SPEEDER'S HIGH -2-


ライブは成功だった。
少なくとも超個人的内部事情云々で准一が不調であることをメンバーに悟られない程度には。
ボーカルの不調を取り繕えるようになった自分の技術力の向上と
それすらに気付けずにいるメンバー達との前途には少し絶望したけれど
そんなものは打ち上げに行けば拭える程度のものだ。
コツコツやたって所詮はこの程度だ。やっぱ俺らって下らねぇ、と思う。
それでもライブ自体に、ステージそのものには充分興奮できたのだけれど。


都心から少し離れるといくつもの使われなくなったビルが目に付く。
バブル絶頂期に大手企業が競うように買い占めた福利厚生施設。今じゃそんなのは誰も使わない。
大きな文字が窓ガラスに貼り付けられたテナント募集の階のあいだにまだいくつかの店舗や事務所が残っている。

それらの間のひとつに建つ雑居ビル。
地下に続く外からの階段の前に壊れかけたライトに照らされたボード。
店の名は『Mt.EAST』と言った。由来は簡単だ。オーナーが東山だから。
店名のしたには「Sorry,today's all researved.」と書かれた紙きれが貼り付けてある。

准一がバンドのメンバーやスタッフと共にそこに到着したのは、
打ち上げを主催してくれた仲間達や招待客らを適度に酔わすにはちょうどいい頃合いだった。
狭い階段をおりて重い少し赤茶けた鉄のドアの向こうからは
既に大音量の重いビートと安っぽいユーロが漏れていた。

店は普段若者が集うようなクラブなんかではなく、地下倉庫を改装した落ち着いたバーだ。
本当なら入るとすぐに大きなカウンターといくつかのテーブルセットが置かれているのだが、
今日は移動不可能なボックス席とカウンター意外は取り払われていて
空いたスペースにグラスを持ったままの浮かれた若者達がごった返している。

店の入り口につまらなそうに突っ立っている従業員が彼らに気付くと、
重そうな鉄扉をひいて、奥のボックスに準備してあります、と告げた。
ろくに会釈もしないで通り過ぎた准一の代わりにスタッフの誰かがこれ以上ないくらいの笑顔を見せる。
先に入ったメンバーの後について彼も店の奥へと入っていく。
メンバーやスタッフ達は2,3歩もしないうちに見知った顔を見つけては足を止める。
彼もまた例外ではなく、負担分のチケット捌きを手伝ってくれた面々や
変わらずライブに顔を出してくれる先輩や後輩や地元の仲間達なんかを見つけては話し込む。

ここまでの道のりが容易くなかったから、築き上げたものがあるから彼はこうしてここに仲間達といるわけだけれど、
どこかでそういうしがらみにとらわれたままで自分はいつか身動きがとれなくなるんじゃないかと思う。
それが長野の言う減速ギアなのだろうか。

奥のひときわ大きなボックス席にメンバーや彼がたどり着いたときには
今回のライブに関係していたスタッフのほとんどは揃っていた。
とりあえず身内だけで、このライブの成功と銘打った杯を交わしておかなければならないのだ。
バンドのメンバーが一人ずつ挨拶をして彼も無難にそれをこなして、
スタッフのお偉いさんの浮かれた声を合図にグラスが音を立てる。
少しだけその場でライブの話をした後で、それぞれが思い思いの仲間の場所へと散っていく。

准一は自分のグラスを片手に席を立ち
見知った顔を探すとその異様とも言える光景に立ちつくしてしまう。
デジロックとスカコアにそれぞれ流行じみたユーロやハウス、テクノの要素を織り交ぜた音楽が
『流れる』や『漂う』とはかけ離れたように垂れ流され氾濫したその空間は
うるささを通り越して慢性的な騒音に近いはずなのに
柄の悪い連中の集まりには似合っているのが笑える。
そしてその一部どころか、打ち上げの主役にさえなっている自分が不思議だった。


