サイケ全盛時にアメリカのルーツ・ミュージックに根差した汗臭いR&Rを聴かせた彼らは、ある意味あの時代においては異端児であった。しかし、彼らこそ
真の「アメリカン・ロックン・ロール・バンド」であった。
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| 1997年、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(以下CCRと記す)のリーダーであったジョン・フォガティの実に11年ぶりとなるニュー・アルバムBLUE MOON SWANPが発表された。その内容はCCR時代と何ら変わることのない
アメリカのルーツ・ミュージックへの愛情の感じられるものであった。このニュー・アルバムのおかげか、今までCD化されていなかった彼のソロ・アルバムのCD化が実現、CCRも再評価されるなど、
久々に注目を集めているようだ。 とはいえ、CCRは解散後正当に評価されてこなかったというのが事実だ。活動期間があまりにも短かかったこともその要因のひとつであろう。しかし、それ以上に彼らが活動していた時期がサイケ全盛の60年代末から、「アルバム至上主義」の 70年代初頭であったことが最大の原因だと考えられる。その時代に彼らがシングル・ヒットを連発していた「ヒット・チャート・アーティスト」であったがために、軽視されてしまったのではないか、そんなことを考えてしまう。実際、数年前まで「CCR」という名を 口に出しても、同世代の人は「何? CCB?(笑)」という反応しか示さなかったし、リアル・タイム世代の人も「懐かしいなあ」とまるでナツメロに接するような口調であった。しかし、私は彼らがロックの歴史上とても重要な存在だったと信じて疑わない。 彼らの登場した60年代末といえばサイケ全盛時代。その時代に誰も注目しなかったであろうアメリカのルーツ・ミュージックに根差した、タフでワイルドなR&Rを聴かせた彼らはまさに「異端児」であったと思う。同時代に同じくルーツ・ミュージックに根差したロックを聴かせた アーティストといえばザ・バンドがある。彼らの場合はロック史を語る上で欠かせないバンドとされているのに、CCRは無視されているというのは本当に納得がいかない。それもこれも、CCRがザ・バンドと違って「ヒット・チャート・アーティスト」であったせいだろうが、 それだけで彼らが評価されないというのは実に腹立たしいことである。・・・とまあ、そんな硬い話は抜きにして、彼らはR&Rバンドとして純粋にカッコよかった! |
| CCRといえばいかにも「アメリカ南部」を思わせるワイルドなサウンドが特徴だが、実は彼らの出身地はカリフォルニアである。CCRの顔ともいえるリーダーのジョン・フォガティ(vo,リードg)は45年5月28日、カリフォルニアのバークリー生まれ。幼い頃から4つ年上の兄トム・フォガティ(g,vo)とともに
ラジオから流れてくるブルースやR&Bに耳を傾けていた。そんな早熟なジョンは59年、わずか14歳で初めてのバンドブルー・ヴェルヴェッツを結成。このバンドはジョンの他、ジョンの学校の同級生であったスチュ・クック(b,vo)、ダグ・クリフォード(d,vo)からなるトリオ編成であったが、60年になって、既に他のバンドで
活動していたトムが合流。この時点で早くもジョン、トム、スチュ、ダグという後のCCRの4人が顔を合わせていたのである。このブルー・ヴェルヴェッツの主なレパートリーはエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーのナンバーなどであり、ボーカルを担当するなど、当時の絶対的なリーダーの地位にあったのはトムであった。また、オーケストラというローカル・レーベルから3枚のシングルも発売されている。
しかし、ブルー・ヴェルヴェッツは特に話題になることもなく、62年には一旦解散。その後、ジョンはいろいろなバンドで歌ったり、64年には1ヶ月も日本に滞在するなど、かなり好き放題な生活をしていた。一方、トムはファンタジー・レコードに就職、事務員として働きながら実はデビューのチャンスをうかがっていた。
そして64年、遂にデビューのチャンスをつかみ、ジョン、スチュ、ダグを再び呼び寄せてゴリヴォックスを結成。デビューを飾った。とはいえ、発表されたシングルはデビュー・シングルDon't Tell Me No Liesをはじめ、いずれも当時のビートルズ人気に便乗したトムの歌う個性のないマージー・ビート風の曲ばかり。とはいえ、65年末のシングルBrown-Eyed Girlからジョンがボーカルをとりはじめると
