年が明けた1999年1月。茶色のダッフルコートに黒のチェックのパンツの1人の女子高生が軽い
足取りで歩いている。ビルに囲まれた曇り空が窮屈そうにのぞく街。午後4時を廻ったばかりの街はだん
だんと薄暗くなっていき、日の当たらなくなる分寒さも増していく。背後から吹き抜ける北風に長い髪を
直しながら、少女は躊躇うことなく先を急ぐ。
堂本実央。都立の女子校に通う1年生。人気アイドルKinkiKidsのメンバー堂本剛の義理の妹である。実際は
血の繋がりはない。5歳の時、施設にいた実央を老夫婦が引き取り、そこで同じように別の施設から引き
取られていた剛がいた。本当の親の顔など覚えていない。物心付いたときにはたくさんの子供達と一緒に
施設で暮らしていたのだ。2年前に相次いで養父母が他界し、実央は剛のいる東京に上京してきた。現在、
剛の所属する『ジャニーズ事務所』の社長に面倒をみてもらっている。
静かな住宅街の中にある小さな公園の中で実央は足を止めた。公園の入り口で生後まだ間もない黒猫が一匹、
段ボール箱の中で鳴きながらふるえている。
「捨て猫・・・。」
段ボール箱の前にしゃがみ込んでしばらく子猫をなでていた実央は、溜息を一つ吐いて猫を抱き上げると、
再び歩き出した。途中、牛乳とキャットフードを買ってコンビニを出た実央は、迷うことなくとある
マンションの前にやってきた。オートロックの大きめのマンション。実央は猫を抱きながら、手袋を取って
ポケットに持っているはずの鍵を探した。
「あれ・・・・どこやったっけ・・・。」
コートやズボン、鞄ポケットを探すが一向に鍵は見つからない。困り果てていた実央の背後で聞き慣れた
声が聞こえた。
「実央ちゃん?どうしたん?」
制服に紺のチェックのマフラーをした男が、コートのポケットに手を突っ込みながら不思議そうに実央の顔を
のぞき込んだ。
「准一くん。剛の部屋の鍵持ってきたと思ったのに忘れたみたい。部屋の掃除するつもりで来たんだけど。」
猫をなでながらコンビニの袋を手に取る実央。准一は実央の腕の中にいるまだ小さな猫の頭を撫でながら、
笑顔で言った。
「どないしてん?この猫。実央ちゃんが飼ってるん?」
「ううん。そこで拾ったの。寒くて死んじゃうと思ったから。なんかほっとけなくて。准一くんは?今日
仕事ないの?」
岡田准一。実央の一つ年上で剛の親友でもある。剛と同じ事務所に所属し、アイドルグループV6のメンバー
である。大阪出身の准一は3年前に東京に出てきて事務所所有のマンションに一人暮らしをしている。
「今日はないねん。剛くん、今日の仕事早く終わるみたいなこと言うてたから、俺の部屋で待ってたら?
もうすぐ帰ってくるやろ?なっ?」
「でも・・・。」
「せっかくここまで来たんやし。早く中入ろうや。寒いやろ?」
ポケットから鍵を出し、ロビー入り口の自動ドアの横にある鍵穴に差し込んで右に回す。自動ドアが開いて
実央の持っていたキャットフードの入ったコンビニの袋を准一が手に取ると、実央の背中を押した。エレ
ベーターに乗り込み、まあるい数字のボタンを押す。黙り込む二人の間で、子猫が高い声で鳴く。猫を撫でる
実央を笑顔で笑顔で見つめる准一。このマンションには剛や准一の他にもたくさんの所属タレントが住んで
いる。
剛の部屋と同じ階に准一の部屋はある。黒い扉を開けて部屋の電気をつけると、准一は後ろで遠慮がちに
中の様子を伺う実央を部屋に入るよう促した。8畳ほどのワンルームで家具は少なく、基本的には青や黒
など落ち着いた色で統一されている。
「そこのソファに座ってて。この間、大阪のねぇちゃんが来て部屋掃除してくれたんやけど、また散らかし
てん。汚いけど我慢してな。」
エアコンのスイッチを入れて、鞄やコンビニの袋を部屋の隅のおく。マフラーをとってコートをハンガーに
かけると、准一はテーブルや床に散らばった雑誌や、ゲームのディスクをベッドの上に片づけた。ソファに
座っていた実央の足下で、子猫がおぼつかない足取りでキッチンにいる准一に鳴きながら擦り寄る。
