WebSiteの殿堂 【ReadMe 逆Ranking見学】
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「めるとたうん」 D(あと一息という感じ!)
シンプルイズベストの副題通りの簡素なページ作りですが、どうしてどうして、あちこち内容に関連したリンクが貼ってあったりして訪問者にやさしく、読みやすい文章のサイトです。 (曹)
四月三十日
<自転車撤去について思うこと>
何となく予感はあった。
まあ、忙しくて余裕がないから駅前に駐輪してしまうのであって、ある意味仕方がない。たとえそれが違法であってもだ。
でも、やっぱり目の前から自転車の姿が消えているというこの現実を見るたびに、もったいないなと思う。金をドブに捨てているようでやりきれない。
僕の頭の中には自転車撤去に関する情報がぎっしりと積めこまれている。人間誰しも痛い経験をすれば学ぶものだ。何曜日は撤去は休みであるとか、撤去される可能性が低い場所はどこかという具合である。
それでも今まで何度も自転車を撤去され続けてきた。それなら有料駐輪場に止めればいいんじゃないと思う人もいるだろうが、有料駐輪場は大抵の場合、駅から遠い場所にあるのが常である。それに高い。撤去されるごとにかかる費用と、毎日有料駐輪場を利用する費用のどちらかが高いかなんて考えるまでもなく明らかなのである。
もちろん違法駐輪が悪いことであるということはわかっているけどね。
しかし、それでもごくたまに違法駐輪しなくてはいけないという事態に陥ることがあるわけだ。学生の頃はテストがその原因だった。それも一限の講義。もう最初から撤去覚悟で駅前に自転車を止める。一分一秒を争うのだ。そういう時に限って電車は遅れたりするんだけど。
つまり時間と金を引き換えにしていたわけです。
今でもそれは続いている。今日もほんのわずかな時間とひきかえに自転車は撤去されてしまった。時間とお金の交換の図式。同じ過ちを何度も繰り返すのは、きっと人間にしかできない行為だろう。
翌々日、自転車を取りにいった。あまりにも多くの自転車がそれこそ遥か遠くまで延々と続く光景。自転車を取り戻しに来ない人のなんて多いこと。ある意味、今の日本の豊かさを象徴する光景ともいえるだろう。他の国の人が見たらどう思うんだろうな。
保管所の職員はやけに饒舌で腰の低い人だった。運が悪かったねと言ってきた。
職員でさえ、この程度の認識しかない。
誰も罪悪感を覚えないなら、どんな問題も解決しない。
お金で問題が解決するなんて、誰が信じてるんだろう。
ネット恋愛で知り合った彼がいる女性の方のHPです。遠距離から近距離恋愛に移行してようです。よかったね。日記は当然彼との毎日を綴っているのですが、なんだか見ていて涙が出そうになりました。結局、好きになった方が負けってことでしょうか。
医大生の女性の方のHP。かなりの音楽好きのようです。日記は素直に書かれているようで面白かったです。医者ってこんな人がなるんでしょうかね。
四月二十八日
<渋谷の週末>
快晴。午後から出かける。南武線に乗ってゆらゆら。乗り換えで迷ってうろうろ。
ようやく桜新町に降り立つ。長谷川町子美術館に行くがお休み。なんと今日まで。ついてないね。
桜新町はその名の通り、桜並木があちこちにある。桜の季節には、さぞかし素敵なことでしょう。
そのまま渋谷へ。ボーリング。しかし、昨日もやったというのに半年ぶりにやったという人に負けるっていうのはどうなのよ。
ボーリングをやった人は下のゲームセンターでコインをもらえるというので、さっそく遊ぶ。競馬ゲームに挑むが、あっという間にコイン消滅。初めてやる人の方が堅実で確実のようです。初挑戦の人からコインをもらってしまいました。ちょっと我ながら情けない気分。ビギナーズラックじゃないよな。性格の違いなんだろうな。
思うに、女性と男性の違いっていうのはこういうギャンブル的要素が強い場所では、より明確に浮かび上がってくるような気がする。以前にも女性とゲームセンターの競馬ゲームで遊んだことがあるが、そのときは男二名ともに、倍率が高い大穴に賭けて、あっという間にコインを失ったのに比べて女性の方は確実性の高いポイントにだけ絞って、コツコツとコインを増やしていた。そういや、あの時も女性からコインもらったなあ。
総じて女性の方が男性よりも堅実で現実的あるということが言えるのかもしれない。男性はどうしても夢をみがちな生き物ですから。
その後、いろんな所をぐるぐると周って、渋谷駅前のTUTAYA上のスターバックスで人を待つ。ここのスタバはドリンクの量の指定ができなかった。そして非常に混んでた。階段には席待ちのお客がずらずら列をなす。週末の渋谷はどこも人口過剰。
ようやく待ち人と合流。とりあえずファミレスに行ってみるが、凄い人。それではカラオケはどうだろう。どこも一杯。
この街にはありとあらゆる娯楽が提供されていて、とても便利で刺激的な場所である。それでも、週末は飽和状態になる。需要に供給が追い付かないのだ。人が街にあふれ喧騒と混沌が夜を支配する。だが、この街にはたった一つ若さという利点がある。歌舞伎町のようなどこかいかがわしい雰囲気はあまり感じられない。そこが数多の若者をひきつける理由なのだろうか。どこか大人になりきれない街。
結局ボーリング場と同じビルにあるカラオケに入る。また戻ってきたわけだ。誰も何も歌わなかった。ただ話しているだけだった。そういう日もあるんだろう。