カウンターの端に寄りかかりながら煙草を口に挟んだままで
いつの間にか、こんな空間に当たり前に溶け込んだのだろうと剛は思う。
適度な闇に交錯するグラスに反射したライトと、光り物を身につけた男や女が淫靡に浮き上がる。
「剛、あれマキさんじゃない?」
さっきまで別の仲間の所にいたはずの健がいつの間にか戻ってきていて、
彼が指す方向には小猿にはもったいないような美人さんがいた。
それに気付いた彼女がこちらにやってくる。
まっすぐな姿勢と視線を落とさないで凛として歩くその人は
その場の空気に呑まれている人間とはどこか一線を画す雰囲気がある。

あの人はどうして准一がいいんだろう。
俺たちは何にも変わらないと思ってたけど、俺らとあいつじゃ何が違うんだろう。
溢れるライトを浴びて狭いハコの中を熱気で満たしてしまう彼はそんなにいいんだろうか。
彼女を見るといつも剛はそう思う。
別に羨ましいとかそういうんじゃなくて、ただ。

「来てたんですね。」
隣で健が言った。
ライブの途中で帰ったみたいだからここには来ないと思ってました、なんて言わないけれど。
フィルターのすぐそこまで灰になってしまった煙草を真っ黒い灰皿に押しつけた剛は
自分の男の打ち上げなんだそりゃ来るだろう、と思いながらひとつずれて彼女が入る隙間を作った。
なぜか少し場違いな細身の黒いスーツに青いシャツを合わせてうまく着崩しているが
どうやらまだこの会場についたばかりのようだった。

「二人とも今日はあの子たち一緒じゃないの?」
それはどうやら剛や健の彼女たちをさしているらしい。
「こいつまたいつものケンカ中なんすよ。」
そう言って健が面白がって剛を茶化すから
彼はふてくされたふりをして持っていたグラスのシングルモルトを煽り「違うっすよ」と誤魔化す。
独特な香りのするそれは度数もかなりきつめだが今日はあまり廻らない。
女は、そうなの?と言って笑う。

准一の話じゃたしか彼女は剛より1つ上くらいだったはずだ。
それなのに彼女が纏う空気は明らかに自分が持つものとは別物だ。
男だからとか女だからとかそういう違いではなくてもっと別の何かを持っている。
健に言わせれば剛の彼女もそういう感じなんだそうだが。

「千里ちゃんと智子ちゃんによろしく伝えて。またチケット、かなり捌いてくれたんでしょ?」
ありがとうね、とまた彼女は笑った。
チサト、とは只今ケンカ続行中の女の名前で、トモコ、は健の彼女の名前だ。
二人は准一の割り当て分のチケットの多くを捌いてくる主要メンバーの一員になっていた。
そしてこういう席では欠かさず彼女が、彼らにも彼女らにも礼を言って廻ることを
准一は知っているだろうかと剛は思った。

「相変わらずお前ら一緒につるんでるんだな。」
突然背後、つまりカウンターの内側から声がかかる。
こんなイベントには珍しくオーナーである東山が相変わらず真っ黒いスーツでそこにたっていた。
剛と健は井ノ原の上、つまりはチームの大元締めである彼に軽く頭を下げる。
「マキ、ちょっといいか。」
彼がそう続けると彼女がそれに答え彼は奥に戻っていく。
「じゃぁちょっと行くね。」
彼女は二人にそう言うとカウンターを離れた。

「なんかあんのかな。」
彼女を背中を見送り、カウンターに置いてあったジントニックを一口含んだ後で健が言った。
「さぁな。」
別に目新しい光景ではなかった。
東山がそういう関係のためにこの店を利用していることも仲間内じゃ常識だったし
彼女が彼の一番の手駒になっていることも知っていた。
彼らのようなチームの下っ端は勿論、街で屯するようなだけのメンバーは
これらの流れにはあまり深く関わっていなかったし彼自身それに特に興味があるわけではなかった。
今時ヤク中だなんて流行らない。