「そうやったな。お前お腹空かしとるんやったな。」
准一は猫を抱き上げて器を出すと、コンビニの袋から牛乳パックを取り出し器の中に流し込んだ。
「実央ちゃん、この猫どうすんの?家に連れて帰るん?」
「どうして?」
「今社長の家に住んでるんやろ?社長、大の猫嫌いやで。連れて帰るのは無理なんちゃう?」
夢中になって牛乳を飲んでいる子猫を眺めている准一に、実央は視線を向けた。困った顔で再び子猫を
見つめる。今更捨てることなんて出来ない。しかし世話になっている事務所の社長の家に、この子猫を連れ
て帰るわけにもいかない。
「この猫俺が貰ったらあかんかなぁ?」
「・・えっ・・いいの?」
「俺猫好きやし、実央ちゃんが時々要す見に来てくれさえすれば、俺は構わへんよ。」
牛乳を飲み終えて顔をなめている猫の頭を撫でながら、実央は大きくうなずいた。そんな実央に准一は
微笑むと立ち上がってクローゼットを開け何かを探し始めた。
「どうしたの?」
背を向けた准一に不思議そうに話しかける実央。しばらくしていくつか紙袋を出してきた准一は、
その中から袋に入った大きいテディベアのぬいぐるみをとりだし、袋を飾っていた赤いリボンをほどくと
猫の首につけた。
「ええやろ?まだ首輪がないからな、今はそれで我慢や。・・・名前どないしよか?なんかええ
名前ある?」
「う〜ん。・・・。」
考え込む実央に准一は思い出したかのように手を叩いた。
「メスやろ?こいつ。・・・『小町』ってアカンかなぁ。」
「『小町』?かわいい。それ決まり。」
准一はさっき出したテディベアを、子猫を抱き上げる実央の前に置いた。
「ファンの子からプレゼントやねんけど置き場所ないんや。よかったら貰ってくれへんかな。俺に似てるって
送ってきたんやけど。」
「いいの?でもすごい高そうだよ。」
頷く准一からテディベアを受け取った実央は、嬉しそうにそれを抱きしめた。
「ファンの子からのプレゼントは嬉しいんやけど、さすがにぬいぐるみは飾られへんやろ。」
「ありがと。大事にする。」
照れくさそうに笑うと准一は紙袋をクローゼットにしまい始めた。外はすっかり暗くなっていて、部屋の窓は
水滴で真っ白に曇っている。
「岡田ー。実央来てへん?」
玄関でドアの開く音がして足音とともに声が聞こえた。
「来てるよ。」
学校から仕事に直行した剛は、制服のまま准一の部屋に入ってきた。
「部屋のは誰もいないし散らかったまんまだし、来てくれてへんのかと思ったわ。・・・うわっなんだ猫?
どうしてん、この猫。」
ベッドに腰を下ろした剛は足にからみついてきた小町に驚いて、足をベッドの上に乗せた。
「鍵を忘れて来ちゃったみたいで。外で准一くんに会って、お邪魔してました。猫は拾ってきたの。准一
くんが飼ってくれるって。小町って名前なの。」
「小町?『秋田小町』の小町?米大好き人間のお前らしいわ。」
茶色く耳にかかった髪の毛を弾ませながらベッドで横になる剛。准一は持っていた紙袋を床におくと、横に
なっていた剛の上に勢いよく飛びかかる。
「なんやねん。小町ってええやんかぁ。なんか他にあるんかい?」
「う〜ん。そうやなぁ、『クロ』とかは・・?」
「・・・最悪や。まんまやん。」
翌日午後4時30分。実央は恵比寿にある事務所に足を運んだ。学校が終わって特に用事がない時は、
いつもこうして事務所に来て電話番などをして時間を潰す。制服の茶色いブレザーに赤いリボン、チェックの
スカートに紺色のハイソックスをはいていた実央はいつものように事務所のドアを開けた。
「おはようございまぁす。」
「あっ、実央ちゃん。さっそくで悪いんだけど、応接室にお客様が1人見えてるの。お茶出してもらえる?」
眼鏡をかけた女性スタッフが、机に座って電話の受話器を軽く押さえながら実央に言う。実央は頷きながら
脇にあるソファに鞄を於くと、給湯室に向かった。
「失礼します。」
応接室のドアをノックして中にはいる。テーブルを挟んで社長と中年の女性がソファに座っていた。女性の
