その日仕事を全て終えた准一は、黒のバンの後部座席で菓子パンを囓りながら外の景色を眺めていた。
「うわ、渋滞だ。渋滞するような道じゃないのになぁ。事故かなぁ。」
運転席のマネージャーが独り言のようにつぶやく。准一はマネージャーの言葉にパンをくわえたまま大きく
伸びをすると、鞄を肩から斜めにかけた。
「だったらこっからひとりで帰るわ。そんな遠くないし。渋滞じゃいつ着くかわからへんしな。あんま遅い
と小町に怒られるし。」
「・・・じゃぁ気をつけて。明日は1時に迎えに行くから。」
バンから降りた准一はマネージャーに軽く手を挙げて歩道を歩き出した。すれ違う人もうつむきながら歩く
准一に気づかない。パンを腹に収めた准一は両手をポケットに入れて寒さで身を縮めながら歩いていた。
しばらく行った曲がり角で救急車とパトカーと数人の野次馬が見える。
「やっぱ事故やったんかぁ。」
通り過ぎようとした准一の目に、担架に乗せられ運ばれていく少女が見えた。
「実央ちゃんっ!」
准一は思わず野次馬をかき分けて担架に乗せられた実央の元に走っていった。道路の真ん中に実央のもの
らしい大量の血液が見える。そばには見たことのない中年女性が実央の名を叫びながら涙を流し
ていた。実央の後に、救急隊員に肩を抱かれながら救急車に乗り込む女性。准一は救急車のドアを閉めよう
とした隊員の服を掴んだ。
「あのっ、この人の知り合いなんですっ・・。」
そういって救急車に乗り込んだ准一は意識のない実央を前に、自分の顔の前で両手を組んで静かに目を
閉じた。
病院に到着し実央が集中治療室に運ばれてから数十分がたとうとしていた。准一は病院内の公衆電話で社長
に連絡を取り、中年女性の隣に座った。
「もう・・平気ですか・・?」
「・・はい。」
「俺、岡田准一て言います。あの・・失礼ですけど実央ちゃんとはどういったご関係で・・・。」
「・・・母親・・です。」
涙で腫れる目の女性の言葉に准一は驚きを隠せなかった。実央から話は聞いていたものの、まさかこんな
かたちで会うことになろうとは想像もしていなかった。薄暗い院内に非常口を示す掲示灯が青白く光る。
准一は事故の原因を実央の母親に尋ねた。
「俺はもちろん・・剛君も・・・実央ちゃんのお兄さんもそのことは実央ちゃんから聞いてないと
思います。」
治療室のドアが開いて中からストレッチャーにのせられた実央が運ばれてきた。頭や腕に包帯が見える。
「実央・・っ。」
実母が病室に運ばれる実央のそばに駆け寄る。後から出てきた医者が実母にけがの具合を説明した。
実央の病室に向かった実母と准一を背後から誰かが呼び止めた。
「社長。」
事務所スタッフを数人連れて准一の元へと歩み寄る。実母は会釈して先に病室に入っていく。
「実央ちゃんの具合は?」
「命に別状はないそうです。意識はまだ戻ってなくて・・。剛君仕事はまだ終わってないんですか?」
「今日から1泊2日で山形ロケに行ってる。変に心配させて仕事に影響すると悪いから、彼にはまだ連絡
とってないんだ。」
社長はうつむく准一の肩を一度叩いて実央の眠る病室のドアを開けた。ベッドの横のパイプイスに腰掛けて
いた実央の母親が立ち上がってまた会釈した。社長は一度実央の母親と話をするため病室の外に出た。
准一は社長と一緒に来たスタッフの1人に話しかけた。
「今日ここで実央ちゃんに付いてたいんやけど・・・。」
「明日の仕事に響くから・・・今日は遠慮しよう。」
「仕事は1時からやねん。剛君のかわりにいたいんや。な?」
両手をあわせて頼み込む准一にスタッフは首をひねった。
「社長からOKでたらね。」