「准一。」
見知った顔を探して彷徨きはじめた彼は声をかけられて振り返ると探していたそれに出会う。
智子だった。
「おう。」
流行のパープルに細かいラメが薄暗い空間に反射してキラキラと輝く薄い素材のセーターに
媚態にとんだ---ように准一には見える---短いスカートから覗く細い足とブーツが浮かび上がる。
彼女は准一と同級であり剛や健よりも友達としてのつきあいが長かった。
といってもそれぞれ歳が近かった5人がその距離を急速に縮めるのにそう時間はかからなかったのだが。
「ライブ、よかったよ。」
俺の歌は最悪やってんけどな、とは言わないでおこう。
「チケット、今回もお前結構捌いてくれたんやってな。」
それは素直になれない遠回しな感謝の意。
「まぁね。最近定期で買ってくれる子、少ないけど増えたよ。いっぱい感謝しろ、あたしに。」
なんでやねん、とおきまりツッコミを入れて笑っておく。
事実彼を支えてくれるのは、ごく身近な先輩や後輩を含んだ仲間内であることはよく分かっていた。

「千里、一緒ちゃうん?」
剛や健みたいにいつも一緒にいるもう一人を伺った。
「さっき知り合いに会って分かれたんだ。どっかで喋ってんじゃない?」
そういえばまたケンカしたらしいよ、あの二人。
剛と彼女の近況を聞く。昨日だか一昨日だか、剛が一人で訪ねてきたのを思い出した。
それでか。
真夜中近くに、アパートの下にいるんだけど、なんて連絡されても困るんやけどな。

他愛ない会話の間で不意に彼女が言う。
「そういえばさっきマキさん来てたよ。」
あぁ、うん、と適当な相づちをうつ。
准一はマキがライブの途中にやってきたのを確認しているし
ステージの上から彼女が出ていったそれも見ていた。
そして、このクラブに到着した時彼女の姿がなかったことも知っている。

「あ、そこ。」
智子がカウンターを指さす。
剛と健と、そしてマキの姿が見えた。
カウンターの内側の人影とそれに答えて場を離れていく彼女の、一部始終も見えた。
妙に、いつもより早く冷めてしまったライブの興奮と
まだ終えたばかりのステージに興奮する観客やスタッフやこのイベントとの温度差をどこかで感じる。
彼女が動き出しているそれが関係しているのだろうか。
どうしようもない不快さが胸の奥に積もっていくような渦巻くような感覚を覚える。

「あ、行っちゃった。」
マキの行動のそれをみて呟きながら、それでも立ち止まる理由などない智子は
彼女が行ってしまったカウンターに歩いていく。
カウンターの二人は近寄る自分たちを視界に入れた。
「おう、主役。」
剛が片手を上げた。
健は当たり前のように手を伸ばして、智子も当たり前のようにそれに自らの身を預けるように寄り添っていく。
「よかったじゃん、ライブ。」
健が言うから准一も答える。
「あぁ、ありがと。チケットも。」

「そういえばマキさん、どこ行ったの?」
質問したのは智子だった。中途半端に知っているのはこんな時困る。
「東山さんに呼ばれてどっか行った。」
答えた後で健は准一の顔をみた。その鋭さは彼の優しさだろうと准一は思う。
「あれ、智子は千里と一緒じゃなかった?」
そういう話のもっていきかたもそれだろう。
「さっきまで一緒だったけど、チケット買ってくれた人となんか喋ってた。
てゆうかあんたらしょっちゅうケンカしすぎじゃない?」
健の隣で彼越しに剛を見やった。
毎度その愚痴を聞かされ、酷いときには健との時間を邪魔される彼女は相当被害を被っている。
「っるせーよ。ほっとけ。」



時間も深まり閉店時間も見えてくると、客の数も多少減り始める。
そこにいる従業員以外の人間はほぼ全員、十分に酒が回っている。
カウンターからテーブルに移動した彼らも例外ではなかった。
酒の勢いでベタベタに甘えだした智子と、酒の勢いで合流した千里とのケンカをうやむやにした剛。
准一は心地よいライブの疲労感と甦る高揚感と緩く廻るアルコールの中でそれを見ていて急に、
出ていったマキの後ろ姿を思い出して恋しくなる。
酔った勢いで出来る甘え方もあるもので、そういう時間が嫌いではなかった。
酒のせいで周りが見えなくなってきている二組のカップルを残して、彼は一時的にと思い、店を出た。