服装からして、業界関係者ではないようだ。
「来てたのか・・。池内さん、彼女が実央ちゃんです。」
テーブルにコーヒーの入ったカップを並べる実央の肩を叩きながら、社長は目の前に座っていた女性にそう
言った。いまいち状況が把握できない実央。池内と呼ばれた女性は目に涙さえ浮かべて、突然実央を抱き
寄せた。
「実央・・・。」
「・・あ、あのっ。なんですか?」
「・・・君のお母さんだそうだよ。」
社長の言葉に実央は改めて目の前で泣いている女性を見た。物心付いた時、実央は既に施設で生活していて
実の両親の顔など覚えていなかった。10年以上たって実母だと名乗られても、実央はただ戸惑うばかり
だった。
「実央がまだ1歳になったばかりだと思います。夫と離婚して実央を引き取りましたが、その夫との結婚も
駆け落ち同然で一緒になったもので、実家に帰るわけにもいかず生活は苦しくなっていく一方で。仕方なく
実央を施設に預けたんです。」
「どうしてここだとわかったんですか?」
うつむいたまま実央の横で社長がコーヒーカップに口を付けながら言った。
「施設の方に聞いて静岡のご夫婦に引き取られたことを知りました。すでにご夫婦は他界されていて・・。
近所の方に実央と同じように引き取られた男の子が、東京で芸能活動をしていると伺ったもので、失礼は
承知ですが彼を当たれば実央の居所も分かるかと。・・・・・・現在は再婚して仙台に住んでいます。生活も
あの頃に比べればだいぶ余裕が出てきましたし・・・。」
社長は頷くと無言で実央の顔をのぞき込んだ。実央は二人の視線に気づくと、膝の上で組んでいた手を
じっと見つめて言った。
「少し・・時間をもらえませんか。・・気持ち・・整理がつかなくて。」
実央は実の母親と名乗る池内という女性の連絡先を記した紙を受け取ると、応接室を出て事務所を後にした。
実央は混乱していた。養父母に引き取られて幸せに暮らしていたと言っても、実の両親に会いたいという
思いはいつも胸のどこかにあった。だからといって今、素直に母親の元には行けない理由が実央にはある。
「もしもし・・剛?・・実央。どうしても相談したいことがあって・・・・。・・仕事大変なのは分かって
る・・・だけど今日じゃなきゃだめなの。お願い・・・・。うん。・・先に剛の部屋に行ってる。・・・
うん。ごめんね・・・。」
事務所近くの公衆電話で剛の携帯に電話した実央は、受話器をおくとテレホンカードをとらずに、高い音の
響く電話ボックスの壁によりかかって溜息を吐いた。
電気をつけずに剛の部屋でベッドに座ったまま、実央はぼんやりと母親の連絡先の書かれた紙を眺めていた。
実の両親に一目会いたいと確かに思ってはいた。その思いは養父母が亡くなった後いっそう強くなった。
母親との再会も、正直実央は嬉しかった。しかし、両手離しで母親の元へ行くことはできなかった。
「電気ぐらいつけろや。おらへんのかと思ったわ。」
部屋が明るくなって、鞄を肩から斜めにかけた剛がジャンパーのポケットに手を突っ込みながらゆっくりと
ソファに腰を下ろした。隠すように連絡先の書かれた紙をポケットにしまう。時計の針は9時を廻っていた。
実央が母親の元に行くのを躊躇っている最大の理由が、目の前であくびをしている。血の繋がりがない
にしても、決して口にすべきではないのだ。実央もそのことは十分わかっていた。剛への想いに気づいた
時点で、その思いを自分の胸にしまい込んだ。しかし剛と離れてしまうことに実央は不安を感じていたのだ。
クッションを抱え、一つ一つ言葉を選びながら、実央は剛に今日の出来事を全て話した。
「で、実央はなにを迷ってん?」
「・・何・・・って・・。」
「迷う必要なんかないやん。ずっと本当の親に会いたいと思ってて、やっとそれがかなうんやろ?お母さんと
一緒に暮らしたらええやん。」
「剛はアタシが仙台に行っても平気なの?」
鞄をおろしてソファに浅く座り直す剛に、実央は言った。
「平気も何も、実央にとって仙台にいくことが一番ええと思うで。前は大学に行きたくても諦めなあかん