タイミング良く社長と実央の母親が戻ってきた。スタッフは社長の元に歩み寄る。しばらくして社長が准一
を呼び寄せた。
「大分疲れてるようだから池内さんは私たちが送っていく。岡田は実央ちゃんに付き添ってあげなさい。
ただし明日、寝不足や疲れを理由に仕事をおろそかにしないこと。」
「はい。」
社長は准一の背中を軽く叩くと実央の母親を連れてスタッフと共に病室を出ていった。4畳ほどの個室には
暖房の音と外を車が通り過ぎる音が聞こえる。准一はベッドに横になっている実央の頭上にある窓の
ブラインドをしめると、コートを脱いで室内にあるロッカーを開けハンガーに掛けた。ベッドの脇のイスに
腰を下ろすと准一は溜息をつき、眠ったままの実央を見つめた。実央の左腕には点滴の針がつけられ、一定
の間隔で滴が落ちていく。准一は膝の上に乗っていた自分の手を恐る恐る擦り傷の目立つ実央の頬に持って
いった。青白い実央の頬は確かに温かかった。
耳元で鳴る何かの音で実央は思い瞼を開けた。体中が痛む。見覚えのない天井。相変わらず実央の眠りを
妨げた何かは実央の横で鳴り続け、その音は次第に大きくなってゆく。眠い目を擦ってそれが何かを確認
しようとした実央は、自分の腕につけられた細い管と包帯に驚いた。そして、ぼんやりとした記憶を辿って
自分がここにいる理由を考えた。
「・・実央ちゃん・・。」
ずっと鳴り続けていた何かが止まり実央の横で声がした。ゆっくりと声のした方に視線を向けた実央は、
ようやく自分のいる場所がどこなのかを理解した。
「准一・・く・・ん・・。?」
「よかった・・。やっと目ぇ覚めたんや。ずっと意識が戻らんでどうしようかと思った。具合どう?」
二重の大きな瞳を充血させながら静かに微笑む准一。どうやら実央を起こした音は准一の腕時計のアラーム
だったらしかった。
「まだ・・体中痛いけど・・・平気。でも・・どうして准一君がここに?」
「ちょうど事故現場に通りかかってん。担架で実央ちゃんが運ばれてて、ほんまに驚いたわ。お母さんは
社長がホテルに送ってった。だいぶ取り乱してたみたいやし。」
「そう・・。」
実央は体を起こしながらそう答えたが、ベッドについた右腕をおさえて顔をゆがめた。
「ムリに起きたらアカンて。横になっとった方がええよ。」
准一は慌てて実央の体を支えた。実央は頷いてゆっくりと横になると大きく溜息を吐いた。
「あたし・・事故のことあんまり覚えてないの・・。急に眩しい光が来て、一瞬にして目の前が真っ暗に
なって。」
「右足の骨折と足首の捻挫、それに右腕の打撲。今は一日も早くそれを治すことだけ考えてたらええねん。
な?」
布団を深くかぶって頷く実央に、准一は寝起きの顔でまた笑顔を見せた。
「そうだ、飲み物でも買ってくるわ。実央ちゃんはなんかいる?」
ポケットに手を突っ込んで小銭を探しながら准一は病室のドアをあけた。実央が首を横に振るのを確認して
病室の外に出た准一は、後ろ手でドアを閉めかけて振り返った。
「つよしくんなぁ、ドラマのロケで山形やねん。帰ってきたらきっと見舞いに来ると思うから。」
午後3時。実央が目を覚ますと既に准一の姿はなかった。いつの間にか眠っていた実央を起こさないように、
准一は実央に何も言わずに仕事に出かけたのだ。実央は天井を見上げて母親のことを考えていた。仙台に
行くと決心したはずなのに、あんなことになってしまった。散々迷惑をかけて、母親の前で交通事故に
あってしまった。自分のわがままに多くの人が振り回されている。考えれば考えるほど実央は自分を追い込
んでいた。布団を頭まで被り目を瞑った実央の耳に、病室をノックする音が聞こえた。
「こんちは〜。」
TVで見慣れた3人の姿が実央の目に映った。