店内にいる雇われの若い黒服の男は相変わらず退屈そうで
それでも主役の彼がそこにいけばちゃんと扉を開いてはくれる。
閉められた扉の音を背中で聞きながら、少し厚着で外に立つ従業員の横を通って外へと続く階段を上る。
一歩一歩慎重に上りながら、ポケットから煙草を取り出して火をつける。

こんな街でもたまには万年曇りの空もマシになったりするもので
冬の初めの凍える風の間でビルの隙間に紫煙を吐き出して小さな空を見上げる。
逢いたい、と思う。
今彼女が多分何をしてるか知っているからかもしれない。
深く酔っていても、そんなことだけ明確に予想できてしまうのはとても悲しくて。



「なにしてるの?」
道路に直接座り込んでいたところに不意に声をかけられる。
店の扉が開いた音も、階段を上ってくる音にも気付かなかったらしい。
見上げればキレイに正されたスーツとシャツがいやに嫌悪感を覚えさせる。
それでも不釣り合いに美しい笑顔がどこか憎たらしい女。

「東山さんと一緒やったんやろ。」
意地悪く尋ねるのはやっぱり酔っているせいだろうか。
彼女には彼女の事情があり、命令みたいな誘いを厭と言えないそれも分かってはいても
どこかで裏切ってくれることを期待している自分がいて。
でもそれはそういう彼女に墜ちてしまった自分の弱みであって。

マキが座り込んだままの准一に手を伸ばす。
酔っているせいで潤んだ瞳が彼女を捕らえる。
そんな風に見ないでと、彼女は心で叫ぶ。
どんな理由も言い訳に成り下がって、惨めな自分をさげすんでしまうから。
それでも平静を装う。
もっと早く彼に出会っていれば、と意味のないことばかりを考えながら。

彼は煙草を地べたにこすりつけて放り投げ、差し出された手に自分のをのばす。
彼女は握り返された手を引いて彼を立ち上がらせるとゆっくりその胸に寄り添う。
大きくはない彼でも、小さくはない自分でも
その腕の中に収まってしまう。
「・・・別れる?」
夜の風に吹かれても尚熱を帯びたままの腕の中で口をつくのは
肯定しないで、と願いながらの悲しい問い。

腕の中から聞こえるのはさっきの准一の問いかけよりももっと意地悪な質問。
肯定なんてできないことを知っていて聞くの?
それでも。
「・・・厭や。」
それは知らないシャンプーの香りの中で答える。
バカでも惨めでも格好悪くてもなんでもいい。どんな形であってもそばにいたいと今は願うから。

「次で最後の仕事にするって、言ってきた。」
嘘か本当かもわからない。それで何が変わるのかもわからない。
彼女の声だけが腕の中から振動で伝わる。

ただ時折吹き付ける冬の風は冷たいだけで。
止まってしまいたい。




剛と健は准一のライブの関係者伝にダンスのイベントとオーディションの話を貰った。
開催は三日後。
このところきちんとした客前で踊る機会のなかった二人は
彼らにしては珍しくやる気をだして深夜まで練習に励んでいたりなんかして。
いや別に今までやる気がなかった訳じゃないんだけれど
そういうイベントごとでもない限りプロでもない二人はそうそう踊ってばかりもいられない日常もあって。
たまにする日雇いバイトで疲れようが
それぞれ彼女との約束をすっぽかそうが(出来ない約束をする方がいけないんだけれど)
本当に最近の彼らには見られなかったような懸命さで踊るものだから彼女たちもそう文句ばかりも言えなくて。

別に准一に触発されたわけではない。
ただたまにはまともな生き方もシュミレーションしたくなる時もあるもので。
ケンカしないで帰ると彼女が嬉しそうにしたりするものだから。
ハタチ過ぎても定職につかないで生きてくのはそれなりにいろいろあったりする。

