世間には、リアルな性描写を目指した映画のイメージが強いのではないだろうか。
ジェシカ・ラングの内腿があまりに魅力的なので無理もないけど、本はハードボイルドの
傑作なのだ。初めて読んだ高校の頃は、「郵便配達・・・」はポルノじゃないんだと、よく
周りに訴えたものだ。
家の中での攻防は強く印象に残る。物語全体への仕掛けにもショックを受けた。
そして何より、二人のために祈らずにはいられない。
運の分かれ目は、夢のような一週間の最後の日やなあ。こういうチャンスを
逃さないために、「ろくでなし」にはなるまい。
もちろん二人を応援しながら読んでいくのだが、ちょっと視点を変えると、裁判は
事実によって結果が決まるとはかぎらないのだと、改めて思わせられる。ゲームみたいに
人生が左右されたら、たまらんぞ。
再読してみて驚いたのは、いつの間にか自分も映画と本を混同してしまっている
ところがあったこと。ヒロインのコーラは黒髪やった。頭の中では完全に、ジェシカ・ラングの
金髪でコーラ像をつくりあげてしまっていた。フランクが24歳というのも忘れてた。映画の
ジャック・ニコルソンは、そんなに若く見えへんもんな。キッチンのテーブルでのシーンも、
本にはなかってんなあ。
この作品からヒントを得て「BLUE LETTER」をつくったと、甲斐は言っている。
フェリーニの「道」以上に影響を受けていると感じられる。海の場面は忘れられない。
「愛してる、コーラ。だが、愛ってやつは、恐怖がまじると愛じゃなくなってしまう。
憎しみにかわるんだ」というセリフは、アルバム「LOVE MINUS ZERO」の歌詞カード
にも引用されている。
雑誌「ダ・ヴィンチ」の、思春期に「性」の目覚めになった一冊「ヰタ・セクスアリス
物語」という連載に登場したとき、甲斐はこの本を挙げている。
僕が読んだハヤカワミステリ文庫版には、「私の小説作法」という作者のエッセイも
収録されていて、それを読めばタイトルの意味もわかる。
「説話体の文章は、舞台であれ、本であれ、映画であれ、書き手が登場人物に
ついて心をくばることからはじまるべきである」
「物語に関心をもたせるまえに、まず登場人物への関心をかきたてなければ
ならない」
という興味深い原則を作者に伝えた、ヴィンセント・ローレンスという人物も
おもしろい。彼にはこの本の献辞が捧げられている。
訳者である小鷹信光の、「ケインの遺産」と題した文章も、強い思い入れが
感じられる名文だ。
ケインの著作リスト及びケインが関わった映画のフィルモグラフィーも、資料として
巻末に収められている。
(ハヤカワミステリ文庫)