「えっあのっ」
慌てる実央を無視して3人は素早く病室に入ってきた。
「近くでイノッチとバラエティのロケがあってん。予定より早く終わったからじゃぁ行こかってことに
なって。」
「井ノ原快彦です。アイドルやってます。」
帽子を取って髪の毛を直している准一の横で、井ノ原が花を持って軽く挨拶した。
「マネージャーから聞いて剛の代わりにきたんだけど。」
そういいながら光一は後ろで持っていた果物をベッドの横の棚に置いてイスに座った。
「剛は春の単発ドラマのロケが山形であって。もうこっちに帰ってきてるみたいなんだけど、そのまま別の
仕事に直行で。俺は今日マネージャーから実央ちゃんのこと聞いたんだけど、剛は知らないみたい。社長の
配慮なんだ。分かってやって。」
淡々と状況を説明していく光一に、実央は勿論准一も井ノ原も話しに聞き入っていた。
「なんかすげぇ話術だなぁ。実央ちゃんは俺初対面だよね。剛とは結構よくあうんだけど。」
「忙しいのにわざわざありがとうございます。」
「いいの、いいの。剛の妹に一度会ってみたかったし。」
井ノ原は目を細めて笑うと、隣にいた准一の首根っこを掴み髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。
「なにすんねんっ、せっかく直したのに。」
「いいだろ別に。お前いつも仕事ん時爆発しまくった頭で来てんじゃねぇかよ。実央ちゃんの前だからって
めかし込むことねぇだろ。」
「そんなんちゃうわ。」
病室でじゃれあい始めた二人を楽しそうに見つめる実央に、光一は実央にだけ聞こえるように言った。
「だいたいの話は剛から聞いてるけど、あいつバカがつくぐらい鈍感だから、直接口に出さないと一生
気づかないよ。」
「え?・・・」
表情一つ変えずにそういった光一の顔を、目を丸くして見つめる実央。
「俺のカン、結構当たるんだわ。だからってとやかくいうつもりはないけど。」
光一は首をすくめて笑顔を見せると時計を見て席を立った。
「そうそろそろ取材あるからいくわ。じゃぁ。」
光一は軽く手を挙げて病室から出ていった。そんな光一を不思議そうな顔をして見送る准一と井ノ原。
「なんだかな〜。かれこれ10年近くつきあってるけど、未だにあいつの考えてること理解できねぇ。」
「かぁ〜っ、イノッチおっさんやねぇ。」
バカにしたような笑みを浮かべる准一を横目で睨みながら、井ノ原は腕時計を見ると准一に帽子をかぶせて
ドアの方に歩いていった。
「いっけねぇ仕事だよ。岡田そろそろ行くよ。マネージャーが下で待ってるんだから。実央ちゃん、今度は
剛とうちらほかのメンバーも連れてくるから。それはムリか。ムリでも退院したら岡田の部屋でパーティー
開いてあげるね。」
「なんで俺の部屋やねん。」
「はいはい。お猿さんはだまっとけ。騒がしくてごめんね。じゃぁ。」
反論しようとする准一を無理矢理抑えて井ノ原は手を振りながら病室を出ていった。
翌日の面会時間が始まってすぐに、実央の病室のドアが開いた。
「実央・・・?」
「つよし・・。」
ドアを少しだけ開けて顔を出した剛に実央は驚きを隠せなかった。どうして実央が入院していることを
知っているのか。社長の配慮で剛にはまだ知らせていないと光一は言っていたのに、実央はそう思った。
「昨日岡田から聞いた。驚いた。退院するまでどんくらいかかるって?」
赤のフード付きトレーナーにジーンズをはき、白いニット帽を深くかぶった剛はマネージャーを連れて病室
に入ると、背負っていたリュックをおろしベッドの横のイスに座った。
「うん、全治1ヶ月。」
「あ、あとで社長来るって言うてたわ。でもなんで事故なんかに・・。」
