第3章
Soviet 1980 概論


1979年のアフガニスタン侵攻により、ソ連は世界を敵に回すことになってしまいました。しかしその汚名と鬱憤を晴らすべく、1980年のモスクワ・オリンピックに賭ける意気込みは凄まじいものがありました。結果的に日本を含む西側諸国のほとんどがボイコットしたのですが、世界各地からの観光客にスポーツのみならず、文化・芸術においても優れた国家であることをアピールする絶好の機会であったのです。それは単にバレエやクラシックといった分野だけではありません。

また西側観光客がソ連市民にもたらす弊害も考えたと思われます。当時、ソ連を含む共産圏諸国の若者は短波や中波放送でかかる西側ロックに耳を傾け、西側ロックバンドのレコードを闇市で手に入れるのが日常でした。帯び付きの日本盤LPなどは、かなりの値で取引されていたようです。このように西側の「退廃的」「社会批判的な」音楽に耳を傾けるよりも、むしろ自国の「健全な」バンドを若者に聞かせておいたほうがマシという判断も働いたのでしょう。

こうして80年になってソ連国営レーベル"Melodia"はいくらかのバンドをデビューさせました。もちろんこれらは政府公認のバンドであり、それ以外に無数の「非公認」バンドがあったと思われます。非公認バンドで最も有名なものは「アクワリューム(アクエリアム)」でしょう。このバンドも後に"Melodia"からリリースされることになります。ちなみに「アクワリューム」に関して触れられたサイトは世界中に多数あり、地下活動ミュージシャンに関しては私は詳細がわかりませんので、その方面に興味のある方は検索すれば多数ヒットすると思います。ただ「公認」のお墨付きをとるためには役人のコネが必要だったということはきいた事があります。


第4章
Spring Time Rhythms Pop Festival


1980年4月、グルジア共和国の首都トビリシで"Spring Time Rhythms Pop Festival"と名づけられた大々的なポップ、ロックフェスティヴァルが行われました。これはもちろん政府公認のものでコムソモールと文化省の協力のもとに行われたものです。ソ連ロックの研究家の一部には、こうした「公認もの」にあまり興味を示さない人もいるようですが、政府がこうした催しを認めざるを得ないほどに社会状況が変化してきたことは重要な事実として捉えるべきだと思います。私の記憶では20バンド以上参加したはずです。おそらく日本のヤマハの大会のように、ソ連各地で勝ち抜き戦でもやったんでしょう。

このフェスティヴァルで入賞したバンドをフィーチュアしたオムニバスアルバム"Tbilisi 80"が後に2枚組LPとして発売されました。ただしそれはライヴを録音したものではなく、入賞バンドのスタジオ・トラックを集めたものです。下にその主なバンドを列挙します。

*「アフトーグラフ」(AUTOGRAPH−モスクワのシンフォニック・ハード・プログレ)
*「マシナ・ブレメニ」(TIME MACHINE-モスクワのポップ・ロック。有名。)
*「ラビリンス」(LABYRINTH−グルジアのジャズ・ロック!)
*「グネシュ」(GUNESH−トゥルクメニスタンのジャズ・ロック!現在CDで再発。)
*「グループ75」(GRUPA75−グルジア) 
*「マグネティック・バンド」(MAGNETIC BAND-エストニア)
*「インテグラル」(INTEGRAL-アコースティックなバンド)


第5章
Soviet 80 - Olympic Games in Moscow


80年のソ連の音楽シーンには非常に熱いものがありました。上のフェスティヴァルのみならず、ジャズシーンにおいては春に「ホレス・シルヴァー・クインテット」のモスクワ公演が行われ、また6月に行われた「第7回モスクワ・ジャズ・フェスティヴァル」には、ビッグバンド、ディキシーランドからフュージョン、フリーに至るまで、それまでで最高の26バンドが参加しました。私はそのライヴをモスクワ放送の英語放送で聴いたことにより、以後"Allegro"というバンドの虜になってしまいました。ジャズ系のレコードリリースも80年に入って一気に増えています。

そしてソ連が威信をかけたオリンピックがついに7月に幕を開けるわけですが、その開会式のオープニング曲はソ連でもっとも有名なシンセ奏者、作曲家である Eduard Artemiev(エドゥアルド・アルテミエフ)の手による壮大なシンフォニック・ロックでした。

Artemievは「惑星ソラリス」「ストーカー」等のタルコフスキー作品の音楽監督としても有名で、当時「モスクワ実験音楽スタジオ(Experimental Music Studio in Moscow)」の主宰でもあり、さらにはシンフォニック・ロック・ユニット、"Boomerang"を率いてすばらしいアルバムを製
作しています。このオリンピック用の作品は後に"Ode to the Bearer of Good News"というアルバムにまとめられました。ちなみに現在、息子のアルテミィ・アルテミエフが何枚かCDを出しています。

さらにオリンピック開催中の文化プログラムでは、Arsenal(アルセーナル)、Vyacheslav Ganelin Trio(ヴャチェスラフ・ガニェリン・トリオ)等、ソ連を代表するバンドが西側プレスの前で演奏しました。

西側諸国がボイコットする中で、オリンピックそのものには盛上りに欠けたかもしれませんが、「ソ連にろくなジャズやロックなどない」と思っていた人は、おそらく度肝を抜かれたに違いありません。(ちょっと大袈裟かな?)


 

第6章へ

 

| My Disc Collection | | Links |