かったやろ。仙台に行けば大学にも通わせてもらえるし、前から言ってた介護福祉士の資格もとったら
ええやん。大丈夫。実央なら出来るって。」
実央は突然ベッドから立ち上がって、持っていたクッションを剛に投げつけた。
「なっ・・なんやねん。いきなり・・。」
顔に当たったクッションをどけて実央を見た剛は、そういいかけて言葉を失った。実央が眉間にしわを寄せ
ながら涙をこぼしている。
「・・実っ・・・央・・・?」
「剛のバカっ!」
そう吐き捨てて実央は剛の部屋を飛び出して行った。嘘でもいいから引きとめてほしかった。『仙台に行く
な』剛がそういってくれるのを実央はほんの少しだけ期待していたのだ。伝えることの出来ない想いに
もどかしささえ感じていた。剛の部屋を出て、実央は走ってエレベーターに向かった。溢れてくる涙を手で
拭いながら走っていて、実央は誰かにぶつかった。
「・・・ったぁ・・。実央ちゃん・・?」
扉の閉まりかかったエレベーターに乗り込んだ実央は、涙目のまま聞き慣れた声に振り向いた。閉まるエレ
ベーターの扉の向こうで、准一が実央の泣き顔に驚いた表情でこっちを見ていた。四角く狭い箱の中で
ひとりになった実央はその場に座り込んだ。静まり返ったエレベーターの中に、実央のすすり泣くその
声だけが虚しく響いていた。
「つよしくん。おるんやろ?」
玄関のドアが荒々しく開いて足音と共に准一が剛の部屋に入ってきた。准一の顔を見ると溜息を一つ吐いて
ソファを立つと、ジャンパーを脱ぎハンガーに掛け始めた。
「なんやねん。そんなに慌てて。」
「実央ちゃん来てへんかったか?」
「いたけど。なんで?」
准一は持っていた鞄をベッドの上に投げると剛の前に歩いていった。
「実央ちゃん泣いとったで。」
剛はカーテンを閉めながらあきれた様子で髪を掻き上げてソファに座り込んだ。
「・・ったく訳わかんねぇ。相談持ちかけてきたから俺は仙台に言った方がええって言うた。そしたら
いきなり起こり出して。」
「仙台?どういうことやねん?」
准一はまっすぐな瞳で剛を見つめ、ソファの肘掛けに浅く座った。溜息を吐いてクッションを横に置くと、
剛は頭の後ろに両手を回した。
「・・・今日実央の母親だって言う人が事務所に来てん。実央を引き取りたいって。その人は今再婚して
仙台に住んでる。ずっと本当の両親に会いたいって思ってきて、やっと母親と一緒に暮らせるって言うのに、
実央の奴躊躇してんねん。別に迷う必要なんかないやろ。東京にいたって苦労するだけやし、大学やって
むりやし。でも仙台に行けばそれもかなう。なのに・・・。」
「ほんまにそう思ってるんか?」
うつむいて静かに言う准一を剛は不思議そうに見た。
「は?」
いきなり立ち上がって剛の胸ぐらをつかんだ准一は、眉間にしわを寄せて怒鳴りつけた。
「どこまで鈍感やねん。いいかげん実央ちゃんの気持ちに気づいたれや、アホっ。実央ちゃんは・・。」
そういいかけて准一は下唇をかみしめながら剛から視線を逸らした。胸ぐらを掴んだ手を離して、ベッドの
上の鞄をとると黙って剛の部屋を出ていった。
その日を境に、実央は事務所にも剛の所にも顔を出さずに家に帰ると部屋に閉じこもっていた。そんな日が
一週間ほど続いた頃だった。電話の呼び出し音が静かな実央の部屋に響いた。ベッドの上で准一からもらった
テディベアを抱えながら受話器を取ると、実央はベッドに座り直した。
「・・・・・・・はい。すぐ行きます。」
社長から直接呼び出された。正直実央は気が進まなかった。おそらく用件は実母のことだろうと思ったか
らだ。事務所に来いというのもまた実母がたずねてきたんだろう。実央は壁に掛かっていたコートに袖を
通すと重い足取りで事務所に向かった。
実央が事務所に着いた頃にはすっかり外は暗くなってきていた。街灯の下で大きく溜息を吐くと実央は事務
所の中に姿を消した。事務所内は暖房がきいていて、少し暑いくらいだった。実央は手袋をコートのポケット