実央はベッドから起きあがるとマネージャーに会釈した。
「・・ただの・・飛び出し。ほら、アタシちょっと抜けてる所あるし。」
「ったく生きてるからいいようなもんやで。それとさ、・・ずっと仕事あって、これからあんまり見舞いに
これなくなるんや。」
作った笑顔で何度か頷く実央。どうやら剛は事故の詳しい状況を知らされていないようだ。それは実央に
とっては救いでもあった。
「いいよ。昨日も准一君と井ノ原君と光一君が来てくれて。でもみんなに気を使わないように言っといて。
忙しい合間を縫ってまできてくれることないのに。」
「そっか。わかった。・・・そうそう、今度ドラマの撮影が始まったんやけど、台本見る?」
剛は嬉しそうにリュックのファスナーを開けると、実央にボロボロになった台本を手渡した。ページを
めくると剛の台詞一つ一つにマーカーで印が付けられて細かく書き込みがしてある。
「撮影はまだ始まったばっかりやけど、現場が楽しくてなぁ。台詞覚えるのも夜中までの撮りも大変やけど、
なんかやりがいあんねん。」
目の下にうっすらとクマのある笑顔を見せる剛を、実央は嬉しそうに見つめながら台本を返した。
「剛君、そろそろ・・。」
腕時計を見ながら遠慮がちに剛を促すマネージャー。剛は頷くとリュックをしょって台本を手に持ち立ち
上がった。
「また来るよ。」
マネージャーの後に続いて病室を出る剛。実央はそんな剛に精一杯の笑顔を向けた。
「あたし、一生懸命仕事頑張ってる剛のこと、大好きだよ。」
「気持ち悪ぃな。実央がそんなん言うなんて。まぁ頑張って来るわ。」
ドアに手をかけて振り向くと、剛は軽く手を振ってドアを閉めかけたが、その手を止めて廊下を気にしながら
顔を出した。
「社長が知らない女連れてきたで。」
小声でいたずらっぽくそう言うと剛はそのままドアを閉めた。おそらく剛の言う知らない女とは、実央の
母親だろう。実央は何かを決心したように力強く頷いた。すぐに病室のドアが開き、大きな鞄を持った
母親が社長と一緒に入ってきた。
「実央。」
母親は眉間にしわを寄せながらベッドの横に来ると、実央の頬の擦り傷にそっと触れた。
「具合は・・いいの?」
「平気・・。」
「もっと早く来たかったんだけど・・。無事でよかった。」
たったの2日で母親は大分やつれていた。実央を心配してのことだろう。実央はそんな母親の方に向き直る
と言った。
「お母さん・・・。アタシやっぱり仙台には行けない。東京にいたいの。ごめんなさい。」
「そういうと思った。」
母親の意外な反応に実央は驚いた。
「実央はこの間から謝ってばかりね。本当は一緒に仙台に行くって電話を貰ったときから何となく気づいては
いたの。・・・仙台にはもう連絡をいれたわ。でももちろん親として責任は果たすつもりよ。大学に行くための
お金は私たちがきちんと用意させてもらいます。何十年もひとりぼっちにして、実央には本当に申し訳ない
とおもってる。」
「お母さん・・。」
「けがが治って元気になったら、仙台に遊びに来て。」
泣き出しそうになるのを何度もこらえながら、実央は頷いた。母親は実央を一度実央を抱き寄せると、その後
社長に深々と頭を下げた。
「駅まで送らせますよ。」
母親の鞄を持つと社長は母親と共に病室を出ていった。実央は黙ったままその後ろ姿をベッドの上で見送り、
窓の外に視線を向けた。少しして出てきた黒い車の中の母親の姿を、実央はしばらく見つめていた。
それから1時間がたった午前10時。病室のドアが勢いよく開いて、准一が元気な笑顔を見せた。
「たこ焼き買ってきたで。一緒に食おっ。」
ワインレッドのVネックのセーターに黒いズボンをはいた准一は、病室にはいると持っていた袋をおいて、
