと、よく友達や知り合いに神奈川県警は駄目だよねえって言われるけど、
本当にそうなんだろうか。全然ピンとこない。
日常の生活に支障を来さないのであれば別にいいんじゃないかなと思いたいけどね。
そもそも警察だろうが軍隊であろうが組織と名のつく人間の集合体である限り、
永遠に清廉潔白であり続けるはずがない。
もしも、そんな組織や会社があったら、相当変であり、限りなく不自然だと思う。
今までだって警察は様々な問題が起こっていて、単に今までは隠しとおせてきただけのことなのだろう。
こうやって、きちんと問題が明るみに出るのは、むしろ良いことだと思う。
それよりも大事なことは、問題へ取り組む態度や姿勢だ。
ちゃんと反省しているのか。口先だけではないのか。
例えば総理大臣が新潟の警察不祥事について思わず、運が悪かったねって言ってしまったこととかさ。
口先だけじゃあね。
外国では軍隊と警察は、もともと悪い存在(性悪説)であると考えられていて、
警察を監視する役割の外部団体などが市民などによって作られているところもあります。
日本もそうする時期に来ているのかな。
でも、それってなんだか悲しいことだと思いませんか?
HPのタイトルはあれですが、わりかしちゃんとしていますよ。
三月七日
あれは夏の終わりのことだった。今にも夕立が降ってきそうな、どんよりと曇った空。
「ボクの家に来ない?」
屈託ない微笑をうかべている少年を見て、僕は思わずうなずいてしまっていた。
国道を見下ろせる、ちょっとした高台に少年のアパートはあった。
錆付いた階段を上ると、少年はドアを開けさっさと玄関に靴を脱ぎ捨ててから、僕に上がるように言った。
「こんにちは・・・」
こんなとき、何て言うべきなんだろうか。子供の頃を思い返してみたが無理だった。
思い出せそうなのに、思い出せないのはつらいな。頭の中の検索機能が鈍ってきているのだろうか。
部屋は、空が曇っているからだろうか薄暗いように思えた。
「新しいね、ゲームがあるんだよ。やろうよ」
少年が僕に見せたゲームは最新のRPGらしかった。
TVに映し出される画面は鮮やかで、くるくると目が回るくらいスムーズだった。
RPGは、あまり好きではないのに、何故かその時の僕は夢中になっていた。
ふとゲームの手を休め、後ろを見ると少年の母親が隣の部屋に座っていて、こちらをじっと見つめていた。
彼女の手には針金のようなものが握られていた。テーブルの上に積まれているのは造花だろうか。
「内職ですか?」
「そう。別の何かに見えるかしら」
彼女の僕を見る視線は、とても冷ややかだった。
僕は彼女の視線から逃れるように、少し慌てながら立ちあがった。
少年にサヨナラを言って部屋を出た。
「また遊ぼうね」
少年は僕をちらりと見上げてそう言った。もちろんゲームの手は休めないで。
玄関を出て、ドアを閉めたとき思わずため息が出た。
外は雨だった。
しとしと降り注ぐ雨は、いつもよりミドリが色鮮やかに見せているようだ。
少年の家は、もしかしたら貧しいのかもしれない。何となく家の雰囲気がそう示していた。
母親は内職をして家計を助けているのだろう。
それなのに少年はTVゲームを持っている。新しいゲームで遊んでいる。
それは、親の思いやりだろうか。子供には苦労は見せたくないという。
今時、ゲーム機を持っていない子供なんていないだろうし、持っていないと友達と話もできないだろう。
だから多少無理をしても、子供にゲームを買い与えているのだな。
僕はもう一度ため息をついた。少しやるせない気分になった。
雨は降り続く。僕は傘も持っていない。
こんな夢を見た。あまりにも生々しくて、一瞬現実の出来事のように思えた。
喉はカラカラに乾いていた。窓の外は雨じゃあなかった。
どこかで聞いたことがあるようなお話。
三月五日
こんなメールが届きました。
みなさんもう御存じだと思いますが、インフィールは1月いっぱいで
レコード会社との契約が終了しました。
路上ライブやイベントを精力的にがんばってきたのですが、
残念な結果となってしまいました。
でもレコード会社から「アルバム『最終電車』を2ヶ月間で5000枚
売れば再契約します」という話をいただきました。
「5000枚」という数字は売れてる人にとっては、たいした数字では
ないのですが、今のインフィールにとってはとても大変な数字です。
でもせっかく与えてもらったチャンスを活かすためにも、今インフィールは
大阪で毎日ライブをしながらCDを販売しています。
心斎橋筋の「ミヤコ」というレコード店で朝11:30〜夜21:00の閉店まで
年中無休で頑張っています。
読売テレビの[WEST21]という音楽番組(毎週火曜日25:40〜26:10)でも毎週取り上
げてもらっています。
しかーーーーーし、3月26日までにあと4523枚売らないといけません。
残された日数は32日!!
