あれから10年ージョージ・ハリスン来日公演回顧録

     
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はじめに
 ライブ活動は1974年以来やってないジョージ。だから私はジョージを生で見ることができるなんて夢にも思っていなかったものです。 当時在籍していたビートルズのファン・クラブ、ビートルズ・シネ・クラブ(以下BCC、現ビートルズ・クラブ)の投稿コーナーでも、 「ポールとリンゴを見たから、次はジョージだ」と、冗談っぽく書いてる人も多かったし、私もジョージだけは絶対に見ることはないだろうと思っていたものでした。

  それなだけに、ジョージを生で目撃したという事実は、今でも信じられない思い出。ポールを見た時に感じた「信じられない」とは一味違う「信じられない」感。分かっていただけますよね。 そんなわけで、ポールの時とは違った感動を現在まで引きずっている、それが私にとってのジョージ来日公演なのです。今年の12月でなんと10年。ポールの時と同様、今回も記憶は鮮明ですが、 細かいところは当時のBCCの会報などを参考にしながら「体験記」を書いてみたいと思います。


信じられない!!
CLOUD NINE
 1991年、当時の私は大学4年。早々に就職を決め、あとは卒業を待つばかり、でも、その前になんか楽しい思いをしたいなあ、そんな状態にあった。

  1989年にリンゴ、1990年にポールと、まさかの「元ビートル」来日公演を目撃した私。だけど、「これで俺の『元ビートル』生体験は終わったな」と思っていた。残るジョージは87年のCLOUD NINEの大ヒット、その後に続いたトラヴェリング・ウィルベリーズの成功と、音楽活動こそ活発だったものの、 ライブ活動は全く行ってないわけだから、日本に来るなんてことは99,9999999999・・・・%あり得ないだろうと。 ところが1991年8月、不意にBCCから郵便が。中には薄っぺらい、しかもザラザラの、あまりきれいとはいえないチラシが1枚。「ジョージ、来日公演決定! 会員のためにチケットを用意します」。・・・・我が目を疑い、「嘘だろう!」と大声をあげた。その声に驚いた妹が思わず自分の部屋から飛び出してきたほど。 「バックはクラプトンと彼のバンド。詳細は未定だが、リンゴ、ジェフ・リンの参加の可能性大、ウィルベリーズとして来る可能性も」とも。一切の迷いはなかった。日程を確かめる。横浜(12月1日)、大阪(12月2、3、10、11、12日)、東京(14、15、17日)の3都市のみ。じゃあ、一番近い大阪だな。 それに、ポールの時に突然の「公演中止」に泣かされたから、思い切って2日分のチケットをとって、2日分見てやろう。よし、12月2、3日をとるぞ!! そう決めた私はすぐにチラシに書いてある通り往復はがきを買って手続き。ただ、チラシにこうも書いてある。 「まだ正式には来日決定は発表されていないので、会員以外に口外しないで下さい」。そう、つまり一切正式発表もされていないうちに、私はチケットをとってしまったのだ。それから1、2週間ほどして、ようやく正式発表。スポーツ紙などでもやはり 「バックはクラプトンにリンゴ、ジェフ・リン、ボブ・ディラン、トム・ペティが同行か」と情報が錯綜。この人たち全員を同時に見ることができたら、どんなに凄いだろう。そうなったら最高だ。いや、でももちろん、ジョージ一人だっていい。 とにかく、ライブに消極的な、あのジョージが来る。そのことは夢のような事実だった。