の中に入れコートを脱ぐと両手で持った。社長室のドアをノックすると、元気よくドアを開けた。
「遅れてすいませんっ。・・あれ、准一くん。」
「実央ちゃん・・?」
社長室の革張りのソファに座っていた准一を見て、実央は思わず首を傾げた。窓の外の夜景を見ていた社長は
振り向くと、実央を准一の隣に座らせ、テーブルを挟んで向かい側に腰を下ろした。訳の分からないまま
顔を見合わせる二人を見ながら、社長はソファの背もたれによりかかった。そこでようやく実央は実母の
ことで呼び出されたのではないことに気が付いた。
「実はね、二人が一緒のところを撮った写真が来週発売の週刊誌にに掲載されることになったんだ。実央
ちゃんの顔と名前は伏せて貰ってる。まぁ週刊誌で叩かれるのは人気の証拠だからしかたないけど、ただ
これ以上騒ぎが大きくならないように二人とも気をつけて。こういう噂は仕事にも支障を来すから。」
社長室から出てきた二人は溜息を吐いて顔を見合わせた。一週間前に泣き顔を見られたことを思い出した
実央は、慌てて准一に背中を向けてコートを着込むと足早にエレベーターに向かった。
「待って。」
腕を掴まれて准一に背を向けたまま実央は足を止めた。
「・・なに・・?」
「話、あるんやけど、ええかな?」
うつむいたまま振り返る実央に准一はすぐそこの会議室を指した。会議室にはいると、准一は入り口脇の
スイッチを押した。次々と電気がつき会議室が明るくなる。20人ほどの人が入ることの出来る広さで、
部屋の四隅には植物もおいてある。大きな窓からは様々な色のネオンが見えていた。 准一は入り口近くの
イスに腰を下ろし、机の前で両手を組んだ。立ったまま准一の行動の一つ一つを見ていた実央は、准一の
「座って」という言葉に小さく頷き准一からは少し離れた所に座って膝の上の両手を乗せた。
「この間泣いてたの見て、悪いとは思ったけど剛君から理由をきいてん。お母さんと暮らすこと。剛君は
気づいてないみたいやったけど、実央ちゃんが悩んでる理由を俺はしってる。剛君と離れたくないから
やろ?」
顔を上げた実央は准一の顔を見た。実央にとって今相談できる唯一の人間は准一しかいなかった。実央は
ゆっくりとした口調で准一に自分はどうすべきかを尋ねた。
「最終的には実央ちゃん自身が決めなあかんことやし、俺がどうこう言うことやないとは思ってる。もし
実央ちゃんが仙台に行ったら剛君は実央ちゃんを妹として見なくなるかもしれへん。介護福祉士になるって
夢も諦めずにすむし、資格をとってから東京で働くっていう方法もあると思う。でも、俺は実央ちゃんに
東京にいてほしい。離れたくないねん。実央ちゃんが剛君しか見てへんかったとしても、ずっとここに
いてほしい。それが俺の正直な気持ちやねん。」
苦笑いをしながら言う准一。
「もう少し・・考えてみる。ありがと。」
「勝手に口出ししてごめんな。こんなこと言えた義理やないねんけど。」
実央は首を横に振って笑顔を見せ席を立つと、手を振って会議室を出ていった。実央のいなくなった会議室で
机に頬杖を付いて溜息を吐いた准一は壁に掛かっていた時計を見ると慌てて立ち上がった。
「アカンっ、ラジオの収録やん。」
1週間後、仙台に行こうかまだ決めかねていた実央は眠い目を擦りながら教室に足を踏み入れた。
「おはよう。」
隣の席ではたくさんの生徒が集まって騒ぎながら何かを見ている。実央はマフラーをとりながらその生徒の
群に入っていった。
「何、どうしたの?」
「あっ、実央おはよ。ちょっと見てよ。V6の岡田君『フライデー』に出てるの。しかも彼女と一緒!超
ショック。」
実央は友人の言葉に思わずその雑誌を手にとっていた。仙台のことで頭がいっぱいで週刊誌のことなど忘れて
いたのだ。
「実央〜っ。なによいきなり。」
『スクープ!V6岡田准一、彼女と学校帰りの自宅デート!』
それがこの雑誌の見出しだった。掲載されている写真はマンションの前で実央の腕の中にいる小町を撫でて
いる准一や、准一がコンビニの袋を持ち実央の背中を押してマンションに入っていく所など、全部で6枚