週末の渋谷は人口過剰で飽和状態で、サイテーな所だ。
それでも人は集まる。
サイコーな所だと、みんな思っているからだ。
人が集まりすぎることによって生じる問題を、苦にしない人には楽しい所なんだろう。
もしかしたら、それこそが若さの特権ってやつなのかもしれない。
音楽について、勉強できるサイトです。じっくり腰を据えて取り組んでみようかという気分になります。日記も共感しながら読んでしまいました。全然selfishdiaryじゃないなと思いました。良い意味でね。
最近おもふことという日記のようなコーナーがあるんですが、なんだか気楽に読めて良い感じです。さくさくいけます。ちょっと真面目なコラムのページもあります。全体のイメージでいうと暑さにまいってる無気力パンダがたまに本気を出すと凄いのかもという感じでしょうか。
四月二十七日
<野球観戦>
東京ドームのすぐ近くにあるボーリング場でプロ野球の外野席券をもらったので行ってみた。当然、場所は東京ドームである。しかし巨人戦ではない。じゃあどこかというと、もう一つの東京ドームフランチャイズ球団日本ハム対ロッテという地味な試合なのであった。そもそも僕は野球というものがあまり好きではないので野球観戦なんて小学生以来ひさびさである。
ちょうどその時はロッテが開幕以来不調で、連敗記録を更新しそうであるとか、まだ三勝しか勝ち星をあげてないとか、エースが勝てないとか、まあとにかく散々な状況であったことは間違いない。それに比べて日本ハムはビッグバン打線が絶好調で首位争いをしているという対照的な両チームであった。
さて試合が始まる。
日ハム側で観戦。それにしてもロッテの応援は凄い。熱狂的ともいえる。野球に詳しい友人に言わせると、ロッテの応援はもともとこういうものであるらしいが、現在のチーム事情もあるんだろうなと思った。人間は悲劇的な状況には容易に感情移入してしまうものだ。皮肉にも負けることによって注目を浴びることだってあるのだ。
それにしても球場で野球観戦をしていると一つ気づくことがある。それは解説がないということだ。TVやラジオでは当たり前のようにピッチャーの一球ごとに詳しい解説が入る。それが当たり前だと思っていたのだが、球場には解説は流れない。聞こえるのは観客席からの声援だけである。もちろん、これはどんなスポーツにもあてはまることではあるが、それだけ今のTVは視聴者にサービスをしているということだろう。映画だと、そういうサービスの違いがよくわかる。ゴールデンタイムの洋画は吹き替えで、深夜枠の洋画は字幕のままの方が多い。つまり視聴者の数によってサービスの質を変えているのである。世の中には字幕の方が好きと言う人も多いだろうけどね。
サービスといえば、東京ドームの中で売られている全ての食品の値段は高い。そう文句をいいながら友達はビールを買っていたが、他の球場に比べても東京ドーム内の物価は高いらしい。これは本来逆である方が正しいのではないかと思う。せっかく高い入場料を払っているのだから、その分物価は下げて入場者にサービスするのがあるべき姿ではないだろうか。なんだか、外に出られないという弱みをいいように利用されているみたいだ。まあ、この手法は世界中ありとあらゆる娯楽施設であたりまえのように行われていることだけどね。取れるところでお金をしっかり取るのが資本主義のあり方であります。
野球観戦は七回までで切り上げてボーリングをやりに行く。もちろんこのボーリング場も例外ではない。
自動販売機の値段表示を見る。ジュース百五十円。
やれやれ。誰もが内心ため息をつきながら財布を探る。
大学の先生をやっている方のHPのようなのですが、およそ先生らしからぬ日記を書かれます。率直で面白いと思いますけどね。
見ての通り牧師をされている方のHPです。日記がなかなか笑えます。牧師さんに対するイメージが変わるかもしれません。もちろん、まじめなお話もちゃんとありますよ。
四月二十五日
<世代>
またまた秋葉原でバスケをやっている。なんか、こうして書いていると毎週のようにバスケをしているかのように見えるが、そんなことはないです。せいぜい多くて月二回くらい。最近は月一のペースでやっているかな。
今回は前回のように全く人がいないということはないが、だからといって多すぎるというわけでもなく適当な人数がいたように思えた。
軽く2on2を二組とやる。結果は一勝一敗。
二戦目の相手の一人がやたらとガンガンプレスをかけてくるのがなんか嫌だったな。「ゴール下は戦場だ!」とか内心思ってそう。友達ならともかく他人同士なんだから、そんなにぐいぐい押すなっての。
そんなことをゲームが終わった後に友達と話したが、単なる言い訳かも知れないです。二ゲームやって二ゲームとも負け。いちおうプレス君(誰?)にやる気をそがれたのだということにしておこう。だって怖いんだよ。リバウンドとか飛びこんで来るしさ。誰だって無意味なケガはしたくないものです。
□
そして夕暮れ、試合を終えて休憩している時に高校生三人組が訪れる。
バスケットボールを貸してくれというので、まあ使ってないのでいいかと思い一つ貸す。
そしたら、このボールでサッカーしてもいいですかだって。駄目に決まっているだろう。そもそもバスケットボールでサッカーする事自体間違っているし、見知らぬ他人から借りたという配慮が全くないのである。この辺から何やら嫌な予感がしてきたのだが、それは全く正しい結果となった。