「素晴らしき仲間」
 当初は「ジョージが来日公演」という事実だけが確かな情報として報道されていたわけだけど、日が経つに連れて次第に詳細が分かってきた。どうもバックのメンバーはクラプトンと彼のバンドのみ。ウィルベリーズとしての来日でもないし、 リンゴも来ない。でも、ライブ慣れしてないジョージだし、あんまり豪華なメンバーに囲まれ過ぎると霞んでしまうからまあいいんじゃないか。それに、クラプトンも当時はまだUNPLUGGED発表前だったから、今ほどミーハー系ファンもついてなかったし、私自身の彼への思い入れも強かったので、 「クラプトンも見れるとは!」という喜びは大きかった。しかも、「わざわざ日本に来るということは、ワールド・ツアーでもやるのかな」と思いきや、何と、日本限定のライブ。ああ、日本人でよかった。でも、何故日本? ・・・ジョージは「本格的にライブ活動を再開したいけど、上手くいくかどうか試したい」という気持ちがあった。 だけど、英米でやると過剰に注目されたり、バッシング等が起こったりすることを恐れていたとか。そこで、「英米から離れた遠い国で」という気持ちがジョージにはあった。そこで、親友クラプトンに相談したところ、大の日本好きのクラプトンが「ぜひ日本で」と強く勧め、その結果「日本限定」のライブになった・・・。 クラプトンに感謝だな。ただ、実はジョージは1990年にも「日本公演をやろう」と動いていて、業界のごく一部に「ジョージ、来日」のニュースが流れたらしい。ただ、いざとなるとやはり躊躇したのか、話が流れたということもあったらしい。では、何故今回はやることにしたのか。 ・・・当時のクラプトンといえば、息子を亡くしたばかりで落ち込んでいた時期。目立った活動もしてなかった。そこでジョージはクラプトンに立ち直って欲しいという気持ちもあって、「クラプトンのためにも、今こそやろう」と思ったんだとか。いやはや2人の強い絆には感動。 来日決定の裏には、クラプトンに対するジョージの思いやりもあったんだと思うと、その感動も更に大きくなるというもの。さらに、当初は横浜、東京、大阪のみの公演と発表されていたのに、 後に名古屋(12月5日)、広島(12月6日)、そして私の地元・福岡(12月9日)での公演も決定。大阪の2日分のチケットを既に獲得していた私、「先に言ってくれれば地元で見たのに」という悔いもあったけど、「大阪は随分久しぶりになるからまあいいや」と開き直った。卒業前に泊りがけで遠出するってのもいいよな。

  ちなみに、このツアーをバック・アップしていたのは毎日新聞&TBS。日テレ(90年ストーンズ初来日)、フジ(90年ポール)と比べるとハデハデにアピールすることはしなかった。「宣伝が下手」という見方も当時はあったけど、私はむしろ「馬鹿騒ぎ」しない伝え方に好感を持った。 その最高峰が11月12日、日曜日の10時から30分枠で放送された「素晴らしき仲間」でのジョージ&クラプトン特集。スポンサーはホンダ。当時クラプトンがホンダのCMに出演してた縁だろうけど、とてもいい番組。ロンドンのリハーサル・スタジオに並んで座ってインタビューを受けるジョージとクラプトン。 音楽のことはもちろん、「パティを巡る三角関係」に対しても、とても落ち着いてしっかりと受け答えする2人に「大人の魅力&友情」を感じた。CLOUD NINE以降のジョージって、いつも髭を生やしていたけど、ここでは全部剃り落としていて、とても若々しく、ビートルズ初期のジョージとダブって見えるほど。クラプトンは眼鏡をかけてる。 眼鏡をかけたクラプトンは近年では珍しくないけど、確かこの時はじめて見たような気がする。全然ハデハデじゃなく、落ち着いた、小粋な雰囲気の、とてもよい番組だった。っていうか、この番組はジョージの回に限らず、とてもよい番組だったなあ。 復活させて欲しいよ。ちなみに、「有名人ファン」のコメントが挿入されているけど、故・淡谷のり子、かまやつひろし、桑田佳祐、杉山清貴、小林克也などの他、まだ幼さの残る、ティーンのキムタクの姿があるのが今ビデオで見ると微笑ましかったりして。


亡き父の最後の記憶
 ポールの時は突然の「公演中止」に泣かされた過去もあるし、しかも「ライブは嫌い」なジョージのことだから 「ドタキャンもあるかも」とビクビクしながら当日が来るのを待っていた私。だけどそんなニュースは流れることなく、無事に12月を迎えた。1991年12月2日、大阪公演初日の当日の朝9時頃の新幹線に乗る。 なんと、よく見ると同じ車両に父の姿が。父は出張の多い人で、1年の半分以上を自宅以外で過ごしていた。この日も「名古屋へ出張、正月には帰るけど、5月頃までは続く」と言い残して家を出たんだっけ。 同じ新幹線とは偶然。だけど私と父の関係は、いわゆる典型的な「父親と息子」って感じ。2人でいても会話が続かないし、なんとなく気まずい空気が漂うことが多い。 だから、私も父に話し掛けなかったし、父も私に気がついていたのに話し掛けなかった。お互い、同じ車両にいるのに、全然離れた席に座っていた。