程度の写真が掲載してある。どの写真も実央の目の部分に黒く線引きの加工がされている。実央は写真の
下に目を向けた。
『夕方二人は仲良く自宅マンションの前にやってきた。しばらくマンションの前で話し込んでいた二人は
彼女の連れてきた猫を撫でながら寄り添い、マンションの中に消えていった。外がすっかり暗くなった頃、
彼女が岡田からのプレゼントらしき大きなテディベアを抱えてマンションから帰っていった。』
他にありもしないことが文章にされている。どうして一緒にいただけで恋人とされるのか、実央はそう思って
いた。おそらく記者は二人が恋人同士だとは思っていないだろう。大げさに書けば書くほど雑誌を手に取る
人間の数は増えていくのである。実央の機嫌の悪そうな表情に、友達のひとりが実央の肩を抱きながら
言った。
「実央、岡田君のファンだったんだ。そんなに怒っちゃって。腹が立つのは分かるよ。どこの誰だかわから
ないような女に岡田君とられちゃって。」
友人の言葉に実央は複雑な気持ちになった。友達が散々罵っている相手が自分なのである。友人は実央に
兄弟がいることは知っていても、それがkinkiの剛であることは知らない。ましてこの雑誌で准一の横にいる
のが実央だとは気づきもしないのである。実央は口をとがらせ雑誌を友達に手渡すと、いらだった様子で
席に着いた。
午後3時40分。実央は友人に誘われて新宿まで買い物に出ていた。実央を誘った友人とはたいして仲が
いいわけでもなかったが、それなりのつきあいをしていた。薄暗くなった街で寒さに身を縮めながら歩く
二人。
「あ、雑誌出てるじゃん。実央、悪いけどちょっといいかな?」
書店の前で足を止めた友人は店頭に並べられていたアイドル雑誌を手に取ると、鞄から財布を出しながら
店の中に入っていった。それを見送る実央は肩に掛けた鞄をかけ直しながら店頭の雑誌を手に取った。
「お客さん立ち読みは困ります。」
背後から店員らしい声がして実央は慌てて雑誌を元の場所に戻して顔を上げた。
「すいません・・。っ・・剛・・。」
振り返った実央の目の前でいたずらっぽく笑った剛が立っている。実央は驚きながらも周囲の人間に剛の
存在がばれていないことを確認した。たくさんの人々が行き交う大通りで人気アイドルがいるのである。
ばれれば大パニックを免れないのは実央にさえ目に見えている。ニット帽を深く被り黒のコートを着た剛は、
ポケットに手を突っ込みながら寒そうに背中を丸めている。
「どうしてこんなとこにいるの?マネージャーさんは?」
「いるよ、あそこに。バラエティの撮りやったんやけど、その前にやってる番組が押してんねん。暇だから
外で時間潰そうってマネージャーと外出てきたんやけど実央みつけて。」
剛は道路の向こう側で焦りながら剛のことを探しているマネージャーを見ながら言った。
「実央さ、このコートいる?この間井ノ原君に貰ったのがあってん、俺そっち着るから。もしいるん
やったら今度俺の部屋に来た時にでも勝手に持っていって。壁に掛けとくから。」
その時だった。
「実央、お待た・・せ・・・あ゛ぁっ!堂本つよ・・・。」
書店から出てきた友人は実央と一緒にいた男を見るなり、指を指しながら大声で剛の名前を叫ぼうとして
いた。そんな友達の口元を実央は慌てて手で塞ぐと、自分の口元に人差し指を持っていった。実央に口を
ふさがれながら頷く友人。溜息を吐くと実央は念を押すように見て友人の口元の手を離した。
「なっ、・・・どうしてkinkiのつよしくんが・・何?実央とどういう関係なの?」
実央と剛の顔を交互に見ながら友人は興奮して実央に迫った。周りの目を気にしながら書店の脇によると、
実央は観念したように小声で話し始めた。
「ずっと言わなかったけど、アタシ達兄妹なの。」
「えぇぇっ、ウッソ本当に?」
口元に手を当てて目を丸くする友人。実央はもう一度口元に人差し指を持っていった。
「リアクションえぇなぁ。」