彼らはぶつくさ言いながらバスケを始めた。さすがにバスケットボールでサッカーをやりたいと言った事はあるようで、バスケは下手だった。
見ているとシュートが全然入らない。バスケットボールはシュートが入らない人にとっては単なるつまらないスポーツにすぎない。案の定退屈したらしく、試合をやらないかと誘われる。2on2でゲーム開始。
ほとんどのスポーツにおいて初心者は経験者には勝てない。それは、そのスポーツにおける効率的な体の動かし方を理解しているかいないかの差である。熟練者(プロ)とはその種の効率性を最も高いレベルで体現できる。故にプロの動きは無駄がなく美しいのである。
結局何が言いたかったのかというと、彼らは無駄な動きが多すぎて自滅してしまったということ。それにしても彼らは現役高校生のくせに体力がない。もう駄目だといいながら、地面にごろごろ転がっているのである。まあ運動系の部活に入っていない学生なんて体育くらいしか体を動かす機会がないわけだし、仕方がないのかも。年々子供の体力低下が問題になっているという現実をこの目で見ることになったのでした。
2on2では相手にならないと悟ったらしい彼らは三人でやってもいいかと言ってくる。もはや何でもありだなと内心思いながら了解。しかし、それでも相手にならない。とうとう悔し紛れか足でボールを蹴ってくる。
ついにゲームでは勝てないということを、理解したらしく、こうなったらフリースロー勝負だ。これで勝ったほうが真の勝者で、負けたら罰ゲームだと言い出した。
友達の方が上手いので僕が先にシュートを打つことにする。そしたら奇跡的に最初の一投目で成功。もはや観念したらしい様子の高校生三人組。
彼らは、どうやら今から合コンらしい。公園の入り口には、今時の女子高校生と男子高校生の群れ。
それじゃあ、また遊ぼうぜといいながら、彼らは暇つぶしを終えて満足した様子で去って行ったのであった。僕らは彼らが手を振ってくるのに応えながら口元には笑みを浮かべながら、こう思っていた。
世代の差というものは深く、決して理解できない壁は確かに存在するのかもしれないなあ。
そうして思わずつぶやいている自分に気づくのだ。
「今時の若い奴らは・・・」
知ってるつもりという様々な著名人に関するコラムとレベルの高い雑文があります。なかなか知的レベルが高そうな方に見えます。いろいろなことに興味を持たれているようです。
コンピュータ関係のなかなか読み応えのあるエッセイがありました。個人HPに関する言及が的を得ていてうなずけます。
四月二十日
<パン>
横浜に行った折、よく利用するパン屋がある。大抵行くのは夜、閉店まじかになってから。その時間に行くと、最後売れ残ったパンの値段が半額以下になる。スーパーと同じやり方なわけだ。
しかし、この店にも一つ欠点があって、売れ残りのパンを三,四個づつ袋詰にして売るのはいいのだが、種類が著しく偏っているのである。甘いパンだけとか、惣菜パンだけといった具合である。一度なんか四個全てのパンの中身がアンコという凄まじい状態であった。外見がそれぞれ違ったためわからなかったのだ。その時は空腹だったので、泣く泣くアンパンやら、アンドーナツやらを食べまくったものだ。別に僕はアンパンは嫌いではないし、むしろ好きなんだけど、その時以来ちょっとアンパンは敬遠しております。
まあ、そんなこともあって必ずや今回は甘いパンは避けようと心に固く誓ってこの店を訪れた。
それと言っておくと、甘いパンじゃないからといってこの店は油断ならないのである。一度なんか、四個全てが何の味もしないコッペパンやフランスパンで占められていて、あまりの味気なさに涙を流しそうになったこともある。
今日は失敗しないぞと思いながら、目を皿のようにして、もしくは飢えたハイエナのごとく目を光らせて(一種の比喩ですので気になさらないで下さい)、選んだのであった。
今回は我ながらナイスな(死語?)選択であったなあと思いながら、店を出てさっそくパンを袋から出して口に入れる。
固い・・・。
その日選んだパンはどれも非常に固くて、僕は顎を鍛えながら家へ帰ったものだった。あと、顎は使いすぎると微妙に気持ち悪くなってきます。そうとう顎の機能が弱っているようです。
現代人の食生活から考える必要があるなあと、しみじみ実感した。日頃から固いものを食べることが少なくなった人達こそ固い食物を食べる必要があるんだろうな。
姫路でウェブデザイナーをされている方のHPのようです。バスケット・スケボーパークを作るための活動などもされているようです。本人だけではなく何人かの日記が読めるようになっているのが良いですね。個人的にはさわのさんという方の日記が面白かったです。
京都育ち東京二人暮しの女性のHP。写真、イラスト、文章の全てが気持ちの良いバランスで保たれているサイト。なんだかほっとする感じが心地よかったです。
四月十七日
<ビデオデッキ>
全く、世の中は思い通りにいかないことがなんて多いんだろう。人生は失敗の連続だって誰がいったんだろうね。そいつは全く正しい。そして大抵の失敗は馬鹿馬鹿しい徒労に終わる。
そんなわけで、僕は動かないビデオデッキを相手に奮闘しているわけだ。
え?話が見えないって?ま、そりゃあそうか。じゃあ順を追って説明しよう。