中からたこ焼きを出してイスに座った。
「今日は珍しく丸一日オフなんや。面会時間終わるまでずっとおるでぇ。・・って、ぇ?実央ちゃん?」
准一の目の前で声を殺して涙を流す実央に驚いて手を止めた。
「実央ちゃん?どっか・・痛むん?」
戸惑う准一に実央は両手で涙を拭い背を向けた。
「ごめん。泣くつもりなかったのに、准一君の顔見たら我慢できなくなっちゃった。・・・あたし、東京に
残るってお母さんに言ったよ。」
「え?」
「仙台行きは自分なりに考えて決心したつもりだった。いろんなことが頭の中巡って、剛や准一君にこれ
以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの。だから二人に仙台へ行くこと言わなかった。でも違ってた。
本当は剛を好きって気持ちをどうしたらいいかわかんなくて、どうしたら自分は傷つかないですむか、
そんなことばっかり悩んでた。その答えが仙台へ行くこと。剛への気持ちや嫌なことは忘れて仙台に逃げ
ようとしてた。お母さんはそんなあたしの気持ち気づいてたんだと思う。・・・私が事故にあったのは
東京駅へ向かうタクシーから飛び降りたから。車内のラジオでKinkiの曲聞いて、仙台に行きたくないって、
東京にいたいって思ったの。・・・・その時アタシは剛の妹として生きていく方を選んだ。アタシは剛に
想いを伝えて返事を聞く勇気なんてない。でもそれでもいいと思った。妹としてでもそばにいられれば
いいって思ったの。」
しゃくり上げ涙を拭きながら実央はそういいきった。
「見てられへんわ・・。」
准一はそうつぶやくと実央を抱き寄せた。実央はあまりに大きな音を立てる自分の心臓と、自分を抱きしめる
准一に驚いていた。
「・・准一くん・・・・?」
「つよしくんのことで悩んでる実央ちゃんのこと、切なくて見てられへんねん。実央ちゃんが俺のこと見て
くれるまで待つつもりやったけど、やっぱムリや。実央ちゃんの泣き顔はもう、見たくない・・。離したく
ないんや。俺が実央ちゃんを守ったる。・・・俺じゃぁアカンの?」
耳元でそういう准一に実央は正直戸惑った。確かに准一のことは嫌いではない。けれでこんな気持ちのまま
准一の元へいってもいいのか。准一は実央の肩を優しく抱いて自分の体から離すと、実央を見つめた。
しばらくうつむいていた実央はゆっくりと准一に視線を向けた。
「あたしなんかでいいの・・・?わがままで、ヤキモチ妬いて。そばにいてくれなきゃすぐ不安になる。
きっといっぱい迷惑かける。それに・・・それにあたし、まだ剛のこと吹っ切る自信ないよ・・・。」
再び目を伏せる実央を准一は大きく澄んだ目で見つめた。
「それでも構わへんよ。実央ちゃんが剛君のこと忘れられなくても、一緒におるだけでええねん。簡単に
気持ちを割り切れる人なんていないんやから。」
准一は目を細め涙ぐむ実央の顔に手をやったが、異様に熱い実央の体温と火照った顔に、その手を額に
当てた。実央は息づかいも荒く准一に体を預けてぐったりとしている。
「・・・あかんやん。・・すごい熱。」
准一は辛そうにする実央をベッドに寝かせると、すぐに枕元のナースコールを押した。
もうろうとした意識の中で実央はゆっくりと目を開けた。たくさんの薬品が乗ったワゴン越しに准一と
医者の会話が聞こえた。
「極度の疲労からくる発熱でしょう。解熱剤を打ちましたからじきに熱も下がるでしょう。」
そういって白衣のポケットに手を入れながら、医者は看護婦を連れて病室を出ていった。目を開いていた
実央に気づいた准一は言った。
「いろんなことがありすぎて疲れたんやろ。ゆっくり休まな。」
