「アメリカのストーンズ」とまで形容されたアメリカンR&Rバンド。B級だけど、ワイルドで
熱い、究極のライブバンド。そんな彼らの歴史を辿り、その魅力に迫る。
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| ・・・一般的には1981年に発表されたアルバムFREEZE FLAMEと、そこからシングル・カットされたCenterfold(堕ちた天使) がMTV経由で大ヒットしたことで知られているようだ。しかし、このいかにもニュー・ウェイブ風な作品は彼らにとってデビュー12年目にしてのブレイクであった一方、このバンドの本来の魅力であった筈のワイルドな一面が感じられないものでもあった。 デビュー以来、ブルース、R&Bなどへの深い愛情と敬意を払い、熱くワイルドなサウンドを追求し続けたバンド。そして、ライブでこそ本領を発揮してきた究極のライブ・バンド。ただ、それが為に、いつもB級であり続けたバンド・・・。 そうした側面こそがこのバンドの本来の魅力であり、本来の姿であった。また、だからこそカッコよかった! |
| J.ガイルズ・バンドの母体となったのは67年、ボストンで結成されたJ ガイルズ・ブルース・バンドだった。シカゴ・ブルースの大ファンであるJ.ガイルズ(g)を中心に
ダニー・クライン(b)、マジック・ディック(har,sax)からなるトリオ編成のアコースティック・ブルース・バンドだった。
一方、ソウル・フリークでボストンでDJをしていたピーター・ウルフ(vo)はちょうど同じ頃、白人ソウル・バンド、ハルシネイションズを結成して活動していた。そんなピーターは
J.ガイルズ・ブルース・バンドのステージを見て共感して急接近。ピーターはハルシネイションズのドラマーだったスティーヴン・ブラッド(d)とともにJ.ガイルズ・バンド(この時点で「ブルース」
が外されている)に加入したのである。こうしてパワー・アップしたバンドはボストンのクラブ・シーンで大活躍。マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカーなどのホンモノのブルースマンとの親交も深めた。69年に入り、
セス・ジャストマン(key)が加入。ピーターとセスで曲作りも開始する。ちょうどそんな頃、ボストンのクラブシーンでの活躍ぶりが話題になり、アトランティック・レコードと契約を結ぶ。 71年、デビュー・アルバムTHE J.GEILS BAND、セカンド・アルバムTHE MORNING AFTERをたて続けに発表、フィルモア・ウエスト最終日のステージで オールマン・ブラザーズ・バンドと共演して絶賛されたり、ローリング・ストーン誌の71年ベスト・ニュー・バンドに選ばれたりした。しかしその評価とは裏腹に、2枚のアルバムは不発に終わった。まだウルフ=ジャストマンのコンビのオリジナルは少なく、 ブルースのカバー中心で、ステージでのワイルドな魅力を生かしきれていなかった。 |
| そんな彼らの本来のワイルドな魅力がはじめて発揮されたのが72年発表の初のライブ・アルバムFULL HOUSEだった。勢いだけで強引に押しまくる演奏、DJ時代を彷彿とさせるピーターのマシンガン・トークMCなど、
それまでの2枚のアルバムとは打って変わって伸び伸びと演奏しているバンドの姿が目に浮かぶようだ。そして73年発表のアルバムBLOODSHOTは、初のゴールド・ディスクに輝いた。ウルフ=ジャストマンの
オリジナル作品が増えたことでブルースにベッタリではない、ポップな持ち味が出てきたことが要因だろう。特にピーターの持つ、ファンキーでソウルフルな面が前面に現れてブルース色が後退しているのも特徴といえよう。また、ここからのシングル・ヒットGive It To Me
は、クラプトンのI Shot The Shelifに先駆けてレゲエのリズムを取り入れており、もっと注目されてもよいと思う。 その後、73年LADIES INVITED(招かれた貴婦人)、74年NIGHTMARES・・・AND OTHER TALES FROM THE VINYL JUNGLE(悪魔とビニール・ジャングル)、75年 HOTLINEと順調にアルバムをリリースした。いずれも大ヒットとはいかなかったものの、この時期こそがこのバンドの絶頂期だったと思う。「アメリカのストーンズ」などどいわれる彼らだが、私にはストーンズとは かなり異なるバンドだと思われる。先も述べたように、デビュー当初こそブルージーだったが、この時期にはブルース色は弱まっている。