その日の夜、僕はレンタルビデオの映画を見ていた。明日返却だから今日中に見なくちゃいけなかったんだ。確かブラジル映画だったかな。今となってはどうでもいいことだ。それで途中まで見ていたんだけど、ちょっと用事があったんで一時停止の状態にして部屋を出たんだ。
そして約一時間後事件は起こった。
部屋に戻って、リモコンの再生ボタンを押す。反応なし。
あれ?ちょっと不思議に思いつつ、もう一度押す。反応なし。
なんだか嫌な予感がするぞ。とりあえずビデオデッキの再生ボタンを。カチ。取り出しボタン。カチ。ははは、しょうがないなあ。じゃあ電源ボタンは。カチ。一切の反応なし。
ビデオデッキは不気味な沈黙を保っていた。
まさか、壊れたのだろうか。顔を青ざめながら佇む僕。まさか、そんなはずは。でも、もし壊れているとしたら中のビデオはどうするんだ。明日返却しなければ。どうしよう。混乱する思考。
分解するしかないか。
何故かそんな考えが唐突に浮かんだ。今こうして後から振り返って見るとなんで、こんな事をしたんだろうと思う。しかし、その瞬間はその方法が最適だと思い、またそれ以外の方法が思い浮かばなかったのだ。
工具箱からドライバーを取り出す。まず蓋のネジを外す。蓋を外す。初めて見るビデオデッキの中身。以外と単純な構造。
しかし、それからが大変だった。悪戦苦闘すること数十分。ようやくビデオデッキからビデオを取り出した時には両手は血まみれになっていた。あちこちのとがった部分にひっかけたのだ。ビデオを取り出す工程で細かい部品のいくつかが外れたため、ビデオデッキが再び動くことはなかった。
翌日、からまったテープを無理やり元に戻して返却したが、やはり見咎められた。当たり前か。店員が僕をじろりと睨み、このテープどうしたんですかと詰問する。内心焦りながら答える。なんとか弁償は免れる。
そして今も壊れたビデオデッキは部屋にある。
人生は失敗の連続だ。そして大抵の失敗は馬鹿馬鹿しい徒労に終わる。そこから学ぶことは何にもない。
□
いや、そもそもビデオデッキを壊れたまま放置している状態が問題じゃあなくて?
あれ?
大学生の方のHP。理数系かな。旅行記が面白かったです。小説も書かれているみたいですね。なんだか興味を持ったことに対していろいろと試みをしているのはいいですね。バラエティに富んでるというか。
いや、もうなんていうか音楽評論(ミュージックレビュー)のコーナーが素晴らしい。超充実ってところでしょうか。
しかも邦楽、洋楽問わずです。音楽好きなら必見でしょう。エッセイも面白いですよ。
四月十五日
<選択>
「俺、会社辞めたよ」
彼は淡々とそう語った。
彼のその顔を見て、僕は何もいえなかったし、言うべき言葉も思い浮かばなかった。
決断するべきは彼自身で僕じゃない。たとえ友人であろうと家族であろうとそれは変わらない。
驚いたときに口から出る言葉は、いつも無意味でバカみたいなセリフしか出てこないものなのだなあと、そのとき思った。
以前にも仕事の不満を聞いたことがあったが、辞めるまで思い詰めてるとは予想していなかった。なんといっても就職してからまだ一月も経っていない。
理由はいろいろあるだろう。彼は仕事そのものに対する興味が持てないこと。上司との折り合いがうまくいかないことの二つが最大の問題だったと話してくれた。
今、この時期に仕事を辞めてしまうことはリスクを背負うことにつながる。それでも彼は辞めてしまったし、もうこれ以上は我慢ができなかったのだといった。それを愚かな行為だと思う人もいるかもしれない。多分そう思う人は恵まれているのだろう。自分で実感していないにしても。
「でもね。社会人をやって学んだことがあるよ」
夜、初めて入ったスターバックスのカフェを飲みながら彼の話を聞いた。
「社会に出て一つ学んだことがある。社会人はね、自分が嫌いな人や苦手なタイプの人とも付き合わなきゃいけないんだ。学生の頃は、友人は自由に選べた。嫌な奴は避けることができた。でも社会は違う。付き合うタイプなんか選べないんだ。そこが一番大きいかもな」
彼にとって不幸なことに直属の上司二人とも最悪に近いタイプの人間だったそうだ。実際彼の話を聞いただけでも、相当嫌な感じがするタイプの人間像が頭に浮かんだ。その種の人間は僕も好きになれないなと思った。
「上司。そう上司が一番大きな問題だろうな。もし上司が、もっといい人だったら、まだ仕事は辞めてないと思う」
彼はそうつぶやいた。
「あと同僚だな。同期の奴も年齢が近い人もいなかったからね。いたのは40過ぎたおっさんとおばさんだけ。年代が違うと普段の話が全然合わないからね」
それは僕もバイトで経験がある。おばさん達が延々と嫁姑問題や老後の話なんてしている時ほど世代の差を感じることはなかったし、そんな話を聞くだけでうんざりした気分にさせられたものだ。
その日は朝から雨が降り続いていた。窓際のソファに座りながら、夜の雨を眺めていた。
止まない雨はない。それと同じで、どんな問題や悩みがあろうと解決しないはずがない。
苦労や失敗を繰り返しながら人は生きる。挫折を知った方が、人は成長できる。
そのことを知らない人の方がよっぽど不幸なのではないか。少なくとも、僕はそう思う。
日誌が、なかなか面白かったです。何より読みやすいのが良いですね。他に三味線入門などの趣味もお持ちのようです。毎日を楽しんでいるような方に見えました。
バンド活動をされている方のようです。映画や書評、日記と基本的なものは揃えているので、これから更新をしていけば楽しみなサイトになると思います。個人的お薦めは日記。