苦笑いしながらニット帽を深くかぶりなおす剛。さすがの剛もこの実央の友人には戸惑いを隠せなかった
ようだ。
「ファンなんですぅ。握手してください。」
無理矢理剛の手を持って上下に振る友人に実央も気が気でない様子だ。
「TVでみるよりかっこいい。コンサートいつも見に行ってます。こんな近くで逢えるなんて思いも
しなかった。」
「どっ・・どうも。」
笑顔で剛を見る友人に剛も困り果てている。実央は剛に申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。彼女すごいファンなの。」
周囲の人々も剛の存在に気づき始めたようで、だんだんと騒がしくなってきている。そこにマネージャーが
携帯電話を片手に息を切らせながらやってきた。
「剛君困るよ。勝手に歩き回っちゃ。そろそろ戻らないと。」
「あ、ごめん。実央、またな。」
軽く手を挙げると剛はマネージャーと共に実央達に背を向け早足で歩き始めた。
翌日。登校した実央は教室に入るなりクラスメイトの質問責めにあうことになった。昨日あった出来事を
友人が口外してしまったのだ。
「前に記者会見開いたじゃん。その時はなしてた剛君の血の繋がらない妹って実央のことだったんでしょ?」
「ねえ他の人にも会ったことあるの?光一君とか?長瀬君とか?どんな話するの?やっぱりテレビでみるより
かっこいいの?」
「アタシも剛君に会わせてよ。家に行ったりとかするんでしょ?」
途絶えることなく質問が浴びせられる。実央は鞄を机におくとクラスメイト達の間を縫って教室を出た。
すでに実央が剛の妹であるという噂は大部分の生徒に広がっているらしく、他のクラスや他学年の生徒達が
すれ違うたびに実央を見て何か話し込む。実央は授業の終わるチャイムが鳴り休み時間になるたびに席を
立ち、授業が始まるまで教室に戻ろうとしなかった。
その日の夜。夕食を済ませて部屋にいた実央は、ベッドに座りながら准一に貰ったテディベアを抱えて読んで
いたファッション雑誌を床において、隣にあったアイドル雑誌を手に取った。ページをめくる実央の手が
止まる。KinkiKidsの4ページほどの特集が組まれている。飛行機で数時間というどこかの南の島で、浜辺に
寝ころんでいる二人がいる。透き通った青く美しい海で笑いながら水をかけあったり、挑発的なまなざしを
向けていたり、カメラに手をさしのべていたり。雑誌の中の剛は実央に眩しいくらいの笑顔を見せている。
再びページをめくった実央はV6のページでも手を止めた。いつも実央に見せる准一の笑顔を見ると、実央は
寒さで曇る窓ガラスに目をやった。そして軽く頷くと雑誌を閉じてベッドから立ち机の引き出しから一枚の
メモを取りだした。電話の受話器を取ってメモを見ながら番号を押した実央は、受話器をゆっくりと耳に
押し当てた。
「・・・・・あ、あの405号室の池内さんお願いします。・・・・・はい。・・・あ、実央・・です。こんな
遅くにごめんなさい。あの・・アタシ仙台に行きます。・・・返事遅くなってごめんなさい。それで、出来る
だけ早くこっちを離れたいんですけど。・・・はい。それじゃ明日の7時頃。・・・おやすみなさい。」
受話器を置くと実央はぼんやりと足下を見つめた。溜息を吐き、ベッドにうつぶせになる。実央は剛や准一
にとって自分は負担になっていると思っていた。写真週刊誌にしても、昨日の新宿でのことも。自分がいた
ことで結果的に二人に迷惑をかけたことに変わりはない。仙台に行くことで少しでも事態が変わるなら、そう
思い実央は仙台行きを決心したのだ。
翌日の天気は曇り空。実央はいつもと変わらず学校で授業を受け、いつもと同じ時間に帰宅するとクロー
ゼットから大きめの鞄を取り出し、荷物を詰め始めた。たいして荷物の多くない実央は鞄一つを持って部屋の
電気を消した。午後5時。すっかり身支度を済ませた実央は事務所に向かった。事務所のスタッフや社長に
簡単に挨拶をし、その足で剛の部屋に向かう。コートのポケットから鍵を出し、マンションに入っていく。