一部でではあるが注目を集めはじめた。こうして、ようやくブレイクのきっかけをつかんだゴリヴォックスであったが、66年夏にジョンとダグが徴兵され、バンド活動休止。チャンスを掴み損なってしまったのである。 67年、ジョンとダグが復帰するとファンタジーと再契約。この時バンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルと改めた彼らは67年12月、ゴリヴォックス時代に録音したPortervilleを初のCCR名義のシングルとして発売。さらに68年にはデビュー・アルバムCREEDENCE CLEARWATER REVIVALを発表。全8曲中2曲がゴリヴォックス時代の再録、3曲がジョンのオリジナル、残る3曲がカバーという内容であった。正直オリジナル作品はサイケ色あり、ブルース色ありでまだまだ個性は感じられないし、迷いも感じられる。一方で、デイル・ホーキンスのSuzie Qやスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのI Put A Spell On Youでの クリームなどのブリティッシュ・ブルース・ロックからの影響の濃い長尺な演奏ぶりはなかなか注目に値する。しかし、これらにもまだ、後の彼らを象徴する「アメリカ南部色」は薄く、ブリティッシュ・ブルース・ロックの影響の強さばかりが目につく。とはいえ、シングルとして発表されたSuzie Qは全米11位とまずまずの健闘ぶりを見せた。 |
| 年が明けて69年1月、セカンド・アルバムBAYOU COUNTRYを発表。アルバムは全米7位まで上昇、また、ここからシングル・カットされたProud Maryは全米2位を記録、いきなりの大ブレイクを果たした。前作にあったブリティッシュ・ロック色は一気に薄れ、2分あまりの短い曲ながらカントリー、ロカビリーの影響の感じられるストレートでシンプルなProud Maryに代表されるように、
ゴスペル、カントリー、ブルースなどのルーツ・ミュージックにどっぷり漬かったサウンドを確立している。この急速なサウンドの変化がなぜもたらされたのか、今一つはっきりしない。ただ、前年に発表されたザ・バンドのデビュー・アルバムMUSIC FROM BIG PINKに影響された部分も大きかったのではないだろうか。アメリカン・ルーツ・ミュージックの影響の強いこのザ・バンドのアルバム、チャート上は大成功とはいかなかったものの、当時のロック界でこのアルバムに影響を受けなかったアーティストは皆無といってもよいほどの大きな波紋を投げかけた。徴兵中に
南部のルーツ・ミュージックにのめり込んでいたというジョンが、ザ・バンドのこのアルバムに触発され、CCRのサウンドをルーツ寄りに修正させたと考えることは比較的容易なことである。一方で、ザ・バンドと違ってシングル・ヒットを連発できたのは3分前後の短く、シンプルでストレートなR&R感覚を打ち出すことに成功したからであろう。また「南部」というと「黒さ」を連想させられるけど、彼らの場合、カントリー色、ロカビリー色も採り入れているのが特徴で
だからこそマニアックにならず、チャートでも違和感なく受け入れられたのであろう。なお、このセカンド・アルバムからはプロデュースもジョンが担当。CCRは野性的なボーカルを聴かせるボーカリストとして、カントリーをルーツに持つリード・ギタリストとして、そして、
ソングライターとして活躍するジョンのワンマン・バンドと化していった。 69年、伝説のウッドストック・フェスティバルに登場。有名なテレビ番組「エド・サリヴァン・ショウ」にも出演し、すっかりトップ・アーティストの仲間入りを果たした。さらに同年8月、セカンドの路線を踏襲したアルバムGREEN RIVER、11月には田舎のジャグ・バンドを連想させるコンセプト・アルバム風のWILLY AND THE POORBOYSをたて続けに発表。この2枚からもシングル・ヒットを連発。翌70年にはアルバムCOSMO'S FACTORYを発表。アルバムはGREEN RIVERに続く全米No.1に輝いた他、 シングル・ヒット7曲を生むという快進撃を続けた。全米ツアー、ワールド・ツアーも大成功。この快進撃は永遠に続くかに見えた。 |
| 70年12月、早くも次のアルバムPENDULUMが届けられた。ここからは今やスタンダードとなっているシングルHave You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)の大ヒットこそあったが、キーボード、サックスなどを多用したサウンドに方向転換しており、この変化は彼らが本来持っていたはずのワイルドで、豪快な魅力を失わせるものとなった。アルバムはヒットしたものの、不評であった。さらに、バンド内ではメンバーの対立が起こっていた。すっかりジョンのワンマン・バンドと化していることに他の3人の