四月十二日
<エア・スポット>
バスケットをする約束をしていた。
大学時代に、なんとなく誘われるままに始めたバスケットボールだったが、今では最も好きなスポーツの一つになっている。まあウデの方は対したことない、というかむしろヘタクソである。
たまにしかやらないからしょうがないともいえるけど(いいわけです)、そのおかげでNBAにも興味を持つようになったし、今ではちょっとは語れるくらいのファンだと思う。ちなみに地上波TVでNBAの番組は週一度の深夜三十分番組しかない。試合は月一しか放映されない。まだまだマイナな存在なのだ。
個人的には観戦して最も面白いスポーツはNBAバスケットボールだと思う。サッカーも捨てがたいけど、なんといっても展開がスピーディで試合時間が短いのが良い。12×4=48分という短い時間の中に、魅力が凝縮されている。
一時期、とあるマンガの影響でバスケットボールが流行ったが、あれはNBAを下敷きにされている。日本人の試合はあれほど面白いものではない。サッカーも日本より海外の試合の方が高度なレベルで観ていて面白いのと同じだ。まあ、それは日本のスポーツ全般に言えることかもしれない。
話は変わって、その日の午後、僕は神保町に降り立っていた。古本屋街で有名なこの町にも実はバスケットコートが存在している。残念ながら、この日は大学生らしい集団がフットサル(狭いコートで行うサッカーのようなスポーツ)に明け暮れていた。この公園はバスケットゴールとフットサルのゴールが同じ場所に置かれている。
仕方がないので秋葉原まで歩く。秋葉原のバスケットコートは有名だ。駅前という好立地ということもあるし、なにより東京を代表するストリートバスケのメッカでもある。いつ行っても人がいるので、あまり好きな場所ではなかった。それに常連が沢山いてグループを作ってたむろしている姿も、気に入らないところだ。はっきりいえば初心者向きのバスケットコートではない。ここでの良い思い出というものがあまり浮かんでこない。
ところが、その日は誰もいなかった。
あっけにとられて、もう一度あたりを見回す。やっぱり誰もいない。
わーお、こんな偶然があるもんなんだ。
空は青く晴れ上がり、なんともいえず気持ち良かった。
ふっとエア・スポットみたいな空間だなと思った。都会のど真ん中のこんな天気の良い午後に誰もいないなんて信じられなかった。
そんな貸しきりみたいな空間をその日心おきなく楽しんだ。
久しぶりに激しい運動をしたら靴擦れができて痛かった。でも、それもひっくるめて素晴らしい一日だと思った。
□
その後、何度か秋葉原に行くことがあったが、そんな偶然は二度となかったことをここに告げておく。
あの日エア・スポットのように存在した時間は一体なんだったんだろう。
その名の通り、JavascriptについてのHP。色々使えそうなテクニックが沢山あります。ちなみに、このHPはJavaは使いません。たんに面倒がってるだけですが・・・。
ミステリ中心の日記があります。ミステリ以外の日常の描写も面白いです。書評も充実されていますね。
四月十日
<正しい生き方とは>
まあ、その日はいつものように大学の友人たちと遊んでいたのであった。
まあ、それはいつものようにありふれたことであった。一つの出来事を除いては。
ボーリングを終えて、夕食を食べるために近くの餃子の王将に入って、二階の座敷に座って、
そして彼は語り始めた。
この場には四人の男がいたが、普通に会社に勤めて研修なんていうものを受けている奴は唯一彼だけだったのである。自分が知らない世界の話を聞くのは面白いし、いろいろと学ぶべきことは多い。僕らは彼の話に耳を傾けた。
なんでも研修合宿があって、一週間近い間、朝から晩までビジネスマナーや様々な研修を行ってきたという。なんだか聞いているだけで、ため息が出そうな話である。
しかし、今そこには変貌を遂げた一人の男の姿があったのだ。僕らは例外なく彼の変貌に驚き(口にはださなかったけど)変われば変わるもんだなあって思った。
大学時代、彼はありふれた典型的な一学生に過ぎなかった。少なくともそう見えた。授業には真面目に出ることはなく、好きなことには(競馬とか野球とか)熱意を見せたが、それ以外はわりかし適当にやっているだけに見える、いわゆる普通の大学生の一人だったわけだ。もちろん僕たちもそういう学生の一員だったことはいうまでもない。
そんな彼が今、目を輝かせて、研修で素晴らしい話を聞いた。感動したよ。これから頑張っていこうと思うなどと話しているのである。研修は楽しかったし、仲の良い同僚もできた。これからの会社生活を充実したものにしていこうと語っているのである。なんていうか前向きという言葉がよく似合っていると思った。
そこには短期間で見事に変わってしまった一人の社会人新入生が誕生していた。もちろん良い方向への変化であることは間違いない。目的を持つとこうも人って変わるものなのか。もしかするとそれは研修によって持たされた目標なのかもしれないが。多分それは本人にもわかっていないだろう。
大学時代のままの彼だったら、おそらく研修なんて面倒だ。仕事なんか適当にやればいいんじゃないなどと言っていただろう。そういう人達もいるのだ。
そうやって変わっていくことと、変わらないこと。どちらが正しいとか間違っているとかは一概には言えない。