むしろソウル色が強く、しかも70年代以降のファンクの影響も強い。もちろん、ブルースも彼らの重要な側面ではあるが、より彼らの魅力と本領が発揮されるのはソウル、ファンク寄りの曲だったと思う。バンドとしても、特定のスター・プレイヤーがいる訳じゃなく、 すべてのパートの音がひとかたまりになって襲いかかってくるかのようである。そして専任ハーピスト・マジック・ディックの存在も異彩を放っている。ピーターのちょっと ドスの利いたボーカルも魅力的だ。このように見るとJ.ガイルズ・バンドは、「ブルース・バンド」というより「ホワイト・ソウル・ファンク・バンド」と言った方が適切かもしれない。 76年、2枚目のライブ・アルバムとなるBLOW YOUR FACE OUT(狼から一撃!を発表。地元・ボストンとデトロイトのステージの模様をおさめた2枚組のこのライブ・アルバムは、まさにバンドが全盛期にあるということを 示したものであり、私は文句なく彼らの代表作、最高傑作だと信じて疑わない。こうして事実上の頂点を迎えたJ.ガイルズ・バンドは77年、幾分洗練された内容のMONKEY ISLANDを発表後アトランティック・レコードを離れてEMIへ移籍、 これがバンドにとって大きなターニング・ポイントになった(いや、なってしまった!)。 |
| EMIに移籍したJ.ガイルズ・バンドはまず78年、移籍第一弾アルバムSANCTUARY(禁猟区)を発表した。ここではプロデューサーとしてボズ・スキャッグスなどを手がけたジョー・ウィザードを起用。スタジオ・ワークを駆使したポップで
洗練されたサウンドを打ち出した。とはいえ、まだまだ初期のワイルドな面もしっかり残っていた。異変が起こるのは79年のアルバムLOVE STINKSからである。このアルバムでセスがプロデュースを担当。シンセを導入し、ディスコ、ニューウェイブの
手法を大胆に採り入れ、バンドのイメージを一新させた。この変化はセスの提案によるものであり、初期のワイルドなイメージは一気に薄れていった。 そして81年、この路線をさらに押し進めたアルバムFREEZE FLAMEが発表され、そこからシングル・カットされたCenterfoldが全米No.1を記録。デビュー12年目にして遂に大ブレイクを果たすのである。 しかも、ヒットのきっかけがMTVにあったというのも、かつての彼らからは想像もつかないものである。このヒットで一躍「ヒット・チャート・アーティスト」の仲間入りを果たした訳だが、82年に発売された3枚目のライブ・アルバムSHOWTIMEでは、相変わらずの 熱いパフォーマンスを展開、ライブ・バンドとしての彼らには変化はなかった。 しかし83年、ショッキングなニュースが舞い込んできた。バンドの顔ともいえるボーカルのピーター・ウルフがバンドを脱退したのである。しかも事実上の解雇。ピーターはセスの目指したポップなサウンドに不満を持ち、たびたびセスを始めとした他のメンバーと対立、ライブやレコーディングに穴を空けるなど、 トラブルが絶えなかったのである。一説によるとセスがピーターを追い出したともいわれている。ピーターが抜けた穴は埋めないままに84年、アルバムYOU'RE GETTIN' EVEN WHILE I'M GETTING ODD(ヒップアート)を発表。セスとスティーヴンがボーカルをとっているものの、 ピーターの穴は埋められる筈もなく、セールス的にも失敗。そのまま活動を停止して、特に解散宣言もないままにバンドは自然消滅してしまった。 J.ガイルズ・バンド脱退後のピーターは少作で、派手さはないが、ミック・ジャガーと共演したり、ヒップ・ホップに接近したりしながらも、しっかり自らのルーツに根差した作品を発表し続けている。セスはプロデューサーに転身。J.ガイルズとマジック・ディックは92年に連名でブルース・カバー集BLUES TIMEを発表している。 セスがもたらしたサウンドの変化は、決して「売りたいがため」のものではなかったと思う。しかしその変化により、セールス上の成功はもたらしたものの、バンド本来の持ち味を殺し、メンバーの絆を急激に弱めて、結果的にバンドを解散にまで導いてしまった。「成功=幸福」とは必ずしも言い切れないという好例といえなくもない。 しかし、70年代半ばの作品は今聴いても熱くワイルドで、彼らのブラック・ミュージックに対する愛情が感じられる。このB級だった頃の彼らは文句なくカッコイイし、また、彼らにとっては真に「幸福な時期」だったに違いない。 |