不満が爆発。特に結成時のリーダーであり、ジョンの兄であったトムがジョンと激しく対立。71年1月に遂にトムは脱退してしまった。こうして3人になってしまったCCRはワールド・ツアーを敢行。72年には来日も果たしている。72年、ようやく次のアルバムMARDI GRAS発表。しかし、全くの不評でセールス的にも失敗に終わってしまった。実はこのアルバムでは、ジョンがスチュ、ダグの二人の意向を飲んでスチュやダグの作品を採り入れたが、これが裏目に出てしまったのである。結局72年10月、解散を発表。
実働わずか3年あまり。多くのヒットを連発しながら実に短かく、あっけない解散となった。 解散後ジョンはTHE BLUE RIDGE RANGERS(73年)、JOHN FOGERTY(75年)、CENTERFIELD(85年)、EYE OF THE ZOMBIE(86年)、そして最初に述べたBLUE MOON SWANP(97年)と少作でスロー・ペースながら、CCR時代と変わりのないルーツ・ミュージックに根差した良質な作品を発表し続けている。トムはCCR脱退後からコンスタントにソロ・アルバムを発表し続けてきたが、いずれも不発。91年に他界している。残るスチュとダグは2人で組んだり、ソロ・アルバムを出したりと地味ながら現在も活動中である。 短かい活動期間、「ヒット・チャート・アーティスト」という偏見・・・。そんなことが原因で語られることが少ないのは実に悲しい。しかし、ザ・バンドと並んでロック界でいち早く「バック・トゥ・ザ・ルーツ」的な動きを見せたことはもっと評価されてもよいと思う。また、「ルーツ・ミュージックに根差しながらもストレートでシンプルなR&R感覚を打ち出した」彼らのサウンドは、意外とイギリスのパブ・ロック勢に影響を与えているのではないだろうか。特にジョン・フォガティとデイヴ・エドモンズには大きな共通点を感じてしまう。 このように考えると、彼らは単なる「ヒット・チャート・アーティスト」などではない、ロック史上の重要アーティストのひとつであるといえる。まあ、そんなこと抜きに、私は彼らのシンプルでワイルドなR&Rが大好きだ。彼らの曲を聴いていると、アメリカの広大な大地が目の前に浮かんでくるような錯覚に襲われてしまうのである。 |
| 結成から解散までに発表されたアルバムに関しては本文中で述べてきたが、その他にLIVE IN EUROPE(73年)、THE ROYAL ALBERT HALL CONCERT(80年)という2枚のライブ・アルバム、さらには無数のベスト・アルバムが発表されている。 オリジナル・アルバムではBAYOU COUNTRY(69年)、GREEN RIVER(69年)、WILLY AND THE POORBOYS(69年)、COSMO'S FACTORY(70年)の4枚はいずれも素晴らしい内容で甲乙つけ難い。が、ここでは敢えて最も地味ではあるが、彼らの本質が 最も色濃く出ているWILLY AND THE POORBOYSをご紹介したい。 |
●WILLY AND THE POORBOYS
1.Down On The Corner、2.It Came Out Of The Sky(青空の使者)、3.Cotton Fields、4.Poorboy Shuffle、5.Feelin' Blue、6.Fortunate Son、7.Don't Look Now [It Ain't You Or Me]、
8.The Midnight Special、9.Side O' The Road、10.Effigyプロデューサー:ジョン・フォガティ 日本盤CD:VICP-2031(ビクター)
購入時期 1995年頃
そうしたカントリー、フォーク、ジャグ的なカラーが色濃く出ているのは、先にも述べたインストの4,9.の他、カバー・ソングのCotton Fields 、The Midnight Specialであろう。2曲とも戦前の黒人フォーク・シンガー、レッドベリーのレパートリーだった曲であり、 そうした曲をとりあげるあたりに彼らのルーツ・ミュージックへの造詣の深さを思い知らされる。特に8.Midnight Specialの歌い出しでのジョンの「弾き語り」風な歌い回しは、まさに戦前のブルースマンになりきっているかのようなディープさが感じられる。この2曲以外はジョンのオリジナル。カントリーとラテンを合わせたような ユニークな1.Down On The Corner、チャック・ベリー・スタイルのR&R2.It Came Out Of The Sky、初期を思わせるブルース・ロック風の5.Feelin' Blue、ジョンのシャウトが強烈なR&R6.Fortunate Son、 エルヴィス風のロカビリー7.Don't Look Now、カントリー・バラードの10.Effigyと実に多彩。であるにもかかわらず、ここには統一された空気がある。それは、やはりジャケット写真に象徴される彼らのルーツ・ミュージックへの憧れの成せる技であろう。また、アナログ時代には1〜5.がA面、 6〜10.がB面だったわけであるが、カバーの3.と8.、インストの4.と9.、長尺ナンバーの5.と 10.といった感じで「対比関係」的な曲の配列がなされていることも注目に値する。これもまた「統一感」が感じられる要因となっている。 正直、彼らの全盛期のアルバムの中では最もカントリー色が濃い分、地味な内容だが、彼らのルーツ・ミュージックへの造詣の深さが最も色濃く出ているという点では見逃せないアルバムである。 *アルバム好感度 90