ただ彼の変化は僕らの目には好ましいものに映った。それだけは言っておく。
帰り際、彼と別れたとき、僕の横にいた友達がぽつりとつぶやいた。
「僕達ってさ、負け組みたいだねえ・・・」
僕は苦笑いをするほかなかった。
笑ってごまかすしかなかったのだ。
彼の生き方は正しいのだろうか。そもそも人生に勝ち負けなんてあるんだろうか。
目的を持つと人は変わる。目的を持たなければ、人はダメになっていくばかりだと思う。
生きるということは、目的を持つことだ。夢を追い求めることだ。
それが叶うか、叶わないかは大した問題ではない。
自分を信じることができるなら、それだけでいいよ。
女性なのに、ぼくという名称を使われているようです。なんか非常にマイペースな日記が淡々と綴られて、いい感じです。恋人のこともさらりと書いていていいですね。自然体でよろしいのではないかと。どうやら隣町に住んでいる模様。ローカルな話題が理解できるのは嬉しかったです。
綺麗な画像と読みやすい日記風エッセイがあります。読み物とイラストが共に高いレベルってのは羨ましいはなしであります。女性の方のHPです。サイトデザインも素敵ですね。
四月七日
<図書館で聞いた話>
その日、とある図書館にいた僕はある話を聞いた。
それは嘘みたいで、本当の話だ。もしかしたら嘘かもしれない。
□
図書館カウンターで電話の応対をしている職員。
「はい。こちら○図書館です。はい、どうなさいました?え?本を無くされたんですか?はいはい。どのような状況で?」
「え!本当ですか?はいはい。ええ、ええわかりました。では、期限までに見つからなければ、また連絡をして下さい。よろしいですか?はい。それでは失礼いたします」
電話を切る職員。
「ねえ、何があったの?本の紛失?」興味を持った他の職員が尋ねる。
「それがねえ。車ごと盗まれたっていうのよ」話しながらくすくす笑い出す職員。
「え、車が盗まれたの?本当?」驚いた顔をする職員。
「本当みたいね。声が真面目だったし。それでね、盗まれた車の中には借りた本全てと、図書館のカードも一緒にあったんですって」
「何だかすごい話ねえ。そういえば、どこで車は盗まれたの?」
「なんだか、ここから近いところみたいよ。とりあえず警察に連絡はしたみたいだけど」
「ぶっそうになったのねえ。ここらへんも」ため息をもらす職員。
「そうねえ。でも、期限内に車が見つかれば、別に問題はないですよね」
「確かに車を盗んでも、図書館の本を盗む人はいないわね」
「そうそう。車が見つかれば、本も一緒に帰ってきますよ」
「そうよね」
にっこりと微笑む二人の職員。
□
とある日の、嘘みたいな本当の話。
現実は容易に想像を超えてしまうものだなあと、僕は笑いをこらえながら思ったものだった。
その名の通り、日本にある様々な遺構について調査されているHPです。注目すべきは雑記草。非常に知的レベルが高い内容のエッセイ&日記です。特に科学知識の薀蓄は並外れたものがあります。僕のような文系人間には正直理解できないところもありましたが、理系の方はとても楽しめると思います。
お寺の跡取息子な方のHPのようです。お坊さんですね。日記が読みやすくて面白かったです。おお、ミステリ好きかあ。個人的にポイント高しです。テキストは日記よりアクが強いのですが、なかなか率直な方だなあというイメージを持ちました。
四月四日
<学校へ行こう>
一度、学校へ自転車で行ってみたかった。
いつも電車で通学している学校へ、自転車で行ってみたい。ある日そんな思いを実行に移してみた。
それは想像していたより遥かにきつかったし、正直もう二度とやりたくないと思った。でも、とても面白い体験だったとも思うし、東京という場所を内側から見つめることは刺激的で楽しい出来事だったことも事実なのだ。
□
自宅のある神奈川県川アから学校がある東京の白山まで自転車で行ってみよう。普段電車で通学すると、学校まで約1時間かかる。
しかし自転車なら電車のように遠回りをしないですむし、まあ2時間あれば着くのではないかと、大まかな予測を立てた。
風が強い日や、雨の日がここ数日続いていたが、その日は朝から気持ち良く晴れ上がり、風もないという絶好のコンディションだった。
午後になってバックに地図帳を入れてから、のんびりと家を出た。
川を見ながら土手を走り、橋を渡って東京へと入る。後はしばらく国道1号沿いに走るだけだ。国道1号線。記念すべき第1号国道。日本橋からどこまで通っているんだっけ?そもそも国道って何号まであるんだ?などの素朴な疑問が浮かんでは消えて行った。
空は晴れ渡っているし、気温も気持ちよいくらい。でも、僕はしょっちゅう鼻をかんでいた。まだ花粉が飛んでいるらしい。これだから春は嫌だねえとぼやいてみたり。
五反田から国道を離れて、高速の高架沿いに進む。坂を上って下る。その繰り返し。こういう時、東京は坂の街だと正しく実感する。
気がつくと高架から外れていた。しばらくすると人が沢山いるところに出る。広尾。外国人の学生がたくさんいた。アメリカンスクールでもあるのだろうか。何で学生ってわかるのかって?答えは制服を着ているから。金髪やブロンド、青い目をした外国人が日本人と同じ制服を着ている姿は何とも不思議な光景であった。
外苑西通りから青山通りに出て、皇居を目指す。青山通りは、さすがに交通量も、歩いている人も多い。