その日の深夜1時。
人影の全くない夜の公園の小さなステージで、互いにない頭絞って構成を考えながら
MDを巻き戻したり時計をいじってみたり実際に踊ってみたりしていた横で
放り投げられて存在すら忘れられていたような携帯が脳天気なメロディーを奏でた。
「剛だろ?」
いじりすぎてそろそろ調子がおかしくなりはじめたMDを休ませて健が言う。
座り込んでいた剛は寝転がってごろごろと回転しながら携帯までたどり着く。
画面の表示は『細目』---自分の目上の人間の登録とは思えないが井ノ原のことを表している---で。

「もしもし。」
これだけしつこくならすのは酔っぱらっているときくらいなものだから適当に出る。
「剛か?」
ところがそんな彼の予想はあっけなく裏切られて、やけに緊迫したその声が聞き慣れないから
こっちも「はい。」なんて緊張して答えてしまう。
「お前今准一と一緒か?」
否、と答えると相手は声を低くしたままで続ける。
「とにかく今すぐあいつが行きそうな所調べろ。坂本君から連絡あってマキがやられたらしい。」
坂本、は警察内部の人間で基本的には少年係、彼らの担当だ。
どうして荒んだ街のチームの1人と警察関係者が通じているのかは剛も知らない。
「やられた、って。」なんなんですか?
話がつかめない。
「マキが任意でひっぱられたらしい。
んでも、別からあいつがボコられて倒れてるのを見たって奴がいる。」
詳しいことは後だ、と彼は付け加えた。

つまりはその情報が准一にも流れている可能性がある。
彼は何度か傷害沙汰を起こしている。
もちろん剛や健も例外ではないのだが、彼は身内の血を見るとどこかキレる傾向があるらしいことは
彼らの中では知れたことだった。



既知の街でさえ夜はと時々別の顔を見せる。
散々走り回った挙げ句、准一どころかその噂さえ見つけることの出来なかった剛と健は
切れかけた街灯が点滅する汚い路地裏で落ち合った。
「とりあえずもう一回かけてみたら?」
健が言う。彼の携帯も彼女の携帯も、何度かけても当たり前のように繋がらなかった。
歩きながらポケットに手を突っ込んで自分の携帯を取り出し、もう何十回もかけた番号を表示させる。
通話ボタンをおしてから耳に当てて、どーせでねぇし、なんて思う。
角を曲がったところで電柱の下に影が見える。
ゴミか何かだろうと近づきながらそれが判断できる距離にきたとき、
剛の耳には『電波の届かない所におられるか、電源が・・・・』なんて無機質なアナウンスが届く。

マキだった。
頬に残る既に黒くなりかけた血痕と唇からこぼれるまだ暖かそうな鮮血。
腫れ上がった右目と
辛うじて切れ長な原型をとどめても青黒く痣を残した左目は両方とも閉じられ、
所々破れて泥と埃の付いたシャツが彼女の身に何が起こったかを否応なしに連想させる。
殴る蹴るが当たり前の街でさえ、男同士だってそう滅多にここまではしないものだ。
やけに血なまぐささを漂わせながら、なぜか彼女自身に生気は感じられないのが不気味で。
事の壮絶さに剛と健はしばらく彼女の名前すら呼べずに立ちつくす。

タイミングは悪いときほど重なるもので。
いつの間にか向こう側からあれほど探しても見つけられなかったシルエットが見える。
そしてそれは予想以上にはやく彼らのもとにたどり着く。
「なんやねん・・。」
小さな呟きが准一からこぼれて。

彼女の前にしゃがみ込んで手を伸ばした彼は静かに彼女の名前を口にする。
彼の両手が彼女の肩に触れて、彼女は薄く瞼を持ち上げる。
唇の端を持ち上げて精一杯微笑んで見せて何かを言いかけて止める。
「なんで連絡せぇへんねん。」
そう問うた声が涙声に近いのは抑えきれない怒りのせいかもしれない。
そしてしばらくして彼女は瞼を下ろす。