エレベーターの中で、重たい鞄を両手に持ちながら実央はゆっくりと瞳を閉じた。剛の部屋のある階につい
てエレベーターの扉が開く。実央は重い足取りで部屋の前に来ると、鍵を開けて暗く寒い部屋に入って行く。
実央が訪れなかった数週間、剛は部屋を片づけていなかったらしく、雑誌や洋服が至る所に散らばっている。
電気をつけコートを脱ぐと実央はその部屋を片づけ始めた。肌寒く静かな部屋を黙々と片づけていく実央は、
壁に掛かっていたコートを見るとその手を止めた。剛の言葉を思い出し、実央はハンガーからコートを
とった。ガムのゴミやコンビニのレシートなどが丸められてポケットの奥に押し込まれている。実央はそれを
出すとゴミ箱に捨てコートをソファの上に置いた。
片づけが一段落付いた実央はソファに腰を下ろし部屋を見回した。剛の部屋に通うようになって1年半。
養母の死をきっかけに上京して、初めて剛への想いを意識した。准一や事務所のスタッフとも親しくなった。
実央にとってこの1年半の出来事は、2,3年分にもおもえた。気が付くと時計の針は午後6時30分を
指している。実央はソファにおいてあったコートに袖を通し、着てきたコートを鞄にしまうと玄関に向かった。
靴を履いて振り返りもう一度部屋を見回すと、実央はゆっくりと玄関の扉を閉めた。
午後7時10分過ぎ。実央は実母の宿泊している都内のホテルのロビーに現れた。花柄の絨毯を歩いて
フロントの従業員に実母を呼び出してもらう。実母がロビーに来るまで実央はテラスで待っていた。東京の
空はビルの明かりやネオンに照らされ灰色に染まっていて、星をのぞき見ることは出来ない。ガラスに映る
自分の後方から笑顔でやってくる女性が見える。実央は席を立つとぎこちない笑顔で実母を迎えた。
「こんばんは。急にお電話してごめんなさい。」
「ううん。実央が一緒に暮らしたいって言ってくれたんだもの、謝ることないわ。新幹線の時間もあるし、
そろそろ出ましょうか。」
頷く実央の背中を実母が押してタクシーに乗り込む。通り過ぎていく景色をただ見つめる実央。そんな実央を
気遣ってか、実母がいろいろと話しかける。
「仙台はいいわよ。近くに海もあるし山もある。夜になるとたくさん星がみえるわ。空気も東京より澄んで
いるし。」
「・・・・・。」
「実央?」
「・・あ、ごめんなさい。」
実母の声に振り返った実央は慌てて振り返った。実母はうつむく実央に微笑んだ。
「辛いのは分かるのよ・・・。仙台駅で主人が待ってるはずだわ。子供達もいっしょかも。・・・まだ実央
には言ってなかったわよね。子供がいるの。あなたの妹と弟ね。8歳と5歳の女の子と男の子。実央とは
歳が離れてるけど。」
「妹と弟・・。なんだか不思議な感じ。今まで血の繋がりがある人なんていなかったのに、突然お母さんと
姉弟が出来るんだもん。」
実央は実母に視線を向けずに笑って見せた。まだ揺らぐ気持ちに気づかれまいと。車中のラジオからは流行の
音楽が流れていた。剛や准一の迷惑になりたくないと仙台行きを決意し、二人に何も告げずに東京を離れ
ようとしている。それなのにまだ心のどこかで迷う。実央は来ていたコートの裾を握りしめた。そして自分
に言い聞かせようとしていた。
カーラジオから聞き慣れたイントロが流れる。剛の歌声が実央の心を揺らす。それまで実央の中で渦巻いていた
何かが一瞬にしてはじけるような感覚に襲われる。信号で止まったタクシーの中でKinkiKidsの曲だけが
響く。
「お母さん、ごめんなさい・・・・。」
そういって横に置いてあった鞄をとると実央はタクシーから飛び出した。
「実央っ。」
実母がしめられたタクシーのドアの窓を開け身を乗り出す。鞄を両手で抱え降りたタクシーの前を横切って
来た道を走って引き返した。道路に出た実央は目の前の眩い光に思わず立ちすくんだ。ものすごいブレーキ
音に目を瞑る。実央の目の前は真っ暗になった。
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