バンドの中心は、ほとんどの曲を手がける兄ノエルとボーカルの弟リアムのギャラガーの兄弟。
93年5月、グラスゴーで行ったライブを、女の子目当てにたまたまきていたクリエイション・レコード社長のアラン・マッギーの目にとまり、「ビートルズ以来のロックン・ロール・バンドを見つけた」と言って即座に契約を交わす。
この頃のリアムは手を後ろに組んで歌わず、マイクスタンドのマイクを持って歌っていた。
そして翌94年4月にシングル「スーパーソニック」でデビュー。8月には初のフル・アルバム「オアシス/Definitely
Maybe」をリリース。全英では1位になる。そして、9月には早くも初来日公演を行う。ノエル27才、リアム21才である。なおノエルはローディーとして来日経験があった。
翌95年4月にドラマーのトニーが脱退(兄弟から嫌われていたし、音楽的にも才能がないので首にされた。LIVE FOREVERのプロモーションビデオでは、最後にはお墓に埋められてしまっている。)、代わりにアラン・ホワイトが加入。
同年8月には2度目の来日公演を行い、9月に2枚目のアルバムとなる「モーニング・グローリー」をリリース。このアルバムはビートルズの「サージェント」を抜き、英国音楽史上最も売れた。もちろん1位になった。アメリカでは最高位4位にランク・インされるなど全世界規模のヒットとなり、不動の地位を築いた。(私は、この頃のオアシスが1番好きです。)
96年には歴史的なライブを行っている。その中でも有名なのが地元マンチェスターでのメインイベントとネブワースでのライブである。ノエル自身はメインイベントの方が、感動したらしい。
しかしながら、8月のアンプラグドのリアムドタキャンから、バンドは少し危険な状態に陥り、アメリカツアーのキャンセルにより解散危機が叫ばれる。
この記事は朝日新聞にも載ったほど衝撃的であった。
その後、ノエルがニューアルバムの制作に取りかかると言う声明により、落ち着く事になる。
97年8月21日に約2年振り、3枚目となる新作「ビィ・ヒア・ナウ」をリリース。このアルバムのジャケットには、知る人ぞ知る仕掛けがありますよ。
この97年のツアーは、リアムとノエルのテンションが非常に高く、(薬物をやったいたのか?)是非ブートで聴いて欲しいライブ音源がいっぱいある。
98年の2月、3度目の来日となる武道館3DAY公演を行う。この時ノエルは、篠原ともえのプリプリプリティやロンドンブーツの番組に出たりした。ロンドンブーツの番組で歌った、DON'T GO AWAYはブートで出まわっている。
99年、ニューアルバムに向けスタジオでの作業が開始されたが、ギターのボーンヘッドとベースのポール・マッキンガムが相次いでバンドを脱退。
ノエルは辞めた奴の音は要らないという事で,ボーンヘッドのギター、ポールのベースの音を全部消し去り、新たにノエルがギター、ベースを演奏しアルバムを作成した。
新しいギタリストに元ヘヴィ・ステレオのゲム、ベースには元ライド、そしてハリケーン#1のギタリストであった、アンディ・ベルに決定した。
アンディは、実家に帰省していて、ノエルからバンドに入らないかとのお誘いの電話を受け、飛びあがって喜んだそうである。
2000年2月には、「Standing On The Shoulder
Of Giants'」を発売。
そして日本から世界ツアーを開始する。日本では、11公演を行い、約10万人の動員を記録した。なお福岡公演では、リアムは声が出なくなり途中から引っ込んでしまう。
2001年1月には、南米のフェスティバルで活動を再開する。その後、ブラッククロウズとのジョイントツアー(兄弟愛ツアー)で米国にてライブを行う。そして、パリでのライブの後、ついに野外フェスティバルFUJI ROCKにてライブを行う。
10月には、ライブを始めてから10周年記念ということで、イギリスで3箇所の小さなキャパでのライブを行う。
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| オアシスの魅力は、なんといっても音楽馬鹿なとこです。ライブではちゃんと聴いてないと、おかまいなしに怒鳴りつけます。昨年のLEEDSでは、ラストソングのROCKN’ ROLL STARを演奏したのですが、オーディエンスのノリが悪いので、すぐ演奏を中止して、怒りつけて演奏を仕切り直しています。また昨年のGLASGOWでも、最後の曲の前に帰り出すお客に対して,こら戻ってこいと怒鳴りつけています。音楽に対する正直な態度が、このような暴言になってしまうのですが、それだけ音楽に対して素直なんだと思います. |
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