「こんな姿・・見られたくなかったから。」

蚊の鳴くような声なんて本当にあるんだと、思った。

すぐにどこかに駆け出しそうな准一を抑えながら剛と健は救急車を呼び彼女を病院まで運んだ。
それでもその甲斐もなく、しばらく彼女の意識は途絶えたままだった。

彼らの予想に反して、准一はどこへも行かなかったし誰にも当たったりはしなかったし
復讐なんてことはしに行く素振りすら見せなかった。

彼女が任意同行で警察に連行されるその現場の一部始終を別のチームの下っ端が見ていたらしい。
今回の任意は珍しく坂本は一切関与しておらず、情報が警察に漏れたその根元も彼は知らないと言う。
事実関係についてほぼ完璧に黙秘を続けた彼女は
一時的ではあるが釈放された後の姿を井ノ原の仲間が目撃しているが
その時には既に相当な傷を抱えていたという。
坂本の話では取り調べに関わった警察関係者が、
容疑者や参考人に暴力行為を加える違法操作が黙認されていたようではある。
しかし彼女はきちんと自分の足で歩いていたというから、怪我の全てが警察の人間のものではないだろう。





何があっても殺しだけはするな、というのは井ノ原の教えであった。
もしもどうしても仇をとりたいなら、殺してしまうなんて勿体なさ過ぎる。
加えられるべき社会的制裁は誰かを危めれば意図も法も絡まるのだから。
自分の手を汚してまで抹消するべきものなどない。
勿論それは3人もしっている。



病室のガラス越しの彼女のもとに戻ると、看護婦が彼に彼女の荷物だと言ってスモーキーグレイのエピを
彼に残して足早に去っていった。救急車に乗ったときに忘れていった彼女のものだという。
そういえば最近よくもって歩いていたやつだ。
崩れるように廊下のイスに腰を下ろしてそれを開ける。

そろいのエピの薄い手帳とキーケースにモノグラムの財布。
ひとつも自分が買ってやったことなどないし、彼女がそれをねだったこともなかった。
普通、年頃の女ならこういうものには人一倍興味があるんだろう。
けれど彼女は全て自分自身でこれらを揃えたし、
揃えたところで彼女にとっては何の意味もないものだと理解していたらしい。

ふと思い出す。

一度だけ、普段酒に強い彼女が珍しくものすごく酔っていたとき、
鞄の中身をばらまいて、こんなものいらないって准一に投げつけたことがあった。
理由を聞く隙もないほどに泥酔していて、散々暴れた挙げ句泣き出して、そのまま彼に抱きついたままで
泣き疲れて眠ってしまった。その後で彼は彼女が投げつけたそれらを全て拾って鞄にしまいこみ、
そのまま自分と同じ視線の彼女をまた抱きしめて眠って。
あの時の彼女はいつも見るような一分の隙もない彼女ではなく、23歳のただ酔っぱらっただけのオンナで。
だから、それ以上聞いてはいけない気がしてしまって、普段に戻った彼女には何も問いただせなかった。

そんなことを思い出したら急に泣けてくる。
別に彼女は死んだわけじゃない。

ただ、ガラスの向こうで息をしていて。
多分もう、自分のことを准一って呼ぶことはなくて。
汚いベッドの上で転がりあったり、彼女の煙草の匂いと甘い香りに包まれて眠ったりすることはもうなくて。


全ては下らないことだらけだ。

何を求めていた?
何を共有した?
何を失った?


俯いたままで彼はしばらく顔を上げられなかった。





あれから2週間が経った。
彼女の意識は戻るどころか昏睡の域を出ることすらなかった。
生命は維持装置のスイッチ次第だった。


病院の中庭にある狭い池の前に彼はいた。
「もしもし。岡田です。」
携帯の向こうで2,3度しか面識のない坂本が言う。
「多分10時頃、署を出る。30分くらいで、お前らの言うBエリアにつくんじゃないか。」
Bエリア。
特別な時にしか使わない暗号みたいなそれをなんでこの人は知っているんだろうなんて、今更かもしれない。
「わかりました。ありがとうございます。」
そう言って電話を切る。そしてそのまま携帯を池に沈めた。
ポチャン、なんて音をたてて、文明の利器は濁った水の中にゆっくりと沈んでいくのを見ていて
彼は少しだけ笑った。