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| 彼らの「ヒット・チャート・アーティスト」としての側面が最も分かりやすいのはベスト・アルバムであろう。ということで、もう一枚、ベスト・アルバムをご紹介しておこう。 |
●CHRONICLE
1.Suzie Q、2.I Put A Spell On You、3.Proud Mary、
4.Bad Moon Rising、5.Lodi、6.Green River、7.Commotion、
8.Down On The Corner、9.Fortunate Son、10.Travelin' Band、11.Who'll Stop The Rain、12.Up Around The Bend、
13.Run Through The Jungle(ジャングルを越えて)、14.Lookin' Out My Back Door、15.Long As I Can See The Light(光ある限り)、16.I Heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)、17.Have You Ever Seen The Rain?(雨を見たかい)、
18.Hey Tonight、19.Sweet Hich Hiker、20.Someday Never Comes日本盤CD:VICP-23119(ビクター)
購入時期 1989年夏頃
実は私の持ってるものは、10年前に発売されたものである。現在ではジャケット、タイトルが変更されているものの、まだ同じ内容で発売中なので、入手は簡単なはずである。全20曲、選曲されているのはシングル・ヒット・ナンバーのみである。シングル以外の曲が収録されていないのは不満だが、しかし、わずか3年あまりの間にこれだけのシングル・ヒットを放ったことを思うと、 彼らの「ヒット・メーカー」ぶりを改めて思い知らされる。 まず気がつくのは曲の短さである。4分以上の曲は1、2、16、20.の4曲のみ。うち20.Someday Never Comes以外はすべてカバーである。 デビュー・アルバムからのブリティッシュ・ブルース色の濃いSuzie QやI Put Spell On Youといい、マーヴィン・ゲイのカバーで、解散後の76年に突然シングル・ヒットしたプログレッシブな16.I Heard It Through The Grapevineといい、 彼らの本来の姿とは異なっている。この3曲以外はジョンのオリジナル。ロカビリー風のProud Mary、Bad Moon Rising、Green River、Run Through The Jungle、カントリー・タッチのLodi、Down On The Corner、Who'll Stop The Rain、ストレートなR&RのCommotion、Fortunate Son、Travelin' Band、Up Around The Bend、Sweet Hich Hiker、 ジャグ・バンド風のLookin' Out My Back Door、ソウル・バラード風のLong As I Can See The Lightあたりが彼らの魅力が最大限に発揮されているナンバーといえる。一般的に「代表曲」とされている17.Have You Ever Seen The Rainは彼らにしては ポップなナンバーで、個人的には今一つ好きになれない。また、彼らをよく知らない人でも3.Proud Maryはアイク&ティナ・ターナーに、14.Lookin' Out My Back Doorはストレイ・キャッツに、12.Up Around The Bendはハノイ・ロックスに カバーされているので、結構楽曲自体はご存知の方も多いのではないだろうか。 シングル・カットされなかった名曲が入っていないのはちょっと不満だが、全曲シングル・ナンバーなので、「ヒットメーカー」の彼らを手っ取り早く知ることもできるし、また、初心者向けにも最適である。 *アルバム好感度 100
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*:1998年8月23日UP
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