赤坂見附は、周りのビル街から見ると浮いて見える歓楽街だった。こうやって自転車を走らせると、電車で来るのとは全く違う視点で眺めることができる。さながら砂漠で見つけたオアシスのような感覚。
石造りの堅牢な建築物があった。四角い箱を積み上げて作ったみたい。窓が一つもないその建物は最高裁判所。威圧感あふれるその姿はなんびとも近づけないというような雰囲気が漂っていた。何となく目をふせて自転車の速度をあげて警備員の前をさっさとやりすごした。
皇居は桜田門という地名通り、桜が咲き乱れていた。濠沿いの道を桜を眺めながら進んだ。沢山の人が桜を見に来ている。桜は日本人の心だなあとしみじみ思う。いつの世も桜はその一瞬のはかなさを漂わせる美で、多くの日本人を魅了しつづける。
学校に着いたのは自宅を出てから2時間半後のことだった。申し込んでいた書類を受け取り、就職室なんかを覗いて屋上で休憩。夕暮れ。達成感と疲労がごちゃまぜになった気分。
昨年度の就職活動記録の冊子に知り合いの名前を見つける。誰もがうらやむ一流企業に就職していた。この種の人を人生の成功者っていうのかな。就職活動に関する感想が書いてあった。何て言うかぐうの音もでないってこのことか。その人の正論は僕の胸に痛かった。情熱とやる気と目的意識にあふれ、後輩に向けて語りかける文章に全く迷いは感じられない。少し羨ましく思った。この人みたいに何事にも迷わないで生きられたらなあ。それは多くの人が望む理想の生き方の一つだろう。
久しぶりに学食で食事。短大の新入生のようだ。あちこちで講義の時間割を眺めながら、これからの大学生活について語りあっている姿があった。もしも、もう一度大学生をやれたら・・・。何故、社会人入学制度が存在するのかわかった。物事は終わってからの方がよく見えるからだ。経験者にしかわからないことは多い。親がいくら子供にうるさくいっても理解してもらえないことと同じだ。経験しないと、本当の意味で物事を理解することは難しい。
帰りは山手通りを走って帰った。そういえば、椎名林檎の歌に山手通りのことを歌った歌があったな。口ずさんでみたけど、サビしかわからなかった。
途中雨が降って、道に迷って、警察に訊問されて、やっとのことで家に着いたのは時計が次の日になってからのことだった。
帰り道、ヘッドホンで音楽を聴きながら自転車を走らせたら、映画のワンシーンみたいに世界が見えた。キラキラと輝くネオンの光は、疲れた体に優しく染み渡った。
□
こうして長い一日は終わった。手に入れたものはささやかな達成感だけかもしれない。
ただ、僕はきっとこの日の出来事をいつまでも忘れないだろうと思う。
現在コロンビア大学に在籍しているようです。しかしこの経歴は凄いですね。ハーバードにケンブリッジ。いわゆる学歴社会を極めた方って感じがします。
その名の通り自転車通勤の人のHPです。何やら本も出版されているようです。趣味と実益を兼ね備えるってすごいですよね。
四月三日
<住み良い町の条件>
初めて訪れた町では、ついつい自分にとって住みやすい町かどうかを判断してしまう。
商店街は充実しているか、本屋はあるか(古本屋も含む)、レコードショップ、安いカジュアルウェアを扱っているショップはあるか、コンビニの位置は・・・等々。
もちろん、そんなことは独り善がりの勝手な意見であって、その町に住んでいる住民にはそれぞれの意見があることだろう。
長く住んでいれば情もわくだろうし、実際僕も地元に対するこだわりはある。
基本的に僕が嫌いな町というのは、車優先の町である。人に優しくない町は、どこかギスギスしたものを感じて余裕がない。
そういう町は、ほぼ例外なく駅前のメインストリートが交通量が多い車道になっている。歩道は狭く、人は車に気をつけて歩かなければならない。
そして残念なことにこの種の町は多いのだ。昔は、都市計画なんてものを用いて町作りはできなかっただろうし、都心には余分な土地なんてないのだから仕方がないのかもしれない。
このことを、そんな町に住む友人に言ってみると、案の定、否定された。ここはそんなに住みにくいところじゃないよだってさ。
それでも時に、一目見ただけで住みやすそうな町だなあ、住むのに便利そうだなあという感覚を呼び起こす町がある。
僕にとって住み良いと思える町は、自分にとって必要なものや場所がきちんとあるかどうかだ。
そして何より庶民的で落ち着く町であること。人に優しい町であること。実は一番重要なポイントはここなのだ。
住めば都。けれど住んでいない人にも都と思わせる町。
そんな町は、ただ訪れるだけで楽しい気分にさせてくれる不思議な場所だ。
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<静寂>
静かな夜だった。
環7沿いに、その自動販売機はあった。
自転車を止めて、近寄ってみる。静かな夜のしじまに足音だけが響く。
べたべたと貼りつけられた値段を書いた紙だけが、やけに白く浮かび上がっていた。
「安いな・・・」
思わずつぶやいてしまうほど、その自販に並ぶ商品は安かった。
麦茶500ミリリットルが70円。コカコーラ500が90円。アクエリアス500が80円。
思わず目を疑うほどの値段で商品が並んでいる。スーパーに行けば別に珍しくないが、自販機でこんな値段を見ることはめったにない。
<今だけの特別サービスです!>
そうマジックで書かれたポップが貼られている。
こんな偶然は嬉しい。
それでも出てきたアクエリアスの賞味期限を、つい眺めてしまう自分がいる。もちろん期限内だった。