イスに座り布団をかけ直す准一に、実央は険しい表情で首を横に振った。
「・・ん?」
「・・帰って。・・・うつる・・。」
そういうと実央は目を閉じた。准一は下唇を噛んで実央を見ると、熱で顔を赤らめながら辛そうに顔を
ゆがめる実央の手を握りしめた。
「移ってもええよ。離れたくない・・。」
何かを言おうとして口を動かす実央。しかし実央のには声を出す気力すら残っていなかった。准一の手の
感触を感じながら、実央はそのままゆっくりと眠りに落ちていった。
数時間後、眠りから覚めた実央はゆっくりと目を開いた。だいぶ調子はよくなったものの、体がだるい。
そとはすっかり暗くなっている。目を擦って時計を見ようと横を向いた実央は思わず体を反らせた。自分の
顔のすぐ前に准一の寝顔があったのである。実央の手をしっかりと握ったまま寝息をたてる准一に、毎日
芝居や歌に取り組む大人びた表情はなかった。実央は今まで准一の気持ちを知っていながら応えられずに
いた。でも、准一なら剛のこともほかの全ても忘れさせてくれる。誰よりも一番に実央のことを想って
くれる准一を、実央は好きになれると思った。
「・・あ・・。」
実央が准一の栗色の柔らかい髪の毛の触れると、准一は眠そうに重い瞼を開けた。実央の顔を見てすぐに
目を大きく開けると、慌てて実央の額に手を伸ばす准一。
「よかった・・。下がってる。・・・顔色もええし。」
安心したように溜息を吐く准一に実央は無言で笑顔を向けた。そんな実央に気づき照れくさそうにする准一
の背後でドアが開き、実央の担当でもある婦長が入ってきた。
「面会時間とっくに過ぎてますけど。」
「すんませんっ。・・じゃぁ実央ちゃん、また来るから。」
准一は腕時計を見ながらコートをとると、腰に手を当てて准一を睨む婦長に平謝りしながら病室を出て
行った。
数週間後実央は無事退院した。退院はしたものの骨折した右足のギブスはとれず、完治したのはそれから
1ヶ月後のことだった。転校手続きは受理される前に学校へ事故の連絡が行ったため、学校側の配慮で
実央は現在も今まで通っていた女子校に通っている。実央が学校に出てくるのに間があったためか、学校に
戻ってから剛についても事務所についても、あまり聞かなくなった。暦は3月の中旬。期末テストも終わり、
実央はいつもと同じように事務所にいた。仙台の母親とも電話や手紙で連絡を取り合い、実央の手帳には
二人の妹と弟の写真が入っている。春休みには仙台に遊びに行く予定だ。
「実央ちゃんそっちの電話とって。」
デスクで電話の対応に追われていた女性の事務所スタッフが、眼鏡をかけ直しながら実央に言った。実央は
頷くとうるさく鳴り響く電話をとった。
午後9時。帰宅した実央は部屋に戻るとすぐに着替え始めた。約束の時間は午後10時。のんびりしている
暇はない。身支度を済ませてコートを着ると、実央はベッドの脇に置かれたテディベアの頭を撫でて部屋を
出た。
『岡田』と書かれた部屋のチャイムを押しドアの前で待つ。賑やかな声と共にドアが開く。
「お〜主役登場!」
中から実央の顔を覗き笑顔で迎え入れてくれる人影が4つ。准一に背中を押されて実央は部屋に入っていく。
「こんばんは。」
部屋の中央におかれたテーブルを囲むようにテレビで見慣れた顔が揃っている。ベッドに寝転がってお菓子を
頬張る剛と丸くなって寝ている小町に、コップを持ってテーブルに並べて座る井ノ原。
「初めましてー。三宅健です。」
井ノ原の横に座って手を上げる三宅。
「坂本です。」
テーブルに手をつきながら坂本が笑顔で言った。准一は井ノ原の横に実央を座らせると、自分も実央のすぐ