このままでは・・・・・。
みなさんの力でなんとかインフィールを助けてください。
お願いします。
トライアクト 福山
今の日本のミュージックシーンを象徴しているような出来事です。
男性ミュージシャン受難の時代ですからね。
女性なら、まだなんとかなります。
TV番組での企画や、有名なプロデューサーがプロデュースして、たとえ歌が多少下手であろうが何とかなります。
ルックスさえ良ければOKみたいなところはありますね。
後は企画さえ上手くいけば良い。
最近、北海道の四人組の中学生の女の子がTVに出ているのを見ました。
その番組のエンディングテーマに使われているらしいから、そこそこ売れてるんでしょうね。
まあ、それは男性でもいえることですけど。ビジュアル系とか。ジャニーズ系とか。
そうではない普通の男性ミュージシャンは、よっぽど高い実力を持っていないと売れない時代です。
どんなに良質な音楽センスを持っていようが、知られないと意味がない。
知られるためには、何らかのメディアを使わないといけない。
言うまでもないが、一番重要なメディアはTVである。
けれど、そうそうチャンスは転がっていないし、そのチャンスを掴んでも生かせないまま消えていく人達も多い。
むしろチャンスを生かせない方が多数派かもしれない。
奇跡を起こすためには実力と運と、もう一つ時代のニーズに合うかどうかが問われる。
果たして彼らは、もう一度チャンスをつかめるのでしょうか。
ストレス解消のための音楽
三月四日
「グレート・ジャーニー」というTV番組がある。
一年に一回くらいしか放送されないが、楽しみにしている数少ない番組の一つ。
関野さんという一人の男性が、南アメリカからアフリカまで文明の力を利用せず旅をする。
文明の利器の利用は自転車くらいのもの。
今回の放送で、ようやくユーラシア大陸に到達。七年かかったそうだ。
目的は人類拡散の歴史をさかのぼるという壮大なものだけど、
あまりそういう仰々しい目的意識を前面に押し出さないところがいい。
ある冒険家の人のインタビューを見たことがあるが、彼は足の指を全て凍傷で失ったと語った。
この種の犠牲は一般人の目には、冒険にはある種のリスクが必要なのだと認識させてしまう。
確かに、ある意味ではそれは正しい。しかし、冒険とはそういう危険を侵すことだけではないと思う。
少なくとも関野さんの冒険にはその種の危うさは、あまり見えない。
常に淡々と、そして確実に旅は続いていく。
もちろん裏ではTVクルーやサポートメンバーがしっかりとバックアップをしているということも知っている。
こういう旅をしていても、一番大事なことは人との出会いということであって。
さまざまな地でさまざまな人と出会う。
極寒の地で生きる人々。
モンゴルの草原で生きる少女。
誰もが生きることに一生懸命で、そうやって生きることを当然のこととして受け止めている。
日本人の目から見れば、誰が好き好んでマイナス50度の世界でトナカイを遊牧して生きなきゃいけないんだと考えてしまう。
でも彼らはそれを当然のこととして認識している。どんなに過酷な環境であろうと喜びはある。
もちろん、過酷な場所に住んでいるからといって全ての人が仲良く協力しあって生きているとは限らない。
そこには都会に住んでいることと同じで多くの問題もある。
それは欲望だったり打算や欺瞞にあふれた僕らが住む世界と何の変わりもない。
モンゴルの草原に住む六歳の少女はたった一人で馬の放牧を行っていた。
母親は盗まれた馬を取り戻しに行った。もう何週間も帰ってこない。盗まれた馬の数は約四十頭。
家には足腰が弱って働けなくなった祖父母と、まだ幼い子供だけ。
日本でなら彼女は小学校に通っているくらいの年齢だ。でもモンゴルに住む少女は、もう立派な働き手だ。
ここでは、それが当たり前のことだからだ。働ける年になれば働く。体が動かなくなるまでは。
多くの日本人は、あまりにも大量の情報に逆に縛られて、
大きくなりすぎたシステムに捕われてしまっているように見える。
一見すると有り余る自由がありそうに見えるが、そうではない。
自由はあるように見えるだけだ。簡単に手に入ると思わせるだけだ。
自由を手に入れたいと思ったら、それなりの代償を払う覚悟を持つ必要がある。
僕たちは、もはや彼らのような生き方はできないのかもしれない。
でも、失った何かの変わりに違う何かを手に入れているのだろうか。
手に入れていると信じたい。失っていくばかりじゃ悲しいからね。
そして僕らの旅も続く。それはいつだって変わらないこと。
三月一日
今年は花粉が例年以上に飛ぶそうだ。
早速というわけでもないが、花粉症らしい症状が出てきた。
鼻をかむ回数が増える。鼻がつまると頭がぼんやりしてくる。
そうすると、ありとあらゆる作業の効率が悪くなるのだ。
次第に思考すら面倒になってくると重症であろう。
鼻よりもつらいことがある。
それは目だ。
目が痒い。痒すぎる。
これは、はっきりいってとてもつらい。
鼻のようにかめばOKというわけにはいかないし、明確な解決法がないからだ。
こすったり、触ったりするとモノモライができてしまう可能性だってある。
ちなみに目を洗っても、あんまり効果はない。ちなみに目薬は苦手だ。
そういえば花粉症とかアレルギーなどの症状は昔はなかったって聞くけれど本当だろうか。
それに田舎に住む人は、目の前に杉山があっても花粉症になる人は、ほとんどいないって聞いた覚えがある。
やっぱり都会の大気汚染とか環境とか化学物質とか、そういう余計なやつの所為なのかな。
だからといって、簡単に環境の良い田舎に住めば問題が全て解決するって訳でもないだろう。
簡単そうに見えて、意外と一筋縄ではいかない問題って結構ある。
花粉症もその一つなのかもしれない。
ヤフー提供。