夕方になって空はいよいよ泣き出しそうに低く唸り続けた。
呼び出された剛と健は病院の廊下、彼女の息づくガラスの前で准一に会う。

「なんで急に呼び出すんだよ?」
人気のない暗い静かな廊下に、剛の声が響いた。
准一は立ち上がって二人の前を通り過ぎる。
おい、と呼び止められて振り返った彼は何も変わらない表情で笑った。
「友達やん。見送ってや。」
歩き出した後ろ姿が2週間近くろくに睡眠もとれていないだけあって相当な疲労を見せる。

何に躊躇って何を決めてしまったかを言葉にしなくても感じるから
止められるわけがなかった。


全て、下らない。
でもそれ以外に何もない。
だったら止まることは許されない。



使われなくなってもう長い廃工場の隅で明かり一つつけないまま彼らはそこにいた。

健が拳を振り上げるともう原形をとどめているパーツがないほどに変形した顔から血飛沫が飛ぶ。
准一が男の腹部を蹴り上げると、長身に似合わず男は軽く宙をとんだ。
といっても3人がかりで散々やった挙げ句だったのだから、当たり前ではある。
剛は飽きるほど使った鉄パイプで転がった男をつついて転がす。
意識が飛びかけている男は薄目を開けたまま空を睨んだ。

准一は惨めに仰向けに倒れた男のスーツのポケットから警察手帳を取り出した。
薄い警察手帳にライターで火をつけると、暗闇に一瞬だけ火が舞う。
その後で自分のポケットから煙草を取り出して火をつけ2,3度ふかすと
腕の破れたスーツの隙間の素肌に押し当てた。
意識が飛びかけていた男はうめくような声を上げて熱と痛みで現実に引き戻される。

開いた目の隙間から泥に汚れた涙を滲ませながら男は彼らに許しを乞うた。
そして准一はその唇に薄く笑みを浮かべる。
煙草で次々に男の体中に火傷の跡を残しながら、
肌の焦げる嫌な匂いが鼻につき煙が目にしみてもまだやめはしない。

こんな痛みなど・・。
准一は何度も心の中で呟く。
彼女はきっと一度も許しを乞いることはなかっただろう。
ただ蔑むような目で、殴り続ける男を見たに違いない。

「あいつの意識が飛ぶまで殴って、それで捜し物はみつかったか?」
もう流暢に口をつくようになった標準語。
短くなった煙草を道に投げて、彼はかつて聞いたことのないくらい低い声で言った。
男は恐怖に怯えて体を硬直させ、やっとのことで首を横に振った。
「だろーな。」
捜し物は、そういって彼はポケットから新しい煙草を取り出して火をつけ
ライターをしまうと煙草を口に挟んだまま一枚のFDを取り出して、これだろ?ヒラヒラと見せた。
「詳しいことは知らねぇし、興味もねぇし、俺にとっちゃ何の意味もない。」
そう言って彼はそれを二つに折って中のディスクを取り出し無表情で煙草を押し当てた。
足下に放り投げて踏みつけて粉々にしたあとで、続ける。
「返せなんて言わねぇよ。もうどうやったってあいつは返ってこねぇからな。」

剛と健は何も言わなかった。
准一は煙草を捨てて転がっていた鉄パイプを持つと大きく振り上げる。
「だから死んで。」
突然轟音をたてて外では雨が降り出す。
全ての想いをかき消すように彼は勢いをつけてそれを振り下ろした。




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岡田准一さんお誕生日おめでとうございます。なのにこれはどうなのよ?
タイトル拝借している通り、カミ曲を題材にしてしまいました。アルバムの中で一番好きなのですよ。 なんか出来ないかなぁなんて思って、夏コン以来書き始めたのですがその後ゴミ箱に着々と近づきつつあった のを最近になって手直ししました。どっから前半でどっから後半か一目瞭然なのが痛い。
一部相応しくない表現等ございますがご了承下さい。また当たり前ですが一部実在の商品名など一切関係ございません。煙草の銘柄も。 現実に女がホープ吸ってるのみたことないし、剛様はピースなんて古いの吸いません。多分。ついでに岡田さん、 煙草吸えるのは本日からです。未成年の喫煙・飲酒はよくありませんよ?報復行動もダメ。