横に腰を下ろした。
「それじゃ、みんな揃ったんでそろそろ始めますかっ。」
井ノ原が立ち上がってみんなを見回した。
「ちょっと時間が空いたけど、全快祝いとして実央ちゃん、退院おめでとう。」
「これ、全部井ノ原君と坂本君が作ったんだよ。」
ビールの入ったグラスを手に持ちながら三宅が言った。その言葉に胸を張ってみせる二人。
「この前雑誌の取材で作ったのと同じなんだけどね。ゴウと長野と光一も来れたらよかったんだけど、
みんな仕事でさ。」
「ケーキもあるんやで。」
キッチンから白い箱を持ってきた准一は実央の前でふたを開けた。かわいらしい赤いイチゴのケーキが
入っている。
「さっき剛と一緒に買ってきたんや。」
「ありがとう。みんなも忙しいのにこんなにしてくれて。」
「約束したでしょ、退院したら岡田の部屋でパーティーしよって。」
箸で料理を摘みながら井ノ原が言った。剛は料理に夢中で黙々と食べ続ける。
「せやけどほんまに俺の部屋でやんねんもん。」
「いいじゃんよぉ。」
愚痴る准一の頬を軽く叩きながら三宅が言う。仲良さそうに話をしている5人を実央は収支笑顔で見ていた。
賑やかさはとどまることを知らず、1時間後も准一の部屋から笑い声が途絶えることはなかった。
「岡田〜っもうビールないぞ〜っ。」
「じゃんじゃんもってこいよー。」
井ノ原と坂本の二人がビールの缶を逆さまにしながらキッチンの方を指さして言う。剛は三宅と共にプレステ
を始めていた。
「なんで俺が雑用せなあかんねん。」
ビールの空き缶を抱えながら席を立つ准一に、井ノ原は箸で准一を指しながら言った。
「ここは誰の部屋だよ、岡田。お前の部屋だろ?お客様をもてなすのが部屋の主人の役目だっちゅ〜の。」
ゲラゲラと笑う井ノ原にあきれて首を傾げる准一。
「あかん、完全に酔っとる・・・。」
「准一君アタシやるよ。」
「いいの、いいの。岡田にやらせとけば。」
立ち上がろうとした実央に三宅が振り向いて言った。
「うわっ、負けた。」
テレビの前にあぐらをかいていた剛が急にコントローラーを投げ出した。その光景を見ていた実央は足下に
擦り寄ってきた小町に尋ねた。
「ごはん?」
実央は持っていたコップをテーブルにおくとキッチンに向かった。その実央の後を小町が追いかける。
「座ってればええのに。」
「うん。小町がね、ごはん食べたいみたいだから。」
両手に缶ビールを抱え、足で冷蔵庫を閉めた准一は、小町を見ると流し台の脇にそれを置き、冷蔵庫の上の
缶詰に手を伸ばした。
「そこの皿とってくれる?」
実央から皿を受け取り餌を盛ると小町の前に差し出した。しゃがみ込んで小町を見つめる実央。
「岡田〜。遅いぞー。」
部屋の奥から聞こえる井ノ原の声に肩を落とすと准一はビールを抱えた。そんな准一の姿を見て苦笑いした
実央は、壁に掛けられた時計を見ると小町の頭を撫でて立ち上がった。
「あたし、そろそろ帰るね。」
コートと鞄を持つ実央。坂本は既に酔いつぶれ、井ノ原の膝枕で眠りの体勢に入っていた。井ノ原はビールを
一口飲むと残念そうに言った。
「実央ちゃん帰っちゃうの?あ、でももう11時過ぎかぁ。明日学校だし大変だねぇ。」
「今日は本当にありがとうございました。すごく楽しかったです。」
眠っている坂本を除く4人が玄関で実央を見送る。軽く手を振って部屋を出た実央は思わず身を縮めた。
3月とはいえまだ寒い。鼻の頭を赤くしながら実央はエレベーターの方に歩き出した。
「実央ちゃんっ。」
振り向くと准一がコートを着ながらこっちに向かって走ってくる。忘れ物があったのかと実央は自分を
見回した。
「あたし、何か忘れた?」
不思議そうに尋ねる実央に、靴を履きながら准一は首を横に振った。