| 結成から解散までに発表されたアルバムに関しては本文中で述べてきた。ベスト・アルバムはアトランティック時代とEMI時代とそれぞれ発売されている。しかし、レーベルを越えた良心的なアルバム制作で定評のあるアメリカ、ライノ・レーベルからアトランティックとEMI両方の時代から選曲されたヒストリー盤が発売されているので、 ここではそれをご紹介したい。 |
●THE J.GEILS BAND ANTOLOGY-HOUSEPARTY
Disk−2:1.Sno-Cone(live)、2.Wait(live)、3.Hard Driving Man(live)、4.First I Look At The Purse(live)、5.Pack Fair And Square(live)、 6.Whammer Jammer(live)、7.Musta Got Lost(live)、8.Start All Over(live)、9.Houseparty(live)、10.I Do(live)、11.Just Can't Wait、12.Love Stinks、13.Night Times、14.Flamethrower(炎の女)、15.Centerfold(堕ちた天使)、 16.Freeze-Flame、17.Sanctuary、18.One Last Kiss、19.Teresa 日本盤CD:MSIF2517-2518(MSI)
購入時期 1995年頃
レーベルを越えて選曲された究極のアンソロジー盤。アトランティック、EMIそれぞれの時代のベスト・アルバムは出ているが、レーベルを超えている分、こちらの方が良心的だし、初心者の方にもお勧めできる。 まずDisk-1はアトランティック時代の71〜77年のテイクからの選曲。先にも述べた通り、カバーではオーティス・ラッシュの2.Homework、ウイリー・ディクソンの7.Dead Presidentsなどのブルースよりも、ボビー・ウォマックの3.Looking For A Love、カーティス・メイフィールドの15.Believe In Meなどのソウル・ナンバーのカバーの方がこのバンドのカラーに合っているし、 はまっている。また、意外なところではシュープリームスの17.Where Did Our Love Goも熱く、ディープに生まれ変わっている。オリジナルではマイナー・ヒットを記録したGive It To Me、Southside Shuffle、Detroit Breakdown、Musta Got Lostが必聴。この中ではやはり「元祖レゲエ」の8.Give It To Meが注目ということになるかもしれないが、個人的にはピーターの”Do you wanna dance?”のシャウトから始まるファンキーな9.Southside Shuffle、ちょっとメロディアスでソウルフルな14.Musta Got Lost がフェイバリット・ナンバーである。いずれにしても、この時代が真の全盛期だと信じているので、多くの人に聴いて欲しいと思う。 Disk-2の11〜19.がEMI移籍後のテイク。ほぼ全曲、シンセを導入したディスコ、ニューウェイブ寄りのサウンドで、イメージが一新されているのが分かる。特に大ブレイクを果たした15.Centerfold、大胆なアレンジの16.Freeze-Flameなどは、まるで別のバンドになったかのようである。個人的にはちょっと苦手だが、ヒット・チャートもののお好きな方は、このあたりの方が楽しめるかも・・・。ただし、ピーター脱退後の ラスト・アルバムからは1曲もセレクトされていない。 残るDisk-2:1〜10.は3枚のライブ・アルバムからのセレクト。「究極のライブ・バンド」といわれる彼らだけあって、10曲も選ばれている。やはりスタジオ・テイク以上にワイルドで、勢いを感じさせる。特に同じ曲のスタジオ・バージョンとライブ・バージョンが収録されているDisk-1:14.とDisk-2:7.のMusta Got Lostを聴き比べていただければ分かりやすいと思う。また、ピーターの元DJ であったことを忍ばせるマシンガン・トークMC、スタジオ・テイクでは目立たないマジック・ディックのどす黒いハープもライブ・テイクならではの楽しみである。 *アルバム好感度 90 *「どうしてもオリジナル・アルバムを」という方には76年発表の2枚目のライブ・アルバム、BLOW YOUR FACE OUT(狼から一撃!)を、お勧めします! |
*:1998年7月12日UP
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