こういう時、ふと思う。疑うことに慣れて、疑うことを当たり前のこととして生きていることについて。
それが正しいことだとしても、ここで生きていくのに必要なことだとしても、たまにこの種の感情をうっとおしく思うことがある。
アクエリアスは、しばらくし自転車を走らせてから開けた。疲れていたので、やけにうまかった。
夜の静寂に缶を開ける音が響き渡った。
ここでは、静寂は夜にしか存在しない。
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どーでもいいことにこだわりたい方のためのHPだそうです。雑文パラダイスというコーナーのエッセイがお薦めです。色々なことについて語っていますね。のぞき窓という日記もさらりと読めていいです。
ええとHPのタイトルがちょっとわからないんですけど、まあいいか。
文字ネタの脱臼魂が笑えます。買い物ブギーバッグ最高。やっぱり○○○○って使えないのか(笑)日々の小ネタもさえてます。
四月二日
<ある別れの光景>
いつものように大学の友達と集まって、ボーリングをやって居酒屋で飲んだ。
ただし今日は一ついつもと違うことがあった。
友人が一人田舎へと帰るのだ。
大学を卒業して、何が一番変わったかと言えば、友達が全国へ散って行ったということだろう。
高校までは地元の狭い範囲の人達との交流しかなかったが、大学は全国各地から学生が集まってくる。
出会いがあれば別れもある。それはまあ当然のことだ。
地方から東京に来た人が、大学を卒業して再び地方へ戻っていく。逆に、そのまま東京に住みつづける人だってたくさんいるだろう。
就職した会社の都合で、地方に行かされる奴だっている。
そうやって一旦東京から離れてしまうと、あっという間に疎遠になってしまうものだと思う。
僕も引越しをしたことがあるが、さほど遠くに越したわけでもないのに、すぐに引っ越す前の友達と交流なんてなくなった。
高校の時だってそうだった。卒業して時が経つほど、だんだん疎遠になっていくものだ。
きっと、今日の友人もそうなるんだろう。
いくらインターネットが発達しようと、結局は人と人とのつながりは直接的なものでない限り、超えられない何かがあるのだろう。
それは少し寂しいことだ。
そして、僕らは笑顔で下らないことを言い合って別れた。
それ以外に別れにふさわしい言葉を、まだ僕達は知らない。
人は出会い、そして別れる。
別れと出会いを繰り返しながら、人は大人になっていく。
いつか、10年、20年後、僕らが自分の人生に自信を持てた時にまた会えるだろうか。
その時どんな顔で、どんなことを話すのだろう。
それは少し楽しみなことだ。
日本国内の珍しい名字,読みにくい名字を集めたHP。いろんな名字があるんですね。
「結婚生活の泣き笑いや失敗、阪神大震災の体験などを綴った、神戸の主婦のページです」
笑えるお話、考えさせられるお話などエッセイが充実。日記もなかなか面白い。
四月一日
<映画評論 グリーン・マイル>
「グリーン・マイル」を観る。
いつものように時間ぎりぎりに映画館に駆け込むと、映画の日ということもあり、また話題の映画ということもあって、
館内は非常に混雑していた。
さて、この映画の感想であるが、率直に言って期待した程ではなかった。
おそらく原作を読んできた人はそれなりに楽しめる映画だとは思う。
きっと、この映画を観て感動する人もたくさんいることだろう。それはそれでとても結構なことだ。
私はこの映画がある種の過剰な装飾によって、感動という映画の醍醐味を薄れさせてしまったように見えた。
映画が終わって、後ろの席に座っていた女性二人組がこうつぶやいていたのが聞こえた。
「この映画さあ、結構グロいよね」
まさに、この一言が「グリーン・マイル」という映画の本質を見事に捉えている。
はっきりいって、やりすぎたのだ。
おそらく監督は原作に忠実でありすぎた余り、映像にする必要がないシーンまで撮影してしまったのだろう。
もともと原作者キングの小説は、残酷なシーンが結構多い。ホラー作家の仕事がメインだったということもある。
しかし小説は映像がない。読者は自分で想像する他はないのだ。それによって残酷なシーンであっても、あまり抵抗なく読むことができる。
映画は違う。映画は全てをさらけ出す。見せてしまう。人間の感情は全て映像で表現できるからだ。
そのために映画は、あえて映すことができるシーンを見せない手段を取る。抑制された画面を私達は想像力を働かせて眺める。この手段を用いたからこそ、映画は芸術の位置まで上ることができたのだと思う。
キングの映画には駄作が多いと言われる。
それは、この抑制の美を使っていないからだ。見せる必要のない場面を見せてしまうからだ。
そういう意味でいえば「グリーン・マイル」は、いくら高い評価をうけても名作にはなりえない。
最後に私の意見を言わせてもらえば、キング原作の映画で名作たりえるのは、
「スタンド・バイ・ミー」
「シューシャンクの空に」
この二本であると思う。今のところはね。
いずれも上質な雑文と雑談という二つのコーナーがある。知的な大人の雰囲気が漂う。
ネットではこの種のHPは貴重な存在であると思う。
個人の映画サイトってのは、なかなか良いと思えるサイトにめぐりあえない。この出会いは幸運だったかもしれない。
日本を代表するキングサイトのようです