「遅いし、送ってく。」
「でも・・、いっしょにいるところまた写真に撮られちゃうよ。」
「撮りたい奴は撮ったらええねん。」
准一の言葉に実央は少し間を空けて頷いた。肩を並べながらエレベーターを待つ二人。思い出したかのように
顔を上げると、実央はポケットの中から何かを出して准一の前で手を広げた。
「忘れてた。この間小町に買ったんだけど。」
そう言って実央は鈴の付いたピンク色の首輪を准一に渡した。
「ありがと。後で付け替えとく。」
実央から笑顔で首輪を受け取ると准一はそれをポケットにしまった。ちょうどエレベーターが来て乗り込む
二人。
「イノッチにあんなにこき使われるとは思わなかったわ。坂本君もあんなに酔って。」
「いつもあんなふうなの?」
「まさか、俺も初めて見たわ。きっと明日は二日酔い大変やで。」
ボタンを押して溜息を吐くと、准一はエレベーターの壁に寄りかかった。
「楽しかった?」
「うん、すごく楽しかったよ。」
嬉しそうに笑いながら実央は足下に視線を落とした。連日のハードスケジュールの疲れも見せず、自分の
ために集まってくれた5人。初めて会う実央のために来てくれた坂本と三宅。
「今度何かお礼をしなくちゃね。・・准一君はなにがいい?」
一階のロビーについてエレベーターの扉が開いた。
「言うてもええ?俺の欲しいモン。」
エレベーターから降りようとした実央の前に立つと、准一はまっすぐな瞳を実央に向けた。
「・・・キス、・・してもええかな・・。」
驚いて准一を見上げる実央の頬に、准一は割れ物にでも触るかのようにそっと触れた。実央は顔を赤らめ
ながら顎を上げて瞳を閉じた。実央の唇に准一の唇が触れて、実央の心臓の音はいっそう高鳴った。段々と
顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。ゆっくりと目を開けた実央は、赤面するのを准一に気づかれない
ようにうつむくと、いつの間にかしまっていたエレベーターの扉を開けた。
「ひとりで帰れるから。」
准一にそれだけ言うと実央は走ってマンションを後にした。
帰り道、実央は火照った頬を両手で押さえながら足早に歩いていった。冷たい風がなぜか心地いい。月は
ちょうど頭の真上にあって、東京の街を見下ろしている。両手を空に掲げ今にもつかめそうな月を見上げる
と、実央は大きく空気を吸い込んだ。
玄関のドアを開けて靴を脱ぎ振り返った准一は思わず後ずさりをした。井ノ原と三宅が異様な笑みを浮かべ
て准一を見ている。
「なっ、なんやねん。」
二人して同じようにテーブルに頬杖をついて准一を見つめるのを無視して、そぱにあったコップを手に取り
飲み干す准一。
「実央ちゃん襲ったろ?」
三宅の言葉に純一は思わず吹き出した。
「うわっ。きったねぇな〜岡田〜。」
「健君がへんなこと言うからやろっ。」
「だって本当だもん。なぁ健?」
そういって三宅の肩を抱き同意を求める井ノ原。こぼしたジュースをタオルで拭きながら准一は剛に目を
向けた。剛はプレステに夢中でこちらを見向きもしない。
「お前実央ちゃんを送ってくって言って出てったのに、実央ちゃん1人で走って出てったじゃんよ。岡田が
襲ったこと以外考えられねぇよ。」
「白状しちゃえよ、岡田。」
「そんなんちゃうわっ、アホ。」
異様にはしゃぐ二人をあきれた顔で見ながら溜息を吐くと、准一は自分の唇に触れた。実央とのことを思い
だし、耳まで赤くなった准一に、井ノ原と三宅が気づき准一をからかったのは言うまでもない。
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