小澤の独り言と言えば知る人ぞ知る。飯島はこれに慣れるのにかなりかかり、はじめの頃は「えっだれに言ってるんだろう?」「それって返事した方がいいんですか?」とよく聞かれたものです。
 しばらくすると、慣れてきたのか「今のは僕に話しかけていたんですか?」とか「またひとりでしゃべってるって思ってたんだけど…・。」って、こっちは真剣に「ねぇどれにしたらいいと思う?」と聞いているにもかかわらずなんだよ。 まだ飯島は、小澤の微妙なイントネーションの違いや言葉の使い方の違いを分かってないのだ。これが分かると独り言なのか話しかけているのか分かるようなものなのだが、早く究めてほしいものです。

 この
【ひとり言】コーナーは、1〜2週間毎に更新して私のとりとめもない独り言をみなさんにお聞かせしたいんだそうです。(ってだれのことなんだあー!)
早くもそんなペースはちょっと無理かなぁというふあんが…・。


 私が音楽と出会ったのは、6歳頃かなぁ。当時めずらしく応接間があった我が家には、父が作ったステレオもあって、壁が真っ白なその応接間では、ちょくちょく麻雀が繰り広げられていました。ハイカラですねぇ。今で言う雀荘見たく、ソファに腰掛けて一晩中じゃらじゃらやっています。そこに、これまた珍しい電気オルガンがあって、私のおもちゃらしく、まだ伊勢湾台風がやってくる前のことでした。母が教員だったので、自分の練習のために買ったのかもしれません。ちなみに、そのステレオは台風で水に浸かっておじゃんでした。三重県の四日市に住んでいたので被害はすごくて、1階の天井まで水がきました





題字・カット OZAWA 

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               Vol. 1

 6歳頃(だと思う)赤いバイエルの本をあてがわれ、「はい、練習しなさい」と。自分で本を読んで自分で練習するんです。当時は音楽教室に行っている子なんてまず誰もいなくて自分でやるのが当たり前(と思っていた)。「ぶんぶんぶん」が弾けるようになってすごく嬉しかったのを今でも覚えています。今の子どもたちには考えられないよね。今は手取り足取りだモン。何でも教えてもらって、練習にも付き合ってもらって、自分一人じゃ何も進まないような…・。ここでふと、オルガンは水に浸っても無事だったんだろうか?と言う疑問が…・・。                                                      小学校3年に引っ越しをして愛知県に。その秋から、この子にも手に職をと考えた親は、カワイピアノ教室に「行きなさい」と。はじめの1年はめきめき上達し、すごい子が来たとちやほやされたものです。                          

Vol.2

 しかし、そんな状態がいつまでも続いていたら、今頃こんな事はしていません。
根っからの練習嫌いな私は、だんだんいやになり、そのうちにあの手この手と姑息な手段をとっるようになってたんですねぇ、おなかが痛いとか、咳がでるとか、突き指をしたなあんて…・。ピアノに向かうとだんだん暗い子に(ぞぉ〜っ)。
 ついに中学2年で辞めすっきりこん。それから高2まではバレーボールに明け暮れる毎日でした。アタックナンバーワンの時代ですよ、もちろん。

 そのころ初めてS&Gを聞きすごい衝撃が走ったことは今でも鮮明に。高校の昼休みに音楽室でレコードをかけてくれるグループがいて、毎日70人ぐらい集まっていたかなぁ。『明日に架ける橋』『ミセスロビンソン』『ボクサー』広い音楽室で、大音響で聴く。
 それまでの私の生活には全く考えられないことでした。それでいて、教室では『岡林信康』らのフォークが幅を利かせていて、私の中でこの2つのジャンルが同時進行していったんです。音楽室ではカッコイイーッと体中を揺さぶるリズムにノリ、教室では『チューリップのアップリケ』を歌いながら涙に酔いしれていたのです。
 あぁ…青春!ピアノ?そんなことすっかり忘れていましたったら。

Vol.3

 それでも、レコードというものを持っていなくて、この時買えばよかったと後悔しているこの頃です。今なら自分で弾いてみるという思いになるのですが、この時は自分が弾くなんて考えもしなかったし、できるとも思わなかったので。月日はあっという間に過ぎついに大学受験が1年後に控えた冬、また例の『手に職問題』が浮上したのでした。
 他に職業を考えていなかった私は、まぁそれでもやってみるかぐらいに大学を決め、この3年間のブランクを取り戻すべく、猛練習に明け暮れたのでした。生まれて初めて必死に練習したのです。普通に大学受験の勉強をして、楽典、ソルフェージュ、聴音、ピアノの課題曲自由曲、歌のテストと忙しい1年でした。
 いよいよ受験が目の前に迫った1月、私にとって大事件が起こったのです。どう弾いていいのか分からない。先生が来てもピアノが弾けない。それは本当に辛いことでした。普段教えられていることと正反対のことを大学の教授に見てもらった時言われたのです。
 弾けないと泣き出してしまいました。もういやだ!みんな勝手なこと言って。私の気持ちでした。(これはランニングでもいまだにあります、)

 Vol.4

  でも、今にして思えばただの人形が弾いているのと同じで、なんにもおもしろくない演奏だったと思います。どうしたらいいんだろう…音楽と向き合ったのですね、この時はじめて。そして初めてレコードを買ったのです。ベートーベンとモーツァルトのピアノ曲。聴いてみて自分の演奏が淡々としていることに気が付きました。
 そうか、こんな風にすまして弾いちゃえばいいんだ、カッコつけて弾けばおもしろい。そんな恥ずかしいこと人前では…・でもやっちゃえの勢いで弾いてみたのが私立音大の受験日前日でした。おもしろい、ピアノを弾くっておもしろいと嬉しくなりました。絶好調の私が合格したのは当然でした。「すごい子が来た」次の受験番号の子が廊下で待つ間に、学生が言っていたと教えてくれました。
 5日後東京から戻った私は、ピアノの先生に「何かあったか」と聞かれました。親から離れたい一心で私は愛知の教育大にすすみ、親は埼玉へ行ってしまいました。
 その大学に行っていたら、今頃全然違っていたんだろうなぁ…・と思うときが、たまーにあります。