前回

アムロなみえ


アムロなみえをご存知だろうか?いや、覚えているだろうか?「ギャルのカリスマ」として浜崎あゆみ以前に君臨していた女である。
しかしみなさんご存知の通り、今やカリスマは浜崎あゆみに取って代わり、アムロなみえはCDランキングにすら入っているのかどうなのか、てかCD出してんだかどうなんだかって存在になってしまった。
では何故こうもあっさりと陥落してしまったのか?考えた。
まず言えるのはアムロに力が無かった事。奴は与えられた歌を歌うだけ、つまりアイドル的な存在であったと言える。
一方浜崎は自分で詩を書いている。そしてこの詩が絶妙なのだ。
華々しい世界にいながら憂いを表現したような「悲劇のヒロイン」的な歌詞。現代のやることもなく、ただ楽がしたい、夢も希望もない、それは社会のせいだ、と思ってる若い世代にこれが受けた。
若い奴等はただ甘えてるだけだと思うのだが、この詩に共感し、そして浜崎あゆみを身近に感じたのだろうと推測される。
まぁファッションについては金と名前価値さえあればどういにでもなるので何とも言えない。
そして最大の理由、結婚そして子供。
これは不味かった。誰が見ても失敗すると明らかだった。
日本人が移り気なのは誰でも知っている事実。しかし奴はそれを知らなかった。誰でも知ってる事を知らなかった。これ大事。
だから欲求のままに結婚し、出産。産休。
復活した時まだファンがいるとでも思ったのだろうか?
流行至上とも言える日本の音楽シーンにおいて、歩みを止める事は自殺行為である。それが実力のあるミュージシャンならともかくたかがアイドルにそれほど熱心なファンが付く訳でもなく、代替も十分可能なのだ。
そしてカリスマ視してた女の胸中。幸せになって欲しい、との意見が多数だったが、本当にそうなのだろうか。
同調を求める現代っ子達は取り残された気分になったのではないか?考えすぎとも言えないと思う。まぁ「幸せになって欲しい」って言葉の意味が
「主婦として頑張って下さい」って意味にも取れるが。
流行が人に働くってのはなんて残酷なんだろう・・・。
んで、実は俺、浜崎あゆみのアルバムを一枚持ってます。ネコの奴。
あれの「き〜み〜を咲き誇ろう〜♪」って歌が好きで買いました。
ファッキンエイベックスだけどな。
で、何の歌か知らないけどこんな歌詞があった。
「背負う覚悟の分だけ可能性を手にしてる」
たぶん「してる」だと思うんだけどあの人時々何言ってるか聞き取れないのでもしかしたら違うかも。で、まあ
これをここでの意味で俺訳すると「背負う覚悟の分だけ金を手にしてる」である。
あの世界に生きるなら、他にたくさんの物を犠牲にする覚悟が必要であると思う。しかし金は貰えるぜ?ふへへへ・・って感じで。
それを浜崎あゆみは知っているのだろう、いや、誰でも知っている。
奴が長瀬との関係を明白にしないのもその為だと見られる。まぁ奴の場合「悲劇のヒロイン」のレッテルもあるしね。幸せになったらお終いだからね。
はい、で誰でも知ってる事を知らないアムロはしでかした、と。
そう、覚悟がなかった。
あの世界に生きるなら普通の女の子やっちゃダメ。普通の女の子の幸せを犠牲にする覚悟がなかった、と。
まぁたまにテレビ出てる時とかね・・・あれね・・・
プロじゃないよね。なんか。その辺のアーパーとあんま変わらないんじゃないかって思う。
しょうがないってか、当り前だったんだね、アムロ陥落は。
まぁそんなこんなですけど、アムロを攻撃する形になったのは俺がアムロ嫌いだからです。だってあいつ自分にバーコード貼ってるし。
どういう意味か解ってんのかな!?解ってないだろうね。
で、浜崎あゆみは・・微妙。自分で詩書いてるのは偉いと思うね。当り前の事が当り前に出来てない日本の音楽だしね。
でも悲劇のヒロインが気に喰わない。ポジティブソングが気に喰わない。
まぁアムロと比べれば浜崎のが好きだな。
そんな感じでした。

みなさんはアムロ覚えてましたか?