  ところが、広島を過ぎた頃だっただろうか、突然父が私の方に歩み寄って来て、無言で何かを差し出す。よく見るとビールと竹輪。おいおい、俺に車内で飲めって? 俺はまだ23だぞ。 新幹線の中でこんなもの食べながら飲むのはオヤジだよ(笑)。などと思ったけど、「まあ、いいか」と思いつつ受け取る私。「悪いな」と吐き捨てるように私が答えると、父は何も言わずに自分の席に戻っていった。 よく考えると、これが私の中の父との「最後の記憶」。この年の年末には家に帰ってきて、正月にまた名古屋に戻っていったけど、その年末年始に顔を合わせた記憶はない。翌1992年の4月には、今度は私が就職して実家を離れたので、以降 一度も父に会うこともなく、90年代半ばに父は亡くなってる。だから、これが本当に「最後の記憶」。そんなわけで、ジョージの来日公演と「父の最後の記憶」は、私の中でセットになってるんです。みなさんにとってはどうでもいいことだろうけど、 私はジョージの来日公演を思い出す時、同時に父のことも思い出すのです。

  新大阪に着き、大阪駅付近(梅田)にある予約してあったホテルに向かった。しかし、あの辺って結構道が入り組んでて右も左も分からない。私は東京で迷ったことは一度もないけど、大阪に行くといつも迷ってしまう。この日も 荷物を抱えたまま、しばらく歩き回ってしまった。とうとう疲れてしまい、タクシーに乗ると「このホテルならすぐそこだよ」といいつつも、私が「迷った」ことを話すと、文句一つ言わずに連れて行ってくれた。親切な運転手でよかった。 でも、迷ってフラフラしたから時間がない。早くしなければ。ということで荷物を置いて軽くシャワーを浴びたところで、食事もとらずに私は会場の大阪城ホールへと向かった。


開演、関西人は熱いぞ!
 会場に着くと既に開演時間の19時が迫っていたので、私はわき目も振らずに自分の席へと急いだ。アリーナ席33列14番。前から数えるとアリーナの中程、ステージに向かって左端。まずまずの席だけど、近視なのにメガネなし、しかも身長がない(165センチ)分、 ちょっと見えにくいかなという印象。周りは同世代の人が多い。しかも、ジョージやビートルズに対する思いを語ってる人も多いんだけど、90年のポールの東京ドームの観客と比べると数段熱い。きっと、土地柄の違いなんだろうな。「アップル屋上ライブ」の時のジョンにそっくりなルックス、ファッションの 車椅子の男性が横を通ったのも印象に残った。会場内に流れるBGMは、当時話題になっていたエルトン・ジョンのトリビュート・アルバムTWO ROOMS。クラプトンの「人生の壁」と、ロッド・スチュワートのYour Songが心に染みた。

  開演時間を20分ほど過ぎたところでジョー・コッカーの荘厳なSorry Seems To Be The Hardest Wordがフェイド・アウト、客電が落ち、ステージに人の気配が。その瞬間、もの凄い大歓声と拍手、周りの観客は一斉に立ち上がり、なぜか飛び跳ねている人も。いや、やはり関西の人は凄い。まだはじまってもいない、ジョージも、クラプトンも登場してないのに・・・。 「ジョージ!」「エリック!」の掛け声に混じって、なぜか「レイ・クーパー!」と大声で叫んだ人がいたのには笑ったが(笑)。正直、この盛り上がりには圧倒された。ポールの東京ドームの時の数10倍の盛り上がりようだ。当然私も前につられて立ち上がったが、うーん、背が低い自分をこの時ほど呪ったことはない。 前の人の頭の間から、何とかステージの上を見ることはできるが・・・。などといろんなことを考えているうちに、意外な曲のイントロが鳴り響く。I Want To Tell You。ステージを照明が照らすと、弾いているのは一番右端に立っているクラプトン。公式テイクよりずっと長くイントロが続いた後、ギターを抱え、 手を振りながらジョージが登場・・・。遂に、本当に目の前にジョージが現れた! すぐにはこれが現実だとは信じられなかった。悲鳴のような歓声と拍手。I want to tell youではなく、I wanna tell youと歌うジョージ、間奏にギター・ソロが入るけど、まずジョージが弾いた後、クラプトンが続く。東京では 「クラプトンのギター・ソロの時にジョージに対するものよりも大きな歓声が起こった」と聞いてるけど、この日は全くそんなことなかったよなあ。ギター・ソロの時、内股で、腰を引いて、首をすくめたような姿勢でギターを弾く姿は、初期ビートルズの頃のジョージそのもの。それに、髭を剃り落としたジョージは本当に若々しく見え、 その点でもますますビートルズ時代の姿とダブる。そのことは私を更に興奮させた。遂にはじまった、今回はポールの時と違い、どんな曲が演奏されるのか全く知らない。これから先、どんな感動が待ってるんだろう・・・。

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